毒舌でKYな悪の華
昨日と同じ部屋に同じメンツ、笠岡美登利は同じ白いパーカーで現れた。特に緊張している様子も疲れているようでもない。相変わらず考えの読めない不透明感は纏っているが、ひとつの義務を成し遂げた安堵感のようなものも放っていた。
暑いからと言って媛がペットボトルの緑茶を3本机の真ん中に並べる。
「お葬式、どうだった?」
媛にしては芸のない切り出しだと香川は思う。
「しめやかに……」
そしてまた当たり障りのない、及第点の答えが返ってきた。
「すまないな、もう捜査ではないのにつきあわせて」
香川が言うと美登利は「私も知りたいことがあるので……」と呟いた。
「教えてほしいことがあるの」席に着いた媛が妙に明るく問いかける。
「亜里沙さんはボードレールが特別に好きだったの?」
優等生の答えに淀みはない。
「いいえ。最初はボードレールじゃなくて。『ミラボー橋』とか『秋の日のヴィオロンの』とかでした」
「それって、アポリネールとかヴェルレーヌとかって名前の詩人たちよね?」
媛も負けずに応じる。
「はい。亜里沙は結構日記をつけていて、4月に買った新しい日記帳にそれらが載ってて気に入ったって」
「まあ、ボードレールは毒気が強くて日記帳には似合わないわね」
「はい」
話はどちらに進んでいくのか。相棒が本当に困るならボケの合いの手も必要かもしれないが、今日は香川にも余裕がない。
媛が信じることと自分の信じることが、笠岡美登利を挟んで対角に位置する。
そして媛という女が自分にとって特別であると本人に伝えてしまったことが、妙に香川の尻の据わりを悪くしていた。
媛はあのキスに逃げもせず、恥ずかしげに俯くと「何するんですか、先輩……」と囁いた。
「すまん……」
というと、
「なんでそこで謝るんです?」
と今度は語気強く返ってくる。
「好き……だから、」
と、言いかけたところで、ターゲットがバーの勝手口から現れ、コンビニにでもいくような気楽さで歩きだした。
香川はハッと頭を切り替え、尾行、職質、連行。
容疑者を担当者に引き渡し、急ぎの業務はないことを確認してから、二人とも半休を申請したのだった。
告白を続けるためではなく、互いの推論に結末を与えようと別々の線を追いかけ、派出所で合流した。
もう一度笠岡美登利に会うために。
香川は恋人の声音で回想から引き戻された。
「亜里沙さんのカバンの中にはボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』が入っていた。読んでるの知ってた?」
「はい……」
「亜里沙さんはどうしてボードレールに行きついたんだろう?」
媛が美登利を糾弾する蜘蛛の糸を張り始める。
笠岡美登利は躊躇いの後に、少し離れた話題から入った。
「5月の末ごろだったかの水曜日に、美術室で『福山君と付き合うことになった』って言われたんです。すごく嬉しそうで」
「嬉しそう? あなたに告げるのに? ちょっとひどくない?」
「ひどいのか、どうか……、亜里沙はKY気味でしたし……私が福山君好きだって気付いてなかったんじゃ……」
「それにしても……。福山君からは何も言われなかったの?」
「彼は……、彼も、私を彼女だと思ってなかったんです、きっと……告られたわけでもなく、何となく一緒に居てくれるから私が勘違いしちゃってただけで……」
美登利の表情が暗い。
「それでも、私は辛くって。それなのに亜里沙は今の気持ちを絵にしたいから英語教えてくれって……」
「そう……」
「洋楽の歌詞に出てくるような単語をひとつずつ、小文字でメモ帳に書いて渡していって」
美登利はぽつりぽつりと話を続けた。
「うわーヘンな色、とか笑える形~、何て意味?とか言いながらほんと楽しそうで……」
「私のほうは苦しくって、涙が滲んできちゃって……」
美登利は俯いて、今もまた涙を堪えているらしかった。
「『福山君、亜里沙が毒舌でKYなこと、知ってるの?』って訊いちゃったんです……」
「そしたら『さあ。美登利にはそう言われるけど、私自身がどうかなんてわからないから、説明しようがないじゃん』って」
「亜里沙さんもなかなかの開き直りね」
媛がコメントした。
「わかるんです、亜里沙の場合、いつどこで、誰の前で発作を起こすかもしれないとしたら、人の目ばかり気にしては生きていけない。開き直るしかないって判ってたのに……」
さすがの美登利もすぐには話を続けられないようだ。
「それとボードレールとどう繋がってくるの?」
媛の促しは香川にしてみると少々思いやりに欠ける。
「ちょうどそのころ私が『悪の華』を読んでいたから、それで……」
肩で息をひとつ吐くと美登利は続けた。
「言っちゃったんです、『亜里沙なんて宝石のない宝石箱、形見の入ってないロケット、空っぽなくせに!』って」
「それは『悪の華』に出てくるの?」
ギリギリまで傍観を決めている香川は、媛のことだからこの数日で、あの本を読破したと予想している。元々知っている様子だったし。
香川自身でさえ、薄っぺっらな『パリの憂鬱』のほうだけは何とか目を通した。
「亜里沙は綺麗なんです。キャンバスに向かっている時なんて神々しいくらいに……。『嘘の愛』って題名の詩で『見かけだけでいいじゃないか……仮面でも飾りでも……君の美しさを讃える』って。亜里沙は見かけだけじゃない。なのに妬ましくって悔しくて、言ってしまったんです」
美登利は両手に頭を抱えた。
「亜里沙さんは? そう言われてどうしたの?」
「きょとんとしてて。そりゃそうですよね、何が何だかわかってなかったんだから」
媛に何か言わすとあとあと後悔しそうだから香川は割って入った。
「三原亜里沙にしてみれば、親友に彼氏ができたと告げた。一緒に喜んでくれると思っていた。ラブレター代わりの絵を描くのを手伝ってくれてる。その途中でなぜか、悲しそうで急に自分のこと批判してきたって感じか?」
美登利は香川に涙で赤くなった目を向けて頷いた。
「君はひとりで抱え込みすぎた。早めに三原さんに恋愛相談でもしておけばよかったのに……」
「私は……そういう性格なんです……」
美登利は意固地な性格をそれ以上説明したくないのだろう、媛のほうの話に戻した。
引用部分、拙訳です。かなり中略してます。
もちろんボードレールの著作権は切れてます。
「嘘の愛」としましたが「嘘に寄せる愛」「欺瞞の愛」と訳されている場合もあるかと。