6 人工知能様による何かの育成計画
ちょくちょく覗きに来てくださる方、ふらりと立ち寄られた方もありがとうございます。
およそ一年が経過。
エスタローザ光王国および、近隣諸国の言語までほぼマスターできた。
外国語とは、丸一年ぐらい猛勉強をして、片言の日常会話ができるようになれば御の字ではないのか。
それを毎日たったの一時間、所定の場所で横になるだけで、役所向けの難解な手続き書類さえ理解できるほどの読解力と会話能力が身についてしまった。
世の真面目な勉強家全員が血涙を流して呪詛を吐きそうな、あまりにも簡単で完璧な、習得とも呼べないずるい習得方法である。
翻訳機あればいいじゃん? とさほど有難みを感じていなかった贅沢者でも、読み書き・会話ができるようになれば、さすがに感覚が変わってきた。
だいたい、機械は故障したり失くしたりした時に慌てるのだ。自力で理解できるようになったほうが、やはり長期的に見れば便利に違いなかった。
ちなみに言葉は補助脳経由で憶えられたけれど、それ以外については相変わらずEGGSの送ってきた記録映像をARK・Ⅲが編集し、休憩時間をはさみながら流して解説するといった講義が毎日何時間も続けられた。
脳へ一度に送り込める情報量には限度があると思い知らされているので、これも特に文句はない。
便利な環境にどっぷり浸かりきっていた〈東谷瀬名〉の記憶――わからないことはAIに質問すれば瞬時に答えてくれるので、一部の天才肌な人種を除き、誰もが己の頭で憶える努力を放棄した時代。
あの頃の勉強といえば、記憶力の限界と睡魔の熾烈な戦いだったはずなのに、意外にも今回の《お勉強の時間》は悪くなかった。
まず、ARK教授の教え方がわかりやすくて無駄がない。
次に、子供の脳の吸収力のおかげか、それともサイコドクターARKによる遺伝子レベルの魔改造の影響か、以前より明らかに記憶力が良くなっていた。
とどめに、一般的な子供は「これって将来なんの役に立つの?」とすぐ懐疑的になって集中力を失いやすいけれど、社会人時代の記憶がその答えを持っている。
その知識が役に立つか立たないかの問題じゃないんだよ、学べる時間と環境があるなら徹底的に学んどいたほうがいいんだよ! と。
《若い頃にもうちょっと勉強しておけばよかったなぁ、などと実感できるようになるのは、既にそれなりの年を重ねてからですしね》
「それな」
ことあるごとに「どうせ検索機で調べたらわかるじゃん?」と捨て台詞を吐くより、いちいち検索機で調べなくてもわかる人間のほうが格好いいに決まっている。
そしてなんといっても、興味のある分野は誰しも積極的に学ぶ姿勢になり、苦痛を感じにくい。
剣と魔法の世界。
古き時代のヨーロッパをファンタジーゲーム風にアレンジした国。
大好物であった。
◇
大陸の主な標準語をクリアしたので、お次は僻地の方言や古い時代の言語など、優先順位の低い言語をたまにインストールする程度になった。
頻度としては、週に一度あるかないか。つまり横になって一時間、不快感をこらえて一時間、大事をとってさらに一時間、計三時間ぶんの余裕が、ほぼ毎日ぽっかりと空いたわけだ。
子供の三時間は非常に長い。むろん体感型RPGプレイヤーのような娯楽のたぐいは一切なく、あったとしてもARK教授が時間泥棒をのさばらせるはずがないので、単純に講義時間が増えるんだろうなと思っていた。
何故かAlphaが木刀と剣と弓とナイフを抱えてきた。何故だ。
ランニングや柔軟体操は少しずつ始めていたけれど――これも「若い時にやっとけばよかった…!」と後悔していたひとつだ――加えて木刀で素振り、剣で素振り、そのほか弓、ナイフ投げなどに時間が割り振られた。
ARK教授が何を目指しているのやらさっぱりである。
「そもそも剣とか何であるわけ?」
《作りました》
当たり前でしょ? と副音声が聞こえ、副音声に向けて「あ、はい、そうですね」と答えていた。
ゆるく反った剣は片手でも両手でも扱える仕様になっており、柄の部分は西洋風だが、剣身は時代劇に出てきた刀に近い印象を受ける。練習用だからか装飾は一切なく、実にシンプルだ。
木刀は意外に重さがあり、長時間振り続ければ結構疲れてきた。
振り方は我流でいいらしい。
《以前にも申し上げましたが、あなたの身体能力は底上げされており、一般の基準があてになりません。また、実戦向けの古武術や真剣を使った剣術などは参考にできるほどの資料が電子媒体に遺されておりませんでした。あなた自身が振りやすい動き、振りにくい動きを、身体を動かす過程でご自身の感覚で判断してください》
長い年月をかけて洗練されてきた剣技や体術なんかは、もし映像資料でもあればだいぶ参考になったんじゃないかと思うのだが、残念ながらそれらの記録は大部分が時代とともに消失してしまったらしい。
それでも私の基本能力値は本来の人類から逸脱しているので、普通なら不可能とされる動きがこの身体には可能となる場合が多々あり、普通の人を想定して編み出された武術を無理になぞろうとする必要はないそうだ。
「そんな俺に誰がした……」
さらにこの世界の人々の戦い方を最低限知っておくのも重要と、ARK教授は戦闘シーンをピックアップした編集映像をほぼ毎日、解説を交えながら流すようになった。果たして教授がどんな野望を抱いているのか、小一時間問い詰めたいところである。
おまけに、この戦闘シーンの凶悪さときたら。
「あの、ARKさん? 検閲は?」
《ございません》
ですよね。知ってました。
知ってましたが、これはちょっとあんまりにもアレではないでしょうか。
序盤は貴族の子弟らしき二人が、先生らしき人物の指導を聞きながら木剣で打ち合うほのぼのとした場面で始まり、そこでホッと油断させた直後、場面は集団と集団がぶつかる血みどろの殺し合いに切り替わった。
当然ながら、現実そのままの無修正映像だ。
血飛沫舞うどころか、人体の各部位から出てはいけないものがあちこち飛び出て舞い散っている。
壊れたマネキンのように、人間の成れの果てがバタバタ積み重なっていくその光景は、実にもう、何というか。
「……えぐい」
ホラーやサイコサスペンスは平気だった。むしろ好きなほうだった。
けれどフィクションとノンフィクションでは、視覚的にも心理的にもえぐさが別次元なのだ。
神官ぽい人物が呪文らしきものを唱え、瞬時に傷を治す心躍る光景もあった。けれど心躍ったのは、その人が背後から回り込んだ敵に喉を裂かれるまでであった。
回復役があっさりいなくなり、次々にやられていく人々。
スクリーンの中に登場する武器は圧倒的に剣が多いのに、どうしてか剣で戦っているように見えない。鈍い刃で、力任せに叩き斬る――いや、殴りつけているといった表現が正しい。
すっぱりと綺麗な傷が通るのではなく、肉をえぐりとられている。
斬り合いとは〝スッパリ斬れば相手は即死〟が定石のように思い込んでいたけれど、現実にそんな幸運は滅多にないのだ。
斬られた者が都合よく、全員即死するわけではなかった。
そんな状態で死ぬに死ねず、這いずる姿がいくつもある。中には、自分に何が起こったのかわからないのか、頭部を貫通した矢をそのまま放置して、ホラー映画さながらにうろうろ彷徨う者までいた。
「誰かとどめ刺してやれよ……!」
敵味方の大勢入り乱れる戦場や、獣の群れに襲われている場合だと、死にぞこないは基本放置。
いや、ただの獣相手なら、運がよければ早々に息の根を止めてくれる。
しかし、見るからに奇妙な、動物だか植物だかなんだか曖昧な生物に襲われた場合は……。
「うげっ……あれって……」
《魔物ですね》
「…………っっ!!」
その日の食事は喉を通らないと踏んでいたARK教授は、夕食時に栄養ドリンクのみを出すようAlphaに指示を出していた。
抜かりがない。
◇
鬼教授ARKはその後も毎日、各種魔物の生態や対処法に関する参考資料として、その手のシーンを何度も流した。鬼悪魔鬼畜外道である。
ショッキングなR30指定映像にすっかり慣れて、もりもり食事をとれるようになるまで、なんと十日もかかってしまった。
十日ぽっちで済んだのって?
いやいや、お子様の十日間はとてつもなく長いのである。
Alphaは料理上手だ。トラウマは残らなかった。精神の耐久力がちょっとやそっとでは削れないようになっているらしい。人としてこれを良かったと断言していいのか、微妙なところである。
「ときにARKさん? 外にはあーんな気色悪い超危険なモンスターが、あっちこっちにわんさかいるんですよね?」
《その認識は正確性に欠けます。いるところにはいる、程度でしょう》
「いやいやいやいや、そんな政治家みたいな回答いらないから! つまり、いるにはいるんですよね? 百歩譲ってエイリアン系生命体はともかく、強盗とか山賊とかゴロツキとかフツーにいるよね!?」
《いますね》
「なら外なんか出たら危ないじゃん! だいたい中世レベルの犯罪捜査能力なんて、冤罪と迷宮入りのオンパレードだってのに、うっかり被害者になったらどうすんの? わざわざそんなリスク冒さなくたっていいじゃん!」
くどいようだが、私は曇りなき純粋なインドア派。
おまけに〈スフィア〉は充分に広く快適なので、この中で何年ひきこもり生活を続けても平気な自信がある。
娯楽はEGGS提供の生中継で充分だ。
《〝中世〟をどこからどの時代までと定義するかで解釈は異なるかと思われますが、魔法が存在しますし、犯罪捜査等の精度は案外高いと思われますよ。それにマスターは肝心なことをお忘れのようですが》
「何を!?」
《彼らからすれば、我々がエイリアンです》
撃沈した。
ARK氏の構想において、〈東谷瀬名〉の未来にひきこもり人生など、どうあっても許容できないらしい。
そもそもこのARK氏に対し、まともな捜査能力の有無を語るなど道化もいいところであった。たとえ犯人が地中深くに潜ったところで、ARK氏は必ず、速やかに、確実に見つけ出すに違いない――断じて泣き寝入りでは終わらせないであろう。
その時敵がどんな目に遭うのか、あまり想像したくなかった。
ところで、ファンタジーに登場する魔物の種類だが、同じ種族名の魔物でも、作品によって描かれ方が千差万別だ。ほのぼのとした作品ではほのぼのとした魔物が登場し、コメディ色の強い作品では愛嬌があって憎めない魔物が登場したりする。
では、この世界ではどうだろう。EGGS提供の記録映像に出演していた、代表的な魔物をざっとまとめてみた。
【魔粘性生物:スライム】……酸を飛ばして武器や防具を溶かす上、打撃や斬撃が効かない、肉体派戦士の天敵。間違っても初級者が倒せるような雑魚の位置付けではない。戦闘開始早々に逃げるどころか積極的に襲ってくる。うっかり生息域に踏み込んだ男が麻痺毒にやられ、ろくに抵抗もできないまま窒息死させられたあげく、ゆっくり消化されていた。
【小鬼:ゴブリン】……逃げ足が速く狡猾。個々が弱いため基本群れて獲物を襲う。学習能力があり繁殖力が強いので、目撃情報があれば集落の殲滅戦に発展することが多い。一匹の個体が逃げると見せかけ、血の気の多そうな若者達のグループを仲間のもとへ誘い込み、多勢で取り囲んで奇声をあげながらメッタ刺しにしていた。
【一ツ目巨人:サイクロプス】……頭は弱いが数メートルの巨躯と頑丈さとパワーが厄介。倒せたら皮膚が強力な防刃・防魔の素材になる。倒せなければ死と破壊の権化。踏み潰されたり棍棒で叩き潰されたり、これが暴れた後にはそこらじゅうで人間のミンチができていた。
【暗黒蜘蛛:ダークスパイダー】……熊並みの巨大蜘蛛。粘つく糸の乱舞や数百匹の子蜘蛛がうぞうぞ襲い来る光景など、まさにモンスターパニック映画の主役の風格。生理的嫌悪感をこれでもかと刺激し、鳥肌が止まらなくなること請け合い。
【肉食植物:マンイーター】……植物と見せかけて怪獣。生きた獲物を触手で捕獲しごくりと丸呑み、溶かして消化。麻痺成分を含む香りを放ち獲物の動きを鈍らせるものや、するどい棘付きの触手で絡めとり血を絞りとるものなど多様な種類がある。
【屍死鬼:ゾンビ】……要するにゾンビ。多くを語る必要はない。動きが遅いので囲まれなければ何とかなる。噛まれてもZウイルスには感染しない。ただし血管内に入り込んだ毒素や雑菌のせいで死ぬ可能性は高い。
【邪霊屍鬼:グール】……進化型ゾンビ。走って襲える反則型ゾンビ。こいつに喰われて死んだらZになる凶化型ゾンビ。ただし被害者は陽光を浴びれば腐肉が焼滅して骨になるので、Zパンデミックに発展しにくいのが不幸中の幸い。
【狂骨剣士:スケルトン】……骨と骨を連結させるものがないのに何故これが動けるのか、細部まで研究し骨格標本を作りたいとどこかのマッドドクターA氏が呟いていた。
ほか、多数。
……うん。まあ、もうちょっとソフトな感じかなあとか、別に期待なんて全然しちゃいなかったさ……。
…………。
嘘である。できればほのぼの作品系だったらいいなと、儚い希望を抱いていた。
ぷるんと愛らしいスライムがぷるぷる震えながら仲間になってくれたり、純朴なゴブリンが畑づくりを手伝ってくれたり、そんなスローライフ系の世界だったらいいのにと。
たとえそうでなかったとしても、どうせ現実の魔物なんて、迷信深い人々が醜悪な見た目の凶暴な獣を誇張して、そう呼んでいるだけじゃないのと高をくくっていた。
甘かった。
本格派の魔物だらけだった。
「くっ……ファンタジーはファンタジーでも、よりによってダーク寄りか……!」
確かにダーク系ファンタジーも好きだった、ただしフィクションに限る。
自分がそこで生活するとなれば、それはそれ、これはこれ。
リストに記載の一匹たりとも、一生、出くわしたくなんてない。
けれど交通事故や天災と同じで、一歩外に出たが最後、確実に出くわさずに済む保証はない。
近くに置いてあった剣のナックルガードに指をひっかけ、くるりとまわした。
げんなりする。
つまりそうなったら、闘えってか。
「あのう、ARKさん? 別にこんなことしなくても、お外に出なきゃオール解決なんじゃないかなあ、なんて愚考するんですが?」
《はい。愚考ですね》
「をい。キミはもうちょっとオブラートという言葉をだね?」
《私の狙いといいますか、目的についてはお考えでしょうか?》
「目的? ……えっと……」
言われてみれば、考えてなかった……。
一貫して「ヒキコモリ・ダメ・ゼッタイ」なのは知っていても、どうしてそういう方針なのかは聞いていない。
ARK・Ⅲは勿体ぶらずに話し始めた。
《いずれあなたが、現地住民と普通に付き合えるように。私が目的としているのはそれだけです。ただその土地に住む者と普通に出会い、何の変哲もない世間話を自然に交わせるようになること。そのためには、可能な限りのリスクを減らしておきたいのです》
「……ほんとにそれだけ? 普通にコミュニケーションとれるようにって、それだけのためにここまで念入りにやる必要があんの?」
《その程度のことが、我々には困難だからですよ》
エスタローザ光王国は、アトモスフェル大陸の中では有数の富裕国だ。比較的治安もいい。だからこそARK・Ⅲは迷わずこの国を着地点に選んだのだが、それでも、他人様の金品を殺してでも奪いたがるような手合いはどこにでもいる。
ぬるま湯に浸かりきった平和ボケ大国。そんなふうに揶揄されていた故郷のように、完璧な治安と人権の尊さが万人に約束されている理想郷など、この世界のどこにも存在しない。少なくともEGGSからは、未だそれらしき報告は届いていない。
いざという時、身を守れるように。できるだけ自力で危険を回避できるように。
物理的にも精神的にも、できるだけ他者から排斥されないように。
万一排斥されても、生き延びられるように。
つまりあくまでも、より多くの護身の術を身につけてもらいたいのだとARK氏は語った。
「一般人の認識する〝護身〟と、ARKさんが認識してそうな〝護身〟の範囲って、なんだか乖離が甚だしいなって思うのは気のせい?」
《気のせいです》
「即答かよ」
《齟齬と呼ぶほど深刻ではない、個体差による若干の認識のズレ程度でしょう。何も魔物を乱獲したり、犯罪者を絶滅させてくださいと申し上げているわけではありません》
「やれって言われても困るわ!」
そして何よりも――
老いてからでは遅い。
濃密な魔素の漂う宇宙空間で、方舟が何十年も先まで航行していられる確証がなかったように、この先いつまでも〈スフィア〉が安全でいられるとは限らなかった。
かつて楽園の中でぬくぬく暮らしていた人々が、生き延びるためにそこから出なければならなくなったように、似たようなことが数十年後、ここにいる私の身に起こらないとも限らなかった。
その時もし、自力で身を守る術をなにひとつ持たず、ろくに他者とのコミュニケーション方法も知らない、非力な胡散臭い余所者の老人として放り出されてしまったら?
「……うん、まあ、確かに」
もの凄く嫌だ、それは。
瀬名さん「いやでもやっぱりなんか、やり過ぎな気が……?」
ARK氏《大は小を兼ねると言いますでしょう(しれっ)》