5 人工知能様による隙のない家庭学習
パールホワイトの卵に菱型の羽がついた、ころころと妙に可愛らしい小型探査機〈EGGS〉が放たれた。
鶏卵サイズの彼らはその姿を周囲に溶け込ませ、あらゆる地域の情報収集を行う。飛行速度は音速に達し、環境や条件によって多少左右されるが、水中では水深およそ数千メートルまで、熱に対してはおよそ数千度ぐらいまで耐えられる優れもの。地球基準なら深海だろうが活火山の中だろうが、しばらく活動できるらしい。
とてもそうは見えない外見に反し、恐るべき性能を持ったタマゴ鳥がなんと十機――多いか少ないか微妙なところだが、性能を思えば充分な数だろう。
彼らは大陸中をめぐって映像や音を記録し、情報を〈スフィア〉に送り続ける。閉じた状態の書物を外側からスキャンすることも可能らしい。
ARK・Ⅲはそれをもとにさまざまな分析を行い、必須と思われる内容を重点的に噛み砕いて教えてくれるのだった。
《この星には〝魔物〟と思しきものが存在しています。おそらく魔素や魔力の影響によって強力な進化を果たした生物と思われ、獣タイプの一部は人類と共存することが可能なようです。それ以外は共存も飼い馴らすこともできないようですね》
「やっぱいるんだ……じゃあ、まさかこのへんにも…?」
《いいえ、少なくともこの森にはおりません。生息が確認された地域は魔素濃度が著しく高い傾向にあり、この辺りは人里よりやや高い程度なので、家畜化された魔獣以外は環境が適していないのではないかと。さらに方向感覚が狂わされる〝迷いの森〟の一種らしく、一部の虫や川魚などを除いて、生物が住めないようです。原因は調査中です》
迷いの森。心くすぐる単語だが、そんなおどろおどろしい森には見えない。
いかにものどかな普通の森といった雰囲気なのに……。
「でも目印とかあれば迷わないだろうし、盗賊とか山賊とかが根城にするってことはない?」
《その可能性も低いかと。この森に関しては、迷わない程度の目印を残そうとすると目立つ大きさのものを相当数、入り口から設置していく必要があります。人の出入りがあると簡単にバレてしまいますので、犯罪者の根城には適しておりません。それから、コンパスに酷似した道具が存在しましたので再現してみたのですが、常に針が回転し続け、一定方向を示しませんでした》
何もない空間に実験映像が映し出される。
樹齢何千年もありそうな大樹に囲まれているのは、Alphaとともに起動したお手伝いロボットのBeta君だ。
ちなみにARK製の高機能補助脳のおかげで、彼らとは特別な機器を使用せずとも〝思念通話〟略して〝念話〟が可能になっている。
けれど、緊急時でもない限りなるべく発声するよう言い含められていた。
長期間言葉を話さないでいると、人の会話機能は衰えてしまうからだとか。
Betaの手にある小さな道具は、まさにファンタジーRPGに出てきそうなコンパスそのものだった。その針はぐるぐる回転し続け、止まる気配もない。
おそらく使われている素材が異なるから〝酷似した〟代物なのだろうが、あれはもう同じものと考えて差し支えないのではなかろうか。
と思いきや、こちら製コンパスもどきと地球製コンパス、それぞれ用意し比較した結果、双方の回転の仕方に明らかな違いがあった。
ARK様の仰るとおり、似て非なる道具と認識しておいたほうがよさそうだった。
◇
EGGSが放たれて数日。
送られ続ける情報をもとに、ARK・Ⅲがエスタローザ光王国の公用語や第二・第三語を集中的に分析。
手紙向け、会話向け、公文書向けなどのあらゆる単語や文法を解読し、日常会話から貴族と平民の言葉遣い、大人言葉に幼児言葉、発音の違いに至るまで、まとめて補助脳を介して私の頭にインストールさせた。
結果。
一国の主要言語をおよそ一時間でマスターした。
簡単そうだが簡単ではない。その直後から、まともに立っていられないほどの頭痛と不快感に襲われ、丸三日苛まれた。送り込まれるあまりにも凄まじい情報量に、本体の脳が悲鳴をあげたためである。
もし以前の標準的な補助脳と、容量や耐久力を底上げされていない常人の脳の組み合わせで同様のことをやっていれば、間違いなく廃人に成り果てていただろう。ぞっとするどころではない。
最初の反省を生かし、次回からは無理をしないよう、段階的に読み込ませてくれることになった。
つまり一国の言語だけでARK様が満足するはずがなかった。
情報量を抑えて少しずつ読み込む方針に転換したおかげで、頭痛・吐き気は一時間弱でおさまるようになったものの、そのぶん完了するまで回数をこなさねばならなくなり、多くの日数を要した。
――ひたすら気持ち悪さを我慢する日々。
機能美に満ちて広々とした〈スフィア〉内の生活は快適そのもの。座り心地良く素晴らしい手触りのソファ、絶妙な弾力で身体を支えてくれるベッド、羽のようにふんわり軽い毛布、食事の用意もおやつの用意もルームクリーニングも全部やってくれる素敵なお手伝いさんAlpha。
微塵の文句もないけれど、これだけが玉に瑕だった。
《マスター。それを古今東西共通して贅沢者と呼びます》
「くっ……わかってますよ。わかってるけど気持ち悪くてしんどいものはしんどいんですよ! 処方薬とかほんとにないの?」
《ありません。原因は特殊な学習法による脳疲労なのですから、現在のあなたの回復力でしたら時間経過で自然に治ります。初回と違って、短時間の不快感に耐えればよいのですから、慣れてください》
「はいよ……」
日本にいた頃、外国人との会話は翻訳機に頼ればよかった。
同時通訳機能付き翻訳機は一家に一台どころか、メーカーやデザイン違いで一人が二~三種類持っている、そんな時代だったので、誰も頑張って外国語を学ぶ必要なんてなかったのだ。
しかしこの国で現地民との意思疎通をはかる際、いちいち翻訳機など使用できるわけがない。
――すなわちこの人工知能様は、いずれこの私に現地住民と直接交流させる気でいるのだ。
あえて訊こう。何故そんな必要が?
高度文明社会の弊害の申し子よと、指を差したければいくらでも差すがいい。
別に他人になんて一生会わなくたっていいじゃないか。
人付き合いとかどう考えたって、いろいろ面倒そうじゃないか。
別にこのままずっと〈スフィア〉に引き籠もってたって――
《なりません》
却下された。
◇
「あーもうやだ。もーやめたい。本気でやめたい。マジきつい。しんどい。しんどいよう…」
本日もまた横になり、白い天井に向かって鬱々と負のエネルギーを垂れ流す。
毎日必ず一定時間は体調が悪くなり、それが過ぎ去るのをじりじりと待ち続けねばならない。
いくら贅沢者と呼ばれようが、しんどいものはしんどいのだった。
さすがに毎日やっていれば慣れもしてきたが、日々を振り返って咄嗟に思い出すことが「今日も気分悪かったな」しかないのは、少々切ないものがある。
そんな日々の潤いは、タマゴ鳥達から送られてくる大量の記録映像。日替わりで上質なファンタジー映画を観ている感覚で、結構楽しい。
しかも日を追うごとに、翻訳機がなくとも耳に入る現地語が徐々に理解できるようになっている。少々悔しいが、これはかなり嬉しかった。
ネイティブではないので、頭の中で意味の近い言葉にいちいち訳しながらだが、それも慣れれば時間差がなくなっていった。不快感に耐え続けた甲斐があると実感できるので、記録映像はモチベーションを上げる意味でもいい役割を果たしてくれた。
もちろん、愉快なものばかり観られるわけではない。
この大陸には王族・貴族・平民の身分制度があり、不愉快だが奴隷階級もある。
攫われて人買いに売り飛ばされたり、借金がかさんだ末の借金奴隷や、先祖代々の血統奴隷、犯罪奴隷などがあった。
この中で自由民に復帰できる可能性があるのはぎりぎり借金奴隷と犯罪奴隷の一部ぐらいで、それ以外はほぼ望みがないと言っていいだろう。
血統奴隷は、移民や貧困などの理由で生きるのに難儀していた者が、貴族や商家など時の有力者に保護を求め、見返りとして子々孫々まで仕えることを誓約した血筋のことだ。
朝から晩までひたすら働いても給金が一切出ず、それに対して文句を言う権利もない。それが子や孫にまで延々と続く。
子々孫々にとっては迷惑どころの話ではなかった。
おまけに彼らは主人から離れては生きられないと刷り込まれて育つため、どんな過酷な労働を課されても、逃亡や抵抗といった選択肢が浮かばなくなってしまう。
その上、我が子も奴隷になると知りながら、それでも子供を作るのは、彼らの頭が足りないせいでも、ましてや子に対して無責任なせいでもない。
適齢期になれば、主人に子作りを命じられるからだ。
最低である。
最低だが、ちょっと前に来たばかりの余所者がどうこうできるような軽い問題でもない。
そもそも私は〈スフィア〉から一歩出た瞬間に昇天してもおかしくない身。他人様の心配ができる立場でもなかろう……。
ひとまず面白くないものからは目を逸らし、楽しいものに目を向ける。
魔法だ。
ちなみに〝魔法〟や〝魔法使い〟に該当する言葉は、おとぎ話で使われる古く曖昧な表現で、現代では〝魔術〟や〝魔術士〟と言う。
荒唐無稽で無茶苦茶な〝魔法〟がこれでもかと出てくる信憑性の薄いおとぎ話と違い、ちゃんと研究されて確立された学問あるいは専門技術という認識だ。
数百年前までは下位、中位、高位と三段階評価しかなかったが、同じ位階でも実力にピンからキリまであったため、今では十二階級に分けられているそうな。
《魔術士の位階は精霊族が古来より定めた基準をもとにしているため、他種族でも通用するようです。彼らに関する情報はまだ少ないのですが、おそらく第十二階位に達する者は少なくないのではないかと思われます》
精霊族――人間嫌いで森に住み、身軽で魔術が得意で優れた弓の腕前を持つ。
総じて美しい容貌を持ち、耳が長くとがっている、らしい。
「要するにそれエルフじゃね?」
《まあ、そうですね。この世界版のエルフですね》
こよなくエルフを愛する身としては、テンションを上げずにいられない。
もちろん異なる点もある。精霊族の寿命は何万年もない。一般的に五百年前後で、相当長生きしても七百年ぐらいと記録にあるそうだ。
しかもたった三十年ほどで成体になる。これは寿命全体からみればかなり速い。人間――人族と比較しても、大人になるまでの成長速度がほとんど変わらないのだ。
おそらく長い歴史の中、彼らはさほど安全な環境下にはいなかった。自然界において、生まれたての草食動物がすぐ立てなければ肉食獣の餌食になってしまうのと同じ理屈で、成体になるまで百年もかけていたら遅過ぎる事情があったのだろう。
精神的な成熟度のバランスを考えても丁度いいと思う。見た目は十歳ぐらいの子供でしかないのに、言動も自覚年齢も中年並みとか、実際それはどうなのか?
私自身がそんな生物になったからこそ思うのである。
自己紹介をするたびに、「はじめまして瀬名です、十歳です!」なんて堂々と言いたくはないし、目を泳がせずに言える自信もない。
スクリーンを眺めながら甘いミルクティーをすすりつつ、しみじみ思う今日この頃だった。
……余談だがストレートティーを希望したら、やたら苦みを感じて飲めなかった。味覚がお子様舌に戻ってしまっている……この調子ではブラックコーヒーも飲めなくなってそうだな。
「もし外見と精神年齢が一致してるパターンだったとしてもさ。何十年も生きてるのに、知能とか判断力が幼児並みの種族って、現実にいると『それホントに頭いいの?』ってちょっと疑問に思っちゃうよね」
もし頭の良さが売りの精霊族がそんな生き物だったなら、人族と比較して頭が弱いことになってしまわないか?
寿命の長さで知識量の逆転勝利って、それは反則なんじゃないのと思ってしまう。
――あ、でも、猫は一年ぐらいで成猫になるって有名だったな。対して人の一歳児は……。
つまり先ほどの理屈を当てはめると、人は猫より頭悪い生物ということに……?
いかん、混乱してきた。
《知能や成長速度の関連性を別の種にまで広げるとドツボに嵌まりますよ。比較対象にするのでしたら、人族に限定することを推奨いたします》
「……ウン、そうだね。そうする……」
《話を戻しますが――精霊族は森と共生する種族ではあるものの、樹木そのものが変化した生物ではありません。血と生身の肉体を持つ生き物であり、天敵も存在したのでしょうね》
彼らはおよそ三十年ほどかけて二十代ぐらいの外見になり、四百歳ぐらいまでピークを保ち、その後ゆるやかに老いていく。
何万年生きなくとも充分に理不尽な不老長寿生物であった。特にピーク年齢の長さがずるい。人族は寿命が延びたところで、老化速度は変わらないというのに。
そんなこの世界版エルフ達は、やはりというか排他的で、とりわけ人族のことが好きではない。しかしエスタローザ光王国は魔術士の活躍によって発展してきた背景があり、魔術に強い精霊族に敬意を抱いている。
エスタローザ光王国は、「人族の中では比較的マシ」という評価を獲得しているらしく、彼らの訪れる頻度が比較的多いのだそうな。
「グッジョブ・エスタローザ! 私もうこの国に骨を埋める……!」
《しかしマスター、彼らとの接触は容易くありませんよ》
「いやいや、別に会わなくてもいいんだって! つうかむしろ会いたくないし。遠目から眺める機会が一回でもあれば充分!」
国民達もそのあたりはよくわかっているようだった。
この国では、彼らが訪れた際には国賓として丁重に扱わねばならない。しかしいくら好意を抱いていても、それはそれ、これはこれ、一般人からすればそんな連中の対応などしたくないし、関わりたくないというのが本音のようだ。
生まれながらに優れた能力と美しい容姿を持つクールで気難しい種族など、遠巻きに観賞するのが楽しいのであって、間違っても近くで話しかけるべき存在ではない。
以下、主婦の皆様の井戸端会議から拾い上げた会話の一部である。
『震えがくるほどの美貌ってんだから、生きてるうちにいっぺんは見てみたいけどねえ』
『何言ってんだい、精霊族に限らずお近付きになるもんじゃないさ、高貴な御方ってのは!』
『あはは、んなこたあわかってるさ! 近付かずに見るだけ見てみたいって話だよ!』
共感しかない。これだけで同じ種族だと確信できる勢いだ。
それはともかく、残念ながら精霊族は出没頻度があまりに低い上、自分達の国の場所を明らかにしておらず、EGGSにも未だその姿は捉えられていない。
代わりというのも失礼だが、半獣族や鉱山族の姿は時おり見かけられた。
アトモスフェル大陸には組合という組織が存在する。昔プレイしていたファンタジー系のゲームでよく登場した〝ギルド〟のことだ。
ギルドには色々あり、定番は商人ギルド、職人ギルド、討伐者ギルドだ。
討伐者ギルドは、かつて好んでプレイしていた仮想現実体感型RPGの中の、冒険者ギルドやハンターズギルドとほぼ同じものだろう。
討伐者登録をした者はギルドに持ち込まれる依頼を受けて、護衛任務を請け負ったり、危険な怪物を討伐したり、その素材を集めたり、貴重な薬草の採取などを行ったりする、主に荒事専門の何でも屋である。
ただし、モンスターを倒せば謎の効果音が流れて謎の経験値が入り、不思議なレベルアップを果たす謎システムは存在しない。少なくともこの〈星〉にはない。
あればいいのにとちょっと思ったが、ないものはないのだった。
討伐者ギルドには、いかにも荒事に向いていそうな半獣族や鉱山族が常に何名か存在した。鉱山族は鍛冶を専門とするので、どちらかといえば半獣族の割合のほうが多いようだ。
鉱山族はこの世界版ドワーフである。小柄でパワフル、鍛冶が得意で酒が大好き。
半獣族は基本、人族に近い背格好をしているが、身体の一部分が獣であったり、全身ほぼ獣だが二足歩行で防具を身につけた者などざまざまだ。
いつか討伐者ギルドに、「耳と尾をモフらせて欲しい」と依頼を出しては駄目だろうか――
《マスター》
「ははい?」
《心拍数が異常な数値になりましたが、何をお考えですか》
「いやいやいや気のせいだよARK君。そうとも、気のせいだ。急に呼びかけるからちょっと驚いただけさ」
《さようですか。――では、次は現時点で判明している世界情勢についてです》
「……そんなの、適当に大筋だけでよくね?」
《ええ。ですので、適当に必要と思われる大筋だけをまとめました。できるだけで結構ですので、なるべく記憶に留めるようにしてください》
「…………」
適当に必要と思われる大筋とは、いったいどれほど広範囲に及んでいるのだろうか。
先日の、エスタローザ光王国の法律の必要最低限と思われるごく一部は、一瞬意識が遠のくほど膨大な情報量だった。
インストール学習は脳の負荷が大きい。ゆえに、言語学習以外は地頭で地道に学ばせる方針なのだそうだが、別にここまでみっちりやらなくても……。
《マスター》
「…………はい」
多分だが、もしごねて嫌がったら、タマゴ鳥達の記録映像を金輪際観せないと脅されそうな気がする。
ARK教授は娯楽と講義を効果的に繰り出す優秀な教師であった。
ARK氏の英才教育というかスパルタ教育の開始です。