58 魔女の森と三兄弟 (後)
今回も長いです。
広く丸い空間の中央に置かれたマット。その上に敷かれた布団に、天井から薄青い光がかかる。
黎明色の空。
朝になればこうして夜明けの空が広がり、夜になればたくさんの星々がきらめくのに、天井の向こう側にあるのは空ではなく、まだ城の中だという。
シェルロー、エセル、ノクトは大概、このぐらいの時間に自然に目が覚める。魔女の目覚めは彼らより少し遅い。手ざわりのいい掛け布をくしゃくしゃにして、ころころ寝ころがりながら、時々顔を見合わせて、魔女が起きるまでの長くて短い時間をわくわくしながら待つ。
「おはよう」と声をかけてもらうのが、とても待ち遠しい。
やや濃くて黄色がかった肌は、このあたりの人族では珍しい色だ。
髪と、今は瞼に隠れている目の色は、同じ茶色がかった黒。
茶や黒は別段好きでもなかったけれど、こうして見ていると、なんだか綺麗だなと感じる。
綺麗で、力強くて、とても不思議。
髪の毛に触れると、〝しゃんぷー〟の香りがほわんと漂う。彼らも同じ〝しゃんぷー〟を使っているのに、どうしてか違う香りがする。
「……あと五光年……」
魔女がもぞりと身体をよじり、再びすやすや寝息を立て始めた。
ただの寝言だったようだ。
あまりにもいい香りだから、ついいじるのをやめられない。頬をつんつんつついたり、ころころ擦り寄ったり……皆でそんないたずらをしているから、とうとう魔女が起きてしまった。
「あーはいはい、わかったよ……ったくもう……」
寝起きでぴんぴんはねた髪。
白く薄い生地のシャツ。
裾は長めでも、太腿がまる見え……あっ、そのかっこであぐらをかいて〝のび〟なんてしたら……!
「ふぁあ……ん? どした?」
「…………」
わちゃわちゃ挙動不審になるちびっこ達。
豪快な大あくびとともに持ち上がったシャツの下はパンツ一枚だったのである。
毎晩一緒にお風呂に入っているのに、何故こんなに衝撃を受けるのだろう。
今朝は白地に薄緑色の花が咲いていた。色合いの清らかな大輪の花だ。下の肌色がほんのり透けて何とも言えない。
しっかり見てしまった。
(……ぼくら、すけべ?)
(ち、ちがうよね?)
こっそり確かめ合う兄弟達の頭上で、黎明色の空がさっきよりも白くなっていた。これからどんどん明るくなるだろう。
最近の朝はだいたい毎日、こんな感じだ。
◇
真っ白な床と壁。目の前には壁一面の鏡。天井の一部が空を映した洗面室は、何度見ても圧倒される。
貝殻のような水受け皿が、彼らの背丈に合わせて音もなくすうーっと下りてきた。
最初にこれを目にした時はぎょっとしたけれど、もうすっかり慣れてしまった。
彼らよりずっと大きな魔女は、当然ながら水受け皿の高さがまったく合わないので、いつも先に顔を洗ってから朝食のテーブルに向かっている。
(…………)
シェルローは弟達に目を向けた。
弟達もシェルローを見た。彼らは同じことを考えていた。
一人目の名前はシェルロー。
二人目はエセル。
三人目はノクト。
母親は、多分いる。でも名前がわからない。
父親も、多分いる。でも名前がわからない。
みんな三歳。
血のつながった兄弟なのに、みんな同い年。
――それって、やっぱり、変じゃないだろうか。
だって自分達は――自分達の〝種族〟は――双子でもない限り、血の繋がった兄弟が同い年なんて、有り得ないはずなのだ。
ここで暮らす内に、だんだん「あれ?」と感じることが多くなってきた。
靄がかかっていた頭の中身が、この〝洗浄液〟でゆすがれるみたいに、だんだんさっぱりしてきたような。
この〝森〟の中にいるからだろうか。
それとも、あのスープのせい?
たっぷりの野菜が入ったスープ。あれを食べた直後は、とりわけ頭がすっきりしている。
自分達を救ってくれたあの魔女は――いったい〝誰〟なんだろうか?
【エセル。ノクト。……ぼくはあの魔女から、魔力を感じない。ぼくがよくない状態になっているせいかな? おまえたちはどう思う?】
するとエセルは、【同じく】と答えた。
【ぼくもなにも感じない。気のせいかなって思ってたんだけど……ノクトはどうだ?】
【……ぼくも。にいさまたちと同じだよ。これ、ぼくらの状態とはかんけいないんじゃないかな】
【やっぱりそう思うか?】
【うん】
魔力を使えなくなっていても、感じ取ることはできる。
いや、ここで過ごす内に、その感覚が蘇ってきた。
どこかに無理矢理押し込められていたのが、少しずつ戻ってきている、そんな感じがする。
【かくしかたがすごくうまいのかな?】
自信なさげにノクトが言った。
【違うんじゃないか?】
エセルが首をかしげた。
【だって、魔力がない人族なんて……】
言いかけて、ノクトは口をつぐんだ。
なんとなく、みんな黙った。
(どんないきものだって、ふつうは魔力を持ってる。ぼくらはそう教わった――はずだ)
いきものの気配はする。生きている人だとちゃんとわかる。
なのにどうしてか、魔力だけ感じない。
(かくすのがうまいとしても、ここでそんな必要、あるのかな?)
この森には危ない気配が――〝魔物〟や〝危険な魔獣〟の気配がない。ここが、そんな奴らでさえぐるぐる迷って住めないぐらい、すごい〝迷いの森〟だからだ。
(そうだ、ぼくらの〝同族〟は、そういうやつらからの危険をへらすために、〝迷いの森〟って呼ばれるところをこのんで住むことが多いんだ)
あの魔女に、この森の中でまで、一滴も漏れないぐらい完璧に魔力を隠さなければいけない理由なんてあるだろうか。
【かくしてるわけじゃ、ないとしたら……】
エセルがぽつりとつぶやいた。
ああ、そうだ。隠しているわけではなく、もしも本当に魔力がないのだとしたら。
どんな生き物だって、普通は魔力を持っている。そう、普通ならそうだ。
普通ではなかったとしたら。
そうだ、自分達は知っているんじゃないか。魔力を持たない例外の存在を――
【…………!!】
ばしゃり、と水がはねた。
シェルローが乱暴に水面を叩いたからだ。
突然顔まではねた水しぶきに、エセルとノクトもハッとした表情になった。
そして三人とも口をつぐんだ。
あぶなかった。
いまのはすごく、なにか、とてつもなく危なかった。
そんな予感がした。
そして自分達のこういう予感は、決して外れない。
◇
不思議な魔女の森での生活は、驚きと楽しみと幸せがいっぱいだった。
兄弟達はいつも安全で、どこへいってもずっと魔女に守られていた。
この森の中では何の心配もいらない。何の不安もない。
その一方で、胸の中がじりじりと、焦げるような感覚が増す。
ずっとここで魔女と一緒に暮らしていたい。なのにどうしてか、このままではいけない気持ちが強まって、頻繁に喉が渇くようになった。
これが何なのか、こっそりアークに尋ねてみたら、それは焦りという感情ですねと言われた。
(そうか。ぼくは焦っているのか)
ここに来る前、どこに住んでいて、どうしていまだに魔力がまったく使えないのか、何もわからない。
わかるのは、自分達がとても大事なことを忘れてしまっているということ。それも、とてもたくさんのことをだ。
――一刻も早く思い出さなきゃ。
そう願う一方で、思い出してはいけない、という強烈な予感がある。
何かを思い出さなければいけない。それは絶対だ。
でもきっと、このまま思い出したらいけない。それも多分、絶対だった。
「せな?」
「どこ行くの?」
「果物の収穫。――こら。歩きづらい」
「ぼくもいく!」
「ぼくも!」
「ぼくも!」
城の周りでは、豊富の一言では足りない野菜や果物が育てられていた。たまに知っている種類も見かけるけれど、ほとんどは知らないものばかり。
魔女に抱っこをしてもらいながら、皆の好きな果物を採った。
ずっしり重くて、いい香り。
(それにしても。このくだものの樹も、すごくふしぎ)
いつでも実がなっている。同じ季節で、こんなにたくさん別の種類の果物が熟していることなんて、普通はないはずなのに。
それに、もうひとつ不思議なことがある。
「せのたかさ、おんなじだね」
「背?」
「ここの、くだもののき。みんな、せのたかさが〝ここまで〟って、きまってるみたい」
そう。ここの果樹はどれも、彼らから見れば大きいけれど、大人から見ればそんなに大きくはない。
すると、彼らの知らない言葉で、どこかぼんやりとした魔女が、静かに何かを話し始めた。
「……生産工場内でスペースを取らないよう、かつ収穫の効率を上げるために、一定の高さからは伸びない改良が施された品種だからね。果樹の根元から枝葉までの空間を占める割合が規格化されたおかげで、さまざまな種類の果樹を育てやすくなっていたんだ。樹全体が小型化しても、実る果物の大きさや味自体は、改良を施す前の品種とほぼ大差がない。中には家庭で育てられるよう、屋内向きにもっと小型化された品種もあったよ。父さんのマンションのテーブルに載った小さな鉢植えには、これと同じぐらいの林檎が一個なってた。花は綺麗で実はおいしい一挙両得でしょーとか言って、初任給で自社製品を割安で買って贈ったのに、こっちが引くぐらい真面目に育てて……枝が林檎の重さに耐えられずに、折れそうなぐらいしなってたな……」
…………。
なんだろう。何を言っているのかわからないけれど、でも、なんだか……。
「理由はある。けれど説明できる言葉がない」
最後に、兄弟達の理解できる言葉でしめくくった。
(ぼくは……何を訊いてしまったんだろう……?)
〝すいーつ〟はどれも美味しくて、彼らはどれも大好きになった。
何もなかったように、皆で笑った。最高においしいおやつの時間を堪能した。
だって魔女は――彼らが、感じ取れることを知っている。
今は「失敗した」と感じていた。「よけいなことを」と。
子供達が不安にならないよう、いつも気にしてくれている魔女に、「大丈夫だよ」と伝えるためにはどうすればいいのだろう。
だから兄弟達は、笑うことにした。
そうしたら魔女は、少しだけ安心して、微笑んでくれるから。
◆ ◆ ◆
特に何かを説明されたのでもない。
けれど三人は、不思議で幸福な日々に終わりが来たことを悟った。
いつも豊かだった魔女の心が、その表情と同じぐらい動かなくなってしまったから。
まるであの小鳥みたいに。
その日の入浴では、いつもの石鹸やシャンプーを一切使わなかった。
髪を丁寧に梳いてもらうのも、やさしく触れてもらうのも、今日で最後。
(だからちゃんと、笑顔でお礼を言って、お別れをしなきゃ……)
けれど魔女の心はずっと、石のように固まったまま。返事はちゃんとくれるけど、心はまったく動かない。
夕食は味が全然わからなかった。重いかたまりを飲み込む気分で、美味しいのにごめんなさいアルファ、と心の中で謝りながら食べた。
そして魔女は「用事」と呟いたきり、どこかへ行ってしまった。
森の中で太陽が沈むのは早い。
天井を見上げれば、流れ出る溶岩の空がひろがり、端のほうから群青の海がゆるやかに侵食していく。
すぐにでも夜が勝利をおさめ、月が中天の玉座にとってかわるだろう。真円を描く月の輝きに恐れをなし、きっと今夜だけ、星の瞬きはずっと息をひそめ続ける。
胸をぎゅっとつかんで、何かを叫びたくなって、結局どうもできずに立ちつくしていると、エセルとノクトが両脇から抱きついてきた。
自分達はいつも一緒で、仲がよくて、そしてきっと今も同じことを考えている。
攫われて、首輪をはめられた。
逆らうと頭が潰れるように痛くなって、苦しくて息もできなかった。
いつもお腹がすいて、ほかの子たちのようにどんどん痩せていって、自分達はこのまま死んでしまうんだろうかと、何度思ったかわからない。
どうしてそこにいるのか、どこでどう暮らしていたのか、まるで思い出せなくて――それでもずっと、誰かが迎えに来てくれるのを待ち続けていた気がする。
どこかの地下に何日も閉じ込められ、隣の檻の中にいた子が目をあけたままピクリとも動かなくなった日、地獄界とはきっとこういう所なんだろうと思った。
そして、あの時あきらめそうになりながら、それでもずっと待ち続けていた本当の迎えが、多分ようやく来てくれたというのに――
なんてことだろう。全然喜べないなんて。
自分達を捜してくれていただろう誰かに、ごめんなさいと言いたくなる。
【……にいさま!】
【え? ……あ!】
ノクトが袖を引っぱり、壁を指さした。
窓のように外の景色が一部だけ映し出されていて、すっかり暗くなっている庭を、魔女がどこかへ歩いて行った。
弾かれたように、急いで出入り口のあるだろう場所に走っていった。
けれど、どうやれば開くのかわからない。扉の継ぎ目すらどこにもない。
彼らが自由に開けられる扉なんて、ここには本当は一枚もないのだ。
【アーク! 聞いてる!?】
《聞いております》
どこからともなく、小鳥のひややかな声が聞こえた。姿はなくとも、必ず聞いているし、必ずどこかから見ている。
【おねがいだアーク、とびらをあけて!】
【たのむ、あけてくれ! 外にでたいんだ!】
《あなたがたの面倒を見るよう、マスターから命じられております。迷子になる可能性は看過できませんので、外出を希望される理由をお教えください》
【迷子になんてならない!】
【ぼくらは魔女のところにいきたいんだ、早くあけてくれ!】
【おねがい、あけて!】
《…………》
【アーク! やくそくする、ぜったいに魔女のところ以外にはいかないから!】
【ぼくもやくそくする!】
【きちんと言いつけをまもるよ。あぶないところはぜったいに行かない。だからアーク、おねがいだよ……!】
《……承知いたしました》
ふぉん、と風に似た音がして、すぐ目前に四角い出入り口が開いた。
足もとに半透明の薄い円陣のようなものがあらわれて、兄弟達をすぅー、と外の地面へと運んでくれた。
◇
魔女は枯れ枝を組み、平たい石に腰をおろして焚き火をしていた。
ぱちぱちと、爆ぜる音だけが響く。
魔女に思っていることを伝えるには、きっちり言葉にしなければならない。ところがシェルローとエセルとノクトは、それが得意ではなかった。
自分達の間なら、喋らなくても自分の気持ちが相手に伝わるし、相手の気持ちも自分に伝わる。そのせいで、いざ「話さなきゃ」となると、言葉がなかなか浮かんでこなくなるのだ。
とりわけエセルとノクトはそうだ。シェルローは二人の〝兄〟だから、なんとなく代表で話す役目になっている。
(でも、困った。どうしよう)
アークに〝焦り〟だと教えてもらったそれが、じりりと背中をあぶる。
シェルローはつい、急かされたように、思いついたことをそのまま口にしてしまった。
「あの、……なまえ。――せなのなまえ、どんなふうにかく、の?」
セナ=トーヤ=レ・ヴィトス。
そう聞いてはいた。
でも、綴りは教えてもらっていない。
自分達はこれから、大事なことを思いだすために、帰らなければいけない。
でもここから離れてしまったら、こんなに優しくしてくれた魔女のことすら忘れてしまうかもしれない。
彼はそれが怖かった。絶対に忘れたくなかった。
だから確実に憶えておくために、忘れかけてもしっかり思い出せるように、魔女の名前をどこかに書いて持っておこうと思いついたのだ。
「――――」
この日、魔女が初めてまっすぐに彼を見た。
いつもほとんど表情が動かないのに、目をいっぱいに見ひらいて。
――どぉん、と、何かが凄まじい勢いで流れ込んできた。
まるで心の臓を槍がつらぬいたかのような衝撃。
見えない手に首をしめあげられ、その苦しさに息を吸うこともできない。
(……っ!?)
これは彼の心ではなかった。
今まさに、彼女が感じているものだった。
(あ……)
どうしよう。また間違えてしまった? しかも二回目なんて――。
魔女はすぐに、いつもの冷静そうな表情に戻ってしまった。
そして、一生懸命謝るための言葉を探している子供に、ふ、と微笑んで、少しだけ心を穏やかにしてくれた。
ああ、まただ。またこんなふうに、気にさせてしまった。
濁流のような感情は静まり、けれど胸の奥をじくじく炙るような痛みと、喉の息苦しさだけはそのままに、魔女は火のついていない枝を手に取る。
「私の名前は、とても複雑だよ」
橙色に照らされた地面を、枝がなめらかに引っかいていく。
書き終えた頃、いや、書いてる途中から既に、兄弟達は目をまるくしていた。
東 谷 瀬 名
「とう、や、せ、な。――瀬名、だよ」
ほんのかすかな微笑を唇に浮かべ、魔女は何かを懐かしむようにささやいた。
(…………なに、これ?)
(…………これ、ほんとうに、文字なの?)
(こんなの、みたことないよ……)
たったひとつの文字に対して、あまりの線の多さに唖然としながら、書き順を思い出そうとする。正しい順番を辿れる自信がまったくなかった。
こんな複雑怪奇な文字、今まで一度だって見たこともない。
「……せな?」
「うん」
「……東、谷、瀬、名…………瀬名……」
「うん」
「瀬名……」
その文字を覗きこんだ。崩さないよう気をつけながら、指でなぞった。
複雑怪奇で、見たことも聞いたこともない文字。この大陸のどこにも、こんな形状の文字は存在しないはずだった。
涙があふれた。
ぼとぼとこぼれて、止められなくなった。
この広い広い森の中で、魔女はずっとひとりぼっちなのだと――気付いてしまったから。
誰も彼女の名前を知らず。
誰も彼女の名前を呼んでくれない。
人も鳥も魔獣も魔物も踏み入ることをゆるされない、とても安全で寂しい聖なる森の奥で。
心の動かないしもべたちと一緒に。
「ん? ……こらこら。どうしたいきなり……」
魔女が呆れたように、くしゃ、と頭を撫でてくれた。
ああ、そうだ。時おり魔女が口にするこの言葉。
発音が違うじゃないか。自分達の言葉はもちろん、この国の言葉とすら、発音が全然違う。
まったく違う言葉なんだ。
たまらなくなって、抱きついた。
しがみついた、と言うほうが正しいかもしれない。
「瀬名……」
「はいよ?」
「また……あいに、くる、よ……」
「ん? そうか」
「ほんとう、だよ。かならず……あなたに、また、会いにくる」
シェルローの手に、エセルとノクトの手が当たった。ぎゅっと瞼を閉じたから見えないけれど、本当に自分達は気の合う兄弟だなと、こんな時なのにちょっとだけおかしくなった。
しゃくりあげる子供に、彼女はとても優しい。髪を撫でてくれたり、背をぽんぽん叩いてくれたり。
ああ、自分はいつもこんなにも、たくさん満たしてもらえるのに――
――わたしはいつもこんなふうに、しがみつくことしかできないのか。
わたしのこんな小さな手では、あなたを抱きしめることもできない。
あなたを支えて力になることも、満足に守ることもできない。
今もあなたが与えてくれているような、すべての不安を取り除き、包み込む安心感を、どうしてわたしはあなたに与えることができないのか。
【瀬名】
「ん?」
【瀬名。わたしは、……わたしたちは、あなたに、嘘なんてつかない】
「そうか」
【約束する。かならず、会いにくるよ。そうしたら、ずっと、そばにいるよ】
「そうか」
【嘘じゃない。わたしたちがずっと、一緒にいる】
【皆で瀬名をまもる。絶対だ。約束する】
【そうしたら、今度はわたしたちがぎゅっとして、あったかくしてあげる。約束だよ】
「……はいはい。じゃあ約束ね」
信じていない。
どうせ忘れるだろう。彼女はそう思っている。
しゃくりあげながら宣言する幼児に微笑ましい気分で合わせてやりつつ、しょせん子供の口約束など本気にしてはいない。
仕方ない。自分達は未だ自分のことすら、ろくにわからないのだ。
だからたとえ、魔女が信じてくれなくても、自分達は決してこの約束を破らない。
破らないことで示そう。
そしてもう一度約束をする。
あなたが与えてくれたすべてを、今度は自分達があなたに――
◇
「その小鳥についていきなさい。行けばわかる」
次の日の朝。彼女はそれだけを言い残し、真珠の城の中に戻って行った。
出入り口は消え、もう誰も彼女に手を伸ばせない。
それが別れ。
謝罪も、礼も、結局なにひとつ伝えられていない。
けれどそれでいいと思った。これから彼らは、必要なことを成すために――これで終わりにしないために戻る。
彼らの中にあるのは決意であり、悲しみではなかった。
羽ばたく青い小鳥に導かれ、目覚めて間もない森の中を進んだ。
静謐な薄明かりの底に沈む黎明の森。
いつか自分達は――必ず。
《【そのまま真っ直ぐに進みなさい】》
やがてそう言い残し、小鳥はもと来た方向へ戻っていった。
彼女はどうしているのだろうと、ふと気になったが、振り払って前へ歩き続けた。
そして森の出口で、思いがけない相手と再会を果たす。
【あ……】
【……っ!】
黒に近い紺色の、くせのない真っ直ぐな髪が風に揺れ、徐々に明るさを増してゆく陽射しに透けて輝いていた。
翡翠の双眸は、毎朝鏡の中に見ていたシェルローのそれとよく似ている。
子供達の姿を認め、彼は愕然とし、次いで溢れんばかりの歓喜を浮かべた。
【おまえ達……!】
広げる腕に、迷わず駆け寄って飛び込んでいた。
相手から伝わる、信頼と愛情。そしてこちらから相手へ感じているそれも、伝わらないはずがなかった。
【――父上!】
わたし達は、あなたに話したいことが、たくさんある。




