55 ただいま
野宿二回目をこなした――とは言い難い夜が明けた。
グレンが食べられる木の実を見つけ、ひょいひょいと枝に踊りつき、垂れ下がる実を器用にくるりと回してもいだ。
「おら、受け取れよ」
赤と黄色のグラデーションが綺麗な、マンゴーに似た実だ。
パティル・ココといい、旬は夏と秋。夏はみずみずしく甘い果物だが、秋は水分が少なく生食には適さない。熱を通し、ホクホクになったのを食べるらしい。
数メートル頭上の枝から、くるりと回転を入れて着地するグレン。
自分の身長の何倍もある高さを飛んだり下りたりできるのだから、妖猫族の身体能力は相当高い。
「あんまり市場に並ばねえから良い値になるぜ。このぐらいの実なら銀貨1枚ってとこか」
「拳大の果物ひとつで鳥牛1レカ(=1キロ)……?」
「持って帰るかその場で食うか、悩む奴多いんだわ。腹減ってこんなとこでぶっ倒れるぐらいなら、さっさと食っちまえっての」
グレンは漢らしくさっさと皮を削ぎ落として食べ始めた。
三人とも携帯食を常備しているけれど、予想外の足止めがあれば尽きる恐れもある。余裕があれば現地調達して、保存期間の長いほうを取っておくのだ。
……つい蟲食いがないかチェックしてしまう甘ったれの私を許してほしい。
ないな、よし。
≪供給が少ないのはパティル・グロのせいでしょうね≫
甘い木の実にがっつかない小鳥から念話が届いた。
これによく似たパティル・グロという実があり、パティル・ココはその実に擬態して進化したと思われ、蟲や獣に食されることがほとんどないという。
パティル・グロに素手で触れれば、その部位が酷い火傷状になる。漆のアレルギー反応に似ているけれど、蜜や樹液が身体の中に入ったら数日で死に至る猛毒だそうだ。蟲や獣にかかわりなく有効なので、彼らは香りが漂う場所には寄り付かない。だから忌避剤の材料として需要がある。
見た目も香りもその実に似せることで、甘く美味しいパティル・ココは、不要な食い荒らしから逃れるのに成功した。
それを貪り食う私達。
ちなみにグロのほうは、もっと茶色がかった赤で、黄色の部分に緑が差しているのだとか。
「注意して見りゃ簡単だぜ。つっても、初心者が『市に並んでたヤツだ!』って手ぇ出しちまったりすんだけどな」
「節約や荷を減らす目的で、携帯食をろくに持たない者もいる。経験の浅い者ほど多い。彼らは途中で食料を切らし、空腹のあまりそこらの野草や実に手を出してしまう」
生死に直結するものを切り詰めるなと教わっていても、徐々に慣れてきた頃に油断が入ってくるのだろう。
ウォルドは初心者の不幸に心を痛めているが、グレンは「自業自得だろ」と言い切るスタンスだ。
忠告したのに耳を貸さなかったのなら、私もそいつの自業自得でいいと思う。
パティル・ココはマンゴーの甘みを強くして、さらに酸味を加えたような味だった。冷やしたらもっと美味しくなりそうだ。プリンよりシャーベット向きかもしれない。
味がはっきりしているので、私は二個食べれば充分満足した。土産にいくつか持って帰ろうか迷い、結局は実を一個と、アボカドのようにゴロリと大きな種だけを布袋に包み、ベルトから吊り下げる。ここより魔素濃度の低い黎明の森では育たないかもしれないが、それならそれで研究用に使おう。
三人で豪勢に銀貨八枚分の朝食をたいらげ、再びドーミアへ向けて歩いた。
あともうしばらくで街道に復帰できようという頃、グレンが鼻をひくつかせた。
「行きは無かったニオイがすんな。ニオイ消しのニオイもするぜ」
「……ニオイ消しが臭うってどうなんだろう。あと、嗅覚すごいな」
「どっちかってぇと俺は聴くほうが得意なんだがな。――こいつは使い方を間違ってんのさ。自分の痕跡を消すために使うヤツを皮膚に塗布して、自分のニオイを誤魔化そうとしたんだろうよ。ところがコレは汗をかいたら流れちまう上に、独特の臭気を発するようになる。そうなってから塗り直しても意味はねえ。服にニオイが移っちまってるからな」
「俺達のあとをついて来たか?」
「誰に用があんのかわかんねえが、途中で見失ってだいぶウロついたみてぇだ。つまり尾行に向いてねえ野郎。心当たりあるか?」
グレンが肩をすくめ、ウォルドが眉根をひそめた。
何者かがグレンやウォルドの警戒範囲より外からあとを尾けてきて、街道を外れた直後ぐらいから追えなくなっている。
≪ARKさん?≫
≪尾行者は素人であり、標的もマスターではなく、緊急性は低いと判断しておりました。撮影しておりますがご覧になりますか?≫
≪…………≫
ちょっと沈黙していたら、グレンが「おい」と声を発した。
「ウォルド。どうもおまえさんの客だぜ、こいつぁ」
「俺の?」
「神殿の香と、おまえさんのニオイだ。どっかで会ってんぞ」
「なんだと!?」
そうなんですかARKさん?
え、神官見習い?
あー……ウォルドさんにご用のある方ですね。
「なぁセナよ」
「あ、はい。何かな?」
「おまえ、一旦ドーミア戻るだろ? その後どうする?」
「その後……予定通り、食料を買い込んで帰るよ」
「そうか。買い物付き合うぜ。ウォルドも手伝えよ」
「俺も?」
「どうせ町ん中に紛れ込まれちゃあ捜すのホネだからな。運が良けりゃ、あっちからノコノコ近付いて来てくれるだろ」
「そうか。すまん、どうも俺が迷惑ばかりかけているな」
「ウォルドが迷惑常習犯だったら、今私がかけているこれは何だって話になるから、そういう話題はやめよう?」
「はっは、おまえも気にすんな! もらえるモンきちんともらえりゃあ、俺も気にしねえよ! ――と言いたいとこなんだが、正直、こうも早く片付いちまうと、なんか落とし穴でもあんじゃねえのって気がしてくるぜ……」
「わかる。とんとん拍子に行き過ぎると、罠を疑いたくなるよね。もの凄くわかる」
私とグレンは少しだけ見つめ合い、グーを作ってコツンとぶつけあった。
「おまえらな……」
ウォルドが呆れていた。この場で唯一の善人にして常識人。
彼にはずっとそのままでいて欲しい。
◇
往路で一泊、復路で一泊。計二泊も無断外泊、かつ野宿をしてしまった。
五日分の宿泊料を前払いしてあるので、社会人として料金踏み倒しの汚名を着る心配はなかったけれど、私は身体を清めるための湯を注文していたのだ。泊まる予定だった客が戻らなければ、騒ぎになったりしないのだろうか?
まったくならなかった。討伐者という職業は、「ちょっと出かけてくる」で野宿なんてザラなのだ。
私にこの仕事は無理だとひとつ賢くなった。
二泊分を予定外に捨ててしまったわけだが、もとの料金が安いのであまり損をした気にはならない。グレンとウォルドは食事処へ直行したけれど、私はとにかくさっぱりしてベッドで寝たいと部屋に直行した。
いつもは宿の従業員が遅い時間帯に運んできてくれる湯の桶を、今回は自分で運ぶ。浸かるのではなく、全身を拭ける程度の量なので、重さはそれほどない。
ちゃぷちゃぷ波打つのをこぼさないよう階段を上がるのが大変だった。従業員は平然と上り下りしているから、多分コツがあるのだろう。
部屋に入って桶を床に置き、扉に鍵をかけ、灯りをつけ、窓の板戸を閉め、高速ですぽぽんと脱皮。
いや、防具と服その他を脱ぎ落した。
冷めるのを見越してか、少し熱めの湯に布を浸し、軽く絞って全身を拭きまくる。
「お湯って、天国……!」
ほー、と溜め息が漏れた。
しかし問題はここからである。――着替えだ。
夜中に緊急事態発生で飛び起きた際、すぐに防具を装着して外に飛び出せる格好でなければならない。貴重品の入った荷物も、自分から離れた場所には置かない。
この世は用心している間は大概何も起こらないが、用心を怠った瞬間に何かが起こるのだ。
寝間着は日中の普段着と同じものがいい。しかし、着替えは嵩張る。
幸い季節は夏、薄手のシャツの予備だけは持ってきてあった。しかしズボンはこれだけである。
≪グレン達はどうやって解決してるんだろう?≫
≪グレン殿は最高ランクの特例で、宿泊日数に上限が設けられておりません。ほぼギルドに棲みついておられるようなもので、着替えも複数枚所有し、ここに置いております。ウォルド殿も条件は同様で、かつ彼には浄化の魔術があります。彼の浄化能力がどの程度の汚れまで及ぶかは不明ですが≫
≪――それがあったかあぁぁあっ!!≫
先に頼んでおけばよかった。
速乾性のある夏仕様の生地なので、気になる部分だけ表面を拭き取り、ぱたぱた振って水分を飛ばすことにした。
気休めだが、やらないより気分的にマシである。
これでもグレン達には、おまえ潔癖過ぎるぜと呆れられそうだが。
ズボンはすぐに乾き、さっきよりも気兼ねせずに寝台へもぐりこめた。
◇
翌朝。
やはり私は、清潔なおふとんに横になって眠るのが心から好きだ。
思う存分すやすやゴロゴロした後で吸い込む、早朝の空気の爽やかなことよ……。
食事処には既にグレンとウォルドの姿があり、三人で朝食をとる。
定番のホッコリ芋のスープは、私には久々なので新鮮な美味しさがある。そしてでかい。
でかいが、ここには大容量の胃袋が二つ待機しているので、食べ残しの心配は皆無だ。
町に入る前に、二人にはそれぞれ報酬の金貨10枚が入った袋を渡しておいた。「たいした働きもしていないのにこんなにもらっては気が引ける」と遠慮するウォルドに、受け取るよう説得してくれたのはグレンだった。
『適正額だ。依頼人の安心のためにも受け取っとけ』
『――そう、だな。すまん、俺はどうにも頭が固い』
口止め料込みだと気付いたのだろう。私やグレンもウォルドの極秘交友関係を漏らしてはいけない身なので、お互い様なのだが。
ギルドを通していない口約束に過ぎないとしても、私に彼らを裏切る気は毛頭ないし、彼らもそうであると信じたい。
だから今後も、「こいつを裏切ったら損だ」と思ってもらえる存在でいよう。
朝市に繰り出し、目をつけておいた食材を買い込む。
ウエストバッグの中から布袋を取り出した私に、グレンが呆れ、ウォルドが目をまるくした。
「荷物袋、持参してたのかよ。買うつもりかと思ってたぜ」
「薄いが丈夫そうだな。何の素材だ?」
「植物素材だよ」
「………」
「………」
察してくれたらしい。
いつものお薬各種は、人差し指サイズのビンに入れ、ウエストバッグの内ポケットに仕舞っていた。ポケット内はビン同士がぶつからないよう筒になっていて、差し込んで収納する。
グレンいわく〝臭ぇ連中〟が減ったとはいえ、いつもより有事に備えておく必要があった。ゆえに機動力を優先し、軽量・小型化をするにあたって自重のレベルをいくらか下げた。
ちゃんと元のレベルに復帰できるか、それが問題だ。
ビンは私の素人作品ではなく〈スフィア〉製である。この世界に合わせたデザインであり、万一彼らの目に触れても違和感は少ないはず。
ただし、形が均一で透明度の高い小型のビンを、一般庶民が何本も所有している違和感がぬぐえ切れないのは必至であり、これらがお目見えする日は来なければいいと思っている。
肉肉肉卵肉肉ミルク蜂蜜と買い込んで袋に入れ、門の前でグレンやウォルドと別れた。
人気者の彼らとにこやかに「またな~」なんてやっていたからか、門兵が笑顔で会釈しながら見送ってくれた。初日より格段に町の人々の愛想が良い。
『俺の個人的な事情に関することだ。気にするな』
『そーそ。こっちは俺らに任せといて、早くガキどもに教えてやれや』
「…………」
私は私の事情を優先しろ。付き合うことはないと言ってくれた。
ただ……。
≪神官見習い。同一人物です≫
ARKが手の平サイズの小さな映像を流した。
映像のみで、音はない。
≪マスターの背後、およそ八百メートル≫
弓を持っている。あれの射程距離は何メートルか。
不可視のアサルトシールドは、常に私の周りを周遊している。それを二枚、そいつと私の直線距離と、やや斜め上に配置した。
力量不明の相手。威力不明の弓。この世界の面白くて嫌な点は、あの矢が弧を描いて飛ぶとは限らないところだ。
片手は空けている。いつでも展開できる。
≪殺意は≫
≪ありません≫
そうか。
――だから射る気がないとは限らない。
歩を緩めて立ち止まり、重い荷物に疲れたふりをして、前かがみになりながら袋を地面に置くふりをする。
ガラあきの背中。さあ、どうする?
「……ん?」
おや。
グレンとウォルド。それに、騎士服を着た青年が出てきて、そいつを背後から取り押さえた。
≪話は詰め所で聞こう、と言っておりますね≫
≪みっちり締め上げてやれ≫
心おきなく袋を肩に担ぎ直し、道を急いだ。
とりたてて何事もなく森に到達し、今日戻ることを伝えていなかったのを思い出す。
ギルドで調達した陽輝石を取り出し、そこらに落ちている枝の先端にくくりつけて前方を照らした。結構明るい。いびつな杖のような見た目も心くすぐる。
〈スフィア〉の手前にある菜園が見えてきた頃には、もう夜中近くになっていた。
――さすがに寝てるか。
照明を抑えたリビングに荷物を置いた。
ローテーブルに指しかけのチェスが置かれている。
【せな!】
【せな~っ!】
【おかえりなさい!】
「っ!」
毛玉が三つ飛び込んできた。
ぽむぽむぽむ、と飛びついて、きゅうきゅうしがみついてくる。
「――……」
なんだろう。こういう時に口にする言葉があった気がするんだが。
なんだったかな……?




