54 迎えの約束
考えてみれば妙な話だ。
ウォルドは【断罪の神】の加護を得ている。悪意ある嘘をほいほい吐けそうにはないし、欲のために相手を騙すのは苦手とする人物だからこそ、その神に気に入られたのではないか。
そしてウォルドは、精霊族と〝意思〟で交信していた――小鳥さんがどういう仕組みなのか知りたそうにソワソワしている気配があるけれど気付かなかったことにする――つまりウォルドが謀ろうとしているなんて、本気で疑えるものなのか。
「ひょっとして、私が疑われたっぽいかな? これは」
「あー、あと、俺もか」
「……すまん。あちらもそう言っていた」
あ、やっぱりですか。
「俺が騙そうとしていると思ってはいないが、俺がそいつに騙されているのではないかと言われた。すまん、俺がうまく反論できればよかったんだが」
「いや、謝ってもらう必要はないよ。むしろありがとう」
「? 何故礼を?」
「グレンの仲介があったとはいえ、事情を聞かされて即、ここまでしてくれている。その上、庇おうとしてくれたんだろう?」
うまくできなかったようだけれど、それは仕方がない。付き合いが短すぎて、擁護するためのネタも少ないのだから。
「俺ぁ怪しまれる要素しかねーな! なあウォルドよ、そいつらは説得とかまるで聞かねえ頑迷なタイプの奴らか?」
「そうでもない。腹に一物を隠して、うわべだけでやりとりをするのが嫌いなだけだ。こちらが正直でさえあれば、案外話のわかる相手だぞ」
「ふむん。でも今回おまえさんの説得が通じなかったってこたぁよ、まさか前にも似たようなことがあったんか?」
「あったらしい。同胞の子を人質にとって、彼らに要望を呑ませようとした輩が過去にいたそうだ」
「おいおい……命知らずっつうか、なんでそんな真似できんのよ」
「まったくだ。怒りを買うだけだというのに」
つまり過去に湧いた阿呆のせいで、私がその手合いと同類であり、善良なウォルドをだまくらかして操っているんじゃと疑われたわけか。おのれ。
そして騙せるか騙せないかで言えば、私は騙せる。おのれ、ますますこっそり冷や汗をかくしかないではないか。
要点をぼかしつつ嘘をつかずに誘導する、グレンが目の前でそれを実演していたし、私も現時点で既にいろいろいっぱいやっているのだ。
精霊族もそのへんを危惧しているのだろう。ウォルドを利用するのは簡単ではないにしても、やりようはある、と。
……。
ところで、ずっと歩いているけれど、あとどのぐらいで着くのかな?
「明日の昼頃には着く、と思う」
雪足鳥で往復した距離を、徒歩で行き来すれば時間がかかるのは当然だ。
町を出た時間がもうあれだから……え、まさか、野宿?
「俺を後ろに乗っけてくれりゃあよかったのによ」
グレンがぼやいた。
言われてみればその通りだ。彼は自力で鳥や馬を操るのに向いていないだけで、二人乗りという手もあったはず。
「すまん。魔馬や雪足鳥を使うなとも指示があったのだ。なるべく〝雑音〟を排除したいらしい」
「ふーん。ここまで来たらもういいけどよ、つうか訊きたかねえんだがおまえ、実は方向わっかんねえわヤベェ! とかねえよな?」
「さすがグレン。私もそれが気になってた」
「ま、迷わない! ここまで来れば【エレシュ】に導いてもらえるからな」
赤くなって弁明するウォルド氏。
からかうのはここまでにしておいてあげよう。からかい耐性のあまりなさそうな良い人をしつこくイジるのはよくない。
迷宮や鬱蒼と生い茂った森、目印のない平原では一切迷わないのに、目印たっぷりの人里では迷子予備軍てどうなのかと思うけれど、それは本人が一番気にしていることだろうし。
グレンも同じことを思ったのか、「俺が帰り道憶えときゃいいか」などと呟いていた。――事これに関しては信用のないウォルドだった。
で、やはり野宿だった
ウォルドが結界を張り、中レベル以下の魔物なら接近できないようにしてくれた。強力な結界も張れるが、エネルギー消費量が激しいので長時間は保たないそうだ。
高レベルの魔物の中には、まれに結界のある場所に人がいると知っており、結界目がけて接近してくる変態もいるので、見張りは欠かせないらしい。
「神殿は旅人の土産物に守護石とか渡してるんだよね? それ、危なくないの?」
「過信したら危ねえよな。旅慣れてる奴はそこんとこわかってっけど、たまに勘違いして殺られる奴が出る。ここのギルドでは新人に真っ先に注意してるぜ」
「結界を避ける小物が大半で、寄り付いてくるほど危険な魔物の数は少ない。町の中で馬車に衝突される事故のほうが多いぐらいだからな、土地によって教えたり教えなかったりする」
魔物のランクと数はピラミッドの形だ。真に凶悪な魔物に遭遇する確率は、日常生活内の事故よりも低い。
そのせいで、「そんなもんにそうそうお目にかかったりしねえって!」が最期の言葉となるお調子者が毎年一定数出るらしい。「俺ツイてる男なんだぜ」フラグを堂々と口にする奴は、慎重派の皆様からさりげなく距離を置かれるそうだ。
私は魔物の接近前から小鳥さんに報告してもらえるけれど、これも過信すると危険かもしれない。小鳥さんでさえ事前に察知できない魔物となると、真剣にやばいレベルだろうから、遭遇率もその分下がりはするだろうが。
私は弱いものですら魔物に対峙した経験がない。このあたりに生息している生物の知識だけはあるものの、今まではずっと生息域に入らないよう、こちらから近付かないように行動してきた。
けれど今日のこれは遭遇率を上げる行動だ。ウォルドやグレンの様子からして、彼らは私に魔物との戦闘経験があると勘違いをしている。朝だろうが夜だろうがお構いなしに、黎明の森とドーミアの町を単独で行き来しているのだから、そう思われても無理がないのだった。
これは正直に言うべきか否か。もしグレン氏に呆れられ、さりげなく距離を置かれたら本気でヘコむので慎重に検討したい。
「ンだこれ!? うっっま!?」
「美味いな……」
「ふふ、そうだろう」
せっかくなので私の携帯食を分けてあげたら反応は上々。
スティック状の焼き菓子は、彼らのカチコチ石パンよりやわらかく味もいいし、少量でも栄養たっぷりなのだ。
顎の強さを鍛えるには不向きだけれどね。グレンに売れ売れとお願いされたので、ギルドの食堂でも作れそうなレシピをAlpha君にお願いしておこう。
そんなことより、のっぴきならない問題があった。
野宿。それは蟲とも仲良くお付き合い。
私は、蟲が、苦手である。
森が庭で庭が森、それがなんだ。蟲よけスプレーは我が人生の必需品だ。こんな野っ原のど真ん中で眠るなど冗談ではない。
どうして二人とも平然とすやすや眠れるのだろう?
小さな焚き火の中に蟲よけ香を放り込んでいたけれど、特定の毒蟲が苦手とする成分の含まれた香木であり、それ以外には効果がないのだ。
おまけに私には、彼らのように座った姿勢で眠るなど到底無理だ。横になりたい。
「ちょっと付き合ってくれ」で今夜は野宿なんて、彼らには日常茶飯事なのか?
≪圧縮タイプの寝袋、いやテントだ。テントが欲しい。軽くてかさばらなくて、縮めたら鞄に入るぐらいの。作れない?≫
≪スフィアの保管庫にあります≫
≪あるのかよ!?≫
≪空気を抜いた状態ではそのウエストバッグにも入り、スイッチを押せば瞬時にふくらみます。固定用のワイヤーが少々かさばるかもしれません≫
持って来ればよかった。今度から携帯しよう、そうしよう。
とりあえず今夜は、徹夜だな。
◇
結局ずっと起きていた私に驚いた二人から問い詰められ、蟲が駄目なんだと正直に打ち明けたらもっと驚かれた。
「おまえなー、早く言えよ?」
「セナに苦手なものはなさそうだと思っていたんだが」
苦手なものだらけの小心者なんだが、どうしてそんなイメージがついたんだろう?
ちなみに私は数日ぐらい起きっぱなしでも、判断力その他は低下しない。ただし脳は睡眠を求めるので、頻繁に徹夜したくはないし、長期間の徹夜記録に挑戦するのは厳禁だとARK氏に言われている。
寝ている暇があればテスト勉強や仕事の時間に当てたい、なんなら徹夜でゲームしたい、睡眠で時間を潰すのはもったいない――今はそんなふうに感じたことがない。子供の頃そうだったように、今は一日の時間がかなり長く感じられるので、一晩中起きていられる身体になりたいとは思わなくなっていた。
第一に私は眠るのが好きだ。陽が沈むと眠る準備を始め、日の出とともに目覚める今の生活が気に入っている。私から睡眠欲を奪わなかったARKさんにはスタンディングオベーションだ。多分、ARKさんがその気になっていればできたはずなのだから。
その後はたいして問題なく、予定どおり昼頃に目的地点へ着いた。岩と、緑と、土と、草と、周りと何が違うのかまったく区別がつかないけれど、ウォルドがここだと断言するからにはそうなのだろう。
ウォルドが夜に張っていた結界は、地面に光の輪がうっすら浮かんでいたので、この内側が安全地帯なんだなと区別がついた。
でも、それがなければ私には結界とやらが視えなかった――魔力や神気、人の気配、オーラといったものも視えない。
精霊族と直接交信することになった際、ボロがボロボロ出やしないか、不安でしかなかった。
いざという時は、ちびっこ達の保護映像を流し、誘拐犯は私じゃないよと証言してもらう方法もあるんだが、テレパシーで流すのは無理だろうしな。
……無理だよな?
精神波って、ARKさんがせっせと研究して魔導刀や〈フレイム〉に組み込まれているんだけど、これとそれとは違うよな。
……ゲームシステムに接続して電脳世界にダイブとか、昔やってたなあ。
あれ? もしやあれって、この世界で言う精神波と根っこは同じ?
…………。
「二人とも、少し待っていてくれ」
ウォルドが目を閉じ、何やら集中し始めた。
グレンと私は邪魔をしないよう、無言でひたすら待ち続けた。
ウォルドの様子は、立ったまま眠っているようにも見える。
≪ARKさん。近くに魔物とか不審者はいる?≫
≪現時点では確認できません。ウォルド氏の半径十メートルほどですが、この場所そのものが結界になっているようです。〈祭壇〉の守護結界に酷似しているかと≫
≪へええ? 魔導結界装置的な何かが隠されてるとか?≫
≪古代遺跡の残骸のようですね。破壊されて地中に埋もれ、長い年月をかけてその上を草木が覆い尽くした模様です。残骸であって効果範囲も狭いですし、水場もやや遠いですから、ここに集落をつくるのは無理でしょうね≫
でもウォルドのように、秘密の通信を行うにはもってこいの環境なわけだ。
破壊したのは天災か何かだろうか?
不意に、ウォルドが眉根を寄せた。そうしているとうなされているように見える。
何か無理難題でも言われているのだろうか?
すると、「えっ?」と小さく素っ頓狂な声をあげて、ウォルドが瞼を開いた。どこか呆然として、何度か瞬きを繰り返している。
「ウォルド?」
「なんだ、どうした?」
「……信用すると」
「は?」
「え?」
「疑って申し訳ないと、セナに伝えるように言われた」
「――は? ええと?」
「んだそりゃ? そいつらセナと話してえんじゃなかったんか? そのつもりでここまで呼びつけたんじゃねえの?」
うん、私もすっかりそのつもりだったよ。
我が身を客観的に顧みて、この不審人物はどうでもいいからウォルドを信じてあげてと説得する方向で頭を固めてたよ。
「当初はその予定だったのだ。俺はあくまでも【エレシュ】に呼びかけてもらっているだけで、【繋ぐ】のはあちらに任せている。だが、セナとは繋げられなかったらしい。俺は妨害していないから、やるとすれば……」
ウォルドがちらりと私を見た。
待って、私無実。拒否った覚えありませんが。
≪ARKさん?≫
≪マスターの脳内にある、外部からの不正アクセス防止機能が仕事をしたのではと≫
それだ。それっぽい。
「あ~……洗脳とか読心系の能力、私に通じないから。そのせいかなあ……?」
「そうなんか? すげえなオマエ」
「い、いやいや。こういう時は融通が利かないというか、ね」
「なるほど。洗脳ではないし、相手の意思に反して読む気はなくとも、性質上は【読心】に抵触することになるか……」
「で、なんでいきなりソレで『信用する』ってなったわけよ?」
グレン氏がさっさと話を進めてくれてありがたい。
ウォルド氏いわく、あちらが何度か試そうとしても、何故か私と意識を繋げることができなかったらしい。
で、視点を変えて、ウォルドの間近にいる者の姿を視ようとしたそうだ。遠視能力の応用編らしいが、いつでもどこでも成功するわけではなく、今回は術士と環境が揃っていて上手くいった。
とはいえ、それもかなり難しかったらしい。グレンの姿はすぐ視えたのに、もうひとりがなかなか視えない。
けれどようやくピントが合い、その姿が明瞭になったところで――彼らの態度が激変した。
尋ねても理由は教えてもらえなかったという。
「セナよ。おまえさん、実は過去にどっかで精霊族と知り合って」
「ないって。もしそうだったらこんなに手間はかけないよ」
「だよなあ?」
「……俺の推測になるが。彼らにも、デマルシェリエと似た魔女信仰があるという話はしただろう? それが関係しているのかもしれん。人が神々を祀るそれとは意味合いが違うが、ある特徴を満たした森の魔女は、彼らにとって特別なのだと聞いたことがある。俺は最初にセナのことを伝えた時、グレンいわく姉弟のような印象だったらしいと言いはしたが、具体的な容貌については言及していなかった」
「その特徴、って」
「黒髪、黒い瞳だ」
いいんですかそれで。
この生物、腹の中まで黒々としてますが、それだけであっさり信用していいんですか。
「オイオイ。最初にそれ伝えときゃあ良かったんじゃねえ?」
「う。すまん……まさかこうも反応が変わるとは」
「ウォルドは悪くないよ。まさかそれだけで信用されても、私だって困惑するし。で、何はともあれ、話は無事にまとまったって判断していいのかな?」
「ああ。五日後には黎明の森へ迎えを寄越してくれるそうだ。もし何か要望があるなら言って欲しいとも」
「五日後――……」
「おお、スゲェ。向こうから要望訊いてくるとか、なんかホントに破格だな?」
五日後には、迎えが来る。
…………。
「セナ?」
「ん? どーした?」
「ああ……いや……そうだな……要望ってほどでもないけど……」
そうだ。
そうだった。
わかりきっていただろう。そのために彼らを頼っているんだから。
最初からずっとそう言っていた。返してやらなければ、と。
あの子達は帰る。彼らの同胞のもとへ。
わかりきっていることだった。




