53 連絡方法と不穏な空気
市場巡りは心底楽しかった。
年中並んでいるミルクやプリトロ鳥は前回と変わらなかったけれど、一部食材の価格には変動があった。
春先には影も形もなかった食材が新たにお目見えしたり、逆に春が旬の食材は姿を消したりして、あれもこれも食べてみたいものしかない。
グレン氏や店のおじさんおばさんのオススメを聞いて、その中から後日買い込むものをピックアップ。自分と食の好みが概ねズレていない国は、こういう時に心底ありがたいと何度でも実感する。現地住民にのみ喜ばれる珍味以外は、私が食べてもだいたい美味しいのだから。
逆に、私はいけてこの国の人々には合わない食べ物ももちろんある。強い酸味と〝ぬるぬる〟したものがそれだ。
梅に似たプラメアという果実で、梅干しもどきやら梅酒もどきやらをたくさん作っているけれど、多分彼らには梅干しが微妙だ。ただしこれは酸味を抑えたメニューによって解決する。
オクラや山芋のネバネバぬるぬるは完全アウトだ。すりおろした山芋に刻んだオクラを乗せたとろろご飯、私にとっては至福の一品なのだが、ここの人々には……出せない。出してはいけない。
そもそも山芋がどこの市場にも並んでいないんだけれどね。
いいんだ、もし山芋を入手できたら私だけで楽しむから。
一部外国では山芋に酷似した食材があるってARKさんが言ってた。いつか手に入るって私信じる。
そう思うと食べたくなってきた。
麦とろごはん、山かけうどん、山かけそば、山芋の落とし汁、短冊切りにした山芋に鰹節と醤油をかけてキュっと一杯――あっ、鰹節がない!? 海の幸!?
「ンだよ?」
「イヤ、ナンデモナイヨ」
グレンなら鰹節の在処を知っていそうだなとか、ほんの一瞬頭によぎっただけです。他意はありません。
馬鹿正直に言ったら絶交されるかもしれないので、私の心の中だけに秘めておこう。
討伐者は一般人よりも他地域の事情に詳しいけれど、諸国漫遊型よりも地域密着型のほうが多い。ランクがそこそこの討伐者にとっては、慣れた土地のほうが仕事の失敗リスクを減らせるからだ。山や国境をほいほい越えて移動できるのは、ほとんどが一部の高ランカーなのである。
護衛依頼で町を二つ三つ移動するパーティはよくいるから、そこそこのランクでも自然と視野が広くなりやすい。けれど、商人の知識とネットワークに勝てる情報収集機関はない。こんな時でなければ薬貨堂の女将ゼルシカと、珍しい食材談義に花を咲かせてみたいところなのだが。
そんなゼルシカ様は、商談でイシドールの町へお出かけ中。数日はこちらへ戻らない予定。
まあ商談もしているけれど、イシドール騎士団の偉い方々と何やら密かにお話をしているらしいので、やっぱりこのタイミングでお会いしないのは正解だった。
「そうそう、婆さんはイシドールに行ってっから、しばらく店開いてねえぜ。覗くのはまた今度の機会ってやつにしな」
「――そう。残念だな」
――うん、それはうちの小鳥さんに聞いて知っていたんだけれど。
さりげなく会話にぶっこんできて不自然な要素を完全に潰していくグレン氏、この状況に馴染み過ぎていて過去が気になる。
森周辺の監視人は引き揚げたけれど、町の中には治安維持目的で配置された方々がいた。現時点で私達がターゲットではないにしても、後から言動をチェックされる可能性はあった。
私が最初にドーミアで世話になったのはゼルシカなのだ。でもこれで、私が彼女の店に足を向けない理由ができた。
グレン、絶対に前職はただの討伐者ではない。
息子さんが何の職業についているのかも気になる。
親子ともにご結婚はされていないようだけど。
そしてグレンの顔の広さよ。行く先々に知り合いがいるし、この一日二日で人数が二桁をとうに超えたんだけど、全員と良好な関係を築けるってどういうこと。
どうやったらそんなコミュ能力の化身になれるの。友達百人できるかなって、楽々クリアされてらっしゃるんですが。私、一日でそんなに憶えきれないよ。絶対あとで「誰だっけ?」になるよ。一度話せば顔も名前もにおいも憶えるって、グレンのスーパー記憶力どうなってるの。
それはともかく、ARKさんからは未だにグレンの過去を聞いていない。だから、〈魔女〉は調べて知っているけれど、私はそれを聞いていないから知らないと伝えてある。
私が何もかもを知っている前提で喋られたら困るから、情報共有の一環で伝えただけなのだけれど、グレンは微妙な顔で「そうかよ」と言うだけだった。内心どうなのか、それを読めるほど私の対人スキルは高くないので、実は戦々恐々としている。
でも私は、顔に感情がほとんど出ない。
だからはっきり言った。顔に出ない以上、口にするしかないからね。
「グレンに嫌われるのは嫌だなって、これでも凄く心配してるんだよ。だから私はグレンに対して誠実でいたいと思ってる」
「そうかよ。おまえさん実はタラシか?」
何故そうなる!?
違うんだ口説いたんじゃないんだ私にそんな高等技術はないんだ!
対人スキルレベル〝神〟を口説くなんて畏れ多い……!
でも本当に、この仕事が片付いたらバイバイ、とかになったら本気で嫌だ。もしそうなったら原因は間違いなく私の奇行である。
早急に鰹節を入手すべきだろうか?
「ん? 早いな?」
グレンの不思議そうな呟きに、意識が引き戻された。
広場の雑踏の向こうに、雪足鳥の手綱を手にしたウォルドがいる。
彼もこちらに気付いているらしく、どこか苦いような困惑したような表情だった。
何かトラブルでもあったのだろうか?
◇
「すまんが、付き合ってくれ」
真剣なウォルドの様子に、グレン様が「熱烈だな」とボソリ。
けれど本気で茶化す気はないようだ。目が真面目だからわかる。
どこへ行くのかと思いきや、町の外だった。
ウォルドは雪足鳥を貸し馬屋に返した。妖猫族は基本、魔馬や雪足鳥に乗らない――というか身体が騎乗に向いていない――ので、グレンだけが徒歩になるのは絵面的に気持ちいいものではない。
それに、そこまで遠いわけでもないらしい。
なんでもない世間話を交わしつつ歩いて行き、人の視線を感じなくなった頃、ウォルドは街道から外れた。
そこでようやく、ウォルドは本題に入った。
それは、話せないと言っていたはずの、かの種族――精霊族との連絡方法についてだった。
「セナとグレンには話していいと許可をもらった」
いつの間に。
いや、ほんの少し前か。私とグレンが市場や食肉店を巡り、昼メシにはまだちょっと早いかな~なんて言いながら屋台を物色していた間の出来事だ。
その間に、どうやって。
まさか、誰かが密かにこの近くまで来ていた?
その人物と会っていた?
これからその相手のもとに向かおうとしている?
気の利くグレンが携帯食をウォルドに渡した。
「そういえば忘れていた」
ウォルドは苦笑してそれを受け取った。横顔が緊張しているので、空腹を覚えるどころではない何かがあったらしい。
棒状に焼きしめたカチコチのパンもどきを、彼は平然ともぐもぐ食べ始める。私も好奇心で一度だけ齧ったことがあるけれど、空腹という調味料がなければ完食できない何かだった。
まず、オリジナルの〈私〉だったら真っ先に顎が悲鳴をあげて噛み千切るのも不可能なレベル。舌ざわりはボソボソ。風味はない。とにかく胃になんか入れるための身体には悪くない日持ちする物体。
Alpha君がサイコロ状にし、スープに浮かべてようやく食べられた。スープの味が染み込んだら美味しくなったので、この携帯食、いつか味と食感の革命をもたらしてやろうと密かな野望を抱いている。
「警戒されただぁ? おまえがか?」
「ああ」
ウォルドが困惑まじりに頷いていた。
ちゃんと話は聞いていたとも? だから小鳥さん、人の首をプスプス突っつかないでくれないかな? 地味に痛いぞ。
で、ウォルドが語った内容だが。
時は早朝まで遡る。
◆ ◆ ◆
ウォルドは貸馬屋で雪足鳥を借り、早朝にドーミアを出た。
町を出てしばらく歩いた後、雪足鳥の首を軽くぽふぽふ叩いて、街道から離れた。
単独で道を逸れる者は余程の剛の者か、己の力量を知らない命知らずだけだ。乗り手の力量を正しく読める賢い雪足鳥は、安全圏から離れる命令を発した相手によっては、素直に従わないことがあった。
ウォルドはこれまでも、この雪足鳥に何度か世話になっている。同じ鳥を借りるうちに愛着が湧いてきたし、なんといっても、この鳥に任せておけばきっちり町へ戻ってもらえるのだ。
雪足鳥のありがたみを感じるポイントが違うと重々承知してはいる。
が、しかし、いい大人なのにしょっちゅう他人様のお世話になっている迷子常習犯なんて、はっきり言って恥ずかしい。
ゆえにウォルドとしては、迷わず辿り着ける・帰り着ける能力こそが、どんな武器やスキルより、今の自分に最も必要だと痛感している能力なのだった。
(やはり、買うか……)
ひとたび思いつくと、それがいいような気がしてくる。
街道も町の外壁も霞み、小高い丘と地平の向こうに隠れた頃、雑木に囲まれた大岩を見つけ、鳥の背から降りた。
周囲には何者の気配もない。ウォルドの様子を窺える距離に、人はもちろん魔物さえいなかった。
彼は深く息を吸いながら、瞼を閉じる。
そして呼びかけた。
己の深淵に。
闇よりも濃い光へ住まうものに。
そして、応えがあった。
完全に瞼を閉じたウォルドは、途方もない光の中にいた。
本当に瞼を閉じているのかどうかも怪しくなるぐらい真っ白な世界に立ち、音のない世界で耳を澄ませる。
口止めされなかったとしても、おいそれと言いふらせるものではない。
己に加護を与えた神【エレシュ】に呼びかけ、ほかでもない【エレシュ】に、かの種族へ呼びかけてもらうなど。
守護神を早馬や伝書鳥のように使うなど畏れ多い。けれど、相手からはこれ以外のどんな手段も許可されていない以上、この方法を用いるしかなかった。
当然ながら頻繁にはできないし、気軽にやっていいものでもなかった。けれど変に噂が広まれば、「ウォルドはいくらでも精霊族相手にやりとりができる」と曲解されて広まり、確実に面倒な事態を呼び込む。
――彼らの住む〈郷〉には、大きな樹があるらしい。
【エレシュ】はその樹に呼びかけを行い、その近くにいる彼らの誰かがその声を拾って応えてくれる。
ウォルドが軽々しく呼んだりはしないと知っているので、たとえ時間がかかっても、必ず誰かが反応してくれた。
ただし、それからが重要だ。
精霊族は、神々のことが好きではない。
そして神々も、精霊族に対して線引きをしているようだった。
敵対はしていない。けれど馴れ合う気もない。
互いを不可侵の存在とし、互いに尊重はするが、それだけだ。
特定の神から加護を得ているウォルドの立場は難しかった。
彼らと知り合ったのもほんの偶然でしかない。
加護のおかげで、ウォルドは迷宮や樹海などの特殊な場所では迷わなかった。危険な場所ほど迷わないのだ。
そのせいで、うっかり足を踏み入れた森の中で、ウォルドは迷わず〝そこ〟に辿り着いてしまった。
黎明の森ではない。あそこは何故か、【エレシュ】の力さえ及ばない気がしていた。別の場所にある、知らず入ってしまった迷いの森で、知らず彼らの隠していた何かにウォルドは接近してしまったのだ。
それが何だったのかはわからない。この先尋ねるつもりもなかった。もしそこにいたのがウォルドでなければ、その場で始末されていただろう。
それ以前に、ウォルドでなければ近付きようもなかったのだが。
【何用だ?】
静かに、不機嫌そうな声――いや、意思が伝わってくる。
緊張するあまり、ごくりと喉を鳴らしてしまった。
(俺の友人が、あなた方の同胞の子を保護した)
あちらからも息を飲む気配。
(違法な奴隷狩りに遭い、あわや国外へ運び出される寸前だったらしい。ほかにも半獣族の少数部族の子が複数名囚われていたそうだ。追っていた半獣族の大人達と友人が急襲して救い出し、その中にその子らが含まれていたのだと言っていた)
余計な挨拶や前置きは含まず、最初からすべて伝えていく。
美辞麗句や婉曲な言い回しの苦手なウォルドには、基本的にこういう話し方しかできないのだが、彼らはウォルドのこの話し方を「話しやすい」と評したことがある。
余計な前置きはいいからとっとと話せと言いたくなるし、実際に数えきれないぐらい言ってきたそうだ。
なるほど、人の世の王侯貴族と相性が悪いわけである。
(歳の頃は三歳ほど。名はシェルロー、エセル、ノクト。早急に迎えを寄越して欲しい)
ところが、次の瞬間、ウォルドは困惑することになった。
突然、相手から強い警戒心と怒りが伝わってきたからだ。
【……我々を謀る気か?】




