4 未知の世界で最初に警戒すべきこと
3が短いので本日は2話更新します。
着陸と呼ぶには生易しい、まさに墜落と言ったほうが適切な状況だった。
俗に反重力システムと呼ばれる機能を備えていたにもかかわらず、故障でもないのに、まるで減速効果がない。既にそれを予測していたARK・Ⅲは、方舟の最深部、自身の核である〈スフィア〉のみを残し、外郭のすべてを犠牲にしてアトモスフェル大陸を目指した。
外部の高温が嘘のように、〈スフィア〉の内部は穏やかだった。
原始的なパラシュートをひらいて落下速度を抑えるも、完全に勢いを殺すことはできず、地表に衝突する瞬間、まるで石を投じた水面のように、ちぎれ飛んだ巨木や粉砕された岩石が土砂とともに盛大に宙へ舞い上がった。
落下予測地点の森に広域展開しておいた何重もの防御シールドが衝撃波を内部に閉じ込め、被害は限りなく最小で食い止められたが、いくらかは防ぎきれず外へ逃れた。
巨大な球体は大樹をなぎ倒しながらわずかに転がり、地面を深くえぐった跡を残して停止する。
これほど凄まじいエネルギーの渦中にあっても〈スフィア〉の内部はつねに水平に保たれ、揺れもほとんど伝わらなかった。
◆ ◆ ◆
シートに固定されてぼんやりしてるうちに、なんかいつの間にか終わっちゃってたよ――と言えればよかったのだが。
これまでただの一度も揺れなかった部屋全体が、ほんの時々、微妙~に振動していると気付いた時のあの恐怖といったら……。
《成功いたしました。お疲れ様です》
船長、いやこの場合は機長なのか? ARK・Ⅲの淡々とした無感動な声と同時に、外の光景が映し出された。
今までずっと暗い宇宙空間しか映らなかったスクリーンの中、紛れもない地上の証拠である樹や土や岩がライトに照らし出されている。
感慨深いような、そうでもないような。
多分、まだ実感が追いついていないのだろう。とにかく、あの長時間にわたる息苦しい緊張感から解放されたのは素直に喜ばしい。
地面に巨大な傷跡を残しながら、ARK・Ⅲは防御シールドのいくつかの層を迷彩シールドに切り換えていた。内部が見えなくなるだけではなく、指向性のある波動だか何だかを帯びていて、シールドに接近した生物は「なんだかあちらへ行きたくないな」と漠然と感じ、そうと自覚のないまま遠ざけられるらしい。
それに逆らって無理に進入を試みれば、耳鳴り・不快感・吐き気などに襲われ、なおも強引に進入しようとすれば、電流を流したり物理的な壁のように反発を持たせることも可能だそうな。
そんなシールドをとりあえず一定間隔で十枚ほど張り、今後様子を確認しながら増やすなり範囲を広げるなり、適宜対処する予定とのこと。
次に周辺を一時的に無酸素状態にし、温度を急激に低下させて火災を防いだ。
命令なしで次々これだけのことが出来てしまうのだから、こいつ〈マスター〉なんていらないんじゃなかろうか、とこっそり思うのだった。
〈スフィア〉は緊急時における重要人物の脱出を想定して造られたらしく、大人が余裕で暮らせる程度の部屋が十室ほど設けられている。
その他、およそ二十名分をまかなえる永続的食糧供給システムと物資の保管室、医療室、浄化装置や必要と思われる最低限の設備がそなわっており、かつて暮らしたワンルームマンションと比較すれば、〝最低限〟という言葉の使い方に異議を申し立てたくなる広さと快適さである。
床も壁も天井も白く、ソファやテーブルやイスなど、主な家具も白で統一。ワンポイント的にクッションカバーがダークブラウンであったり、テーブルクロスがモスグリーンであったり、洗面室やバスルームの一部にはシルバーや大理石のような素材を使って変化をつけていた。
ゴテゴテな成金風の装飾は一切なく、シンプルな高級感を追求したデザインは好みなのだが……この、一流ホテルのスイートルームもかくやという部屋が、何事もない限り日の目を見ることのない脱出艇の、たかが一室に過ぎないとは。
誰だ、設計した奴は?
いやこの場合、注文つけた奴がふざけているのか。
おかげさまで生憎、〝私が〟快適に過ごせております。
《ハジメましてマスター! ワタシはAlphaと申しマス。ワタシの役目はマスターのお食事の用意トカ、お部屋のお掃除トカ、そこんトコ色々デス。ヨロシクお願いいたしマ~ス》
《おう、オレっちはBetaっス。オレもまあ色々っスけど、多分ARKの助手つーか、使いっ走りみてーな仕事メインになると思いマスぜ。よろしく頼んマス!》
多分モデルは雪だるま。そんな珍妙な召使いロボットが起動し、個性たっぷりに挨拶をしてくれた。
それまで私の面倒を見てくれていたのは、逐一指示がなければ動けず、自律思考機能のない単純なタイプのロボットで、この二体の起動と同時に当座の役割を終えて休眠することになった。
この雪だるまロボット達が、そりゃあもう優秀な働き者なのである。おかげで私は自力でやらなきゃいけないことが本当に何もなかった。
あまりに快適過ぎて、もともと方舟の全容を知らなかったのもあり、ほかのすべてを焼失したと言われても未だぴんとこないのだった。
ちなみにこの馬鹿でかい〈スフィア〉そのものが、三つあった〈ARK〉の本体のうちのひとつなのだという。中心に核があるとかではなく、後付けの家具や装置、道具、保管された物資なんかを除いた全部が、ARK・Ⅲの身体であり頭なんだとか。
自己修復能力を備えた生体金属のかたまりであり、損傷した傍から本来の形状を回復してゆく、最硬度の建造物でありながら柔軟な頭脳そのもの。
もっと詳しい説明もされたが、はっきり言って専門外なのでよくわからなかった。
というか、私は専門と呼べるものを何も持っていなかった。
浅く広く興味を持つが、表面をさらう程度。
複雑な計算は機械に任せればよかったし、ちょっと調べたいことがあれば携帯マルチ端末をポケットから出して検索するか、AIにひとこと尋ねればすぐに解決した。誰も昔ほど気合いを入れて勉強しなくなったせいで、実は逆に頭が悪くなっているのではと疑問視されていた時代の申し子である。
だからせっかく以前とは雲泥の進化型補助脳を仕込んでもらったらしいのに、そのあたりの実感がどうにも薄い。
よくわかんないけどそういうものってことでいっか、で片付けるしかないのだった。
「つうかさ。船体が綺麗さっぱり燃え尽きちゃうんなら、ほかの人達はどうやって生き残る予定だったわけ?」
そう。無事に残っているのは〈スフィア〉のみ。
かなり巨大な球体だが、人が足を踏み入れられないスペースがかなりの部分を占めている。
乗せるだけなら何十人と言わず何百人でも可能だったかもしれないが、その後はどうやって生き延びればいい?
限られた少人数、すなわち乗員の中でもトップに位置する選ばれた要人だけが想定されていて、すし詰め状態で脱出するパターンが全く想定されていない。
おまけに、人間に限らず動植物を含め、保管していた膨大な量の細胞と記憶情報、それを蘇らせるための設備の一切があっけなく失われた。かろうじて残っているのは〈スフィア〉内の食糧供給システム用のものだけで、当然ながら対応しているのは食に適した種類のみ。医療用に人体の一部を再生する設備はあれど、人ひとりまるごと培養できる設備はない。
今後自分以外のクローン人間を量産される心配がないので、私としてはホッと一安心なのだが、方舟計画者の意図からは明らかにズレてないか?
「ARK・Ⅰの〈スフィア〉はこれと違って、全員乗れるくらい大きかったとか?」
《いいえ。〈スフィア〉はどの船も規模・デザインともに統一されておりました》
そうなのか。
じゃあなおさらこーゆー時はどうするつもりだったんだ。
《初期の計画案においては、多少の誤差があったとしても損耗なく余裕で着陸可能でした。ですので、いくつかの区画が使用不能になるケースは想定されていても、本当に完全に〈スフィア〉しか残らない状況になるとは、どなたも本気で思ってはいなかったのです》
「なんじゃそりゃ」
つまり、こんな贅沢なものを作るだけ作っておいて、どうせ使う機会なんて来ないだろうと高をくくっていたわけか?
それって見通し甘すぎるんじゃないか?
「もしⅠとⅡがまるっと無事に残ってたとしても、大半が生き残れないことになってるじゃん。沈没前に救命艇が足りないと判明した某がちっとも教訓になってないのかな」
《あえて教訓にされなかったかと。ご自身さえ生き残れば良いとお考えの方がほとんどでしたので》
「お、おおう、そうかい。……素朴な疑問だけど、ほんの二~三十人前後が生き残ったところで、もし生存者が全員男だったらどうすんのさ? 現実問題として子孫できないよ? 寿命来たらそこで終わりでしょ」
《雄が複数集まればそのうち順位が決まりますので、一番弱く若い個体を雌に性転換でもさせればよいのではないでしょうか》
「なんっっつー恐ろしいことを言うんだキミはぁ!?」
《あの方々の〝対策〟のほうがマシかは不明ですが、〈スフィア〉の利用権を密かにお持ちの方々は、乗客の中からご自分の花嫁候補を何名か選定しておられました。それならばクローン培養設備のスペースを割かず、他の設備の充実に回せますし、『さしあたって種の存続の問題は解決』とのことでした。ちなみに相手様方の同意は得ておりません》
「…………」
絶句した。
ちょっと深呼吸をしてみよう。
すー、はー……。
「変態野郎どもッ!! 自分が女になって何とかしやがれッ!!」
深呼吸して落ち着いたら雄叫びが出た。
私のイメージで〝お偉い人〟は中高年、それも「未来を若者達のために」なんて、口で言うだけで実行はしないタイプだ。そもそも実行できればARKには乗らず、若者に乗船チケットを譲っていただろう。
そして花嫁候補と言うからには、〝お偉いおっさん〟だけが仲良く〈スフィア〉の利用権とやらを独占していたわけだ。
自己犠牲精神など持ち合わせのないおっさん集団が、あらかじめ目をつけていた若いお嬢さん方を連れて我先に脱出艇に乗り込み、「種の存続のために必要な義務だ」とかなんとかそれっぽい理屈で抵抗を封じながら、あれこれをする予定だったと……!
《おおむねそのとおりです》
「地獄へ落ちろクソ野郎ども……!!」
もしその手合いがまだ生きていたら、己の手で地獄へ叩き込んでくれる。
《話を戻しますが。多少の誤差はあっても、損耗は軽微で済むだろうと当時予測されていたのも事実です。私が創られる半世紀ほど前ならもっと慎重に考えたのでしょうが、月面都市の建設やスペースコロニーの成功に、科学力への自信が鰻登りになっている時代でしたので。もちろんそれは今からすれば百年前の机上の計算であり、現実には多少では済まない思わぬ要素の存在により、大幅な修正が必要となりました》
「思わぬ要素?」
《ひとことで申し上げれば、ここは〝剣と魔法の世界〟です》
「………………なんですと?」
ARK・Ⅲは証拠を見せてくれた。
宇宙空間から地上を撮影した際の記録映像だ。
本当に剣と魔法の世界だった。
古き時代のヨーロッパ風の衣装を身につけた人々が剣を構え、魔法を放っていた。
どう見ても魔法だった。
「……ま、じ、でーっ!?」
しかもこの〈星〉に住んでいる知的生命体は一種類だけではなかった。
地球人類に限りなく近い、というよりほぼ同じ種族は〈人族〉。
鍛冶が得意で酒好きなあの種族は〈鉱山族〉。
耳や尻尾がふかふかなあの種族は〈半獣族〉。
魔術が得意で耳が長くて森に住むあの種族は〈精霊族〉。
――などなど、主だった者だけでもざっとこのぐらいだ。
つまり他にもたくさんいる。
《限りなく地球に近い環境ですが、この〝魔法〟が想定外の要素だったのです。現地種族民が〝魔法〟を扱う素になっていると思われるものが大気中に一定量満ちており、これを仮に〝魔素〟としますが、〝魔素〟をとりこんだ生物は体内でそれを〝魔力〟に変換し、放出する際に様々な事象として発現させています。放たれた〝魔力〟はやがて拡散して自然に〝魔素〟に戻るようです》
「へ、へえー」
大なり小なりこの〈星〉の生物は、〝魔素〟を吸収し〝魔力〟に変換する器官が体内にあると思われるとのこと。地球にはこの〝魔素〟に相当するものがなく、したがって私にもそれを扱うための器官など備わっていない。
あるいは、大昔には類似したものが存在しており、現在では退化した状態なのかもしれなかった。
とても残念である。
《この未知なる存在〝魔素〟の影響で、物理法則においても地球とほぼ共通していながら、一致しない部分も確認されました。〝魔素〟という要素を含め計算し直した結果、当初〝生存は絶望的〟という結論が出たのですが、取り急ぎ法則の研究を進め、修正を加えて現在の結果となりました》
「ほ、ほおー……」
しかも、〈星〉の周辺を守るように覆う〝魔素嵐〟のような現象も確認されていたらしい。視認できず、光も透過するが、確かにそこに在るのだそうな。
嵐の弱まる切れ目の箇所を発見し、この機会を逃せば次に通過可能となるのは早くて五~六十年後、しかも大陸には降りられず、海のど真ん中になるという計算結果が出たという。
そのタイムリミットが、最初に言われた百二十時間だったわけである。
《この〝魔素〟という要因が、宇宙空間でどれほど私に影響してくるかも未知数でした。五十年どころか数日先まで無事でいられる確証もありませんでしたので、情報不足は否めませんでしたが、外郭部分をすべて焼失してでも着陸を試みるべきと判断いたしました》
「う、うん……そうなんだ……」
こんな重要な決定を、〈マスター〉の許可を取らずに勝手に行えるのだろうか。
一瞬疑問に思ったが、考えてみれば〝東谷瀬名の生存にかかわる〟内容だった。
それにもし事前に意見を求められていたとしても、結局は私も同じ決断に至るしかなかったろう。
こういう問題に関してはいちいち気にせず、ある程度お任せするべきかもしれなかった。
◇
《とにかくこの星は未知の要素が多過ぎますので、ある程度情報が集まるまでは決して〈スフィア〉から出てはなりません》
つい七匹の子山羊のお母さん山羊を連想してしまった。
いや、あれは「おうちから出ちゃいけません」ではなく、「ドアを開けちゃいけません」だったかな? ――もちろん現実には、そんなほのぼのとした場面では有り得ないのだけれど。
魔素のもたらす現象に加え、地球には存在しなかったさまざまな生物の生態系。そして何より警戒すべきは、未知の病原体の可能性だ。
地球人類が生息可能な環境で間違いはないとしても、無視できない不確定要素があまりにも多い。ゆえにARK・Ⅲは、徹底的に情報を集め、可能な限り分析した後でなければ外に出るべきではないと主張した。
精神年齢およそ三十歳に否やはない。むしろ妥当とすら思った。
遊びたがりのじっとしているのが苦手な子供ではない。そして私はインドア派なのである。
というより、山も海も田舎もないドームの中に暮らす時代だったので、全国民に一定量のひきこもり気質が染みついていた。
何日もの間、生身の人間にただの一度も会わずとも平気な人種がいくらでもおり、私もそのひとりだっただけである。
私だけではなかった。そう主張させてもらおう。
それに若い頃は活動的で遊びに行きたがっても、だいたいは大人になるにつれ徐々に落ち着き、出かけることが億劫になってくるものだ。
本物の幼子だったら、お外に出てみたいとぐずったかもしれない。
十代半ばの少女だったら、「あたしを閉じ込める気なんだわ…!」と何かの物語が始まったかもしれない。
私は適度に枯……いや精神的に熟しているので、手厚く保護されている事実を普通に理解し、普通に受けいれられるのだ。
「情報収集って、どの範囲までやんの?」
《少なくともこの大陸全土を》
「おおう……」
国単位ではなく大陸規模か。結構かかりそうだが、まあいいだろう。
いくらファンタジー好きで見た目は子供でも、頭の中身はいい歳の大人。リセットできない現実で、「魔法魔法!」と浮かれながら飛び出して行く蛮勇の持ち合わせはなかった。
それよりもARK・Ⅲが懸念したように、のこのこ外に出た結果、未知の病原体に侵され、苦しみぬく事態に陥ることが一番恐い。
ただの怪我なら〈スフィア〉の医療設備で治しようがあるだろうけれど、病気はわけが違う。
もし全身から血を吹いて何日も死ねなかったり、皮膚という皮膚にカビが生えたり、体内から得体の知れない生命体が腹を喰い破ってキシャァァァ……
「……ひっ……!」
あ、想像しただけで鳥肌が……。
是非、この〈星〉の全病を網羅し、余すところなく治療法を確立する勢いで徹底的に調べ尽くして欲しい。
剣と魔法の世界に憧れは山ほどある。しかしそれはそれ、これはこれ。
現実問題として、大気中の魔素とやらを吸い込んで地球産の人体に害はないのか、それすらも不明なのだから。
安心・安全・快適な軟禁生活ウェルカムである。
「頑張ってくれたまえARK君。きみになら完璧にできると信じているよ」
《お任せを、ボス》
この人工知能、案外ノリがいいかもしれない。
だんだんARKとの付き合い方がわかってきた瀬名さんです。