48 その正体は
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前半はグレン、後半はセナです。
グレンは一仕事終えて部屋に戻り、換気のために窓を開けた。
その隙間からするりと何かが侵入し、咄嗟に剣の柄に手をかけた。
(――なんだ?)
それは透明だったが、己の毛並みの間近をかすめていった空気の動きで、グレンは「何かがある」と気付いた。
果たしてそれは徐々に色を帯び、やがて白く丸い何かになった。
(…………タマゴ?)
ころんと白い卵は二本の足でちょこんと立っており、〈妖精族〉に似た菱形の薄い翅が生えている。
孵化しかけの何か。あるいは殻を脱ぎ損ねた雛。
見ようによっては可愛らしいと言えなくもない。が、彼の経験則からして、こういうものはたいがい〝油断大敵〟に分類されるのだ。
刺激しないように様子を窺っていると、それはいきなり部屋の中央に向けて光を放った。
目を丸くするグレンの前で、光の中に文字が浮かびあがる。
『森の魔女より 協力を求む』
『窓を閉じ 盗聴防止の魔道具の設置を確認せよ』
森の魔女。
澄ました顔の黒髪の少年がぱっと頭に浮かんだ。こんな奇妙なものを寄越す心当たりはあの坊やしかない。
(何事だ?)
窓を閉め直し、部屋の隅にある魔道具に魔石をはめた。直後、部屋全体が不可視の膜で隔てられ、内部の音を外に逃さなくなる。
「お次は何だ? ――うおッ!?」
ぼんやり半透明の人影が二つ、いきなり部屋の中に出現し、グレンはギョッとのけぞった。
まるで幽鬼のようだったが、人影の片割れは、ちょうど先ほど思い浮かべた人物だった。
「セナ!? なんだこりゃ、こいつぁいったい?」
《これは〝立体映像〟っていうんですよ。今は遠くにあるものを、そこにあるように見せています》
「遠くにあるものを、そこにあるように見せる……?」
《ええ。我々がいるのはドーミアではありません。森の中なんです》
森。すなわち、黎明の森か。
グレンはまじまじと二人の姿を見つめた。
においはない。気配もない。つまり、本当にそこにはいないのだ。
「こんなもん、初めて見たぜ……」
驚愕にうめきつつ、グレンは若草色の瞳を〝もう一人〟に据えた。
若い女だった。気だるげな様子で椅子に座っている。
身に纏うのは貴婦人のような仕立ての衣装だったが、襟元や袖のレースは漆黒、照りのない黒い生地に黒糸の刺繍、縫いつけられた小さな飾りに至るまですべてが黒い。
豊かに波打つ黒髪は腰の下まで流れ落ち、なまめかしい肢体に絡みついて、うかつに触れればその闇に囚われて地獄界まで引きずり落とされそうだ。
切れ長の目尻には緑の化粧が施され、唇にはつややかな紅が引かれている。
歳は二十代にも三十代にも見え、老いてはいないが、若いと言うにはためらいを覚える。厭世的で冷ややかな、近寄り難い雰囲気を全身から発していた。
もしや、この女は――
《あなたが〝グレン〟ですね》
「おっ、おうっ?」
鈴のように美しい声で名を呼ばれ、グレンの毛が逆立ちそうになる。
感情の滲まない平坦な声――それだけなら別段珍しくもないのに、どうしてか反射的に「不気味だ」と感じた。
声以上に何の感情も湛えていない、あの無機質な黒い目のせいだろうか。
《あなたの話は聞いています》
「俺の話、って」
《協力して欲しいことがあります。詳しくは〝彼〟の話を聞いてください》
否も応も口にする間もなく、女の姿はすう、と掻き消えた。
いや、消えたのではなく〝視点〟がずれたのか?
動揺し過ぎて気付くのに遅れたが、グレンの部屋に侵入した小鳥モドキからは薄い光が伸びており、今はちょうど中心にセナ=トーヤの姿がある。さっきまではこの少年と、黒衣の女が二人とも光の中におさまっていた。それが横にずれたのだ。
つめていた息をフウ、と吐き出し、柄にもなく自分が緊張していたのだと自覚した。
《驚かせてすみません》
「お、おお……いや、……今話してた女が、もしかして例の……?」
《まあ、そうです。彼女に関してはあまり気にしないでください。ああいう方なんですよ》
苦笑しながら、詳しいことは訊かないでくれ、と言外ににおわせていた。その微妙な言い回しに鼻のきかないグレンではない。
(おいおい、マジか。すげぇ、本物に会っちまったよ。いや、こりゃ〝会う〟とは言わねえな? でもすげぇ)
もしかしなくとも、この辺境で例の魔女の姿を目にして、しかも声までかけられたのは自分が初めてではなかろうか?
そうでなかったとしても、この〝立体映像〟とやらがとんでもない。遠視の術などとは比較にもならない代物だ。
速まる鼓動と興奮を押し隠しつつ、できるだけ平然とグレンは答えた。
「いいけどよ。もっと高圧的な奴ぁごまんといるしな。――つうかおまえさん、その口調は素か?」
《え?》
「前に、迷子のウォルド拾った時に一芝居打ったんだろ? そん時の口調が違ってたって、こないだウォルドが言ってやがったんでな。実際、どっちの口調が素なんだ?」
《あー……それはですね……》
「言い淀むっつうことは、ソレが地じゃねえな?」
図星だったらしい。少年はかりかり頭をかいている。
不思議と、こちらもほとんど表情がないのに、どこか気まずそうにしているのがわかった。その様子を目にしたグレンはホッと息をつく。
あの魔女と、セナ=トーヤ。正体不明加減はどちらもどっこいだが、こちらのほうがずっと話しやすい。
「こんな形で俺に協力してくれっつうからには、何か厄介ごとなんだろ? 喋りやすい口調のほうでいいぜ。そのほうが円滑になっていいだろ」
《……ありがとう。なら、遠慮なくそうさせてもらうよ》
「礼を言われるほどのことじゃねえっつの」
グレンは瞳を細め、かすかに唇の端を上げた。
幾重にも構えられた他人行儀の壁が、一枚だけ取り払われた。たかが一枚に過ぎないのに、それが奇妙に嬉しく感じられた。
グレンは気まぐれだが、決して人懐こいわけではない。警戒心の強さは、むしろ人一倍どころではないだろう。彼は裏切りも戦場の血のにおいもひととおり知っている妖猫族であり、そうそう他者に信頼を寄せたりはしない。
自分がそうだから他人にもそれを求めたりはしないのに、この少年から頼りにされるのは不思議と悪い気がしなかった。
(ガキっぽさが全然ねえしよ。俺のことをあの魔女にどう話しやがったかは知らねえが、道理もクソもねえ無茶ぶりを押しつけてくるっつうことはねえだろ)
先ほどの苦笑もそうだったが、セナ=トーヤは表情も仕草も落ち着いていて、大袈裟な身振りがまったくない。
十五歳という話だったが、本当のところは何歳なのだろう。黒衣の魔女は雰囲気も表情も外見の色合いもこの少年とそっくりで、まるで姉弟のように見えた。実際にそうなのかもしれない。
あちらは妖艶で近寄り難く、こちらは神秘的だがどこか親しみがある、そんな差異はあったけれど。
「で。俺に協力して欲しいっつーのは?」
厄介そうだが、手に負えないほどではないだろう、きっと。
《それはね……三人とも、こちらへおいで》
「ん? ほかにも誰かいたのか。…………って――おいおいおいおい~!?」
おずおず、ちょこちょこ、とセナ=トーヤに駆け寄ったのは、小さな小さな子供だった。
人族では有り得ない。まずその小ささもそうだが、尖った耳の形と、独特な白い肌、整い過ぎた綺麗な顔立ち。
本能が訴えてくる。
これらが、何なのか。
ぶわりと全身の毛が逆立った。
《グレンもそういう反応になるんだ?》
「ならいでかっ!? むしろなんでてめえは平気なんだよッ!?」
セナ=トーヤは子供達を平然と抱っこしていた。
子供達も触れられて平気そうというか、自分達から飛びついて抱っこしてもらっている。
どう見ても懐きまくっている。
(……やっぱ手に負えねーかもしんねー)
グレンは早々に楽観的な見通しを撤回した。
◆ ◆ ◆
さて、このもう一人はいったい誰だ?
答え。
3DCGです。
◇
「ARKさん、こういうのってできる?」
《はい。可能です》
よし、じゃあそれでいこう!
というわけで作りました。
骨格は私の骨格データをそのまま使い肉付けをしたので、顔や体の基本形はそのまんま私。
そこから、髪の長さはウェーブがかかった超ロングで~、爪の長さはざっくり爪痕を残せそうな長さで~、等々あれこれ注文をつけていき、新たなるキャラクターの姿を作成。
「こういうの、ゲームのアバター設定でやったなあ♪」
デフォルトの姿から、髪色や肌色や体形などを細かく設定していき、ゲームの中でもうひとりの自分として動く、自分だけのオリジナルキャラクターを完成させていく過程。
適当にざくざく決める人もいたらしいが、私は結構こだわる派だった。
ええ、面白くなっていろいろ注文をつけてしまいました。
アイシャドウは緑なんて、まず自分では使ったことのない色合いだし、唇もせっかくだから毒々しいぐらい艶やかな赤にしてもらった。ネイルは赤と黒のグラデーションだ。
筋肉は私より少なめの設定にしたので、かなりほっそり女性らしい体形になっている。
せっかくだからお胸元は豪快にメロンを――え? 無茶? ならグレープフルーツ半カットをくっつけたぐらいで。OK?
指先が第二関節まで余裕で沈み込みそうな、「たゆん」で「ぽにょん」なお胸になりました。
血縁者や同族っぽい見た目にしたほうが、いろいろ勝手に想像をふくらませてもらえるだろうと、目・頭髪・肌の色などは変えなかった。
むしろあやしげな魔女は黒成分が必須であろう。ARK氏の全面同意のもと、衣装は漆黒、刺繍やレースも黒で統一という素敵な暗黒魔女っぷりに仕上がった。
上から下まで見事に黒い、冥府に誘われそうな妖艶魔女である。
「よし、これなら勝てる。さすがだARK君」
《恐れ入ります》
《とゆーカ、これってマスターの骨格自体は変えてまセンよね? てコトは、マスターが着飾ってお化粧しタラ、ほぼこんなんなるってコトじゃないデスか?》
「マジで? ――私、塗りたくったらこんなんなるの?」
《ってコトですよネ?》
「女の人の化粧って怖いな!?」
《……マスター?》
珍しくARKさんとAlpha君がハモっていた。
なんだねキミ達? ここにいるスッピンを見たまえ。もとはこれなのだよ? 騙されたら不幸じゃないかね?
「さて、声はどんなのにしようか」
《『マジで? ――女の人の化粧って怖いな!?』これがマスターのお声ですが》
「へぇ私の声ってほかの人にはそう聞こえるんだなってコラ、そこを再生するのはやめなさい」
《これをやや高めに合成します。――『あなたがグレンですね? あなたの話は聞いています』――このような感じでいかがでしょう?》
「採用」
私の声はややハスキーで、我ながら十代半ばの少年ぽく聞こえた。それをソプラノ寄りにし、さらに通りよくすることで、かなり違う印象になる。
その声をARK氏の台詞にあてて、それっぽく喋ってもらうことにした。
姿と声が決まれば、動きをチェックする。これは私が気だるげな感じに歩いたり椅子に座ったり、その動きをARK氏が記録して〈彼女〉の動きに応用した。
「ククク……いい感じではないか」
《乾燥ヤモリをつまんで鍋に放り込んでいただきたいですね。いえ、キセルをくゆらせていただくほうがいいでしょうか》
このように、私とARK氏がノリノリになった結果、とても完成度の高い3DCG暗黒魔女が出来あがった。
力作である。
ただしいくらリアルでも、そこには存在していない映像であることに変わりはない。長時間になればなるほど粗を見つけられやすくなるだろうから、〈彼女〉に出演してもらう尺はできるだけ短めにしようと決めた。
ちなみに、ARK氏は人の外見に近すぎるヒューマノイドの製作は〝禁忌〟に指定されているものの、CGならいくらでも遊んで可と判明した。なので、ここぞとばかりに遊び倒した感がなくもない。
【…………】
【……わぁ……】
【………………】
まるでそこにいるようなのに、触れればすり抜ける立体映像に驚きつつ、興味津々なちびっこ達。
彼らにはこれが〝つくりもの〟だと理解できるよう、作る過程を最初からすべて見せていた。
【このように、触れることができない。すり抜ける。私はこれから知人と話すが、その時に、これに近付いたり触れたりしてはいけない。わかるか?】
【――わかった。バレたらだめ、なんだね?】
【そうだ】
【おはなし中には、ぜったい近づかないよ】
【おとなしくしてる】
【良い子だ】
そんなわけで、討伐者ギルドの宿に戻ったグレンのもとにタマゴ鳥が突撃した。




