45 食の問題、再び
――米が尽きます。
尽きます。
何が? 米が?
一瞬頭が真っ白になった。
「なんで!? 無尽蔵に確保できる環境になったはずじゃないのか!?」
我が家の米事情は少し複雑だ。
〈スフィア〉の再生設備で地球産の農作物の種を多数復活させ、この近辺に植えれば、大半はすくすく成長してくれた。
しかし、である。よりによって、米は駄目だった。
ごくたまに適合しない、土壌に合わない種類があり、地球産の米がそれに含まれていた。育ちはするけれど、成長のペースが遅く、種籾から収穫、食卓にのぼるまでの期間が軽く一年はかかる。普通? はい、米本来の成長速度です。
私ひとりが食べる分だけでも、最低十メートル四方の水田が必要となる。お酒も造るとなればその程度では済まない。酒をあきらめ、〈スフィア〉内の食料生産システムで造られる、気分的にあやしげな米でしばらく我慢するしかないのか。
前は平気で食べていたけれど、今となっては食欲が減退する……。
追い詰められた人間の頭に、閃きが下りた。叩き込まれた膨大な国法と領主法の中の、〝畑潰し〟に関する条項である。
まず、この国の主食は麦やイモ、それから肉だ。米はない。
米に酷似したものはあり、なんと〝畑潰し〟と呼ばれている厄介者だった。
水と土さえあれば他の植物を枯らすほどに繁殖力と生命力が強く、他人の畑にわざと蒔いた輩は、身分問わず死罪が確定する。
それほどに忌み嫌われている植物、それがこの星の米もどきだった。
喰えないのかな? コメ民族コメ信者は思った。
そこで、EGGSに〝畑潰し〟のサンプルを入手してもらった。彼らは人里から駆逐されていたけれど、人のいない痩せた土地には細々と生えていた。周りの栄養を吸い取りまくって、ドーナツ状になった荒野の中央、ポツンと寂しく茂っているのを発見し、タマゴ鳥の小さなお腹が「にゅいん」と開いて、ロボットアームで稲穂の一部を入るだけきゅっと詰め込んで帰還した。
それをARK氏が調べたのち、他の畑に根を伸ばさないよう、くりぬいた地面の表面をプールのようにコーティング。やわらかくほぐした土を入れ、大量の水を流し込んで蒔いた。
実際の作業はBeta君と農耕ロボットがやってくれたし、〝畑潰し〟の育て方や毒性の有無を調べたのはARK。私はお願いして見守るのがお仕事だ。
結果、三メートル四方の水田から短期間で二キロ前後の米の収穫に成功。炊いて食べるもよし、お酒にするのもよしと判明したので、水田の数を増やした。芽が出るまで水に浸けるか否か、穂の段階で水を抜くか抜かないか、育て方や水分量で味や食感も変わるとわかった。
そんな紆余曲折を経て、この世界の限定的地域で〝畑潰し〟は名誉挽回と相成ったわけだが。
「備蓄はあったろ!?」
《正確には、マスターの食用に調整した米の備蓄が尽きます。酒米や加工用の米は充分にありますので、食感と味が変わってよろしければそちらを使いますが》
「――び、っっくりしたぁあ……」
テーブルに突っ伏した。米派には心臓に悪い報告である。
「酒米って、別に不味くはないでしょ?」
《炊く際の水加減を失敗しなければ問題ありません。ただ、米単品で召し上がるには不向きかと。味の濃いものと合わせるか、米自体に味付けをするメニューになりますが》
「お米でご飯を食べるのは難しい感じか。いいよそれで。でも、どうしていきなり食用米が尽きそうになってるの?」
《単純に消費量の変化です。以前ドーミアで食材を仕入れた後、一気に米の消費が増えました》
ああ……親子丼、カツ丼、天丼、卵かけご飯……いっぱい食べましたね、確かに。
《プラス、幼児三名分の米です》
「ええ~? あの子ら、そんなに食べてるかなあ?」
《食べていますよ。抵抗なく口にしており、未知の食材という反応でもありませんでした》
「あ、ARKさんもそう思ったか。ひょっとして精霊族も日常的に米を食べてるのかね」
《可能性は高いかと。そして、あの身体の小ささからは想定にしくい食事量です。毎食おかわりをしている上に、おやつも食べさせているでしょう? 消化・吸収とエネルギー変換の速度が明らかに違っていますね》
言われてみれば、お腹を壊す様子もないし、たんと食え食えと食べさせていた。痩せ細っていた身体がふくふく健康になって、元気いっぱいにちょこちょこついてくる姿を見て、あの量でいいんだろうと判断したけれど。
《食用米の生産量を上げますが、それまでしばし我慢をお願いします》
「ん、了解」
聞く限りでは不味くはないようだし、これは我慢の部類に入らないだろう。
だいたい食べ物が無尽蔵にあるなどと、そんなわけがないではないか。
ふと、三兄弟に尋ねてみた。
【シェルロー、エセル、ノクト。おまえ達、苦手な食べ物はあるか?】
【にがて? んー、蟲はイヤだ】
【ぼくもイヤ】
【あ、ぼくも。ヒルみたいなのとか】
蟲か!! そいつぁ俺もイヤだな!! そして苦手な〝食べ物〟と訊かれて〝ヒル〟が候補にあがるってことは、そんなの食用にしてる地域がどこかにあるんだな!?
《イカやタコの刺身をワサビと醤油で一杯》
嫌がらせか!? 好きでしたよ!? 多分この子達にはドン引きされるだろうがな!!
でも大丈夫だ、今は海産物が手に入らない。とても切ないが。
《納豆》
「おやめ」
絶対に出すなと、Alpha君によくよく注意しておかねば。
【では、好きな食べ物はあるか?】
【…………おにく】
【…………ぼくも】
【おにく……】
…………。
肉か。
花びらの砂糖漬けとか想像していたよ。そんな次元の話では全然なかったな。
肉食エルフ。いや、野菜スープをたくさん食べているし、雑食か。
《肉も卵もありません。いかがなさいますか?》
ドーミアで買い込んだ食料は、半獣族の子供達の胃袋におさまった。その足で〈スフィア〉に戻ったので、このところ肉も卵も口にしていない。
これはいよいよ、どうにかせねばならないか……。
◇
お子様達の世話をしていると、とにかく自分の時間がない。
めちゃくちゃいい子達なので体力は消耗しないのだが、このままでは身体がなまってしまう。そして太る。
ぽっちゃり目でいいじゃんと嘯き続け、増加し続けるお腹のボリュームと体重計に戦々恐々としていた、あの日々には戻りたくない。
お着替えにご飯にお風呂にと、できるだけお子様達を構いつつ、いかに運動時間を捻出するかが最近の課題になってきた。
かといって、シッターロボを起動させて放置するのも違う気がする。やはり精神感応力があるのは確かなようで、あの子達は「ロボットはロボット」だと気付いているふしがあった。
《AlphaやBetaのことも魔道具と認識しているようです。マスター不在の場で、あの子らから話しかけることは一切ありません》
「やっぱりか」
そういうこともあり、万能お手伝い様Alphaに丸投げはできない。そうでなくとも、私が拾った子なのだから、私が何もしないのはナシだ。
〈東谷瀬名〉はファンタジーやSFが好きだった。現実世界に面白みがないので、非現実な世界に憧れと妄想を羽ばたかせていた。ありがちな話である。
でもって、ファンタジーの中でもとりわけ好きな種族がエルフだった。孤高の種族、森とともに生きる神秘的な種族、膨大な魔力と智恵を誇る種族、憧れていたポイントはざっとそんなところだ。
ただし、見た目も性格も能力もエルフの意義が行方不明な平凡エルフや、いくら優秀でも性格が最低で無駄に攻撃的なエルフなどは好きではなかった。要するに私が好きだったのは、超越していながら人類の敵ではなく、努力次第できちんと評価してくれて、力を貸してくれることもあるエルフが好きだったのだ。
思えばよそ様の種族に、随分細かい好みを要求していたなと反省しなくもない。
が、しかし、憧れは憧れ、現実は現実。双方の種族は似て非なる種族、そのあたりはちゃんと弁えている。
これでも浪漫と天秤にかけて生活をとる女の端くれ東谷瀬名、十代と見せかけて中身ピー歳、浮つく前に現実問題が気になるお年頃。
だって生き物じゃないか。
いくらエルフ好きの私でも、可愛いだけで幼児三人の保護者になどなれるものか。
適当に飾って眺めていればいいお人形ではないのである。
昼食後、ちびっこ達のお昼寝タイムが一~二時間。後ろ髪を引かれつつAlphaに任せ、訓練場へ行ったり森の中でアスレチックマラソンをする。眠る前に私がどこで何をする予定かは、ちゃんと告げておくようにした。
多少早く起きてしまっても大丈夫だと思うが、なんとなく気が急いてしまう。そのおかげか、ミスに繋がらないよう、却って今までより慎重になったかもしれない。慌てていると怪我をしやすくなるし、痛い目に遭うのは嫌だ。慣れた訓練でも、回復薬は常に携帯する。
〈フレイム〉のライフルに関しては、数撃ちゃいいじゃんではなく、一発ごとに狙った場所へ当てられるように訓練を続けている。今後もまったく使う機会がないとは限らず、だからといって適当に乱射するのも駄目だ。
近~中距離用のセミオートは、一瞬でトリガーを戻しても、二発ぐらいは魔素弾が出てしまい、一発目の反動で二発目は微妙に位置がずれるので、その誤差をコントロールするのが目標である。
当然、動きながら撃てば命中精度は格段に落ちる。狙った場所に当てたいゲーム感覚の欲望もあるが、何より狙っていない場所へ当てたくない。あらゆる武器の最も恐ろしいところは、敵以外を殺しかねないところだと個人的には思っている。
《マスター。兄弟達が目覚めました》
「あ、もう?」
お昼寝の時間だけでは到底足りないので、小鳥氏による青空教室も始めてみた。かんたんな光王国語のおべんきょうである。
子守り役のAlphaが控え、淡々としたARK先生の授業が進む様は、お子様達の情緒面の教育に不安を感じなくもないけれど、これでプラス一時間ぐらい余裕ができた。
と思っていたら、ちびっこ達はどうしても私の様子が気になるらしく、いつも寂しそうな悲しそうな不安そうな顔で、我が儘を言わずに帰りを待っているのだそうな。
「くっ! どうしよう?」
《救出時にいろいろ見られておりますし、随分慣れてきた様子ですから、魔導刀や〈フレイム〉の訓練を見せてもよいでしょう》
「え、マジでいいの? 怯えたりしないかな?」
《精霊族の大人が得意とする高位魔術のほうがよほど派手でしょう。それに、幼い子供は懐きにくい代わりに、保護者と認識した相手のことは決して裏切らないそうです》
懐きにくい?
けっこうすんなり懐いてくれたような気もするのだが。
まあ、ちゃんと保護者認定してくれているのなら良しとするか?
教育に悪かったらどうしようと心配しつつ、野外の訓練場へちびっこ達を連れて行き、小鳥氏の青空教室が開催される傍らで身体を動かしてみた。
魔導刀を振るっていると、ちびっこ達は怖がるどころか、むしろ目をきらきらさせていた。
むずがゆい。
格好つけたくなるけれど、格好つけたらコケる、それが私。
この衝動をやり過ごすのは、結構骨が折れた。
◇
肉と卵とミルクを手に入れるためには、またドーミアにお邪魔せねばならない。
しかし相変わらず目立った動きがなく、お出かけ予定を立てにくい。情報伝達速度うんぬんもあるだろうが、どうも悪党が様子見で息を潜めているパターンな気がしてきた。
ARK氏は騎士団や王宮の動向だけでなく、神殿の様子もチェックしている。
特に、ウォルドと何かしら因縁のありそうな、サフィークという男のことも調べていた。
≪ウォルド殿とは同郷のようですね。コル・カ・ドゥエル山脈国の近く、ふもとの国と呼ばれる小国があり、断罪の神【エレシュ】の神殿もそこにあったようです。二人がそこを離れた数年後、戦で国が滅び、以降はまったく交流がなかったようですので、その頃に何かがあったのではないかと思われます≫
ちびっこ達が傍にいる時、この手の報告は念話で行われる。
――ウォルドも故郷が滅びちゃったのか……。
若き有能な高位神官と、加護を得た神官騎士。他人様の事情に深入りする気はないけれど、あのサフィークは引っかかるのだ。
神殿=最近きなくさい、そんな先入観を植え付けられたせいだろうか。
サフィークは今、イシドールの町の神殿にいる。奇妙な言動はなく、むしろ真面目で、模範的な神官だ。
ドーミアの町の高位神官、ラゴルスという人物と交流を持っており、時々手紙を交わしている。こっそりEGGSにスキャンさせているが、今のところ暗号文はない。
どちらもきちんとした筆跡で、いかにも有能な神官らしいやりとりばかりだ。ユーモアのまったくない堅苦しい文面に気疲れしそうで、私はこういう相手と文通なんてしたくないが。
ラゴルス神官の背景も綺麗なもので、二人とも怪しいところはない。
ないけれど、引っかかる。
確かに悪さは何もしていない。
していないが――。
≪ところで、ドーミアの神殿に興味深いものがありました≫
ちびっこ達に見えないよう、私の手の平の陰に投影した小さな映像に目を瞠る。
≪おお! なにこれマジ?≫
≪調査しますか?≫
≪ん~、優先度は?≫
≪現時点では、さほど≫
≪じゃあ、そのうちできる時に、できる範囲でいいよ。面白そうだけどさ≫
≪承知しました≫
今大事なのは、悪党の動向のほか、精霊族と繋がりのありそうな人々をチェックすることだ。
グレン、ウォルド、バルテスローグ。ゼルシカさんもちょっとあやしい。けれど彼らが精霊族と接触する様子は今もない。
彼らは今回の件を知っているだろうか? もし知らぬふりを決め込んでいるとして、どう捉えているのだろう。騎士団と懇意にしている以上、何かしら察してはいそうだが。
「うーん……誰かに直接訊いてみるしかないか?」
肉と卵とミルクと蜂蜜と川魚も欲しい。
…………。
「あ。おねむになってきた?」
【ん~……】
【…………】
ちびっこ達の頭が揺れ、瞼も非常に重そうだ。
今夜はもう寝るとしよう。
増えています。




