44 一難去らずまた一難?
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そんなわけで、ちびっこ達との生活が始まった。
朝。
リクライニングホールのど真ん中に置いたベッドマットの上で目覚める。
布団を敷いただけでも、寝心地は結構快適だ。狭ければ寝返りを打った瞬間、小さな子を下敷きにしてしまいそうな怖さがあるけれど、キングサイズなので余裕たっぷりだ。ついでに私の寝相はそんなに悪くないらしい。
夜には星空を映していた天井から、徐々に黎明の薄青い光が射す。ごく自然に覚醒し、昔と比べて早起きになったなあと思うが、ちびっこ達はもっと早く起きている。私が起きるのを、おとなしく布団の上で待っているのだ。まだまだ遠慮がちで硬い、借りてきた猫だ。
「おはよう」
「オ、は、よう?」
「おあよ?」
うにゃうにゃと頑張って挨拶を返してくる。いい子いい子と頭をなでくりしてやったあと、起き上がって洗面室で顔を洗う。
シンプルな美を追求した内装は、この世界の人々にとってのファンタジーだ。
壁の一面がすべて鏡。それも、自分がもう一人そこに立っているような鮮明に映る鏡はまだこの世界にはなく、当然ちびっこ達は仰天した。白い壁や天井の一部に空や森が映され、それらが鏡面に反射して、実際より広く奥行きを感じる。
おまけに貝殻をイメージした水受け皿は、利用者の身長に応じて高さを自動調節する。目の前にすうー、と降りてきた貝殻を凝視し、しばらく固まって動けないちびっこ三人だったが、私が顔を洗ったり洗口液で口をゆすいでいるのを観察して、一生懸命まねっこをしていた。
ちなみに、手をかざすだけで出てくる水にはそこまで驚いていなかった。
「これはどうも、精霊族の集落にも似たような仕組みがあるな?」
《おそらくは》
どこから響いてくるのやらわからないARK・Ⅲの声に、キョロキョロする三人。
それでもフェイスタオルを差し出してやれば、ちま、ちま、ちま、と端をつかんで、顔と口をふきふきした。
小さな生き物って、どうしてこんなに愛らしいのだろう。
リビングに行けば、Alphaが朝食を既に用意してくれていた。昨夕と同じ野菜スープだったが、子供達は嬉しそうだ。
私も食べながら、ちびっこ達の食事も手伝ってやる。ドールサイズのスプーンやフォークで一生懸命食べるのも可愛いが、やはり自力で食べるには少々早いというか、体格的に無理が大きいようだ。細かく刻んだジャガイモを口に運んでやれば、あまり抵抗なくぱくりと食いついてきたので、身近にそうやって世話をしてくれる大人がいたのだと窺える。
三人に食べさせながら自分も食べてと、なかなか忙しない朝食ではあったものの、これはかなり楽なほうだろう。この子達はものすごくいい子で、聞き分けがあり、駄目と言われたら決してそれに手を出さないのだから。
《何かに興味を持って突然駆け出す、という恐れもないようですね》
「普通は駆け出すもん?」
《虐げられた子供でもない限り、あらゆるものに好奇心を抱き、それを目掛けていきなり突進するのが一般的な人族の子供です。身の危険など頭にありません。シッターロボは警護のプロであり、人命救助のプロでもあり、時に猛獣使いとも呼ばれていました》
「…………」
なんとなくAlphaのほうを見てしまった。常日頃からお世話していただいている身として、召使いさんではなく召使い様と改めるべきか。
ともあれ、いきなり三人のお子様と暮らすことになったのに、手間がかからないのはありがたい。
その分、褒めて撫でて抱っこして背中をぽんぽん叩く回数を増やすことにした。いくら手間がかからないからといって、お子様を放置するのはよくない。
……構い過ぎて嫌われるラインはどこだ。ここまではOKだよな?
朝食を終えたら、外に出て菜園を案内する。行っていい場所いけない場所、最低限の注意点を教えたが、一度ですべて憶えられるか不明なので、日を変えてまた同じ説明をするつもりだ。
菜園を眺めながら、広場でランチタイム。
「また同じスープ?」
《精神安定と、体力回復効果の検証です》
「ああ、なるほどね……」
忘れていたが、この森で育てた地球産の作物にはそんな効果が含まれているのだった。
食べ終えたらちびっこ三人が船をこぎ始めたので、お昼寝タイムに。
一旦リビングに戻り、ラグの上にタオルケットを敷いて寝かしつけた。
彼らが寝息をたてている間はAlphaに様子を見ておいてもらい、私は〈スフィア〉内の訓練エリアに向かった。〈フレイム〉を装着してライフルを展開、セミオートで的に撃ち続ける射撃訓練を行ったあと、魔導刀で素振りを行う。
こういうのは長く怠るとなまってしまうのだ。
《マスター。兄弟が起きたようです》
「えっ、まだ一時間ぐらいなのに?」
慌ててシャワーを浴びて戻ると、タオルケットの中で三人が不安そうにちょこんとうずくまっていた。
しまった、今度からは先に行き先を告げておこう……。
《疲労もだいぶ取れたようですね。マスター、彼らを連れて医療エリアにお出でください》
「あー、わかったよ」
さらに不安な思いをさせそうで申し訳ないが、これは避けては通れない。
【少しだけ我慢していなさい。おまえ達が今、どんな状態にあるのかを調べるだけだ。万が一、気分が悪くなれば言いなさい】
医療ポッドにそれぞれ横たえ、全身スキャンの開始だ。立って歩いているだけでもスキャンは可能だが、専用の設備できっちり調べたほうが確実に細部までわかる。
目を閉じた子供達の全身を、幾筋もの光が撫でた。ロボットアームがにゅうと出てきて、皮膚に触れるか触れないか、何やらこまごまと動いていた。
≪どんな感じ? 何かわかった?≫
ちびっこ達を刺激しないよう、念話で尋ねた。
≪骨格や内臓、筋肉、耳の仕組みなどなかなかに興味深いです。例えば腸の長さと構造ですが≫
≪こるぁッ! モツの解説はいいから本題に入りなさいっ!≫
≪残念です。――体力は回復傾向にあり、身体にはまったく異常が見られません。にもかかわらず、魔力は一定値から回復しておりません≫
≪もとから魔力が少ないってことは?≫
≪三人ともがほぼ同じ数値、それも人族の平民と変わらない魔力値は不自然です。精霊族は幼少期からそこそこ魔力が多いと文献にはありました≫
呪いの影響というやつか。
そもそも、その呪いとはどんなものなのだろう?
≪魔力の流れが明らかに乱れ、その乱れ方に一定のパターンがあります。薬物ではありませんね。自然に身体から抜け出て薄まるタイプではなく、核の部分に杭を打ち込んだような術です≫
≪核って、モンスターを倒したらたまにとれる魔石みたいな?≫
≪いいえ。体内で魔力を生成する機関があり、その中心のことです。通常は心臓付近、身体の中心部にありますが、この子らもそうですね≫
魔力は血のように体内を巡り、全身の至る箇所に供給される。
その核の部分に、杭のような、鎖のような奇妙な術式があり、中途半端に休眠した状態にあるらしい。
≪ご覧になりますか?≫
見えない魔力を可視化したイメージが拡大表示された。もちろん実際に杭や鎖があるわけではない。
ないのだが――。
≪うえっ……これ、術なの?≫
≪術です≫
これはヤバい。
漠然と、何かの臓器に文字がからみついているイメージだったけれど、文字ではなかった。
カビのような蟲の巣のような、鳥肌の立つ何かがびっしり付着していた。
≪これを誰かが意図的にやったって?≫
≪はい。設置型の術です≫
≪小っちゃい子になんてことを……元凶と回線みたいなのが繋がってたりしない?≫
≪繋がっておりません。術士を辿る方法はありませんね≫
心苦しいが、改めてちびっこ三人に事情聴取を行った。
攫われた当時の状況を詳しく尋ねるも、やはりはっきりしない。気付けばどこかの荒野にいて、三人でぼんやり歩いていたところを襲われたらしい。
速攻で首輪をはめられ、袋詰めにされたので、どこをどう行ったのかもわからないという。
それからどこかの地下牢に放り込まれ、周囲には同じように攫われた子供達がいた。ほとんどは半獣族、たまに人族の綺麗な子供もいた。
牢番が適当な仕事ぶりのゴロツキだったらしく、食べ物を何度も運び忘れて、いつしか動かなくなった子供達もいた。
そのゴロツキは仲間に袋叩きにされ、それ以来姿を見なくなった。そういうことがあってからは、死なない程度の食べ物が必ず運ばれるようになった。
朝か夜かも不明な地下にいて、何日経ったかもわからない。
ある日、馬車に詰め込まれた。
そして今に至るという。
【ごめんなさい……なんにも、わからない】
【謝るな】
本当~に、本当~に、謝ることじゃないからね!?
偉いよ、よく喋ってくれたよ、思い出すのもつらかったろうに!
とりあえず撫でまくって、おやつタイムにした。
本日のおやつはリンゴのコンポートを使ったロールケーキである。目を輝かせてもむもむ食べるちびっこ達の笑顔、プライスレス……。
ところで。
なんとなく気付いたことがあるのだが、シェルロー、エセル、ノクトの三人は、やはりどうも兄弟だ。
特にシェルロー。記憶が曖昧なのに、自分が長男だと、どこか理解しているようなふるまいをする。
ほかの二人も、どことなくシェルローを頼っている感じなのだ。
自然にシェルローが代表になっており、そして多分、責任感も強い。私が質問したら、答えるのはだいたいシェルローだ。それから、ほかの二人に「おまえ達は何かある?」と目で尋ねている。
三歳児が責任感……。
「…………」
【うわっ? っぷ、な、なに?】
【シェルロー。よく聞きなさい】
【は、はい】
頭をわしゃわしゃわしゃっと撫でてやり、目を見据えた。
【おまえが悪いと勘違いをするな。それから、おまえは子供だ。甘えなさい、存分に。それが私への礼になる】
【…………】
【返事は】
【――わ、わかった】
よしよし。
もしゃっとふくらんだ髪を撫でつけてやれば、小さな唇にじんわりと笑みが浮かんだ。
すると、それをじいっと見ていたエセルとノクトが、シェルローの両脇にぴと、ぴと、とくっついて、私のほうに頭を向けてきた。
む?
これはもしや、「撫でろ苦しゅうない」という意思表示か?
いいのか?
いいんだな?
いや今さらか!
【きゃー♪】
【きゃー♪】
ちびっこの笑顔、プライスレス……。
◇
その後もEGGSが調査し、ARK氏が定期的に報告を寄越すが、芳しい成果はなかった。
騎士団の様子、王宮の様子、その他めぼしい連中の動向も見張ってはいるけれど、どうにも決定打がない。
これはARK氏の情報収集や監視能力に欠陥があるわけではなかった。
私やARK氏は分単位、秒単位でものごとを考えてしまうけれど、この世界でそんな細かい時間を気にする人は滅多にいない。気にする必要のある職業の人々ぐらいで、ほとんどの一般人は時計すら持っていない。
王宮や騎士団、高位貴族の邸宅には、手紙を転送する装置が置かれていることもあるらしい。しかしそれは巨大で高価な魔術装置で、いつでも誰でも気軽に使えるものではなかった。ほんの紙数枚であろうと、物質転送ができるなんて確かにすごい、どんな仕組みだという話だが、どう足掻いても送れるのは紙数枚なのである。しかも大量の魔力、あるいは魔石を消費するのがネックだ。
一般的な情報のやりとりは、一番早い方法が伝書鳥。これは地形に影響されず早く情報を届ける代わりに、当然ながら情報量が少ない。
次に早馬。魔馬もしくは雪足鳥で長距離を駆け抜ける。情報量はそれなり、ただし鳥よりも届くまでに日数がかかる。
遠方の最新情報がいつでもリアルタイムで入手できる環境、そんなものはこの世界にないから、思惑のある方々が動きを見せるにも、それなりに日数を要してしまう。
長期戦の覚悟がいるとARK氏が言っていたのは、そういう情報伝達速度を踏まえてのことでもあったようだ。
「うーん。わからないものはわからないんだし、仕方ない。この子達も、今日明日でいきなりどうにかなるわけじゃないんだよね?」
《はい。進行速度からみて、少なくとも一年以内にどうにかなる恐れは低いでしょう》
「一年経ったらどうなる!? そーゆー情報を小出しにすんなよ!?」
《不明です。未知の呪詛ですので》
「……おまえさんよ。わざと心臓に悪い言い方しとらんかね?」
まあ現状どうすることもできないし、仕方なく様子見の日々を送ることになったわけだが。
もっと本格的に恐ろしい報告は、そのあとから来たのである。
《ところでマスター。そろそろ米が尽きます》




