42 まさかそんなと反省会
かなり……かなーり前話から間があいてしまいました。
単純に忙しくなって書ける時間が減ってしまったのですが、忙しい時ほど書きたくなります……。
気長に待ってくださる方はありがとうございます。
今回前半は騎士、後半は瀬名のターンです。
「目につくものは回収できました。水量が昨日より増えておりますので、これ以上は危険かと……」
騎士の報告にセーヴェルは頷きを返し、ライナスに言った。
「山が霞んでおりますし、夕刻前に天候が崩れそうです。一旦、町へお戻りになったほうがよろしいでしょう」
「そうだな。そうしよう。……もし雨のほうが早ければ、これらは闇の中、泥の中だったろうな」
王家の使者がイシドールの町を出たきり、ドーミアの町に到着しなかった。
イシドールとドーミア、それぞれの騎士団から捜索隊を出し、およそひと月が過ぎている。これほど発見が遅れたのは、緑が勢いよく丈を伸ばす時期に重なっていたためだ。
街道を逸れた窪地、こんもりと覆いかぶさる雑草の下、唐突に伸びている不自然な轍を見つけたのが十日ほど前のこと。その先に戦闘の痕跡を発見しつつ、ようやくこの谷に辿り着いたのが数日前。
安全に下りられる地点を探し、浅瀬に散らばる馬車や積荷の残骸をあらかた集め終え、地面に並べたそれらへ目を落とし、ライナスは嘆息した。
「賊で確定か」
「そのようですね。道の周辺の轍は消されておりましたし」
「例年ならば、今頃まとまった雨が何度か降り、雪どけ水とも合流して、このあたりの谷は一気に水かさを増している。けれど今年はからりと乾いて、夜の冷え込みがしつこく続いていた。そうでなければ、すべて洗い流されてしまっていただろう」
「ひと月ですんだ、そう思うべきでしょう。王都の方々にはご納得いただけそうにありませんが」
「父上いわく、あちらの口癖は『この責任をどう取るつもりなのかね?』だそうだ」
「さすが閣下です。断じて我らに責任はないと主張してくださるとは、頼もしい限りです」
セーヴェルの皮肉に、ライナスは笑った。
「領内で起きた出来事の責任は、領主に帰結する。ただし〝原則として〟だ。この方々が自ら招き寄せた災いまで、こちらのせいにされてはたまらない」
「まったくです。迷子になるならば、余所でやっていただきたいものです」
街道は人の世界。そこを外れれば、奥はもう獣と悪鬼の世界だ。
だから絶対に道を見失ってはいけない。そうならぬよう、遠目にも目立つ石柱を建て、石畳の修繕も定期的に行われている。
賊に行く手を塞がれたとしても、この連中の行動には違和感がぬぐえなかった。探られれば痛い腹を持っていて、さして抵抗なく迷い込んだような印象を受ける。
そもそも使者の一行は、デマルシェリエ領に入った直後、出迎えの辺境騎士団の護衛を断っていた。田舎騎士ごとき不要と嗤い、それでもと食い下がれば怒りだした。とうとう王家の名を持ち出してきたので、引き下がらざるを得なかった、そんな経緯がある。
「こうなるとあの態度、接近されたら困る何かを隠していたとしか思えなくなってきたな。それに、我々は密かに後ろから護衛する予定だったのに、時を同じくして発生したイシドールの町の襲撃騒ぎ。かき回すだけかき回し、犯人は全員、煙のように消えてしまった……無関係ではないだろうなあ」
「賊の正体に心当たりがあり、かつ、自分達のみで切り抜けられると判断したのでしょうか。王都の方々は魔物や遭難の危険を甘く捉えがちですし。憶測の域を出ませんが」
ライナスは頷いた。賊にとっては都合がよかったろう。
つい破片を手に取り、断面をしげしげと見つめる。
これは何だろう。無数の亀裂が入っているが、これは穴だ。塗料の色で外側と内側の区別はすぐにつく。
いくつもの穴を連続で穿ち、扉を破った?
「どんな攻撃を受けたんだろう」
「矢ではありませんね。槍にしては小さい。金属製の杭のようなものが、高速で貫通したように見えます。王宮の護衛騎士が、これと同一の攻撃を受けたかは断言できません」
「ああ、そうだろうね……」
王宮騎士の装備もいくらか回収されていた。魔物の牙や爪が抜け、ひしゃげた鎧の一部に突き刺さっている。
襲撃の前後、いつ群がったかは定かではない。
「こんな真似が可能な魔術を知っているかい?」
「いいえ。穴が綺麗に並んでいますが、このような魔術は聞いたこともありません。【針】や【飛礫】を複数放った場合、大きさはまちまちになるはずですが、これは同じ大きさです。小さく、均一に、高威力で……となれば、おそろしく綿密な魔力操作が必要。短時間で連発できるものではないはずです」
「…………」
「…………」
なんとなく顔を見合わせて沈黙していると、セーヴェルの副官ローランが声をかけてきた。気になるものを見つけたらしい。
ローランの濃紫の髪は魔族の血の証だった。他種族には変わった色の髪や瞳が多くあれど、紫の髪は魔族にしかない。
彼の両親ともに人族であり、どこかで混ざった血の特徴が色濃く出た先祖返りだった。当然のように忌み嫌われ、引退した元辺境騎士の養子になり、現在に至る。
本人は真面目で常識的、情を大切にする性格なので、冷淡な印象の強い己の容姿を好いていなかった。見た目と裏腹な中身が、変わり者の流れ着きやすい辺境の風土に合い、この地で彼を忌避する者は犯罪者ぐらいしかいない。
ただし〝魔族の血〟に関しては本物だった。血の特徴も見た目だけではない。
体力と腕力は並み以上。魔力はそこそこだが、見えないものを見つけ、気付かないものに気付く。
「この先の岩場、おそらく馬車の進行方向と思しき地点に、これが……」
ローランは腰を低く落とし、包んでいた手巾をひらいて、両手で捧げるように見せた。
(これは……)
ひしゃげた灰色の棒だった。
随分と土埃を浴びて、輝きはない。布でこすれた部分のみ土が除かれ、下から銀色の輝きが現われていた。
ほっそりした優美な線の、ひしゃげる前の姿が容易に思い浮かべられた。同じものを前にも見たことがある。ライナスの手には細いが、女性のセーヴェルの手なら合いそうだ。
短刀と違い、先端は丸い。
刃の部分には、細かいノコギリ状に刻まれた溝。
〝彼〟はこれで丁寧に肉を切り分けていた――
すばやく布を包み直し、懐に仕舞った。そして様子を窺うほかの騎士達にも聞こえるように命じる。
「他言無用だ。父上のご命令があるまで、一切口外してはならない」
「はっ」
◆ ◆ ◆
五月。
年間降水量が冬に偏っている国であろうと、冬以外はまったく降らないというわけではない。
昼過ぎから空模様があやしくなり、夕刻に入ってから天の滝が盛大に地を打ち鳴らし始めた。
タマゴ鳥撮影の映像はまだ続いているが、とりあえず反省会を開始する。
「凡人の心得、五ヶ条。『凡人はヒャッハーするべからず』『どうせバレないバレないと高をくくるべからず』『ラッキーに期待するべからず』『猿でもできると反省を怠るべからず』『万事己に跳ね返ると心せよ』――以上、反省終わり」
どうして今年に限って雨が遅いんだ、などと天を恨むのは筋違いである。
「それよりこの人だよ、ローランさん。この人、岩の隙間に落っこちてたナイフ、手ぇ突っ込んで拾ってたよね? 何なのこの人。一直線に向かうんだもん、びびったよ!」
ぴくりと何かに反応したかと思えば、すたすた歩いて行き、おもむろに岩の亀裂に手を入れた。
まさかと思ったが、本当にそのまさかだったとは。彼が慎重にそれを拾い上げた場面で、「げっ!?」と叫びそうになってしまった。
《セルジュ=ディ=ローラン。ドーミア騎士団団長ノエ=ディ=セーヴェルの右腕。魔族の先祖返りであり、紫の髪はその特徴。隠してはおらず、この地では有名人のようです》
「――ほ……ほほう? 魔族とな……? 魔族って、あの魔族?」
《その魔族です。生まれは王都近くの侯爵領。純粋な人族である両親から忌み嫌われ、ネグレクトの末に絶縁。引退した辺境騎士の老人に引き取られ、養父の影響で真っすぐに育ち、性格は温厚。セーヴェル団長に憧れを抱く騎士達の嫉妬を一身に集め、一方的に迫ってきた女性からは『こんな人とは思わなかった』と勝手に幻滅される不幸体質だそうです》
「待って、前半と後半のどっちへ重点的に突っ込めばいいのかわからない」
とりあえず、抜きんでて有能なのは確実、と補足せねばならないだろう。
「思うんだけど、ここってやたら出来る人が溢れてない? 世の中はフツーの人のほうが多いはずなのに、知り合った人のほとんどが努力家だったり何かの才能とか特殊技能持ちって、確率おかしくないか?」
《それなのですが、興味深い事実が判明しました。――ここはもともと流刑地だったようです》
「る、流刑地ィ?」
流刑というと、あの流刑?
《国の中心からは遠く、魔の山があり、迷いの森もある。当時は道も整備されておらず、暮らしにくく危険な土地は追放にうってつけだったのでしょう》
なんでも数百年前、初めて王女が降嫁するにあたり、嫁ぎ先が〝罪人の子孫〟では外聞が悪かろうと、表向きの歴史書を改変やら捏造やらしていたそうな。そんな理由でころころ歴史を書き変えないで欲しい。
《中央ではデマルシェリエの忠誠を額面どおりに受け止める者と、そうでない者とに分かれています。裏歴史を知らぬまま、ただ辺境を野蛮人の巣窟と揶揄する者もいれば、知っているからこそ嫌悪する者もいるようです》
「へえー……」
基本的に、流罪は〝処刑すると障りのある貴人〟のためにある。
それまで優雅に暮らしていた貴族や王族が、身分剥奪・財産没収の上で僻地へ流されるのだ。単なる賜死よりきついだろうと同情する者もいれば、身分に相応しい配慮をされたと本気で信じる者もいた。
とはいえ、本当に単身で僻地へ向かわされる者は稀だという。罪人の家族、護衛や使用人、心奉者、逃亡を防ぐための監視兵がその人柄に心打たれて――等々、結果的にそれなりの人数が辺境の地に足を踏み入れた。
私としては、流罪で一番苦労させられたのは、適用された当人ではなく巻き込まれた使用人ではないかと思う……。己の悲劇に日々涙する主人を慰めつつ、「こいつの頭カチ割ってやりてぇ」と内心呪詛を吐いていた者もいるに違いない。だって彼らは、ご主人様の身の回りのお世話プラス、炊事・掃除・洗濯・護衛・畑仕事に日々励んでいたのだろうから。
それはさておき、送られたのはそこそこの人数で、かつて文化の最先端の中で暮らしていた人々が多くいた。
その中に、デマルシェリエという名の男がいた。彼は辺境の人々をあっという間にまとめ上げ、やがて指導者となった。
その子孫が国王より伯爵位と〝辺境伯〟の称号を賜り、国の守りの要になったという。
素晴らしい大逆転。……耳ざわりが良すぎてあやしいと感じるのは、私の心が穢れているからか。
《当時、東の地との関係がどんどん険悪になり、防衛面を強化したい王家の思惑で恩赦を与え、一度剥奪していた爵位を戻そうという話になったようです。デマルシェリエ側も、あくまでも正式に国の一部となるメリットを採っただけのようですね》
やはり裏があった。
《力を合わせて生き延び、村や町をつくり、やがて独自に発展する。危険な地でそれを成し遂げているうちに、実力主義が自然に根付いたわけです》
「加えて、ドロドロとした権力争いなんかも知ってるわけか……」
《熟知しているでしょう。一般的な高位貴族や王族が腹の底で何を望み、何を恐れ、何を巡らせているか、代々の辺境伯は明らかに理解しています。だからこそ交渉を可能としているのです。辺境伯カルロ=ヴァン=デマルシェリエは、この地に住まう人々にとって理想の騎士ですが、カルロ氏自身は王家に膝を折りつつ、露ほどの忠誠心もないでしょう》
「ないって、そこまで言い切れる根拠は?」
《いつでも離反できる準備をしているからです。罪人とされた先祖は冤罪だったようですし、恩赦の話が出たのは当人が亡くなった後の世代ですから、感謝の念など湧きようがないのでしょうね》
「なるほど」
むしろ恩着せがましさにうんざりしていそうだ。
しかし、大昔ならともかく、いま現実に離反したら、イルハーナム神聖帝国と光王国に挟まれて孤立してしまうのでは?
《完全な孤立や挟み撃ちにはなりません。光王国の民の間で辺境伯の人気は高いのです。商人ギルドや討伐者ギルドの方々が、日頃から辺境伯の素晴らしさを広めておりますから、いざ事が起これば民の同情は辺境伯に偏ります》
「プロパガンダか……!!」
《そして息子のライナス氏はもちろん、辺境騎士団やこの地に住んでいる小貴族は〝辺境伯の臣下〟です。彼らの忠誠は辺境伯のもとにあり、初めから王家にはありません》
カルロ氏、恐ろしい人である。
商人ギルドも討伐者ギルドも、早い話がイルハーナム神聖帝国を除いた世界各国にまたがる組織だ。それを味方につけているわけで。
双方のギルドを守銭奴の楽園、ゴロツキの巣窟と揶揄する高貴な方々がよくいらっしゃるそうだが、どうオブラートに包んでも現実をご覧になっていないとしか。
「……私、もし殿方と真剣にお付き合いをするなら、ダンディなロマンスグレーじゃなくていい。平凡な容姿のフツーのおじ様がいい。性格がまともで優しくて綺麗好きな人だったなら、門番でも御者でも素朴な庭師のおっちゃんでもいい」
《おじ様限定ですか》
「若すぎる子はちょっと……」
気品のある美形で有能なおじ様は、一定の距離をあけ、斜め二十度以上の角度から鑑賞したい。真正面から視線を合わせるなんて怖い。顔面力に内面力が合わされば、その眼ヂカラはきっととてつもない破壊力を秘めている。
心優しく植物が好きで真面目に働いて、「おら~だべよ」みたいな口調の、垢抜けないけれど照れ笑いをしたらなんだか可愛い庭師のおっちゃん、きちんと付き合うならそういうタイプが理想だ。見つけたら、いっそこちらから結婚を申し込むかもしれない。
《…………そんな方に出逢えたらいいですね…………》
「絶望的な余韻を残すのはやめなさい」
少しぐらい夢を見たっていいではないか。
ARK氏に醜くかみついていたら、ライナス率いる辺境騎士団がドーミアの町の専用口をくぐるあたりで、録画映像がいきなり中断された。
「ん?」
《マスター》
あちらに、とARK氏が言った直後、【せな】と小さな声で呼ばれた。
【……せな? しごと?】
【ねないの?】
【よなかだよ……?】
開けっ放しにしていたダイニングルームの出入口に、ちま、ちま、ちま、と顔を覗かせる三つのかたまりが。
【寝るさ寝るとも。すぐに行くから待っていなさい】
無意識に言葉がすらすら出ていた。何も考えていなかったのに動く自分の口に若干恐怖を覚える。
――最近、三匹の仔猫、ならぬ子エルフを拾いました。




