40 さあ、森へ帰ろう
襲撃からおよそ三十分の経過を小鳥が告げた。まだその程度しか経っていないのか――それとも、そんなに経ったと焦るべきか。
ここを縄張りにしている魔物は夜行性で、なおかつ討伐難易度も低めだった。魔素濃度の高い西方にある魔の山、マラキア山の周辺であれば、こんなにのんびりはしていられなかったろう。
決してのんびりしていたつもりはないけれど、トンズラするなら早いほうがいい。
その前にやるべきことがあった。
魔道具は一般的に、一つの道具につき一つの効果しか持たせられない。多くて三効果ぐらい付与したものもあるが、複数効果の付与はよほど巧くやらなければ失敗し、成功してもかなり高価くつく。
裏技として何らかの〝対価〟を設定することで、複数効果を付与しやすくなるが、その代わり簡単には扱えない、呪いの装備的な何かになりやすい。
隷属系魔道具の嫌らしいところは、〝破れば装着者にペナルティを与える〟という対価を設定すれば、〝禁止する〟という効果をひっくるめて一つと設定できるところだ。影響を与える範囲が装着者のみに限定され、たとえば〝飛んでくる矢を弾く結界〟といった、装着者以外にも影響を与える魔道具より、遥かに作りやすいらしい。
自害、不服従、敵対行動、逃亡、魔術発動、隷属具破壊の禁止。この首輪ひとつで、これだけの禁止事項。それを破ったり、定められた手順を無視して強引に取り外そうとした場合、何らかの耐え難い苦痛に襲われる。
幸い、第三者が勝手にこれを破壊する分には問題のないタイプであったが、犯罪者でもない幼児にこんなものをはめて、平気で売り買いできる連中の神経を疑う。
「瞼に手を当てて、絶対に動かないよう、身体を押さえておいてください。」
作業中に目覚めてパニックになり、暴れられたらことだ。
首輪は黒みがかった銀色。通常の鋼よりも頑丈な、魔鉄鋼と呼ばれる金属らしい。指をさし入れれば、成人男性の指二本程度の隙間ができる。
しっかり抱っこしてもらい、首輪を浮かせてもらったのを確認すると、魔導刀を引き抜いた。ぼんやり陽炎が生じた刃を前にして、灰狼達が息を呑み、身体をかたくするも、私の邪魔はしない。
肉眼では捉えられない微細な振動で、触れるだけで何度も斬りつけているのと同じ効果がある。慎重に慎重を重ね、ゆっくり刃先を触れさせれば、刃は軽い手応えとともにすんなりと沈み込んだ。それを人数分繰り返し、終わった頃には額にうっすら汗が滲んでいた。
最後は精霊族のお子様である。灰狼はこの三人に近付けないし、この子達も彼らに抱っこされるのは拒否しそうな雰囲気であった。どうしようか思案しかけたら、三人は自ら首を差し出してきた。
お子様なのに、肝の据わり方が尋常ではない。それに、自ら破壊を試みたり、首輪を外して欲しいと声に出して頼まなければ、これの禁止事項には抵触しないと理解できている。
やはりほかの種族の子供とは違うみたいだと感じつつ、それでも、かすり傷ひとつつけずに首輪だけを落とすのは、何度やっても緊張の一瞬だった。むしろ中途半端に慣れないほうが、油断に起因する失敗のリスクを減らせてよかったかもしれない。
知らず溜め込んでいた息を吐き出し、魔導刀の陽炎が消えた。魔力の循環による振動と、金属同士の接触によって生じていた熱は、運動を停止させる魔素の働きで速やかに冷却され、もとどおりに鞘へ仕舞い込んだ。
灰狼達からも溜め息が漏れ聞こえる。
「なあ、ちょいと訊きたいんだが」
リーダー格の男が声をかけてきた。馬車の進むはずだった方向を見て、嫌そうに顔をしかめている。
「あれは何だ? 魔物じゃねえよな」
「違いますよ。ひょっとして、目や鼻に刺激を感じたりしますか?」
「いや、それはねえ。ただ、やべえ感じがびんびんしてやがる。ガキどもは気付く余裕なんぞなかったろうが、今も全身の毛がザワザワしていけねえ。毒でも撒きやがったのか?」
「まあ、毒といえば毒でしょうか。量を調節すれば薬にもなりますがね。環境を破壊する性質もありませんし、半月もしないうちに無毒化します」
「ならいいんだがよ……」
街道や町からは随分離れているし、畑もないから、一般人には影響がない。それに半月は半獣族を基準にした見積もりなので、人族であれば数日も要らないだろう。雨や風でもあれば、もっと短くなる。
そんな話をしていると、ごぎん、と嫌な音がした。
音のほうを見やれば、首が奇妙に曲がった使者の男が、ぼとりと地面に落ちるところだった。
「――せっかくの証人なのに」
「こいつは証人にならねえ」
手にかけた男が淡々と答えた。憎悪からくる衝動的犯行ではなく、単なる事実を口にしている風だった。
「生かしといても俺らを悪党に仕立て上げるか、そうでなきゃ証言する前に消されるのがオチだ」
「その男が何者か、ご存知なんですか?」
「いいや?」
「こういう悪さに手を染める奴らの常套手段だ。切っても惜しくない奴に実行させる」
内心でつい「そうだよね」と同意してしまった。
辺境伯はこういう悪事を好みそうにないが、さりとて味方になってくれるとも限らない。王家の紋章が本物だった以上、地方領主よりずっと上の人間がしゃしゃり出てきて、辺境伯には庇いようのない状況へ追い込まれるのは必至だった。
そもそも灰狼は、どの国にも属さない流浪の少数部族だ。疑いをかけられれば、どこからも守ってもらえないし、彼ら自身守られたいとすら思っていないのだろう。
「あんたも、こいつにベラベラ喋られたら困るんじゃねえか?」
「……そうですね」
むしろ私のほうが衝動的犯行だった。
〈フレイム〉の銃でドカカカカと撃ってしまったのだ。灰狼達はその瞬間を目撃していないはずだが、破壊された馬車の有様に思うところがあったようだ。
自分でも、ちょっと軽率だったなあと思わなくもない。真に危険なブツの封印は解かなかったけれど、己の行動を振り返れば、ややバトルモードハイになっていた気がする。使者の男も、本当は生け捕りを念頭においていたのではなく、結果として生け捕りにできそうだっただけだ。
馬車には弾痕や、魔導刀でざくざく斬った痕跡が大量に残っている。人の行動をとやかく言っている場合ではなかった。
今後は証拠隠滅に頭を悩ませる以前に、そもそも証拠自体が発生しない方法を心がけよう。――いや、こんなこと、二度も三度もあってたまるか。
すると灰狼達がわらわらと馬車に集まり、全員でそれを押して、使者の亡骸ごと近くの谷底へ放り込んでしまった。
水のない乾いた谷底で、盛大な破砕音が木霊している。
「騎士どもはどうする?」
「あのまんまでいい。陽が暮れりゃあ、このへんの魔物が平らげてくれるだろうさ」
しかし、魔の山近辺ならともかく、大人数の騎士がこの辺りの魔物にそうそう苦戦を強いられるとは考えにくい。のちにエセ騎士の骨や防具が発見され、魔獣の牙や爪ではない傷がみとめられれば、イシドールで暴れた灰狼との関連性が浮かび上がりはしないか。
≪――暴れる時に耳と尾を隠して、灰色狼ってバレないようにしてた?≫
≪そのようですね。イシドールでは〝正体不明の賊〟として、愉快犯と怨恨の両面から捜査が始まっているようです≫
なるほど、正体がわからなければ、どちらの線もまるで見当違いなどとわかるわけもないか。
「もし切れ者が俺らの存在を嗅ぎつけるにしても、猶予がある。それまでにとっととズラかるぞ」
「首輪の残骸はどうする? こいつも谷へ放り込むか?」
「ああ、私が預かりますよ。どこのどいつがこんなものを作ったのか、少々調べてみたいので」
「そうか」
すぐ納得してくれた灰狼には悪いが、本音は別にあった。
なんとなく、うちの小鳥さんがこれをつつきたがっている気がしたのだ。
ウォルドの聖鎧について根掘り葉掘り訊けなかったので、そろそろ玩具を与えてご機嫌をとっておかないと、私が身の危険を感じるのである。
すっかり軽くなった鞄の中にぽいぽい放り込んだら、どことなく小鳥さんから満足げな空気が漂ってきた。気のせいかもしれないが、気のせいでなかった時がことなので、何ごとも最悪に備えておくべきなのである。
彼らは疲労と満腹ですやすや眠っている子供達を大切そうに背負い、リーダー格の男が言った。
「俺は副族長のラザックだ。あんたの名を訊いていいか?」
「セナ=トーヤです」
「セナ=トーヤ――魔術士かと思ったが、〝魔法使い〟だったか」
ラザックと名乗った男を含め、ほかの灰狼達も耳をひくりとさせていた。いつもながら、〝魔法使い〟という職業に対して明らかに反応が変わる。
貴族以上の身分からは嘲笑の対象なのに、そうでない相手からはどこか特別感のあるイメージで認識されるようだ。
私としては、魔術士も魔法使いも似たり寄ったりな感覚なのだが。とりあえず、否定せずに肩をすくめた。
「……ところで、そいつらはどうする? 正直、俺らの手にゃ余るんだが」
彼らは気まずそうに精霊族のちびっこを見た。
私もちびっこ達を見おろした。へにょ、と耳が下がり、不安そうにしている。
撫でくりまわしたい。でも我慢だ。
「この子達がどこで攫われたのかわかりますか?」
「いや、知らねえ」
尋ねるまでもなかった。彼らは最初、この子達の姿を見つけて驚いていたのだから。
ならば直接、本人に確認するしかあるまい。
【おまえ達、名前は?】
【んと…………しぇるろー?】
【…………えせる?】
【ん~…………のくと……?】
三人ともこてんと首をかしげた。可愛い。
可愛いが何故疑問形なのだ。
【どこで攫われた? イシドールの町か?】
【んと…………ちがう】
【町じゃ、ないよ】
【どこか、とおいところ……なんにもないところ、だった】
【身内の者はどうした?】
【みうち? みうち……】
【…………みうち……?】
【年齢は?】
【……よん………さんさい?】
【………ぼくも。……たぶん?】
【んと………ぼくも?】
困惑顔が可愛い。そして何故疑問系なのだ。
相手に自分の歳を尋ねてどうする。訊いているのはこちらなのだぞ。
【おまえ達の関係は? 親戚? 友? 知り合い?】
【…………きょうだい?】
【うん。ぼくおとうと………かな?】
【…………ぼくも?】
――これはどういうことだ?
三人とも兄弟で全員同い年? 人族なら男の下半身次第でそういう展開も有り得るだろうが、長寿命で出生率の低い精霊族にそんな泥沼が発生し得るのか?
いや、養子ならあるかもしれない。しかし、答えがすべて疑問系――もしや、記憶が混乱しているとか?
≪マスター。どうやらこの子らには悪質な術、いわゆる〝呪い〟がかけられているようです≫
≪呪い?≫
≪隷属の魔道具のせいで魔力を行使できなかったのではなく、強力な呪いに魔力を封じられたため、みすみす首輪をはめられてしまったのではと。おそらく記憶も大部分が封じられているでしょう≫
≪マジか。――解呪の方法ってわかる?≫
≪不明です。悪意ある術への抵抗力が高い精霊族に効力を発揮する種類については、現時点で情報が一切ありません。他種族と同じ方法で効果があるかも不明ですし、中途半端な解呪を試みれば悪化する恐れがあります。彼らの同胞の迎えが来るまでは、〈スフィア〉にて呪いの状態を分析可能か確かめ、それが無理だった場合でも経過の観察を推奨いたします≫
≪マジかよ……≫
次から次へと。
そう思ってしまったのは仕方ないだろう。
「ラザックさん。一応訊きますが、精霊族に知り合いは?」
「いねえ」
灰狼の全員が首を横に振っていた。そうだろうとも。
「この子達は私が引き取ります」
「悪いな。つうか、あんた今、何語を喋ってたんだ?」
「古代語ですよ。この子達はまだ小さいので、この辺りで通じる言葉を学んでいないみたいです」
「聖霊語か――すげえな、あんた。喋れる奴に初めて会ったぜ」
魔術言語には古代語由来の言葉が多いけれど、半獣族の魔術士は滅多にいない。だから珍しいのだろう。
「助かったぜ。この恩は忘れねえ」
「いえいえ、お気になさらず」
そして、灰狼達は颯爽と去って行った。
◇
とうとう、モフれなかったな……。
ふさふさの尾を惜しみつつ、あっという間に遠ざかる彼らの背を眺めた。
さて、私もさっさと帰るか。
本音を言えば、今も胸中で頭を抱えている。ペットではあるまいし、可愛いだけで幼児三人の保護者になどなれるものか。
が、引き取ると言った以上、私が面倒を見てやらねばならないし、責任放棄をするつもりもない。
【これから私の住まいに戻る。今後、その住まいの中で見聞きしたものを誰にも話してはいけない。約束できるか?】
【わかった。やくそくする】
【やくそくする!】
【する~!】
真剣な表情でこくこく頷いた。
この子達は三歳児。精霊族の幼児が約束ごとをしっかり守る分別を持っているのか、実際わからないけれど、あの〈スフィア〉を正確に説明する語彙など、大人でも持ち合わせがないだろう。
万一ぽろっと喋ることがあったとしても、相手は同胞の大人だ。欲に満ちた権力者が配下に命じて襲わせるとか、少なくともその手の心配はしなくていい。
「ヴルルル……」
「ん?」
黒馬がいなないた。
馬車をひいていた立派な魔馬が、ずっとそこにいたのだった。
くくりつけてはいないし、どこへでも行っていいのだが、なかまになりたそうにこちらをみている……。
《マスター。この魔馬の耳、個体識別登録のピアスと見せかけ、取り外し可能なイヤーカフが装着されております》
「なにぃ?」
誰かに所有されている魔馬は個体識別登録をされ、耳にその証明のピアスを装着される。そのピアスが魔道具になっており、通常の魔物とは区別され、〈祭壇〉の守護結界の内部も自由に行き来できるようになるのだ。
《魔馬を捕獲されても足がつきにくいよう、犯罪者が時おり使う手ですね》
「ほほほう、それはそれはそれは」
鞄の中から岩塩を取り出してみた。黒馬の瞳がきらきら輝き、鼻息が荒くなった。
適量を砕いてやれば、ぺろぺろぺろ、と美味しそうになめた。
《……魔獣は強い個体に従いますし、これは特定の所有者がおりません。加えて、首輪で隷属を強いられていたようですから……》
例のごとく魔導刀で、調教用の首輪を落としてやったが、魔馬がどこかへ去る様子はなかった。
くろうまがなかまになった。
それでいい。そういうことにしておく。
すると、いきなり魔馬が足をたたんでしゃがみこんだ。座り方がスムーズで、動作がいちいち驚くほど静かだ。
乗れ、と言ってくれているようである。
内心で「ふおおおおおう!」と感動の遠吠えを発しつつ、まず先に鞄を背負い、次に子供達を抱っこした。小さくて軽いので、三人まとめて抱えても余裕だった。
ぴこぴこ揺れる耳に触りたい。いや、我慢だ。私は何かの神に試練でも与えられているのだろうか。
「うっ……わ! 高い……」
魔馬がザッと立ち上がり、いきなり変わった視界の高さに胸が高鳴る。
重量のある乗り物を引っ張って全力疾走できるパワーがあるのだ、私一人に子供三人など、重さがないに等しいぐらいだろう。
手綱はない。向かう方向を言葉や手ぶりで示せば、魔馬はすんなり従ってくれた。小走りでも滅茶苦茶に速く、しかも足音は静かだった。
自分でもびっくりしたのだが、初めての乗馬だったにもかかわらず、まったく違和感なく乗りこなせている。仮想現実体感型RPGで、捕獲した魔獣を何度も乗り回した経験が活きているらしく、バランスのとり方もすぐに呑み込めて、流れる景色の速さにもすぐ馴染んだ。
思いがけないところで、思いがけない経験が活きるものだった。
そう時間もかからずに、黎明の森の入り口手前まで着いてしまった。残念だが、そこから先へは連れていけない。右へ行こうとして左へ進んでしまうレベルの〝迷いの森〟なので、魔馬でなくともここに棲むのは到底無理なのである。
後々面倒だから人は襲わないようにね、と言い聞かせ、断腸の思いで別れを告げた。
森に入ってからは徒歩である。いくら森の民といっても、やっぱり三歳児は背負うか抱っこで行くしかないんだろうな……と思いきや、いい方向に予想が裏切られた。
「おいおい君達、どこにそんな体力とバネがあったんだい?」
森の民の名は伊達ではなかった。生き生きとした表情で、倒木や大岩をひょいひょい軽く乗り越えてゆくちびっこ達は、平地を歩くよりハイペースで森の中を進んでいった。
もちろん体格差があるので、私よりはずっと遅いし、何度か手を貸してやる必要もあったけれど、一般人の大人より速いぐらいである。
そして〝迷いの森〟に迷わされる心配はないという前評判も正しく、これまた想定以上の短時間で、あっさり〈スフィア〉に帰り着けたのだった。




