39 危険な積荷
誤字脱字報告師様、いつも助かります。
前話からかなり日があいてしまいました。気長に待ってくださる方には感謝です。
――ぬいぐるみ?
子供をあやすのに、人形も積んでいたのかと。
そんな気を回せる輩が、こんな劣悪な箱の中に、平気で幼児を押し込んでいられるわけがなかった。
人形と見紛うぐらい、小さな子供だった。
それが三人、奥の隅っこで身を寄せ合っている。
とにかく小さい。赤ん坊より小柄で、半獣族の子が大きくとも十歳未満、小さくとも五~六歳だったのと比較すれば、この子達は異様に小柄だった。
けれど明確な意志の力を湛えた瞳が、彼らが赤ん坊ではないと教えてくる。この三人の瞳には、絶望もあきらめの色も浮かんでいない。痩せこけた身体に合わない、ぼろ布切れの貫頭衣を着せられ、細い首に大人の腕輪サイズの首輪をはめられて、それでもなお、しっかりとこちらを見返している。
灰狼の子ではなかった。尾がないし、色も違う。
左から順に、くせのない銀髪と紫水晶の目、ゆるく波打つ淡い金髪に翡翠の目、くせの強い白金の髪と青玉の目の子――金髪の子に、他の二人が両脇からくっついている形だ。
耳は頭の上ではなく顔の横にあり、つるりとして――
「…………」
――つるりとして、細長く尖っている。
≪ARKさんや?≫
≪はい。精霊族の特徴と一致しております≫
≪…………≫
まじですか。
え、ほんとに?
背中に「ズゴゴゴゴ」の効果音が欲しい今日この頃。
薄汚れて生気に乏しく、がりがりに痩せ細っているけれど、もとの顔立ちはかなり整っているだろう。
いとけない小動物のごとき半獣族のちびっこに加え、いつか遠目に眺めてみたかった精霊族――この世界版エルフのちびっこまでかどわかし、よりによってこんな目に遭わせていたとは。
……関係者の皆様方は、よほどこの世から駆逐されたいらしい。腰の重さに定評のある私でさえ、熱烈に期待に応えてあげたくなるではないか。
しかし、肝の据わっている灰狼が手を出しあぐねている理由がこれで判明した。
精霊族は聖霊の眷属とされ、畏怖の対象になっている。魔術士の詠唱に「聖霊よ、我が声に応えよ」とあるように、聖霊はこの世にあまねく偉大な力の源であり、信仰の対象と呼んで差しつかえがなかった。神々を祀る神殿関係者の一部が、魔術士を敵視する要因のひとつなのだが、それはさておき。
自分達は文字通り、神をも畏れぬ所業を目の当たりにしているわけだ。
見上げるほど立派な体躯の連中が、標準的な赤子より小さな生き物に本気で近付けないでいる。
≪これは教育によって染みついた後天的な怯えではなく、本能に根ざした恐怖のようですね。かなり強制力があるようです≫
≪なんと≫
つまり私には無関係だな。
角にぐっと足をかけて箱の中に上がりこむと、子供達の間に緊張が走った。
大丈夫大丈夫、おいちゃんはこわくないよ~。
≪マスター、怯えられております≫
≪うっさい、指摘すんな!!≫
失礼な奴である。さすがにこんな状況下で萌えを優先する鬼畜ではない。
こんな商売をしているクズどもへ、心の底から吹き荒れる「ファックユー」と「キルユー」が抑えられないだけだ。
が、ふと思い出す。他種族の知識を叩き込まれたのは随分前になってしまったが、この世界版エルフはみな、微弱な精神感応力を持っているのではなかったか。
テレパシーほど強力ではないが、相手の感情を正確に感じ取る能力が備わっている。個人差による曖昧な共感力ではなく、れっきとした種族の固有能力だ。
新事実が判明するたびにARK氏から情報更新があるけれど、精霊族に関しては今に至ってもない。
すなわち現在、私がどれほど表向き平静を装っていようと、荒れ狂う胸の内がこの子達には筒抜けになっているわけである。
≪ただし、誰に対してのブッ殺波動か区別はつかないのか≫
≪もしくは消耗が激し過ぎて、一時的にわからなくなっているだけという可能性もあります≫
なるほど、有り得るな。というか、そういう感情自体が怯えさせているに違いないのだから、「別にキミ達に怒っているわけじゃないよ~」は通用しないだろう。小さな子や気の弱い人は、矛先が自分ではないと知っていても、怒鳴る人の姿自体を怖いと感じるものなのだから。
これはいかん。もっと落ち着いた大人にならなければ。
雄大な大自然を眺めつつ深呼吸のイメージを浮かべてみたら、子供達がきょとんと目をしばたたかせた。可愛い。
「おいで」
《マスター。この幼さでは、おそらくエスタ語は通じません》
「ああ、まだ学んでないのか」
確か、彼らの使う言語は。
【来なさい。食事をしよう】
三人が目を瞠った。――通じたようだ。
手を伸ばせば、彼らは戸惑いつつも、抱きあげる手を拒まなかった。
◇
思わぬ時間を食ってしまったが、さっさと食事の準備を再開する。
チンピラくずれのセミプロ集団はありがちな場所しか見回らないし、プロの皆様はイシドールに招集されてしばらくは戻らない。それでなくとも、この辺りはもとから監視の目の行き届かないデッドスポットが多くあった。灰狼が馬車をここへ追い込んだのも、それが理由だった。
手っ取り早く体力を回復させるため、まずはミルクに体力回復薬を加えて与えることにする。魔水牛は小分けのビン詰めで売られているのではなく、客が持っている容器に購入分をそそいで売るのが一般的なので、私の瓶はすべて〈スフィア〉で用意したものだ。見た目は普通の瓶だが、内側はしっかりガラス質になっていて、蓋の部分にはこぼれないよう、ゴム状の素材を噛ませている。ゲコゲコ鳴く魔物の素材に酷似しているそうなので、店主にも「うまい工夫だなあ」と感心されただけで、変だとは思われなかった。
回復薬はとけやすい粉剤にした。薬の小瓶をミルク瓶の上でさかさまにし、かぽりと投入。再び蓋をした状態で二回ほどくるりと回転させ、軽く薬が混ざるようにする。
子供に大人用の薬は効き目が強いので、これでいい具合に薄まったはずだ。
薬剤の入っていた小瓶は、そのままコップ代わりにした。
「粉薬が固まっているかもしれないから、飲ませる前にこれで簡単に混ぜて」
「わかった」
マドラーを渡せば、灰狼は珍しそうにしつつ指示に従った。小瓶にそそいだミルクをかきまわし、順番に飲ませていく。
半獣族は人族よりたくましく頑丈で、アクロバット的な動きが得意な種族だ。それは子供でも同様らしく、あれほど揺れる馬車の中にいながら、誰も乗り物酔いを起こしている様子はない。
もっとも、たとえ酔っていたとしても、吐き出せるものは何もなかったろう。頑丈さと生命力の強さが災いし、ぎりぎりまで食事を抜かれていたのだろうから。
水筒から小鍋に水をそそいだ。水筒は竹で作っている。この国にはないけれど、遠方の国には竹に似た植物が生えており、建物や荷運び道具の補強材として使われていた。
殺菌作用が判明しているプラメアの実を漬けた水を入れているので、日々の消毒も万全。使用後にちゃんと乾燥させれば、かなり長持ちしてくれるのだった。
火はアルコールランプを改造した小型コンロだ。〈薬貨堂・青い小鹿〉で売っていたランプに似せて作ったので、見られても多少もの珍しいと思われる程度だろう。
小鍋の中の水はすぐに沸き立ち、そこに圧縮したキューブ状の乾燥野菜をぽちゃんと投入すれば、ふわりと花開くように広がり、即席野菜スープのできあがりだ。
地球産の野菜を使っているので、小腹を満たすだけでなく、少しばかりの精神安定と体力回復効果もある。圧縮前にあらかじめ塩を混ぜ込んでいるので、塩分も摂取できるし、味も悪くない。
肉は灰狼達に任せた。人手が多いのもあるが、手際が良いので準備が早い。見た目からして肉の取り扱いに慣れた連中が、あっという間に細かく切り刻んでしまった。
それをどうするかと思いきや、岩のくぼみに分厚いビニール状のものをぴんと張って、肉を並べ、水袋から何かの液体をうっすらそそぎ、発火石で火をつけた。
ボワッ、と高い火柱があがる。――おい、大丈夫なのか。
≪もしやあのビニール、ゲコゲコの?≫
≪頬袋の素材ですね。防水性、耐火性に優れているとのことですが、このような使い方ができるのですね。あの液体は非常にアルコール度数の高い酒です。飲む以外に消毒や調理などでも使われているようですが、これも珍しい使い方を見ました≫
≪おおう、やるなあ≫
火柱の高さにびっくりさせられたが、火は短時間で自然に消えた。あれならアルコールが飛んで、お子様でも食べられる、はずだ。
ところで、あの方法はじっくり熱を通すわけではなく、通常は仕上げの香りづけなんかに行うものであって、肉料理的に大丈夫なのか心配になるのだが。ほら、肉っていろいろ、種類によっては半ナマだと危険だし……むしろ大半が危険なような。アルコール以前の問題だった。
≪究極的に、彼らは肉全般が生食でも問題ありません≫
≪お、おおう、そうかい≫
≪ただし半獣族の味覚は人寄りなので、きちんと調理したもののほうが口に合うようです。もっとも、人族があれらを食せば間違いなく腹を壊しますが≫
≪やっぱり壊すのか≫
彼ら以外は食べてはいけない、危険なグルメだったようである。
「ッ!? ――おいひいッ!!」
「にいちゃ、おにく、おいちっ!」
「んまんまっ」
「お、そうか?」
「……やっぱりうまいのか。何の肉だこれ?」
「めちゃくちゃいい匂いすんだよなぁ。さっきから……」
ええまあ、角が黄金色の鹿肉とかありましたねえ。大量討伐の季節なのでお手頃価格と言いながら、銀貨が何枚も飛びました。部位によっては金貨が飛ぶそうです。たぁんとおあがり。
もしここでつまみ食いをする大人がいたらブラックリストにお招きするところだが、ちゃんと自分の食欲よりも飢えた子を優先していた。これなら彼らは心配ないだろう。ミルクはもう空っぽになっているので、できたてのスープをそそぎ足してやった。
――問題は精霊族の子供達だ。
精霊族の奴隷売買など聞いたこともない。この大陸すべての国々において、いかなる理由があろうと、この種族の奴隷化は禁忌のはずだった。
それはイルハーナム神聖帝国ですら同じで、裏では密かに存在するからこの状況になっているのかもしれないが、表沙汰になれば決して軽くはない罪に問われる。
つまり、慎重に慎重を重ねる必要があることだけは理解していても、誰も扱いには慣れていないのだ。
体力面で優れた半獣族と同じ扱いをしてはいけない。精霊族の強みは魔力の高さと、年を経て身につけた豊かな経験と知識にある。
成体になるまでの成長速度は人族と大きな違いがなく、ここにいるのはごく一般的な人族の子と同じなのだ。
さらに、彼らはこの場にいる誰よりも幼かった。
激しい乗り物揺れ自体には半獣族と同じく強いはずだが、警戒を解いて以降、三人とも朦朧として、半分以上意識がない。スープの容器どころか、自分の腕を持ち上げることすらできそうになかった。
衰弱の度合いが格段に酷く、野菜を噛む以前に、固形物を自力で嚥下できるかもあやしい。
半獣族の子と違い、ミルクと肉には拒否反応を示した。ベジタリアンという情報はないので、純粋に弱り過ぎて身体が受け付けないだけという感じがする。
――そうだ。生といえば。
荷物の中から薬草を取り出した。小分けの束にしたそれの中に、小さな花弁をつけたものがある。この花びら自体が魔力回復薬の材料で、乾燥しにくい性質を持っていた。
体力回復薬の粉末を少量の水にとかし、まだ瑞々しい花びらをたっぷり濡らして、それにサトウキビの粉末を軽くまぶした。
まずは金髪の子を抱きかかえ、心持ち顔を上向けさせる。ほんのわずか開いた唇の中に、花びらを一枚さしこんだ。
生気の薄れていた瞳がぱちり、と開き、無意識に口を閉じた。そのまま「もむもむ」と頬を動かしている。
美味しかったらしい。心なしか、顔の周りにほわわんと花が飛んでいる。
二枚目を差し出してやれば、素直に口をあけた。可愛い。
≪魔力値が回復しております。枯渇寸前だったのもあり、効果がてきめんに現われているようです≫
よしよし、次だ。
ほかの二人にも花びらを与えていった。噛むというより、舌の上で転がすうちに、花びらがやわらかくとけているようだ。
エルフのお子様達が、花びらの砂糖菓子をもむもむ食べている。
やばい。可愛いどうしよう。おくちが小さい。
小瓶を自力で持てるようになったので、冷めやすいよう、少しずつスープをそそいでやった。自分で調合しておいてなんだが、私の薬、効果すごいな。
空腹感が戻ってきたようで、三人で順番に、夢中でちうちう吸っている。
美味しそうだ。ぱああぁ、と花が舞っている。
やばい。可愛いどうしよう。
≪マスター。心拍数が危険領域に≫
≪くっ、……わ、わかってるんだ! わかってるけど自分でもどうしようもないんだっ!≫
≪さようですか。では、こんな想像をしてみてください。――この子らがエンパスではなく、実は読心能力保持者だったらどうしよう、と≫
さすがARK氏、私の情熱を瞬間冷却する方法を心得ている。
その後も何度かスープを作り、久々に空腹が満たされたおかげか、愛くるしい幼児達は獣耳をぴるぴる震わせながら、すやすや寝息を立てはじめた。
攫われてから何日経ったのか、ずっと気を張りつめて、ゆっくり眠れる日はなかったのだろう。鍵のかけられた箱の中より、広々とした草の上のほうが、そりゃあ断然寝心地がいいに違いない。
精霊族のちびっこ達も、蝋細工のごとき顔色がだいぶマシになり、頬や唇に赤みがさしていた。
ちなみに私の飲み薬は、固形か粉末タイプが多い。回復薬は液体のイメージだったけれど、実際に作ってみれば、長期保存のきくドリンク剤の手作りはかなり難しかった。
保存状態によって変質しやすく、手頃な価格の密閉容器もない。
即効性を求めるなら液体薬がいいので、いつか長期保存が可能な、変質しにくいドリンク剤を作成することが今後の課題である。
ところで実際のところ、読心能力なんてないよね?
ないはずだ。
うん、無い。
そんなものは無いのである。
ARK氏のお薬はピリッと効いていいのだが、あとを引き過ぎるのが難点である。




