3 夢か幻か、踊る人々
ブックマーク、評価、ありがとうございます。
序章ラスト。かなり短めなので今回は2話更新します。
それは瞬く星々の中から、前触れもなく静かに現われた。
小さな煌めきがゆっくり、少しずつ大きくなり、やがて巨大な光と熱の塊となって、夜空を切り裂きながら広大な森の彼方へ消えた。
ややして、凄まじい衝撃が地を震わせ、一瞬にして通り過ぎる。
樹々がしばし騒めき、はるか遠く〝黎明の森〟の方角を見据え、青年は目を細めた。
たった今、目の前を過ぎ去ったこの世ならざる光景が嘘のように、星々が再び夜の中に瞬き始める。
まるで何事もなかったかのように。
【……あれは、少なくとも我らにとっての凶兆ではない。ただの勘だが……。おまえ達はどう思う?】
振り返らず、傍に控える二人の弟に向けて問う。
【同じく。記録に見る〝隕石〟にしては衝撃が少ない気もするが、不快な感覚はなかった。異様な光景ではあったが、ことさらに警戒する必要もないのではないか?】
【わたしもそのように感じます。あちらに同胞の住まいがあると聞いたこともありませんし、変に関わらねば問題ないのではないかと思いますが】
弟達の言葉に、そうだな、と青年はひそやかに返す。
そう。あれは人の国に落ちたものだ。自分達は今まで通り己の領域から離れず、積極的に関わりさえしなければ、とりたてて吉も凶もないだろう。
地の揺れはここまで伝わってきたが、死や絶望の気配は漂ってこない。かつて愚かな大国が行った禁術の実験や、何者かの悪意ある攻撃ならば、必ず純粋な自然現象とは異なる気配を帯びていたものだが、それがないということは、あれ自体はそういう性質のものではないのだ。
恐怖に囚われた者どもが不要な騒乱を起こすかもしれないが、たとえそれで被害が出たとしても、あくまで彼らの自業自得に過ぎない。
青年は結論づけ、郷へ向かう道を戻り始めた。
◆ ◆ ◆
その日、エスタローザ光王国に未曾有の危機が訪れたかと思われた。
強烈な光が夜空を切り裂きながら広大な森の彼方へ消え、わずかな静寂の後、凄まじい衝撃に大地が揺れた。
天文博士によって、それは空から石や鉱物の塊が落ちてくる〝隕石〟という現象であり、多くはないが過去にも例のある出来事だと判明したものの、伝え聞く魔王の所業にも似た出来事は、エスタローザのみならず大陸中の国々を震撼させるに充分であった。
王命により即座に大規模な調査が行われたが、やがて彼らの誰もが首をひねる結果に終わった。
「被害がまるでない……?」
「はい、閣下。しばらく森の近辺を調査いたしましたが、火の塊が落下したと思しき方向には、何らその痕跡が見あたりませんでした」
大地があれほど揺れたのに?
目線で問うも、部下からは困惑の眼差しが返ってくるのみだ。
「……かの森は迷いの森だ。対策をして赴いたとしても、深部までは確認できぬのが痛いな」
「はい。ですが、王都から派遣された幻惑に耐性のある魔術士達によれば、やはり森の深部への侵入は果たせなかったものの、何の異常も感じられぬとのことでございました。家畜が一時的にやや騒いだとの報告もありますが、それも数日で落ち着いたとのことです。煙が上がる様子もなく、火災の懸念もありません。周辺の地は平穏そのものです」
「ふむ……」
二言目には「辺境の田舎者ごとき」と侮り、天幕の中で踏ん反り返っている調査隊の長官とやらは使い物にならないが、連れてきた魔術士の存在は助かる。
気位の高さがいちいち鼻につくが、ちゃんと仕事をしてくれるだけマシだ。
「もしや我が国と見えて、実は他国へ落下したのでしょうか?」
「いや、近隣諸国の大使にも問い合わせているが、やはりそのような事態は起きておらんとのことだ。揺れの規模や光の角度からも、落下地点は我が国、それもこの森の辺りで間違いないとな」
「……にもかかわらず、何も異常がないとは。わけがわかりませんね……」
古来より、天より降りきたる光は吉兆、あるいは凶兆と伝えられている。もしやあれも、何かしらの予兆だったのかもしれない。
ならば吉か凶か。果たして正反対のどちらに転ぶか。
「陛下はおそらく宮廷魔術士どもに吉凶を占わせるだろう。我らはもうしばらく調査を継続することになろうが、あの長官とやらが血迷って森へ火を放たぬよう監視を怠るな。それから神殿に、過去同様の事例がないか問い合わせ、反応を見よ。――最近奴らは、妙に信用がならぬ」
「御意に」
◆ ◆ ◆
やがて吉凶いずれの結論も出ず、何の収穫もないまま、何事もなく調査隊は解散することになる。
あれはいったい何だったのだろうと、困惑のみを残して。
この謎の現象から幾日、幸いにしてどの国でも被害報告が出なかった。
しかしその光景を多くの者が目にしており、また実際に大地が大きく揺れたため、それが夢幻のたぐいでないことは明らかだった。
世界中の人間が大規模な幻術にでもかけられたのだろうか。しかし、何のために?
その不可思議な現象をめぐり、某所で何者かが予見した通り、しばらくの間、様々な憶測に基づいた騒ぎが頻発した。
天の怒りではないか。
どこかで魔王が誕生したのではないか。
この世の終焉が近いと叫び狂う者。
神々の怒りを受け入れよと触れ回る者。
これから闇の世界が訪れるに違いないと不安を煽る者。
きっと神々がお救いくださると無意味にひたすら祈り続ける者。
無人の森に落下した隕石などよりも、確証もない思い込みで混乱を招く群衆のほうが、よほど悪質な人的被害を多くもたらした。
不安につけこむあやしげな教団の布教。日頃の鬱憤を爆発させて暴動を誘発する者。それに乗じた強盗。数え上げればきりがない。
エスタローザ光王国はそういった被害が比較的軽微で済んだ国だ。周辺国家より比較的豊かであり、民の心にゆとりがあったのに加え、この時たまたま優秀な文官・武官が多く要職についており、彼らが混乱を早期に収めた。
諸外国ではそうはいかなかった。この日の出来事が大きな傷痕を残した国も多い。
――必要に迫られて落下しただけの炎の塊に言わせれば、そんなことは知ったことではなかった。