37 通りすがりの襲撃者
ご来訪ありがとうございます。
今回は少し短め(当社比)です。
街道を離れて東へ進み、まばらな樹々が少しずつ密集し始めた頃だった。
《マスター》
「ん、どーした?」
《不審な馬車が移動しております。八時方向の丘の向こう側です》
小鳥がマップを表示した。馬車と思しき大きな光点がひとつ、その周囲に十数の小さな光点があり、同じぐらいの数の光点が――後を追っている。
「……監視の皆さんは?」
《イシドール方面で騒ぎが起こったようです。詳細は確認中ですが、一旦引き上げたようですね》
監視の空白地帯ができていた。せっかく今まで真面目に地道に張り込んでいたのに、何故ここぞという肝心な時に限っていないのだろう。
これは私達にとって都合がいいと見做すべきか、罠を怪しむべきか。
なんともいえない不安が胸をよぎった。――卵が割れなかったらいいな、と。
クッション材で包んでいるから、少々鞄を振り回した程度で割れる心配はない、はずだ。そう信じたい。
きっと大丈夫だよトホホと己を励ましながら、くるりと反転し、小走りに丘を登った。
ゆるやかな丘の反対側は急傾斜の下りになっており、遥か向こうまで広大な草地が一望できた。
なだらかな起伏の続く緑の絨毯は、そこらで山羊や牛が草を食んでいそうな、のどかな放牧地を連想する。
その凹部分、突き出た岩や低木を避けて蛇行しながら、遠目にもキャンピングカー並みに大きな馬車と、護衛らしき騎馬隊が駆け抜けていた。
岩陰から見下ろす視界の中、後方から追う集団も捉えられた。信じられないことに、誰も騎乗していない。自前の足で前方の〝獲物〟に迫っているのだ。
馬車の通り抜けられる場所を選んで駆けている分、速度は落ちていると想像できるが、あれは商隊の荷馬車ではない。馬車を牽く魔馬はたった一頭でありながら、結構な速度を出せている。
魔馬のパワーも凄いが、それを岩や段差を飛び越えながら、ひたすら走って追い続ける連中の身体能力も凄まじい。
「半獣族?」
《狼族かと》
ハンティング能力の塊か。確か、狼系はドーミアの町で見かけた覚えがない。
地形的に、あの一団はこちらへ近付いてくる。私のいる丘の頂は、岬のようにひょこっと飛び出て見晴らしが良く、巨大な弧を描きながら通り過ぎるであろう彼らのルートが、ここからはだいたい予測できる。
しかし、〝不審な馬車〟?
遠目には、半獣族の盗賊団が貴族の一行を襲おうとしている図でしかないが。
ARK氏は馬車の拡大映像を表示した。
やたら豪華絢爛な馬車の横っ腹に、王家の紋章がででんと描かれている気がする。
バタバタはためいて今にも破れそうな旗は、王家の使者を示す旗に似ているけれど、おそらく単なる目の錯覚だ。
護衛の騎馬隊の制服は白っぽい鎧に白っぽいマント、金の刺繍の縁取りに見え隠れするあれは、ひょっとして王宮騎士団の紋章だったようなそうでないような。
きっとすべて気のせいだろう。
遠い記憶が掘り起こされるそばから、せっせと土をかぶせてゆく。
「――――……」
ARK氏が表示を切り替えた。サーモグラフィーだ。
必死で魔馬を操る御者席の男がひとり。馬車の前部にあるソファー席でアワアワしている男がひとり、これは使者か。同乗者はいない。
問題は馬車の後部、連結した荷馬車の積荷だ。
《馬車の底に精神誘導と気配遮断、防音、遮音などの魔術式を確認できました。聴覚や嗅覚が鋭い種族でも、並大抵では気付けないかと思われます》
旅の荷と一緒につめこまれた、無数の熱。
大きさと形でわかる。尾の生えた小さな子供だ。それが何人も。
あれらはイシドール方面から来た。行く先にはドーミアの町がある。それを過ぎれば国境だ。
《マスター。あの馬車と騎士服、本物ですが中身が偽者です》
鞄のポケットから小瓶を抜き出した。ガラスの小瓶をひたひたと満たし、厳重に封印された禍々しい液体、名付けて【赤い悪魔】である。
次いで噴霧式の薬剤を首から上へ吹きかけた。一定時間、皮膚や粘膜の表面をうっすらと保護膜が覆い、悪魔の侵入を防いでくれる。
空気中に飛散する成分から眼球を保護するため、吹きつける際に瞼を閉じないのがポイントだ。これを失念してうっかり目の中にピッとはねたが最後、下手をすれば永遠の暗闇に。
猛毒を所持する時は解毒薬とセットで。そもそも自分がやられないよう、使う前に自分を守っておくのは基本である。
それから食事用のマイナイフを取り出し、先端部分に細長い瓶を若干はみ出した状態で当て、草でグルリとくくりつけた。
風なし、障害物なし、本日晴天。
あのまま馬車が進めば到達するであろう地点を予測し、思い切り投擲。
《着弾しました》
言い方。
いや、正しいけど。
無事、岩場のあたりにパリンとなってくれたようで、魔馬の足が明らかに鈍った。人に飼育されていてもさすが魔獣、まだ距離があるのに「これ以上進んだら絶対ヤバイ!」と敏感に察知している。
護衛の騎馬も挙動がおかしくなった。前進を拒否する魔馬に、騎士服の男達がイライラと怒鳴りつけている様子だ。
その間にも追っ手は接近し、仕方なく馬首をめぐらせて迎え撃つ方針にしたようである。
数が同じならば、半獣族の群れのほうが優勢――いや、魔馬がれっきとした戦力に数えられるから、結局は五分か。
ところがここで想定外の事態が起こった。半獣族の群れまで変調を来したのである。
魔馬よりずっと遠く、着弾地点から一キロは離れているのに。
《どうやら〝突然発生した正体不明のにおい〟に気付いておりますね。実際に刺激を覚える距離は人並みなので身体に影響はないはずですが、魔性植物の出現を警戒しているのかもしれません》
「カプサイシン、魔物の分泌物だったのか……」
死神の鎌、蠍の尾――かつて世界ランキングの上位に輝いた赤い実の濃縮液は、素手での取り扱い厳禁、調合時は完全防御必須な、とても危険な代物だ。
もし手袋や保護膜なしに触れてしまったら火傷する、そんなものまで何故育てたと、森の奥地に隔離畑を発見し、ARKさんを問い詰めたあの日が懐かしい。
などと、愉快な思い出を反芻している暇はないな。
魔物の忌避剤としての用途も想定して作ったので、少々強烈過ぎたかもしれない。あの群れには悪いことをしてしまった。
崖に近い急傾斜を駆けおりる。馬車の護衛に残ったのは二騎、今なら無防備な状態だった。
私は面倒ごとが嫌いな臆病者である。はっきり言って、何ひとつ関わらなかったことにできるなら、今でも全力でそうしたい。
けれどこれを無視しても寝覚めが悪いのは判り切っているし、前回のドレスを着た厄介ごとも似たような経緯を辿ったなあと思い返せば、天に向かって叫びたくなるというものだ。
何の嫌がらせだ?
スルーできないじゃん! と。
私は正義の味方ではない。自分に何か偉大なことができるかもとか自惚れたことはないし、この世に名を轟かせたい野望だってない。むしろ目立ったらしおしおになる。
ただ平穏無事に、のんびりまったり日々を過ごしたいだけなのだ。
だから――おまえらがうちの近所を通りかかるから悪い。
こんな胸糞悪い害虫ども、発見したら滅殺するしかないじゃないか。
この仮装行列において、仰々しい乗り物と衣装を誰がどのような目的で提供したのか、さぞかし話題になることだろう。イシドールの町を通過してきたのなら、王家の使者の一行が行方不明になれば、必ず大々的な捜索が開始されるはずだ。
あるいは監視人の皆さんが発見し、雇い主にさっさと報告してくれるか。どちらにせよ私の知った話ではない。
御者の男が調教用の首輪に何かを命じ、魔馬は踏みとどまろうとして、強引に前進させられている様子だった。反転した護衛騎士は半獣族と戦闘へ突入し、馬車と二騎だけ先に逃げ切る気だ。
ああそれにしても、麻痺薬、誘眠香、催涙薬、失神薬――せっかくいろいろ用意したのに、いずれも護身用で、こんなに距離があくと効果が期待できないものばかりとは。悪魔の降臨は最終手段だったのに。
護衛騎士がこちらに気付いた。
二人とも弓で仲間に援護射撃をしていたが、すぐに私のほうを向いて新たな矢をつがえた。
中身は紛い物。だがちゃんと荒事に長けた面子を揃えているらしい、狙いは正確に、動いている標的へ当たろうとしていた。
がっ、がきん、とそれらは周囲で弾かれる。
魔石か何かが反応したのか、矢尻が弾ける瞬間、二枚の〝盾〟が姿を現わし、すぐに消えた。
偽騎士達が驚愕に目を見開いた。
『なっ!?』
『なんだあれは!?』
唇がそう動いた。
やはり荒事に馴染んでいても、こんな瞬間に化けの皮が剥がれる。
襲撃者を前に愕然として固まるなんて、短時間でも命取りだろうに。
――〈フレイム〉展開 ライフル フルオート――
金色の光の線が空間に浮かび、ワイヤーフレームの設計図に沿って即座に色が塗りあがる。
足を前に出してブレーキをかけ、射撃体勢をとった。
この距離なら外さない。




