36 なんとか軌道修正
誤字脱字報告、ありがとうございます。助かります。
食べ残しを片付けてもらうのはさすがに気が引けたので、最初から二割ぐらいの量を三人の皿に分けた。なのにゴールのタイミングがほぼ変わらないとは、これいかに。
消化に悪いからしっかり噛んでゆっくり食べなさい! と心の中だけで説教しておいたが、実際のところ、消化に悪いのだろうか。この連中にとって、イモと肉は飲み物疑惑もある。
大きな木製ジョッキを傾け、まだ半分ほど残っている麦酒を口の中に流し込んだ。最初、ぬるい飲み物かと思いきや、熱々に温められていたのにはびっくりした。苦味が少なく、わずかに果実の甘みが感じられ、多少冷めてからは喉越しの良さも増している。
身体がぬくぬくポカポカとなり、思いのほか美味しい。
食事を終えて、まったりとした空気が漂っていた。
「その鳥、なんも食ってねえけどいいのか? てっきりおまえさんのメシを分けるつもりかと思ってたんだがよ」
「ええ。大丈夫ですよ」
「ふーん? ――そういやあよ……」
ひやりとしたものの、グレンはそれ以上突っ込まず、さらっと話題を変えてくれた。
この御方のこういうところは、グレン様とお呼びしたい勢いで助かる。この小鳥の餌いらずについて、「神経質だから人前では何も食べない奴でして」云々の言い訳を考えてはいたけれど、ウォルドにはきっとバレてしまっただろうし。
今度から食事の席にウォルドがいた場合、小鳥さんには留守番をしてもらうとしよう。念話は何メートルか離れていても繋がるのだから、建物の別の階にいても支障はない。
食事前からずっと、会話の大半は話術の巧みなグレンがリードしてくれている。私やウォルドみたいな口下手仲間にとって、黙っていてもスムーズに進行させてくれるグレンの存在は神だ。
ローグ爺さんはそもそも、我関せずなのかそうでないのかすらまったく読めない、不思議お爺ちゃんである。沈黙を意に介さないタイプなのは間違いなく、ペースを掴めない間は迂闊に話を振ってはならない、話術レベル1にとってハードルの高い相手だ。
≪マスター。聖鎧についてウォルド氏に詳しく尋ねていただけませんか? 損傷を受けても時間経過で修復するとは具体的にどういう現象なのでしょう。〈スフィア〉の自己修復機能と異なるのか、あるいは類似したものなのか、非常に興味深く――≫
≪却下。また今度にしなさい≫
さっきから小鳥さんがやけにそわそわしていると思っていたら、それが気になっていたのか。
確かに私も気になったけれど、ほぼ初対面の相手から不審がられずに根掘り葉掘り聞き出すなんて、コミュ能力が不足しているヒキコモリ希望者には荷が重いのだ。
「【剣山鼠】?」
「ああ。つっても、そこまで規模の大きい群れじゃあなかったんだがな。放置してりゃ果てしなく増える奴らだし、発見報告があってすぐにギルドで招集かけてたのさ。この時期、余所から見物なり仕事探しなりで来たパーティが多かったもんで、人手もすぐ集まって、即討伐ってわけさ。割のいい仕事だったぜ」
「ふむ。道理でな。いや、受付前の人だかりを見て、空き部屋がないのではと心配したのだが」
「そりゃ、せっかくの祭りだからって、どいつもこいつも金子袋の紐がゆるんで、それなりの宿に泊まってるからだぜ。護衛依頼で来た奴らなんかは、そもそも依頼人が部屋を用意してくれてたりするしよ」
「なるほど」
「俺らが鼠どもの素材を持ち帰ったら、商人どもが門前で待ち構えてやんの。逞しいったらねえぜ」
耳を傾けながら、ARK氏の魔物講座を思い出していた。
確か【剣山鼠】とは、額に三~四本の角が生えた鼠のことだ。耳が長めに垂れており、尾が短く、一本角の【角兎】に似ていなくもないが、比較にもならない巨体で、パワーも凶暴さも桁違い、だったはず。
さらに毛並みは針のように硬い。繁殖力が強く、一匹見かければ十匹以上いると言われ、単体ならば銀ランクで倒せるものの、討伐依頼では必ず金ランクを含めた複数のパーティが指定される、という魔物だった。
そんなものが出た割に殺伐とした空気が漂っていないのは、グレンの言った通りたいした被害もなく、発見直後に速攻で退治できたからなのだろう。
「ただよ、珍しいことに、神官が何人か声をかけてきたんだよな。『お疲れ様でした』だの、『ご様子はいかがでしたか』だの……やたら愛想良くてよ、あれはちょいと気味悪かったなぁ」
「…………」
「…………」
ついウォルドを見た。硬派そうな横顔に、複雑な苦々しさを浮かべている。
「ん? どうした?」
「いや……おまえ達に、注意しておいてもらいたいんだが。もしサフィークという男が何かを言ってきたら、すぐに俺へ伝えて欲しいのだ」
「ふん? ――流れ的に、そいつぁ神官で、ひょっとして例の〝厄介な知人〟てやつか?」
察しのいいグレンが確信を込めて問いかけたのは、ウォルドではなく私のほうだった。
麦酒の最後のひと口を味わいながら頷きを返すと、ウォルドの眉間のシワが一層深まるのが見えた。
「ふむん。そのサフィークちぅのは、どんな男なんぞ?」
聞いていないようでやはり聞いているらしいローグ爺さんが尋ね、ウォルドは簡潔に外見の特徴を伝えた。ちなみに神官には第一から第七まで位があり、一番低いのが第一位。あのサフィークの神官服と帯には、第五位を示す紋章が入っていた。中神殿の最高位が四位神官までという話なので、紛れもないエリート様である。
加えて外見が三十歳前後、整った顔立ちとなれば、少なくともドーミアで同じ特徴を持つ者はいないそうだ。
「つい最近、余所からドーミアの神殿へ異動になったばかりだと話していた。何故避けたほうがいいのか、説明が難しいのだが……セナから見て、奴はどういう人物に見えた?」
「え、私?」
「ああ。セナはどのような印象を覚えたか、忌憚なく言ってくれないだろうか」
「はあ……」
いきなり話を振らないで欲しいのですが。内心愚痴りながら、要望通り、サフィーク青年から受けた印象を羅列していく。
彼は私を目にするなり、『本当に彼は君の友人なのかい?』と怪訝そうに言った。雰囲気も口調もやんわりとしていたけれど、ウォルドが親しくできる人物は自分ぐらいしかいない、と決めつけていた。
私の歳が十二~三歳程度に見えていたとしても、〝友人〟という言葉を否定する必要はない。もし私があちらの立場なら、「可愛い友人だね」ぐらいは言っていたと思う。それすらなく、最初に口から出たのがあの台詞だった。
無意識下のマウンティング。
善良そうな眼差しの中にちらつく自惚れ。
最も厄介なのは――。
「そのあたりが無自覚なまま、〝善意〟を押しつけてくる人種。だからウォルドが話を切ろうとしても、『やれやれ、まったく君は……』となる。そういうところが苦手なのかな、と、そう感じましたね」
「…………」
「ほぁ~」
「えれぇ面倒くせー奴だな、そいつ……」
「すいません。ちょっと言い過ぎましたか?」
「い、いや。すまん、驚いただけだ」
「少ししか話していませんし、私の見立てが間違っているかもしれません。穿ち過ぎかも」
「そんなことはない。――その通りの男だと思う。俺ではこの感覚をうまく言葉にできなかった。助かった」
辛口評価が過ぎたかな、と心配になったのだが、そうでもなかったらしい。
「するってぇとあれか、おまえさんはそうでもないのに、向こうが勝手に友達ヅラしてきやがるってか?」
「……昔は、俺のほうも、友だと思っていた」
「おっと、深刻な過去のニオイがするぜ。俺が聞いちまって問題ない話かい?」
私が聞いちゃっても問題ないのだろうか。ついでにローグ爺さんもいるのだが。
ウォルドは苦笑に失敗したような、微妙な表情になった。
「加護を得る前までは、と注釈がつくのだがな。……昔は気付かなかった。【断罪の神エレシュ】の加護を得て、あれがそういう男だと、ようやくわかったのだ」
その直前にも、違和感を覚えた出来事はあったという。しかし実際にウォルドは人付き合いが苦手だったので、どこがどうと明確に言えなかったらしい。
そして友と信じていた男から、手酷い裏切りを受けた。
他の人の事情も絡むからと、さすがに詳細は語られなかったけれど、ウォルドがこうもハッキリ言い切るぐらいだ。相当な何かがあったと思われる。
おまけに相手にはどう見ても、己の行いに対する自覚がない。
これは一番腹の立つパターンではないか?
「なんでそんなのが神官やれてんだ?」
「善良だからだ。そして、禁に触れる悪事も働いていない」
「へえ。そうかよ」
グレンは目を細めつつ声に嘲笑を滲ませ、生真面目なウォルドは顔いっぱいに苦悩を浮かべている。
悪いが私はグレンと同意見だった。内心で十回ぐらい頭を縦にぶんぶん振っているのは、ウォルドの心の平穏のために内緒にしておく。
その後、グレンとローグ爺さんが皮肉まじりで交わした世間話によれば、討伐者と神殿の関係は、最近あまり良好とは言えないらしい。
せっかくの回復能力を有効に使わず、神殿にこもる傾向が前にも増して強くなっているためだという。無理に引きずり出す気はないが、それでも籠もり過ぎなのだと。耳の痛い話だ。
もともと、神官と魔術士の犬猿の仲は知られていた。神々に祈り奇跡を願う神官と、聖霊との契約による攻撃魔術を得意とする魔術士、双方の性質の違いが主な原因だ。
ところが近年では、魔術士だけでなく、討伐者に対しても――どこか、見下した態度を取る神官が増えたのだそうだ。
「デマルシェリエに関しちゃあ、昔はそうでもなかったと記憶してんだがな」
「んむ、それで合っとるぞい。なんぞ妙にクサいのが増えとるの」
「だよなあ。セナもあんまり神殿には近付かねえほうがいいぞ。ウォルドの件もあるしよ」
相槌を打ちながら、はて、と呟く。
討伐者ギルド内とはいえ、自分達は結構ギリギリの危うい話をしているのではなかろうか?
神殿関連がきなくさいと、こんなに堂々と耳目のある場所で話していいのだろうか。
そう思って訊いたら、「構わねえよ」「構わんぞい~」とあっさり返ってきた。
「多少は奴らの耳に入れてやったほうがいいんだよ、おまえら世間じゃこう噂されてんだぞってな。じゃねえと、お綺麗で鈍い連中は、いつまで経っても気付けやしねえからな」
「……ほんとにハッキリ言うんですね」
結構腹芸ができそうなのに、オブラートに全然包まないんだな。
面食らっていると、猫氏はにやりと嗤った。
「お綺麗さを追求した信心なんぞ、不毛具合は腹の読み合いとどっこいだ。キリがねえ、果てがねえ、挙句に正解を手にできるとは限らねえときた。さっさと教えてやったほうが親切ってもんだろ。こっちも時間が無駄にならねえしな」
「――……」
ああ、なるほど。
腹芸が出来るからこそ、その不毛さを身に染みて理解できる――だから必要がなければ、そんな無駄な真似はしない。そういう理屈らしい。
そして誰に目をつけられても、どうとでも切り抜ける自信がある。
危険な男だった。
ところでこの場合、巻き込まれて私が目をつけられたら、どう切り抜ければいいんでしょうかね?
◇
危うく予定が狂いかけたものの、なんとか軌道修正を試みる。
恐ろしいことに、三人と喋っている間に気が付けば腹がこなれていたので、さっさと部屋に戻って身体を拭いて寝た。
代謝が良い年齢だし、自前の足だけで長距離を移動しているから、それだけでかなりの運動量になる。胃もたれ知らずになった幸福を噛みしめながら、瞼を閉じてスヤァと言った直後、再び開けた頃には早朝だった。
寝つきが良すぎてせっかくの部屋がちょっと勿体ない、もう少し堪能すればよかった……と思ってしまうのは貧乏性だろうか。
朝食の席には昨夜の三名もいた。彼らは今日の午前中は特に予定がなく、早朝市に付き合ってくれる流れとなった。
【王桃鹿】の漬け焼きがやたら美味しかった。作物を荒らす魔獣なので春先に一斉に狩りが行われ、今は安くなっているらしい。これは〝買い〟である。
所持金は金貨1枚、銀貨20枚、銅貨30枚。ウォルドのおかげで銅貨1枚すら使っていない。
金色のおかねを長時間持ち運びたくないので、ギルドの販売窓口で陽輝石の購入に使わせてもらった。私のこぶし半分ほどの大きさで、質は最上、銀貨8枚だった。
早朝市の品々は、価格も品揃えも若干の変動があった。おすすめの食材に一番詳しいのはローグ爺さんで、あれはええの~、これはイマイチやの~、とアドバイスをもらいながら購入。
【プリトロ鳥の肉】……太腿:1レカ(約1キロ)、銅貨64枚。
【プリトロ鳥の卵】……1個、銅貨35枚。
【王桃鹿の肉】……部位いろいろ:1レカ(約1キロ)、銅貨50枚。
【黄金角鹿の肉】……部位いろいろ:1レカ(約1キロ)、銀貨3枚。
【魔水牛の乳】……1ガロ(約1リットル)、銅貨6枚。
これだけあれば、またしばらくは保つだろう。
荷物がとても肉々しい。底なし胃袋を持つローグ爺さんから共感の視線をびしばし感じたのだが、気付かなかったふりをする。
お支払いはすべて銀貨で。最終的に所持金は銀貨17枚と銅貨75枚になった。高級店でもなければ銅貨か銀貨の支払いがほとんどなので、この二種類の硬貨はたくさんあったほうがいい。重くてかさばるのが難点だが。
買い物を終え、グレン、ウォルド、バルテスローグの三名とはそこでお別れ。無事に町の門も通過し、意気揚々と街道を進んだ。
どうなることかと思ったけれど、振り返ってみれば、別段なんてこともなかったな――。
よかったよかった。
……などと、ほっとするのは早計だった。
遠足は、おうちに帰り着くまでが勝負だったのだ。




