35 ギルドの仲間
ウォルド氏は幸い、目を離した隙にいつの間にか消えたり、どこかへ突っ込んでいくタイプではなかった。
ゆえに以降は何のトラブルもなく、私達は無事、討伐者ギルドの建物前に出た。
「すまん……迷惑をかけた」
「いいえ」
私よりもホッとした様子で苦笑する男に、首を横に振って答えた。
そんなことありませんよ、とは言わないのがミソである。
本日は人の出入りが多いのか、正面の大扉は開けっ放しになっている。
すれ違う連中が時折、ウォルド氏に視線を向けては「おっ、あいつは……」という顔になり、次いで見慣れぬ私へ興味深げに視線を移した。
他意はないのだろうし、一瞬だけなので気に障るほどではないが、こういうのは苦手だ。
「大規模討伐でもあったようだな」
「そうなんですか?」
「装備の汚れている者が多い。それに見かける者も、だいたいがパーティの代表者だ。しまったな……」
言われてみれば、拭き取って間もないと思しき汚れた装備を身につけている者が多い。何らかの討伐を終え、リーダーか交渉ごとの担当メンバーが報告しに来たと、そういうことだろうか。
しかし、だとすればタイミングが悪かったかもしれない。ウォルドの「しまった」の意味がわかった。どの受付にも小さくない列ができていて、順番が回ってくるまでに時間がかかりそうだ。
「あらっ? ウォルド様、この町にいらしていたのですか?」
「イェニーか。宿を願いたいと思い、足を運んだのだが……」
「まあ、そうだったのですね! どうぞ、こちらに座ってくださいな」
救いの女神が通りかかった。
以前もお世話になった、受付イェニー様である。
カウンター越しでも絶対そうだと確信していたが、このお姉様、非常にダイナマイツで素敵なお身体をお持ちであった。出るところは豊かなフォルムを描き、締まるところはキュッと締まっている。一歩進むごとに「たゆん」という効果音の出元へ周囲の視線が吸い寄せられ、中には残り香を求めて鼻をひくつかせている哀れな仔羊もいた。
背丈は私より少し低いぐらいで丁度よく、抱きしめたらとても気持ちよさそうだ。いつか是非、温泉でご一緒してみたい――そんな夢の羽ばたく御方である。
「あなたもお久しぶり、というほどではないわね。二人ともお知り合いだったの?」
「ん? イェニーはセナを知っているのか?」
「ええ、実は。といっても、二回目だけれど」
イェニー様に案内されたのは、隅にある小さなテーブル席だ。主に討伐者が手続きの待ち時間や、ちょっとした休憩などに使うためのスペースだが、そこで特別に対応をしてくれるらしい。
真面目に列に並んでいる者の中で、不満そうな顔をしているのはごくわずか。気にしていない者が大半。となると、前者はウォルドを知らない新参の顔ぶれだろう。
そんなことより、イェニー様が親しげに声をかけてきてくれた直後から、「なんだあのガキ?」「なにもんだ?」みたいな視線が集中して飛んでくるのだがどうしよう。
とても居たたまれないのだが。
≪……あの~皆様? わたくし、あんまり視線を浴びたら干からびる生命体なんです。私に視線、ナメクジに塩ってぐらいダメージ受けるんです。どうか優しく目をそらすか、できれば角度を少しずらしてくれませんかね? って言えたらいいナ≫
≪そういった繊細な対応が可能なプロは、今この場にはおりません≫
知ってるよ!
脳内でそんな不毛な会話を小鳥さんと交わし、ちくちく刺さる視線のプレッシャーに耐えた。
「俺がセナと知り合ったのは、つい先ほどなのだ。少々面倒な相手から助けてもらってな。宿はこれからという話だったので、礼と言うにはささやかだが……俺と、彼の分の部屋も頼めるか?」
「まあ、そうだったのですね。今は空きが結構出ているわ。一人用を二部屋でいい?」
「ああ。セナの分の請求はこちらにしてくれ」
「わかったわ。では、この書面にサインをお願いします。その他、ご希望の条件はありますか?」
「俺は以前と同じでいい。セナはどうする?」
いろいろ頼んでも良いとのことだったので、身体を拭く湯の桶を一杯と、夕食・朝食をつけてもらった。図々しいと言うなかれ、多少はこちらの要求を言っておかないと、相手のほうが礼をした気になれなくて困るのだ。
ウォルドが二部屋を借りる形になり、私のサインは必要なかった。鍵を預かり、そのまま部屋へ直行する。ウォルドは討伐者ギルドの〝賑わい〟が気になったようで、もうしばらくイェニー様と話し込むつもりらしい。
それにしても、またもやここに泊まることになるとは――。
グレードは以前と変わらない。一人部屋なら、どれを借りても同じ内装になるようだ。宿泊料の割に清潔で過ごしやすい、私は結構好きだなと感じる部屋である。
鞄を椅子の上に放り投げ、自分の身体は寝台の上にボフンと放り投げた。
「はぁ~っ……なんか微妙に疲れた」
《お疲れ様です》
「っと。あんた、声出して大丈夫なの?」
《はい。防音と遮音の魔道具が設置されておりますので》
「えっ。それ、宿泊料より高いオプションじゃなかったっけ?」
《断られるのを見越し、あえて伝えられなかったのではと。マスターを恐縮させるほどのレベルではなく、かつショボくない〝お礼〟として妥当なところでしょう》
恩を押し売りする意図はなく、経済的に困窮されているわけでもないようですし、と小鳥は言った。
「ふーん。不器用っぽかったけど、意外と社交性はそれなりにあるのかな?」
《得意ではないように見受けられましたが、無知ではありませんね》
「――ウォルドさんのこと、調べられた?」
《はい、ある程度は。結論から申し上げますと、アサルトシールドを漠然と感知されていたのは、やはりウォルド氏特有の事情からであり、他の方々には適用されません。これ以上のご報告は、現時点では控えさせていただきます》
「え、なんでよ」
《今これをお話ししますと、マスターがやりづらくなる可能性があります。知らないフリの難易度が上がってしまいますので》
「?」
ARK氏が言い渋った理由は、夕食の席で判明した。
◇
《マスター。もうそろそろ陽の沈む頃合いです。お目覚めください》
「んむ~……やべ、防具つけっぱなしだった」
ゴロゴロしている間に、軽く眠ってしまっていたようだ。慌てて確認するが、身体に違和感はなく、ほっと息を吐く。
少し迷った結果、胸当てとアームガードは装着したまま、魔導刀は剣帯から外し、手に持って食事処へ向かった。
鞄は部屋に置いておく。扉の鍵はしっかりしているし、討伐者ギルドの運営する宿へ盗難に入る輩は、よほど気合の入った剛の者しかいない。
「よお、こないだぶりだな!」
「――グレン?」
ギルド併設の食事処・兼・酒場。酒を求める連中で混みあう時間帯を避け、早めに下りてきたら、先客がいた。
妖猫族のグレン。それに、同じテーブルにもう二人いる。
「聞いたぜ、道端でこいつを拾ってきてやったんだって? 面倒かけたなぁ」
「……面目ない」
グレンの軽口に恥じ入るのは、少し前に別れたウォルド氏だ。鎧を部分的に外し、だいぶ身軽な格好になっている。軽装になった分、胸板やら筋肉やらの形がはっきりわかって、ちょっと凄い。
彼も荷物は部屋に置き、大剣のみを持ってきたようで、テーブルの横にデンと立てかけられていた。
まあ、同じ建物にいるのだから、会う機会なんていくらでもあるのだろうが、それにしても……。
私はなんとも言えずグレンを見やった。何度も私のハートを撃ち抜いてくれるツボのカタマリな御方ではあるが、残念ながら歓喜よりも、疑念のほうが湧いてきてしまった。
前回、どうやら辺境伯の指示で動いていたフシがあり、小鳥の報告によれば、それなりに〝いろいろ〟ありそうな御仁だった。
不都合は生じないので、私はその〝いろいろ〟を〝知らずにいる〟選択をしたのだ。変に身構えず、友人でいたかったから。
「一応言っとくが、俺がここにいるのは、マジでただの偶然だからな?」
グレンが若草色の瞳を細めた。
「俺も我ながら怪しいタイミングで来ちまったなぁと思うけどよ、ひと仕事終えてここに戻ったら、その後におまえさんらが来たんだよ。信じらんねえなら、ウォルドに訊いてみな。こいつにゃ嘘偽りなんざ通用しねえからな」
嘘偽りが通用しない?
ウォルドを見た。彼は困惑を浮かべつつ、けれど否定はしなかった。
「よく呑み込めんのだが……グレンの言う通り、俺にはそういう特技がある。グレンは先ほどから事実を口にしているぞ?」
「そういうこった。おまえさん相手に妙な小細工はしねえよ、どうせわかっちまうだろ?」
「はあ……まあ」
そんなことありませんよ、などと謙遜しても無意味そうだ。
どうもこの猫氏、以前私が彼に尾行されていたのを気付いていると気付いている。
「お互い正直にいこうや。じゃねえと、つまんねえしな」
「……そうですね」
「おし、決まりだな。おまえさんもメシだろ? そこ座れよ」
グレンがニカリと笑んだ。そこまで言われておきながら別の席に移動するのも感じが悪いので、素直に同席させてもらうことにした。
第一、先に着いていたのが本当にグレンだったなら、「なんでおまえがここにいるんだ」なんて、とんだ言いがかりでしかない。こちらの自意識過剰というものである。
それに、小手先の嘘を吐かれたって、うちの小鳥さんにかかれば速攻で――って、待てよ。
≪ウォルドさんに嘘偽りが通用しない、ってのはどう思う?≫
≪言葉通りと思われます≫
≪げっ。だからか……≫
小鳥さんから詳細を聞いていたら、難易度爆上がりの知らないフリをするはめになったわけだ。初対面の相手の情報を既に知っている奴なんて、怪しいどころでは済まない。
内心、冷や汗だらだら。顔だけはスンと澄ましている。この顔面筋、本当にありがたいな……。
しかしこの世界の人々、思った以上に侮れなかった。いくら文明レベルが昔っぽいからと、能力や知性を低く見積もってかかると、こちらが痛い目を見そうだ。
「んじゃ、あらためて紹介すんぜ。こいつはウォルド、俺と同じく単独の討伐者で、現役の神官騎士だ」
グレンは給仕のお姉さんを捕まえ、私の食事を頼んでくれたかと思うと、いきなりぶっこんできた。
――神官騎士? なんだその、私のツボを直撃する単語は?
聞けば、文字通り神官の位を持つ騎士のことで、ウォルドはどこの神殿にも属さず、討伐者をしながら各地を放浪しているらしい。
身につけている鎧は、神官騎士の位を得た当時、神殿より賜った〝聖鎧〟であり、神々の祝福紋が刻まれているという。物理だけでなく魔力による攻撃にも高い耐性を誇り、破損しても時間が経てば自然に修復する優れモノ。
しかもウォルドは〝加護持ち〟なのだそうだ。
「こいつに加護を与えたのは、【断罪の神エレシュ】でな。罪過ある奴に対して強い。嘘がわかっちまうのもそのせいさ」
神々に気に入られ、加護を得た者は、そこらの高位神官よりも高度な神聖魔術を扱えるようになり、それ以外にもさまざまな能力が備わる。
一柱の神につき、加護を与えられるのは一人。一代に五人もおらず、つまりウォルドは、世界で数名しかいない内の一人だという。
≪あっ、やばい。やばいよARKさん。意識が萌えの彼方へ羽ばたきそうになる≫
≪お気を確かに≫
すると、さっきから飲んで食べて飲んで食べて飲んで飲んで食べて飲んで……を繰り返していた〝三人目の同席者〟が、「ぷはー」と割り込んで正気に引きずり戻してくれた。
「ウォルドよい。おまいさん、加護のおかげで迷宮やら樹海やら全然迷わんくせに、ふっつーの町でスコンと迷うとかどうなっとるん?」
「だよなあ。つうか、いくら一年ぶりっつったって、せめてギルドくらい自力で辿り着けるようにしとけよ? いつか依頼場所に遅刻して大恥かくぞ?」
「う……め、面目ない……」
どうやら、仲間内でウォルドの困った方向感覚は有名だったようだ。私が来るまで、この二人からイジリの集中砲火を受けていたのではないかと想像がつき、少し同情してしまった。
この男の性格的に、どうにかせねばと自覚しつつどうにもならなくて、連敗記録を重ねていたんだろうなと……。
それはそうと。
麦酒の木製ジョッキを再び傾けているのは、灰色のヒゲモジャが顔の半分以上を覆い隠した、小柄な老人である。
身体の小さい種族用の椅子に座っており、テーブルの向こう側でも、ころっとまるい体型が見て取れる。だが布越しでも明らかな腕まわりの肉は、贅肉ではなく筋肉だ。
もしや、このお爺さんは。
「――鉱山族?」
「おう、そうだぞぃ。なんじゃ、そんな珍しいモンでもなかろ?」
やはりか。
小柄で、鍛冶が得意で、酒と美味しい食べ物が大好きな、この世界版ドワーフだ。
どうしよう、右を見ても左を見ても正面を見てもツボしかいない。むしろここ、私のツボ以外が少ない。私の心臓と理性が危機。
「爺さんの鉱山族はここじゃ珍しいぜ。特に討伐者ギルドにゃあんまりいねえよ」
「お、そうだったかいの? そういや、大抵の連中は職人ギルドへ行くからの~」
「セナ、この爺さんはバルテスローグ。通称ローグ爺さんだ。こう見えて爺さん、俺らと同じ聖銀ランクだから腕は立つんだぜ。専門は解体と採集なんだが、ほら、足もとに斧立てかけてるだろ? あれがローグ爺さんの得意武器だ。見た目以上に馬鹿力でなぁ」
「へえ……」
「金槌なんぞ武器にするかい! 神聖な商売道具でナニしとんじゃ貴様っつって、兄弟どもに怒鳴り込まれちまわー」
「きいてねーよ」
愉快な掛け合いについ吹き出しかけ――「ハッ!?」と気付いて引っ込めた。
「『俺らと同じ』?」
「ほ? そうだぞい?」
「……ウォルドさんも?」
「ん? ――ああ、言っていなかったな。俺も聖銀ランクだ。呼び捨てでいいぞ?」
「…………」
ちょっとおさらいしてみる。
討伐者ギルドの評価ランクは、下から順に草、石、青銅、鉄、銀、金、最高位が聖銀ランク。
よくある設定を当てはめるなら、さしずめ金がAランク、聖銀はSランクか。
このテーブル全員、Sランク?
「…………」
待って欲しい。私は本当にこの席に居ていいのか?
不自然な沈黙が長引く前に、料理が運ばれてきた。一度に数名分を作っているためか、私は遅れて来たにもかかわらず、同時に皿が並べられる。
ここの宿に泊まった場合、食事は全員同じメニューになるようだ。ローグ爺さんがさっきから食べているのは個別に追加注文した品で、またさらに一人前を食べる気らしい。
以前はまるごとスープだった特大ホッコリ芋が、今回はゴロッと切り分けられて、艶々のソースと乾燥ハーブをふりかけられている。黄金色のソースからは、食欲をそそるバターの香りがした。
それから、グリルされた自家製の腸詰肉。これ一本でホットドッグが二人前はできそうな特大サイズなのに、二本もある。
とどめに、食べやすくスライスされた黒パン。表面にこんがり焼き色がついていて、そのまま食べてもいいし、芋や腸詰肉と一緒に食べるのもオススメとのこと。
両手で持ちたくなるぐらいの木製ジョッキには、なみなみとそそがれた麦酒。
美味しそうだ。
どれも香りからして美味しそうなのだが。
「……ローグ爺さん。それ、全部お腹に入るんですか?」
「ほひょ♪」
「いつもこのぐらい平らげてんぜ、この爺さん」
「セナも足りないようなら追加を入れてもいいぞ?」
「あ、いえ、私はこれだけで充分です。むしろ食べきれるかな……?」
「おまえさん小食だもんなぁ」
「そうなのか?」
そうだったのか? 私って小食なの?
ウォルド氏に尋ねられ、私こそ私に問いたい。
前に辺境伯からおごってもらった食事は、お腹がはち切れそうになりながらも完食した。その時のことをグレンはきっちり憶えてくれていたようだ。
「十五歳で剣を使う奴なら、このぐらいペロッといきそうなもんだけどな」
「十五歳だったのか?」
「……童顔とよく言われます」
「ほ。見えんの~」
身体の出来ていない貧民の子ならいざ知らず、身なりの良い健康的な〝育ち盛りの少年〟であれば、普通このぐらいはペロッといってしまうらしい。
そして彼らの間で、私は「小食だから細身なんだな」と謎の華奢設定が追加された。
……私、身長かなり高くなっているし、筋肉量の増加で体重も増えたし、昔の記憶と比較すれば倍以上は食べているはずなのですが。
そしてウォルド氏は当然のごとく追加注文を入れていた。この体格ならば当然であろう。
やってきた小皿を目にして、私の中の〝小皿〟の概念が崩壊しそうになった。
これ、メイン料理の間違いでなく?
「セナは無理せず、食べられるだけ食べればいい」
「そうだぜ。食い切れそうにねえ分はこっちの皿に寄越しな」
「ワシの皿でもよいぞ~」
グレンすら私より胃袋が大きかったのは、地味にショックだった。




