33 二回目訪問、果たしてトラブル回避なるか
ご来訪ありがとうございます。
久々に夢を見た。
が、瞼をぱかりと開けた瞬間に忘れてしまった。
ARK・Ⅲが初めて自己紹介をした、あの日以降の何かだった、と思う。
むしろそれ以前の夢を、ここに来て一度も見ていない。
「……うーん」
人の記憶は、実は脳だけでなく、脳以外の全身にも記憶する仕組みがあるのではないか――いや、あるという話だったかな? そんな研究が進んでいたはずだけれど、あれの結論は結局どうなったのだろう。
ARK氏に訊いたらわかるかな。
いや、知らなくてもどうでもいいか。
◇
日の出までまだ随分とあるが、そろそろお出かけの準備である。
水を飲み、眠気覚ましに軽くシャワーを浴びた。バスタオルで水分を拭きとりつつ、壁から吹きつける温風を全身で浴び、短時間で乾かす。
それだけだと皮膚がカラカラに干からびてしまうので、保湿成分入りのローションを全身に噴霧。
《目を閉じてください》
「ん」
体内に入っても害はないとはいえ、この瞬間は息を止めてしまう。それと、きっちり瞼を閉じておかなければ痛い。
フシュ、と軽い音がして、数秒経ってから目を開けた。指でちょいちょいと肌をつついてみたら、いい感じにしっとりプルンだった。
入浴直後の急激な乾燥はこれで抑えられたので、美容に念を入れたければ、さらに保湿ミルクを塗ればいい。今回は省略する。そういうのは就寝前にやったほうが効果が高いのだ。
また喉が渇いたので、もう一度水を飲んだ。レモングラスを漬けた後でキンキンに冷やした水は、口内でほんのり香って美味しい。
次は私がお待ちかね、楽しい楽しい下着選びだ。
「ふふふ……ふっふっふっふ……」
ずらりと並んだそれらを眺め、我ながら怪しい笑みが漏れた。誰かに目撃されていたら通報一直線である。
――シンプルなスポーツタイプではなく、この世界では王侯貴族すら持たないほど、ゴージャスな総レースの下着。
正直に言おう。
私は高級下着が好きだ。
とても大好きだ。
プロポーション抜群のモデルが身につけているのを眺めるのも好きだし、自分で身につけるのも好きだ。
〈東谷瀬名〉時代からずっと、女成分に放浪癖があってよく行方不明になる私の、数少ない女性らしい趣味。それが下着へのこだわりだったのだ。
見えないところで密かなおしゃれ。自己満足の極致。
――否、第三者には見えないからこそ、恥の欠片もなく冒険ができる。
この身体になって、二の腕や下腹がまったくタプタプ言わないものだから、己の体型への敗北に起因する妥協が一切なくなり、調子に乗ってよりゴージャスなデザインへの欲求が高まった。
少々筋肉過多だけれど、うっすら腹筋が割れていなくもないけれど、この理想体型でこそ身につけたい、華やかさと繊細さを極めたレースのブラジャーやショーツ。
どうせ人前で脱ぎやしないんだからいいじゃないか――その主張に、ARK氏も問題ないと同意したからこその下着。
「よし、今日はこれにしよう。ふははは……」
黒と紺色のグラデーションのカップ。左胸部分には、蠍座の刺繍。
蠍の内側の微妙な透け感が絶妙なデザインである。
糸と布の織り成す繊細な夜空の中、心臓だけが小さな赤いビーズだ。
足の付け根が見え隠れする大胆なカットのおパンティには星座なし。でも色とレースで、上下セットとわかる。
確かこれは、ゲーム会社と高級下着メーカーのコラボ商品だった。なんとかスコルピヨンとかそんな名前で、人気だった課金アイテムを現実でも作りました、みたいな。
お高さのあまり、手を出しあぐねているうちに〝sold out〟になってしまった……。
姿見の前で仁王立ちからウッフンポーズまで、いろいろ試してみる。
うむ、よろしい。怪しさ百点満点でたいへん結構である。
ちょっと魔導刀を持って来……いやうん、やめておこう。
視線を下に向けた際、目に映る丘陵が少々控えめ過ぎる以外、とりたてて難点はない。
そこが致命的?
いやいや、それは君、あれだよ。
しょせん服をすべて着込んだら見えなくなるのだが、それもまた醍醐味なのだ。
◇
時間的には朝食ではなく、ほぼ深夜食か。
野菜の天丼をたっぷり食べて、日の出よりずっと前に〈スフィア〉を出た。
もとから森の中は陽が射しにくく、星や月灯りも届かない場所がほとんどなので、闇が濃い。
こんなに周りすべてが暗いと、逆に平気になるのが不思議だった。
茂みから突然何かが襲いかかってくる心配がないために、そう感じているだけかもしれないが。中途半端に灯りのあったほうが、暗がりの深さが増して恐ろしさを掻き立てるのかもしれない。
というわけで、この御方の出番です。
――〈フレイム〉展開 ライフル 照明弾――
いや、こんなワザをお持ちでいらっしゃったんですよ。すっかり忘れ果てていました。
多機能の名に恥じず、結構いろいろ入って芸が細かい御方なのだった。
「音だけじゃなく光も〝外〟へ漏れないようにしてるんだよね?」
《はい》
肩にとまった青い小鳥さんが請け負ってくれたので、遠慮なく銃口を上に向けて一発だけドン!
〈スフィア〉のシールドの内側で炸裂し、しばらく空中で漂って、光が弱まり始めたらゆっくり落ちて消える。自然に優しい照明弾だ。
実はこの世界、炎系統の複合魔術で、照明弾に似たものがあった。
その名も【偽りの太陽】。まんまです。
呪文を唱えたら、術士の力量に応じて空に丸い光が出現し、夜を照らす。その魔術式の仕組みを少々真似たらしい。
「ううーん。魔術ってほんと反則……」
発光の強い燃焼剤に、滞空時間を長引かせてどうといった模索が、この世界の人々には最初から必要ない。呪文を唱えれば万事解決なんて、狡くないか?
《その代わり、どの術式をどう組み合わせて魔力量は……という模索はあったかと思いますが》
「あ、そうか」
魔術は魔術で、長い年月をさまざまな研究や失敗を重ね、現在の形に落ち着いているのだろう。
制約もあり、万能ではないのだから、狡いは言いがかりだったかもしれない。ちょっと反省する。
「おー、明るい明るい♪ 昼間みたいだわ」
《十分ほどで消滅しますのでお気をつけください》
「十分も保つのか。さすがだな」
そんなに保つとは期待していなかった。
明るいうちに、行ける所までとっとと進む。この森は根が腐るような不健康な森ではなく、木漏れ日が地面までちゃんと届く健康的な森なので、想像以上にこの方法は有効だった。
それでなくとも夜目が利くようになっていたから、短時間でも結構な距離が稼げた。その後も三回ほど角度を変えて照明弾を上げ、それらも消えた後は、最終的に小型サイズの手作りカンテラを取り出した。
「森を出るまでバンバン撃ち続けってわけにもいかないしな。――そうだ、陽輝石も買おう。あれいくらだっけ? 市場で売ってる?」
《食材市には並んでおりません。価格は質と大きさによりピンキリです。〈青い小鹿〉なら上質のものを適正価格で入手できるでしょうが……》
「う。ゼルシカさんのお店かあ……。あの店、入った途端に何かのイベント始まりそうで怖いんだよねえ……」
カンテラより小さく明るい、走り回っても邪魔にならない灯りとして確保しておきたかったのだが。
《あとは討伐者ギルドの販売窓口でしょうか。商人ギルドより敷居は低いかと思われますが、一般販売向けの品揃えには偏りがあります》
「ああ、討伐者が優先だからねえ。それはしょうがないよ」
そこはそこでイベント発生スポットな気がする。
陽輝石は欲しいけれど、ううむ。
ひとまず、着いてから考えるとするか。
≪――お客さんはどんな感じ?≫
森の終わりが近付いて来た頃、念話に切り替えた。
青い小鳥が空間にマップを表示させる。この森の外側、やや離れた場所に、幾つか赤い光点が散らばっていた。
よほど接近されない限り、三次元より平面で表示したほうがすっきりとして把握しやすい。
≪現実問題として、この広大な森からの出入りを満遍なく監視しようとすれば、一個師団ほどの人数が必要になります。ただし行き先がドーミアであれば出現ポイントがある程度絞り込めますので、彼らはマスターが前回帰宅された際に通過したポイントを調べ、そこを視認できる場所に配置していますね≫
確かに、少ない人員ではそうするのが効率的というか、それ以外にないだろう。実際、こうして光点がマップ上に確認できるのだから、彼らのやり方は的確なのだ。
視力の良い者か、遠方を見る能力者か、もしくは監視用の魔道具なども用意して、できるだけ広範囲をカバーできるようにしている。
その部分もマップに色をつけて表示されているが、思いのほか隙間が少なかった。おそらくこの上手な配置は、プロの皆さんのお仕事だな。
≪プロは同業者がいれば、無用な接近を避けつつ互いの動向を見張りますから、結果的に広く死角を潰せます≫
≪ふむふむ。チンピラがダブルブッキングしたら、拳で縄張り争い始めそうだけどね。お花見の場所奪り合戦のごとく≫
≪噂をすれば、チンピラグループの合戦が始まりましたよ≫
≪おっ、ほんとだ。ここらへん、隙間がいっぱい開いてら≫
≪日の出時刻です。カンテラは消しておいてください≫
≪りょーかい≫
灯りを消してみれば、小鳥さんの仰る通り、足元の輪郭がうっすらわかる程度だ。
監視のなくなったポイントから悠々と森を出て、悠々と街道に至り、ふんふんと鼻歌交じりでドーミア方面へ向かうのだった。
≪あれ? 赤い光がついて来た? やべ、鼻歌のせいでバレたか≫
≪半獣族がいますね。――マスター、ご挨拶に行こうとするのはくれぐれもおやめください≫
≪そっ、そんなモフモフとかハモハモとか、別にちっとも考えてないしっ?≫
≪尾けて来る光点はいずれもプロです。余計なちょっかいはかけてこないでしょうから、くれぐれも、こちらからの接近はおやめください≫
≪……はぁーい≫
そんなに念を押さなくても、と文句を言いかけてやめた。
これに関してはARK氏に正義がある。
自分に信用は置けないと、そのぐらいの自覚はあるのだった。
◇
ドーミアの町に到着した。
森を出て少ししたらマップは消されたけれど、青い小鳥さんの索敵能力のおかげで、前回同様に魔物との遭遇もなかった。
のんびり長蛇の列に並び、前と同じ手順で門を通過。異なるのは、入町税を硬貨で支払った点だけだ。
≪ふわあああぁ~……相変わらず、すっごいわ~……町広い、壁でかい、まるごと遺跡で現役要塞……≫
≪北のイシドールはここより規模の大きな町です。通常はそこを通過してドーミアへ至りますので、感動を口にされる際はお気をつけください。辺境伯が〝気付かぬフリ〟を通してくださるにも限度があるでしょうから≫
≪わかってらい。でもこの感動をどう流せばいいんだ? 観光だってまともに出来てないのに、おのぼりさん気分がそうそう消せるもんか!≫
≪寄り道厳禁です、マスター≫
小鳥さんが釘を――いや、釘は駄目だ、うん。刺すのも撃つのも飛ばすのも、ちょっと慎重になったほうがいいと思う。個人的に。
忠告が胸に染み入った。そう、それがいい。
向かうべきは清潔なベッドと美味しい食事の出る宿だ。安宿もしくは金貨の飛ぶ高級宿は論外。
銀貨の範囲で泊まれる宿なら、そうそう外れはないと思いたいが――祭り価格で、どこも宿泊料が高騰している。
とはいえ、ぼったくりを防ぐために領主法で上限が定められているので、有り得ないほど高くはならない。多少の出費は仕方ないと割り切ろう。
≪あっ……しまった。出し物が始まっちゃってるわ≫
≪ここは通過できそうにありませんね≫
明るい時間帯に突入したから、旅芸人達の活動時間に入ってしまったようだ。踊りやら歌やら通りいっぱいを使って、見物人がひしめき合い、きゃあきゃあワアワア歓声をあげている。
さっき馬車が何かを見て迂回していたけれど、あれはもしやこれだったか。
この時間、この通りは通行不可と。
≪しゃーないな。別の道行くしかないか≫
≪でしたら、先ほどの十字路に一旦戻っていただき、次に……≫
ナビゲーション〝小鳥〟に従い、一旦引き返した。
人通りの少ないルートを指示どおりに選んで、先ほどとは雲泥の速さでスイスイと歩いてゆく。
段差をのぼり、水路の上にかかった橋を渡り、小さな女神像の瓶から流れ落ちる湧き水に後ろ髪を引かれつつ、「寄り道厳禁」を胸の中で唱えながら進んだ。
≪そこを右折後、道なりにまっすぐ進んでください。宿屋街の前の大通りに出ます≫
≪おっけー≫
裏道だが治安は悪くなさそうな雰囲気だ。右に曲がってしばらく行くと、まったく人通りがなくなった――と思いきや、前方に人影が二つあった。
大柄で堂々とした体躯の男と、小柄ではないが細身の優男だ。
「…………」
どことなく、空気がピリピリしている。
ほかに人気がないので、余計に聞こえてしまうのだが……言い争いをしている。
いや、細身の優男が穏やかに諭す口調で、大柄な男がそれに反発しているのか。
おまけに、そうでなくとも目立つ組み合わせだった。
大柄なほうは、身長が二メートルぐらいあるだろうか。立派な鎧と大剣は討伐者ではなく騎士の風情だが、辺境騎士団ではない。
それから、細身の男が纏っている白い衣装。あれは神官服ではないか。それも下位神官ではなく、高位の。
「……ウォルド、何故そうも邪険にするんだい? せっかくの再会じゃあないか。私は君と、きちんと話をしたいのに」
「俺には話すことなどない」
「どうして、そう頑固なんだ。いや、君は昔からそういうところがあったけれど……せめて私の話ぐらい、ちゃんと耳を傾けてくれないか?」
「くどい。――それに俺は人と待ち合わせをしている。暇ではないと、何度も言っているだろう、サフィーク」
「待ち合わせ、かい? ……まったく、どう言えばいいんだ」
…………。
まったく、どうすればいいんだ。
何故キミ達はこんな誰もいない路地で、口喧嘩なんてしているのかね?
誰もいないからか。そうなのか。
そして誰もいないせいで、凄まじく通りにくいフィールドがそこに出来あがっているのだが?
進路妨害だぞ?
私はその横を何食わぬ顔で通り過ぎていいのか?
それともいけないのか?
どっちだ?
せっかく遠回りしてきたのに、また引き返すしかないか――いや、もういっそのこと前みたいに屋根へ上って――。
と、その場で考え込んでしまったのが失敗だった。
大柄な男が、ふとこちらに顔を向けた。
視線がバチリと合った。
「――すまん! 随分待たせてしまった!」
……はい、巻き込まれ決定。
トラブルが人ごみを避けて静かな場所へ移動した結果、瀬名に遭遇しました。




