32 お出かけの前日
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たとえ肉体を隅々まで模倣しようとも
流れる血は同じではない
――〝彷徨える魔法使いの著〟 ラグレイン=ヴァシュレ――
私は埃を被った古い書物のページをめくり、古代語の謎めいた文章をゆっくり読み進めていった……と格好つけたいところだが、空間に表示された画面をスクロールさせているだけだ。
本日はアームガード〈フレイム〉の最終調整日。午前中は森の中を走り回りながら、障害物がある環境でアサルトシールドやライフルの使い勝手を試した。
現在、すっかり大規模になった家庭菜園を眺めつつ、読書しながらお昼ごはん中である。ラストの鳥ひき肉を使ったロールキャベツがうまーい……。
この森は魔力を持つ生物を迷わせるので、魔力ゼロの私には、ただの広くて綺麗で安全な森でしかない。
いや、「ただの」という表現は相応しくなかった。神秘的な絵本の世界観がテーマのゲーム背景がそのまま出てきたような、とにかく歩くだけでテンションの上がる素敵な森であった。雨の日を除いてほぼ毎日、探索やアスレチックマラソンをしているのに、未だに飽きがくる兆しはない。
注意しておかねばならないのは、魔物や盗賊、危険な毒蟲や魔性植物への警戒が一切無用な森は、滅多にないのだということ。それを念頭に置いておかなければ、いざ普通の森へ入るとなった時――そんな状況は考えにくいが――致命的なミスに繋がりかねなかった。
ともかく、ここは侵入者皆無の〝迷いの森〟であり、おまけに〈スフィア〉を中心とした何重ものシールドで守られている。外敵を防ぐだけでなく、どんなに大きな射撃音でも外に漏れる心配がない。
はっきり言って、AlphaやBeta君が農耕ロボットを操作し、ガタンゴトンとやっていた時のほうがうるさかったのではないかと思う。〈フレイム〉の狙撃モードによる射撃は、低く腹にくる音が威力の大きさを実感させて逆に怖いのだけれど、ARK氏が一定間隔ごとに録音したのを再生したら、思ったほど遠くまでは響いていなかった。
ええはい、試してみました、遠距離射撃。人がいないからこそできる。むしろここでしかできない。
結界外で封印を解いちゃいけないやつです。
とりあえず森を見下ろせる高い丘から、およそ一キロ先の大岩を狙ってみた。岩の上に置いたビンを狙うなんて、そこまでの腕は自分に求めていない。
誰もいないとわかっていても、うつ伏せは背中のガラ空き感が落ち着かないし、服の前全部が汚れるしで、やはり好きではなかった。しゃがんだり座ったりの姿勢のほうが、すぐ立ち上がって動ける安心感がある。
試し撃ちをしてみた感想としては、某映画で、肉食恐竜の潜んでいる樹々の枝葉がザワザワザワッとなるシーン。あんな感じになり、つい口角がニマァァ……なんてことは別になかったとも?
発射薬を使う仕組みじゃないのに、結構大きな反動がくるのは何故なのかをARKさんに尋ねてみたら、
《高速回転する魔導式により生じたエネルギーで魔素弾を瞬時に加速させる際に反対方向にも同じ力が》
「ぎぶ! ギブアーップ!」
危なかった。
これ、止めなければひたすら延々と解説し続けるパターンだ。
そこそこ狙い通りに当たって、この距離なら岩は貫通せず、普通に小さな弾痕が残る。
それだけわかったらいいのである。
で、野外でのテストも無事終了し、〈フレイム〉をBeta君に預け、すべてを忘れてのんびりランチタイムと相成ったわけだ。
今読んでいるのは、知る人ぞ知る魔術研究家の著書。
生没年がはっきりしないのだが、二~三百年ほど前の人物と思われる。
有能な諜報鳥EGGSは、閉じた状態の書物であってもスキャンして中身を読み取ることができた。魔力がなければ読めない文字だとお手上げだが、それ以外は全部、どんなに厳重に隠していてもゴッソリいただいてしまえるのである。
その中で私の頭に叩き込まれているのは、知っていないとおかしい一般常識に関する知識のみ。ラグレイン=ヴァシュレに関しては、知る人ぞ知る、一部では人気、つまり知らなくても問題ない知識だった。
そういうのを気まぐれに少しずつ読むのが、最近の趣味といえば趣味だ。
手書きの装飾文字や、味のある挿絵を眺めるだけでも結構楽しい。
活版印刷の技術はなく、すべて手書き。この大陸にその技術が広まるのは、まだ四~五百年ほど先だろうとARKさんは予測している。
アルファベットと違って、この国の公用語は文字数が多い。古代語や魔術言語も入り混じって現代語に定着しており、自分を示す一人称も「私」「あたし」「僕」「俺」などと複数あって、かなり細かい微妙な表現も存在するのだ。
加えてインクや筆記具、手書きの文書それ自体に魔術的な効力が備わることもある。
そういった諸々の事情で、大量印刷までには越えねばならない高い壁が幾つもあった。
今は書類の枠線だけ型を作ったり、確か討伐者ギルドの依頼書でランクを示すマークはハンコだった。そのぐらいが精一杯か。
魔術があるので偽造防止その他に強い分、魔術があるせいで技術方面がなかなか発達しない。
一長一短。
まあ私個人の意見としては、短所に数えなくていいと思う。
ブレーキのかからない急激な技術の発展、その行き着く先の未来のひとつが、あのドームだったのだろうから。
それはさておき、この著者はなかなか面白い。
まず第一に、魔術研究家という肩書がそそる。
この世界、眉唾ではなく、しっかり確立された学問の分野なんだもんな。
でもってこの方、ミドルネームがないけれど〝魔法使い〟ではない。著者本人が自己紹介文で明言している。
魔法使いに憧れて、それっぽいペンネームを使っているそうだ。
この世界の神話や神殿の成り立ちなどを真面目に語っているかと思いきや、蓋を開ければ〝魔法使い〟の出てくるおとぎ話を真面目に分析するのが好きな変わった人である。
変わった人だから、あんまりメジャーではない。
ぶっちゃけ、オタクである。魔法使いオタク。
親近感が湧くな。
そして、よく〝魔法使い〟が出てくるおとぎ話といえば、デマルシェリエ伯爵領。
一番多いのは、性格がねじ曲がって素直さの欠片もない偏屈魔女だ。
ダークヒーロー的なところが地元では大人気らしいのだが、余所ではまったく知られていなかった。「教育に悪いって文句つけた親がいるんじゃね?」みたいに書かれているけれど、多分当たっている。
女は従順で控えめが望ましいとされる世の中、英雄の尻を蹴飛ばして戦わせる魔女が主役の話なんて、うちの娘に聞かせてたまるかと思った皆さんがいるのだろう。
ほかにも、神殿や神官などが纏っている清浄な力を神気と呼び、それ以外を魔力と呼ぶが、〝魔法使い〟はこれらと異なる第三の力を行使しているのではないか――的なことも書いている。
「おやあ、当たらずとも遠からず? なかなか鋭いじゃないの」
《デスネ~》
エセ魔法使いはそんなふうに思うのだった。
この土地と関わりのある本を優先的に、という基準で適当に選んだけれど、面白いものを見つけたかもしれない。
《マスター。ご報告です》
コーヒーをすすりながら読んでいると、ARK氏が声をかけてきた。
「何? 調整で気になるところでもあった?」
《いえ、先日のドーミアの件です。例の第一王女アレーナが、王都へ送り返されました》
「……あれま」
あの一件の後、いろいろARK氏に調べてもらったのだ。
あのお嬢さんは辺境伯の息子ライナス君の婚約者であり、この国の第一王女、アレーナという名のお姫様だった。
王女様は恋に恋する恋愛脳の持ち主で、目の前の現実より素敵なお花畑しか見ない人種であり、辺境伯親子は以前から、このお姫様をお迎えすることを不安視していたのだそうな。
しかも、王様から希望を尋ねられ、本当は堅実で聡明と名高い第二王女のフェリシタを望んでいたのに、アレーナのほうを押しつけられたそうな。
「面白みのないつまらぬフェリシタより、愛らしく明るいアレーナのほうがよかろう」と。
なんじゃそら、である。
辺境伯家は国にとって重要な位置づけにある。国から離反されないために、今までも何度か王女が降嫁しているのだが、先代国王と先々代国王には娘が生まれなかった。
だから当代国王の娘は、必ず辺境伯家に嫁がねばならない。
ところが、この王様も自分のプライドを優先させたがる困った御仁らしく、人望があって優秀な辺境伯に長年コンプレックスを抱いており、何かにつけネチネチ嫌がらせをしているのだそうな。
わざわざ希望を言わせておきながら、別の娘を強引に押しつけるとか。
なんじゃそら。
恋に恋するアレーナ王女様は、「王女として生まれたばかりに、愛のない結婚をしなくてはいけないなんて……なんてわたくしは不幸なのでしょう……!」と嘆きまくったそうな。
「嫌! わたくし、結婚なんてしたくない! 絵姿? そんなもの、捨ててちょうだい……!」みたいな感じで。
そして初顔合わせの当日、ライナス君の素敵っぷりを目にして、「ああ、これがきっと運命の恋なのね……!」みたいな。
なんじゃそ(略)
このあたりで目が遠くなりかけたのだが、侍女が黒さを発揮し始めて面白くなってまいりました。
そう、あの王女様が都合よく暴漢の待ち構える路地を通りかかったのは、あの侍女が連中と裏で繋がっていたからだった。
彼女は何年か前、嫁ぎ先の相手がタチの悪い男で離縁したという。年齢的に再婚も難しく、嫁ぎ先の親族が責任を感じて、侍女の働き口を紹介する流れとなったらしい。
そんな過去があったため、アレーナ王女の言動には日頃から神経を逆撫でされまくっていたらしい。「あなたは自由に恋愛できていいわね」みたいなことも日常的に言われていたとか。そりゃあ腹立つわ。
そこへきて、ライナス君と対面後の手の平返しである。むかつくわ。そりゃああむかつくわ。
こぉのパヤパヤ娘がぁあーッ!! てなるわ。
でもって彼女の元夫というのが、違法賭博に手を出したり、浮気三昧だったり、ちょっと表に出せないお友達がたくさんいるタイプだった。
昔、家に出入りしていた、ちょっと悪そうな知り合いに軽く声をかけてみた……そんなつもりだったらしい。
うむ、そこから駄目である。
王女誘拐未遂を企てておいて、「ちょっと怖い目に遭わせてやりたかった」で済むか。
計画では自分も攫われたフリをしておいて、姿をくらますはずだったのに、まさか本気で攫われそうになるなんて……と愕然としていたそうな。
え、まさかそんなのを雇っておいて、我が身が無事で済むと本気で思ってたの? マジで? と突っ込みたくなった。
結論としては、彼女の正体はアレーナ王女に負けず劣らず、世間を知らない貴族令嬢なのだった。
ちなみにパヤパヤお花畑なお姫様と、ポヤポヤ腹黒侍女が化学反応を起こして、どうやって内緒のお忍び見物に出かけられたかというと。
護衛騎士を薬で眠らせて、辺境伯家のみに伝わる緊急用の隠し通路を勝手に使ったそうな。
駄目駄目である。もう完全アウトである。
そんなつもりなかったんですの、じゃあ済まされない。――この侍女に背後が存在していたならば、隠し通路を利用し、間者を招き入れる事態も考えられたのだから。
光王国の法において、外患罪はたとえ王族でさえ死刑になる。
防衛の要たるデマルシェリエ領。国境が目と鼻の先にあるドーミアで、誰にも見咎められず出入りできる極秘の通路を、危機的状況下でもないのに、重要人物ではないただの侍女に教えた。
もし侍女に他国の息がかかっていたとしたら、「知らなかった」が減刑の理由になりはしない。
まだたった十四歳。――けれど〝もう〟十四歳。
王族であればなおさらだ。
国を導く責任、自分の行動のもたらす結果、それらを理解していなければいけなかった。
――つまりそういう肝心なものを全然持っていない、「愛らしく明るい」だけが取り柄の、どこにでもいる浅慮な貴族のお姫様だったわけである。
自分がいつまでも素敵な恋物語のヒロインでいられると、それが許されると信じきっていた……。
《王女アレーナは往路の馬車とは異なり、辺境伯家の馬車に監視付きで乗せられ、侍女は護送車によって送り出されました。辺境伯家としては非常に苦々しい出来事だったものの、結果として爆弾を抱え込まずに済んで不幸中の幸いだった、という認識のようですね》
「あ~。嫁に迎えた後で、いつ何をやらかすか、ってずっと神経遣うよりよかったのかな」
侍女は王都に到着後、おそらく死罪になるだろう。部分的に同情しなくもないが、やらかし具合がアレなのでトータルマイナス評価、同情の余地は消滅だ。
王女アレーナは、なんとなく王様がアレっぽいので、甘い処分に終わりそうな気配がなくもない。けれどさすがに、婚約は白紙に戻るはず。
「ライナス君がお姫様を連れてパレードするみたいな話、どっかで聞いた気がするんだけど。中止になっちゃって、ドーミアの経済効果とか大丈夫なのかな?」
《問題ないようですね。もともと情報に通じた商人の間では、アレーナ王女に難ありと噂されていたようです。重要な役目には向かない姫君であり、辺境伯家ではなく、いずれかの公爵家へ降嫁すれば良かったろうに……と前々から辛口評価されていたようでした》
そんなわけで、むしろ歓迎ムード一色なのだそうな。いいんだろうか。
まあ、私には関係ない話だけれどね。
◇
お出かけ用の荷物最終チェック。
鞄の中身は前日までに準備しておくのが鉄則である。
焼き菓子タイプの非常食。
保存と殺菌作用のあるハーブを漬け込んだ水。
以前〈薬貨堂・青い小鹿〉で購入した着火石。
小型ナイフと手の平サイズの携帯鍋セット。
それからお金。金貨で支払える店は限られるので、あまり高額貨幣は持って行かないほうがいい。前に金貨を崩しておいてよかった。
金貨1枚、銀貨20枚、銅貨30枚。これだけあれば充分かな。
資金はたっぷりあるので、今回は売り物用のお薬は持って行かないことにする。
そうそう、忘れてはいけないのが、護身用のお薬各種だ。
麻痺薬、誘眠香、催涙薬、失神薬、赤い悪魔。
これだけあれば充分だろう。
使う予定はもちろんないがね。
ドーミアに到着したら、宿屋へゴー!
ご飯を食べて速攻で寝る!
翌朝、早起きして市場へゴー!
食材をがががっと買い込み、脇目も振らずゴーホーム!
寄り道厳禁!
よし、完璧だ。
次話、再びドーミアへ行きます。




