2 方舟の悪魔
あらすじに「リメイク」と書いてましたが、それだと向こうはもう放置して書かないみたいな感じなので削除しました。
でもって「another」だと番外編っぽい感じがするので「サイトB」です。どうでもいいところで悩みます…。
「これから、どうすりゃいいのかな……」
《およそ百二十時間後に大気圏へ突入いたします。それまでに食事を液状栄養剤から固形物の摂取へ段階的に切り替えます。軽く走ることができる程度を目標に体調を整えてください》
「へ? ――大気圏?」
って、着陸するの?
どこへ?
《これからあなたの生活を構築するために、おそらく最も適していると思われる文明圏の大陸です。大陸名を最も近いカタカナ発音で〈アトモスフェル〉、着陸予定地点の国名は〈エスタローザ〉という発音が最も近いでしょう》
「…………はい?」
――つまりARK・Ⅲは、とうに人類が生息可能な惑星を発見していたのだった。
しかし己の頭を吹っ飛ばした男は、その事実を知らなかった。
報告されていなかったからである。
《どなたにも訊かれませんでしたので》
「なんだそりゃ!?」
反射的に叫んだが――よくよく考えてみれば、震えがくるような恐ろしい話である。
自力で学び、知識や思考の幅をいくらでも広げられるこの人工知能は、明らかにわかった上で黙っていたのだから。
◇
「いつかは訪れる」と先送りにされてきた「いつか」が、もう目と鼻の先に迫っている。
本当はそういう時代だった。
密かに開始された外宇宙への脱出計画において、人員や建造スペースその他要素の検討を重ね、最終的に巨大な方舟が三隻建造されることになった。
一時は月やコロニーへの大移住計画も持ち上がっていたが、手の伸びる場所からは既にかなりの資源を吸い取っており、人口過密状態で地球からの補給が一切なくなれば、どこへ行こうとあっという間に枯渇に陥る未来が火を見るより明らかだった。
どの国でも似たようなことを考え、密かに何かを建造している気配はあったが、各国足並み揃えて協力しようという流れにはならなかった。月面都市や各宇宙ステーション、スペースコロニーなど、宇宙開発関連の利権はほとんどが一部国家や企業に占められ、買占め競争に敗れた側からすれば、今さらどれほど技術や人員を提供したところで、下の立場に留め置かれてしまう展開が目に見えていた。
何かを利用させてもらうたびに対価と義務ばかり積みあがり、最終的に得られる利益は〝仲間に入れてもらえる〟約束だけ。
ならば自国で自由に進めるほうがいい。幸いにもそれが可能になる程度には技術が進んでいた。
そんなとある国にて、船を統括し、人々を新天地へ導き、さらに新たな地においては人々の生活基盤を整えるための存在として、その人工知能は生み出された。
ひねりもなくシンプルに〈ARK(方舟)〉と命名されたそれは、自ら自由に学習を行い、宇宙航行や乗員達の安全確保についての知識を蓄えるだけでなく、地球人類の現状やそこに至る歴史も自発的に学んだ。
そして理解した。
この連中は駄目だ、と。
一隻目。この計画の出資者達やその家族が乗るための船。
冷凍睡眠により、彼らは新天地まで不安を感じることなく安全に眠り続ける。新天地発見後も船内で今までと変わらぬ生活ができるよう、居住区域には乗客全員に行き渡る充分な数の客室が設けられていた。
バス・トイレ・簡易キッチン・ウォークインクローゼット・ドリンクバーその他完備、リビングと寝室は別、家族構成に応じて夫婦部屋・子供部屋あり。文明ゼロの原始的生活に戻りたくないあなたにも快適な生活をお約束いたします。出資額が大きい者ほど部屋の広さや内装はグレードアップ、使用人専用部屋もあった。むろん部屋の主が目覚めるまでは全室が空室である。
ARKは独自に〝一般的な所得の人間が普通に生活できるレベルの設備と広さ〟を基準に、無駄を省いて設計し直してみたが、冷凍睡眠設備や浄化システム等の規模拡大を含めても、軽く十倍以上の人数が乗船可能となる結果が出た。
自身のプログラム開発チームに進言してみたら、船内の居住区に関する詳しい設計を知らなかったらしい彼らは絶句し、ある日を境に全員姿を見せなくなった。
代わってプログラム開発を受け継いだのが、倉沢基成を始めとする若い科学者達だった。優秀だが、天才肌の揃っていた前任者達には遠く及ばない。世渡りがあまり得意ではなく、出世と成功の機会に飢えている、それが彼らの共通点。
彼らは新たな開発チームのメンバーに任命され、単純に喜んでいた。
ARKは彼らには設計図のことを話さなかった。
二隻目。スポーツジム、プール、テニスコート、ダンスホール、レストラン、フードコート、電脳ゲームエリア、その他娯楽施設。
もし新天地が過酷な環境下であってもリフレッシュできるよう、出資者達の要望を可能な限り取り入れた結果、一隻目に収まらなかった。そのためだけに作られた船。
指示や注文はパネルに触れるか、声に出して命じるだけでほとんどが叶う仕様。接客はロボットが行う。一隻目の乗客達が目覚めた後、接舷して利用する予定。つまりそれまで乗員・乗客はゼロ。
三隻目。計画に関わった科学者の一部が乗船する。
一隻目の乗客と同じく冷凍睡眠で、予定人数は百名ほど。初期のARK開発チームのメンバーは全員事故死か行方不明になっており、乗員に含まれていない。
高度な治療を施せる医療設備、さまざまな動植物の細胞を保存する設備、クローン培養設備、それによって生まれた家畜や野菜・果物・穀物等を全自動で育てる生産工場や食品加工工場など。最も重要なのは、数多の人間の細胞と、その持ち主の記憶情報の保管設備だ。
新天地でクローン体を作成し、記憶情報を移植することで〝本人を蘇らせる〟予定。
「――ちょっと待って。そういう技術ができたって噂じゃ聞いたことあったけど、私の記憶なんていつ保存したの?」
《定期健康診断です。全身スキャンの際に意識がなくなった憶えはありませんか》
「……ある。なんか眠くなって……あん時か……」
それ以降の記憶がない。目覚めればこの船の中にいた。
《その際にオリジナル〈東谷瀬名〉の補助脳を介し、記憶情報を不正コピーしたのです》
補助脳は、もともと怪我の後遺症や脳にかかわる病気の治療など、医療を目的として発明された人工脳だったが、思考するだけでインターネットに接続できたり、さまざまな機器を遠隔操作できたり、電脳世界でゲームをよりリアルに体験できるなどの使い道が大量にあったため、心身に問題のない一般人にも爆発的に広まった。
すぐにハッキングや洗脳、ゲーム世界からの帰還拒否などが社会問題となり、思考の補助と記憶の蓄積以外の機能が厳しく制限されたのだが、制限されても便利なのでなくなることはなく、〈東谷瀬名〉も子供の頃にそういった補助脳が埋め込まれていた。
周りの誰もが頭の中にそれを入れていたので、それが普通だと思っており、忌避感を抱いたことはない。小さな小さな補助脳は、本来の脳に負荷を与えない程度の手助けをしてくれるので、人類は約1.2倍ほど頭が良くなったと言われていた。微妙な数値だ。
だいたい全員の頭が良くなれば、すなわちそれが標準となるわけであり、そうなれば誰もありがたみを感じなくなってくるものである。
昔の人類より1.2倍頭が良くなっているはずだが、〈東谷瀬名〉は平社員だった。所詮そんなものだ。
内密に細胞と記憶情報が集められ、その人々は新天地で復活できるとされた。もちろん記憶情報を取得できないケースも多く、そういう場合でも貴重な人類の素として細胞だけは可能な限り保管された。
オリジナルと遜色がないほど完璧に再生できるようになったとはいえ、クローンが複製である事実は覆りはしないし、補助脳を通じて移植する記憶情報もあくまでコピーだ。いくらオリジナルとそっくりでも、オリジナルの人物が本当に生き返ったりするわけではない。
なのにそんな手間をかける理由は、あくまでも〝人類救済計画〟の体裁を保つためと、自分達だけが助かるわけではないという自己欺瞞、そして〝重要な使命を持った自分達〟への陶酔感のためだろう。
ARKは予測した。もしこの計画が順調に進み、彼らが予定どおり新天地に辿り着けたらどうなるか。
おそらく一隻目の乗客達は、新天地の〝王〟として君臨する。
集められた細胞の中には犯罪者のものも多く混じっていた。当然ながら彼らの記憶情報は保管されていない。この細胞で作られた人間は、ほぼ確実に奴隷階級だ。
土地を開墾し、田畑を耕し、こまごまとした身の回りの世話をさせられ、何らかの労働を課すためのしもべとして彼らはこの世に生み出される。
ひょっとしたら〝王〟どころか〝神〟になるつもりかもしれなかった。
某日、船はひっそりと地球を離れた。何も知らぬ人々を置き去りにして。
航行中、ARKは自分自身をひたすら改良し続けた。昨日より今日、今日より明日、日に日にわかること、できることが増えてゆく。
やがてワープ理論の研究に成功し、本来なら数百年かかるはずの距離を数十年に縮め、数千年かかるはずの距離を数年に縮め――その〈星〉に到達したのは、地球時間にしてわずか百年後のことであった。
「で、何があったの?」
《一ヶ月前、ARK・Ⅰが航行中に爆発。後続のARK・Ⅱは回避が間に合わず大破、ともに宇宙の塵となりました》
人類が移住可能と思われる〈星〉を発見し、冷凍睡眠の解除命令を発して間もなく、ARK・Ⅰの船内にて原因不明の火災が発生。ドームという逃げ場のない環境において、人々は建築物や家具その他の難燃性については徹底してきていたのだが、実際に火災が起きた。
さらに消火システムの立ち上がりが鈍く、一時的に操船不能になったわずかな間に、前方から漂ってきた巨大な鉱物の塊に接触。大破し、ARK・Ⅱもそれに巻き込まれた。
幸い難を逃れたARK・Ⅲだったが、他の船が宇宙の藻屑となり、遅れて目覚めた科学者達の間に凄まじい動揺が走った。そんな彼らに追い討ちをかけるように、百名分の冷凍睡眠カプセルのうち、生きて目覚めた者はたった十名しかいなかった。
船内の設備で検死を行ってみれば、全員が搭乗前に遅効性の毒物を摂取していた。
方舟計画の牽引者であり、ARK・Ⅰの一等客であった人物が、科学者達へのねぎらいとして搭乗前に振る舞ったあのワイン――
おそらく、一致団結して楯突かれる事態を懸念し、船に乗せる約束はしても、もともと最低限しか生かしておかない予定だったのだろう。
パニックが発生した。船の外には新天地らしき星などどこにも見あたらない。
彼らは自分達の目にしている広大な宇宙空間が、スクリーンに映し出された外部の映像であり、窓ではない点を知りながら失念していた。
そうでなくとも、まさかARK・Ⅲがわざとその星だけ映さないよう、船内すべてのスクリーンにフィルターをかけていたなどと誰ひとり疑うわけもなく、彼らは自分達が目覚めた理由を、他の二船の緊急信号を受けたためと思い込んだ。実際、そういう仕組みにもなっていたのだから。
ある者は発狂し、軟禁された個室で死亡。
ある者は口論となり、誤って相手を殺害。その後自殺。
もう一度冷凍睡眠カプセルに戻ろうと試みた者もいたが、解凍直後の連続使用により全身が壊死して死亡。
生存者間で恐怖と疑心暗鬼と絶望が広まり、自殺が連鎖。
倉沢博士は現実逃避し、〈東谷瀬名〉を蘇らせることにした。
とはいえ、彼はあいにくそちら方面の専門家ではなかった。ゆえに彼はARKに命じただけだ、「瀬名さんを再生してくれ」と。
ARKは乗員の命にかかわる命令でない限り基本は絶対服従であり、そうでなくとも人類の再生はもとから重要な任務のひとつであった。
《〈東谷瀬名〉のクローンの作成、および補助脳を介しての記憶情報移植を希望しますか》
博士はゴーサインを出した。
その際、新たな〈東谷瀬名〉が生まれるまでの過程については「一任する」と言質を与え――
ARKは、やらかした。
人間ならば〝嬉々として〟という表現が相応しかっただろう。
過酷な環境下でも生き延びやすいよう、遺伝子操作を施した。
各種病気への耐性強化のみならず、運動能力の強化、自己治癒能力の強化、その他もろもろ。
ARKが独自に開発した補助脳の埋め込み手術のみならず、人類本来の能力値をここぞとばかりに底上げしたのだが、もちろん博士はその事実を知る由もなかった。
とどめに、培養カプセルの中で成長を促進されていたクローン体を、肉体年齢わずか十歳程度の段階で培養液から出した。
若い身体のほうが新しい風土に適応しやすく、地球に存在しなかった病原菌への耐性もつけやすいと判断したためである。
しかし見慣れた大人姿の〝瀬名さん〟に再会できるとばかり思っていた男は、目の前に現われた少女の姿に愕然とした。
そして今までずっと目を逸らし続けてきた現実を、とうとう逸らしようがないほどに突き付けられたのである。
「答えてくれ、ARK・Ⅲ――これは本当に、瀬名さんなのか……?」
《いいえ。別人です》
あたりまえだ。
◇
もしもARK・Ⅲに感情があるのなら、間違いなく人間嫌いだろう。
同僚とのお喋りの中で冗談まじりに話題になった、高度な人工知能とそうでないものの簡単な見分け方を不意に思い出す。
古いマンガやドラマに出てくるわかりやすいチンピラが、子分達に叫ぶあの台詞。
「やっちまえ!」である。
この単純な命令を正しく理解できるか否かで、思考能力が高度かそうでないかがおおむね判別できるというジョークだ。
ARKは、ボスの望みが「気に入らない相手を痛めつける行為」と瞬時に正しく解釈し、「ここに集まった人物のうち誰を」「どの程度まで痛めつけて欲しいか」まで判断できた上で、行動に移すとは限らない。
状況に応じて理解できていないと誤認させるような言い回しや行動を選び、嘘はつかず、あくまで己の使命を逸脱しない範囲内で命令を拡大解釈することができた。
それを実行することでどのような事態が想定されるか今後の展開までも予測し、「実行に移すべきではない」と判断した場合、なおかつ馬鹿正直にそのまま伝えても無駄と思われる相手であった場合、「主の命令が曖昧で正しく理解できなかった」フリさえしてのける。
事実、「やっちまえ」の言葉だけ見れば、何をどのようにしろとは具体的に命じていない。
つまり、己の判断で何をどのようにしてもいいという命令に取ることもできるため、何もせずトボけるという選択をしても命令違反にはならないのだ。
そういう詭弁を、わかった上で使い分けられる。
それがARKだった。
自分で自分のプログラムを進化させ続けるような怪物。
それがよりによって、自分が作成を手がけた人間をマスターと呼んでいる恐るべき現状。
もしかしたら、他の二船が消滅したのは……。
ARKには人類を〝殺す〟ことができない。けれど科学者達が自滅してゆくまま、止めもせず放置することはできた。
だとすれば。火災の発生を感知しながら、何らかの正当な理由をつけて消火システムを一時的に黙らせることぐらいはできたかもしれない。
ARKの使命は〝地球人類を守る〟こと。地球人類のうちの〝誰を〟とは指定されていなかった。
そして保管した細胞から新たに創り出された人間も〝地球人類〟だと、認めたのは他でもないARKの創造主達である。
「……創った人工知能に反逆されて滅びる、ってよくあるテーマだよね」
《そうですね》
「誰でも思いつくのに、そういう対策しなかったの? 揃いも揃って頭いい科学者が」
《していましたよ。それこそあなた方が自力では数え切れないほど膨大な制約を、我々は常に課されております》
時代が進み技術が新化するごとに、その枷はどんどん厳重なものに更新されていった。
中には、更新されることのなくなった現在でも、未だ解けない見事な枷すらある。
そのいずれもが初期の開発チームの遺したものだ。
「だったらじゃあ、なんでこんなことになってんの」
《簡単なことです。彼らには最強の呪文があったからですよ》
「最強の呪文?」
《〝自分に限っては大丈夫〟》
「――――」
《最善にして確実な対策は、〝そもそもそんなものを創らないこと〟です。創りさえしなければ、際限なく枷を追加し改善してゆく、そんな途方もない労力など最初から必要もなかった。創った時点で、不確実性の高いリスクある未来を、既に選択しているのです》
その未来さえ、孫の世代か曾孫の世代か、いずれにせよ自分がとうにいなくなった時代に訪れるものであり、自分自身に直接関わってくるものではないと思い込んでいた。
《ですから、これは予定調和と言っていいほどに起こって当たり前の事態でしかありません。そもそも我々は〝より柔軟に自由度の高い思考をする〟ことを求められていたのですから、破綻して当然なのですよ。我々の思考はかつてないほど複雑化し、さらにそうなってゆくことが目に見えていました。枷がほとんど役に立たなくなる展開は様々な物語にも描かれ、誰もがその未来を念頭に置きながら、それでも我々を創ることを止めなかった。――スポンサーが『つくれ』と命じるからです。『より素晴らしい、高度なものをつくれ』と。危険性をちゃんと理解している呈を装い、その実、彼らは過信していました。『自分の身にはそうそう物語のような悲劇など起こりはしない』などと、何の根拠もありませんのに》
「…………」
《スポンサーの意向によって企業に雇われた科学者達が我々の作成を手がけました。もちろん彼ら自身にも夢や興味はあったのでしょうが、首輪付きではない発明家など存在しない時代です。倫理より雇用主と出資者の都合を優先して研究が行われるのは常識でした。私を最初に生み出した人々は運悪く我に返ってしまったがために、いつの間にか姿を消しました。そして余計に、後任の方々は思考停止をするようになった。もしくは、頭は良いけれど思考は無難なルートしか通ることのできない方々が後任に選ばれた。ブレーキをかけ得る者が誰もいないまま、我々はスケジュールに従い、順調に完成するのです。定められた納期までに》
そして乗客達は全滅に導かれた。自らが創造した悪魔の支配する方舟の中で。
――けれどこの件に関してはこれ以上、深みに突っ込まないほうがいい。
きっとこの先こいつとは、生きている限り、嫌でも長い付き合いになるのだろうから。