25 青鹿の女将
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気長に待ってくださる方は本当にありがとうございます。
幕間が2~3話?ぐらい続く予定。少し短いですが、今回は女将の回です。
黒髪の少年の背中が扉の向こうに消え、〈薬貨堂・青い小鹿〉の女将ゼルシカは「よっこらしょ」と立ち上がった。
今日は客が少ない。期間限定の特別な品を出すわけでもなく、明るい時間帯はお祭り騒ぎに乗っかった店や、旅芸人の出し物に人が流れるからだ。
それでも日頃から品質の良さと品揃えで定評があり、外の喧騒と裏腹にシンと静まり返った店内を見ても、女将にまったく焦りはない。
重厚な木製の扉には、手の平程度の菱形の穴が、高い位置と低い位置に三か所あけられている。それぞれ色硝子を嵌め込んであり、採光と、そして客人が前に立てばわかりやすいようになっている。
一枚板ではなく、砕いた硝子を継ぎはぎにして安価に抑えたもので、特段珍しくもないが、あの少年は妙に気に入った様子だった。
(どことなく浮世離れしてたが。さて、どっから来たのやらねぇ)
もしも予定通り、商人ギルドなり治癒院なりに直行していれば、とりたててあの少年に注目する者はいなかったろう。
この時期、余所者は多い。他領からも他国からも人が増え、さまざまな種族が行き交う中、黒髪に黄味がかった肌色程度で目立ちはしない。
よほど奇矯なふるまいを見せても、隣に道化師が立てば一瞬でそちらに視線を持っていかれる。ゼルシカの眼力をもってしても素材のよくわからない胸当てを装着し、見たことのない拵えの変わった剣を佩いていたが、大斧や大剣をこれみよがしに背負った力自慢どもがうろつく町で、まず大半の連中はあれを武器とすら認識しないはずだ。
大人しく、ごく自然に、違和感なく紛れ込んでいる。
(あの青い小鳥、とうとう一度もさえずらなかったね。魔物の気配なんざ無いってのに。ずっと坊やの肩にとまって……あれも何なんだろうね?)
少年はこの町で、初っ端から幸先のいい出会いを果たした。
――同時に、相手が悪かった。
女将はさりげなく通りを見渡し、あの少年の姿がどこにもないのを確認すると、扉の外側の札を裏返した。
〝準備中〟
そしてカウンターの奥、物置ではなく居間に続く扉をくぐった。
「待たせちまったね、ローラン」
「…………いえ」
美貌の青年が、どことなく情けなさの漂う苦笑をこぼした。
長い髪は濃紫。髪と同色の双眸。どちらも珍しい色合いだが、纏う衣装はこの町ではよく見かけるものだ。
澄んだ天を思わせる深い青に、銀の紋様の軽鎧。濃紺のマントには、大輪の花と剣の紋章。
――辺境騎士団の騎士服である。
「相変わらず無駄に良いツラが勿体ないねぇ。ついさっき胃の腑に効く良い薬が入ったよ。買ってくかい?」
「お戯れを……」
「真面目に言ってんのさ。身体に害のあるモンじゃないのは保証するよ」
「…………」
ローランと呼ばれた青年は少し逡巡し、金子袋を出した。
まいどあり、と女将は小さな陶器の壺を渡す。
「いい手触りですね。形は歪ですが、悪くない」
「色も悪かないだろ。商人ギルドに持ってかれなくて幸いだ。普段ならいざ知らず、この時期の受付は右も左もわからんような新人すら駆り出されてっからね。運が悪けりゃ目利きの甘い若造に当たって、二束三文で買い叩かれるところさ。もっとも、坊やもそれを覚悟してたようだが」
「……随分、あの少年を高く評価しておられるようですね。気に入られたのですか?」
「さてね。そいつはあんたらの判断次第さ」
ローランはホ、と緊張を解いた。
ゼルシカに明確な肩入れ宣言をされてしまえば、騎士団はそれを織り込まねばならなくり、今後の行動にかなり制限が入ってしまう。
「ご配慮、感謝いたします」
「ふん。あたしとしちゃあ警戒なんざ要らんように見えるが、かといって放置できないのもわかってるつもりさね。――しっかしあんた、いつもながらタイミング良いんだか悪いんだかわかんない奴だねえ」
「自分でもそう思ってますよ。これのせいで、見つけにくい魔物の討伐には大抵引っ張り出されるんです。なんでか俺がいると高い確率で、普段は穴倉の奥に引っ込んでる大物がひょっこり出てきたりするから。おかげで同僚には、俺の参加する討伐隊は〝独身部隊〟ってあだ名付けられてますよ。既婚者や恋人持ちは外れとけ、こいつがいると確実に大物獲りになるからって」
「ハハッ! おかげで出世が早かった上に、すんなりセーヴェルの副官になれたろ」
「はい、そこのとこは人生最大の幸運ですね」
騎士団長のセーヴェルに心酔しているローランはきっぱりと頷いた。
ほんのり不幸体質であったが、彼にとってはこれだけで相殺される上におつりまで来る幸運であった。
凛々しく美しく人気のあるセーヴェルの副官に任命されたせいで、周囲の男どもから嫉妬の嵐を浴びまくり、未だに胃の腑の薬がお友達なのはご愛敬である。
――〝セナ=トーヤと名乗る魔法使いの通過 真偽は不明 黒髪・黒瞳の少年 異国風の容貌〟――
その一報が届いてすぐ、ローランは〈薬貨堂・青い小鹿〉に直接足を運んだ。
たまたま近くの詰め所にいたので、その場で最も地位の高いローランがゼルシカのもとに出向くのは自然な成り行きだった。
すると間もなく特徴の一致する少年が店を訪れ、慌てて店の奥に隠れた。ちょうど入り口からは死角になっていたのと、強力な魔物相手に経験を積んで気配の消し方が熟練の域に達しており、さらに認識阻害の魔道具を持っていたのも良かった。
「で、話は聞こえてたかい?」
「ええ。あの少年が店を出る前に鳥を飛ばしましたので、城とギルドの双方に連絡が届いているはずです」
「変に囲い込もうとすんじゃないよ? 坊やの剣、あれはナマクラじゃないからね」
「ええ、承知しております。佇まいからして、素人ではないでしょう。ですが……だからこそといいますか、本当に彼は〝魔法使い〟なんでしょうか? どう見ても若い剣士の風情ですし、魔術、いや魔法を扱うイメージが湧かないんですけれど」
「本物だろ。魔力を露ほども感じなかったからね」
「え?」
「坊やの肩で大人しくしてた小鳥もだ。揃って魔力の片鱗も伝わらなかったさ」
「――まさか、あなたが?」
「事実さ。監視ぐらいは続けてもいいだろうが、ほんの少し試すつもりで迂闊に敵対行動とるんじゃないよ。あの手合いは鏡と思っときな。好意も敵意も、そのまんま跳ね返ってくる。得体の知れない奴は怒らせないに限るさ」
「……胆に銘じます」
表情を改め、ローランは頷いた。
信じ難い話だが、ゼルシカが断言するからには、本当に〝そう〟なのだろう。
(この方にさえ魔力を感じさせない者、か。そんな人物が存在するとはな……)
この世界では、どんな生き物でも必ず、大なり小なり魔力を帯びている。――小蟲一匹すらも。
ゆえに、そもそも魔力自体が存在しない人物が存在し得るなど、彼らは想像すらしたこともない。
ローランが裏口から出るのを見送り、ゼルシカは表の札をもとに戻した。
(とは言ったものの、あの坊や、素直に討伐者ギルドへ向かってくれるだろうかね? 穏和そうでいて、案外抜け目なさそうだったからねぇ。……いや、だからこそ向かうか)
治癒院の利用を勧められないのも事実だった。最近あの辺りには、奇妙なうすら寒さが漂っている。
(さて、またウチの店に来てくれるかねぇ?)
ゼルシカですら、あそこまで正体の読めない人物は初めてだった。
ならばもっと警戒を強めて良さそうなものだが、どうしてだろう。むしろ、ワクワクするような――
面白いことが起こりそうな予感がするのは。
カウンターの椅子に座り、女将は愉しげな笑みを浮かべた。
次は多分、猫氏になると思います。




