23 初戦闘
本日が2021年初投稿となります。
今年は皆さんに良いことがたくさんありますように。
薄汚れた灰色の石壁に囲まれ、そこらじゅうにゴミや汚物が転がっている――それがずっと抱いていた裏路地のイメージだった。
けれどそこは明るい象牙色の建物にはさまれ、狭いが陽射しの暖かさを感じさせる、異国情緒あふれる美しい世界だった。
建材は何を使われているのか、壁面は肌色の石造りで、頭上から射し込む陽光に照らされ、思いのほか明るく美しい。
時おり階段状になっているので馬車は通れない。低い場所から見れば三階建ての建物が、通路の段差をのぼりきってぐるりと裏に回れば二階建てになっていたりもする。だから誰かと待ち合わせる際、ここでは建物の高さは目印として役に立たない。
こんな状況でさえなければ、そぞろ歩きにうってつけのスポットだったろう。
≪建物に入る様子はありません。娘二名を鼻薬で眠らせ、箱に隠して移動しております≫
上空から小鳥の報告が届く。ある程度離れてもハッキリ聴こえるので、念話はこういう時に非常に便利だ。
今は皆、大通りの賑わいに引き寄せられているのか、入り組んだ道にはまるで人の気配がない。
手近な壁の、あるかないかの取っかかりに指をかけ、音を響かせずに屋上まで登りきった。
森の中のアスレチックマラソンが日課と化して随分経つ。樹々や大岩を乗り越えるのと、建築物を攻略するのとでは若干勝手が違ったものの、やってみればすぐにコツを掴めた。
本当に、つくづく身体能力が高くなったものだ……。
慢性的な運動不足と、徐々に確実にジワジワ増加してゆくモッチリ脂肪に、鏡の前で戦々恐々としていたあの日々は何だったんだろう。
いやまあ、誕生時にドクターARKによって行われた、詐欺まがいの強化改造事件のせいだと重々承知しているけれど。ゲームに例えるなら、防具やアイテムで一時的に能力値がアップしているのではなく、全パラメータの成長率そのものが上がっている気がする。
もちろん、食べて飲んでゴロゴロ、一日で歩く距離はほんの数メートル、最後に汗をかいたのは何ヶ月前だっけ? 下手すれば何年前……な日々を未だに繰り返していれば、せっかく与えられた素質も根腐れ一直線だったろうが。
始まりは強制に近かったとはいえ、運動をきっちり習慣化させていなければ、本日ここでフリークライミングしている私の姿なんてどこにもなかったわけだ。
脂身は くっつく前に 焼いちまえ
冗談抜きでこれに尽きる。
だって一度くっついちゃった脂身を燃焼させるのって大変なんだよ!
いったい何度ジムと契約しては、「私はまだ本気出してないだけ」と嘯きながらフェードアウトしていったことか……。
ともかく。
この建物は三角屋根ではなかった。冬の間だけ雪よけを設置し、春になれば取り払い、日当たりのいい屋上で洗濯物を干したり干物を作ったり、居住区にはそういう建物がちょくちょくある。
表通りに面した場所には店舗が並び、奥まった場所はだいたい住民の住まいだ。
屋上から屋上へ飛び移り、急角度の円錐屋根ではバランスをとりながら再びジャンプ。余所者の私にとって、下の路地は迷路と同じだ。角を曲がれば袋小路に突き当たり、目的地を前にして広い水路が横たわっていたりと、望む方向へ思うように進めず、苛立つ様が容易に浮かぶ。が、建物の上を走ってしまえばそんなことは関係ないのである。
犯行を目撃後にすぐ追いかけたのも幸いし、あっさりターゲットまで追いついた。
親子丼と天秤にかけてグズグズしてたろ?
はて、何のことでしょうかね?
≪潜伏できる建物がこの町にないのかな。手早く攫った後は、速攻で町を出る計画だった?≫
≪おそらくは。身なりの良い女性二人ですから、長居は悪手です。本格的な捜索が始まってしまえば、町からの脱出がどんどん困難になるでしょう。ただ、現時点であの者達の思い通りに運んでいるようですが、ひとつ疑問点があります≫
≪ひょっとして、都合よく進み過ぎてるってやつ?≫
≪それです≫
やだなあ、聞かなきゃよかった。
だって、ねえ?
悪質な領主の土地ならいざ知らず、ここは治安がいいんだよ。
なのに奴らの行動に迷いがなさ過ぎるし、いかにも攫ってくださいませと言わんばかりなお金持ちっぽいお嬢様が、丁度良く真ん前を護衛なしで通るなんてさあ。
眼下には男が五人。一人は商人っぽい服を着て先頭を歩き、あとの四人は下働きっぽい服装で、大きな木箱を二人一組で抱えている。
やがて何やらトラブルがあったらしく、立ち止まって相談し始めた。
≪ところでマスター、あれらの前科ですが≫
≪知ってる。全員がっつり見覚えある顔だわ≫
どこで見たかって、EGGS提供の資料映像である。
ARK氏が講義でさんざん流したR30指定映像、その中の〝最も悪質または危険度の高い主な犯罪者〟だ。
賞金首――生死問わず。
これは「できれば生け捕りで」という意味ではなく、「殺っちゃってくれる? どーしても無理なら生かしといても駄目じゃないけど」という意味なのである。
生きていようが首だけになっていようが、賞金額は同じ。ならば、荒くれ揃いの賞金稼ぎ諸氏にとって、楽ちんなのはどちらか。
……早い話が暗黙の抹殺依頼です。
この世界には警察に該当する組織がない。騎士団はそれぞれの領主が国の許可を得て、個人的に抱えるいわば軍隊だ。
治安維持は騎士団の重要な任務かと思いきや、領主によって差が激しいのが実情らしい。おまけに犯罪者が自領から逃げてしまえば、余程でない限りもう追えない。
その〝余程〟に該当するケースだと、さすがに他領へ注意喚起したり、国への報告も必要になってくる。その場合、各領地に最低一人は派遣されている保安官により〝看過できない犯罪者〟としてまとめられ、賞金額の試算とともに国へ提出。申請が通れば、晴れて手配書をあちこちへ貼り出せるようになる流れだ。
さて、あの五人組の罪状だが。
詐欺、窃盗、脅迫、暴行、殺人――とりわけ暴力の絡む犯罪はほぼ網羅。
仕事として請け負う者もいれば、趣味でやっている快楽殺人者もいた。
顔の骨が変形するまで殴り続けたり。
相手が正直に言うと訴えているのに、聞こえないフリで拷問を続行したり。
拘束した親の前で、げらげら嗤いながら娘を襲ったり。
他人を殺して奪った金で豪遊し、金銭が尽きる前に次の被害者に目星をつけ――
ああ、クズだ。胸糞の悪い。
こいつらのせいで、私はしばらく美味しくご飯が食べられなかったのだ。
柄に触れ、剣を抜き放った。
それはまるで己の身体の一部のごとく、まったく違和感もなく馴染んだ。
握りの部分は同じ温度で手の平に馴染み、思考能力など備えていないはずなのに、まるで〝小鳥〟のように呼べば応えてくれる感じがする。
それは決して錯覚ではなかった。私の精神波とやらに呼応し、見えるか見えないかの微細な超高速の振動が生じて、刀身の表面に陽炎が生じた。
もし魔力を感知する能力があれば、この剣が周辺の魔素を吸収し、速やかに必要なエネルギー――すなわち魔力へ変換するさまを、最も近くで感じられたはずだった。
「お……おおっ!?」
何だこりゃ!?
って、つい声に出してしまった。
大目に見てやって欲しい。だってこれは何ぞ?
柄の紋様、暗いえんじ色だった部分が、鮮やかに発光しているではないか。
それだけではない。ゆるく反った刀身に、ゆらめく黄金の紋様が浮かびあがっている。
柄や鞘に施されていた鈍い金色の装飾模様に、その輝きが反射して――
≪これっ、こんなっ、いつのまっ!?≫
≪いかがですか≫
≪さ、さてはこ、このデザインと演出はわざとか!? わざとだな!?≫
≪お気に召されませんでしたか≫
≪いえいえいえいえいえ――先生グッジョブです! 最高ですありがとうございます……!!≫
ARK師の理解があり過ぎて怖いけれど嬉しい。
これはKATANAだ。
紛うことなきKATANAだ。
国籍不明のキャラクターが織り成すジャンル混合ゲームで、何故か剣からエネルギー波が放たれ、巨大な魔導機兵をも両断できてしまったりするあれだ。
〈魔改造式魔導刀A03号グリモア(仮)〉的なあれだ。
≪ご存知のように、高濃度の魔素を刀剣内部のみで循環させており、大気中に分散される量はごくわずかです。それでも長時間使い続ければ勘の良い者には気取られますので、約三分以内には片をつけてください≫
「ちょ、先に言えっての!」
一声叫び、地上めがけて駆け降りた。
垂直に立った壁の上を。
◆ ◆ ◆
いったい、何が起こっているのかしら――この期に及んで娘には、自身に降りかかった災いが、何と呼ぶものなのか理解できていなかった。
どうして己がこんな手荒な真似をされているのか、この男達の目的が何なのか、まるで見当がつかない。
護衛がいなければ危険だと、昔から口うるさく言い聞かされてはいた。しかし具体的にどう危険かまでは、何も知らなかった。
ただ、恐ろしい目に遭うとだけ教えられており、何がどう恐ろしいのか、まるきり想像の外にあった。
「馬車がまだ配置についてねえ。遅れてやがるみてぇだ」
「ちっ。何かトラブったか? 誰か確認してこい――いや待て、来た。……おい、何があった?」
「悪ぃ、もうすぐ向こうの通り出口に馬車をつけるところだ。もうちょい待ってくれ」
「遅ぇよ! どんだけノロノロしてんだ!」
「おい、静かにしろって」
「ハッ、どうせこの騒ぎじゃ聞こえやしねぇよ!」
「カッカすんな。しょうがねぇだろ、どっかのアホが荷車倒して道塞いでやがったから、迂回させてんだよ」
人ごみに紛れて女を攫い、裏路地を突っ切り、人通りの少ない道へ移動。そこに待機させていた馬車へ積み込む。
女が行方不明になっていると身内が気付いた頃には、馬車はとうに町の外。
その予定だった。
「ついてねえな……」
「どうってこたねえだろ、このぐらい」
「予定外に時間くっていいことなんざねえんだよ、こういう仕事はな」
どういうことなのかしら。
この方々、何を仰っているの?
荒々しく下品な俗語が理解できないのを差し引いても、彼らの話している内容自体がさっぱりであった。
そもそも貴き身分として生まれ育った娘は、自分をこのように乱暴に扱える輩がいるなど想像したこともない。
宝石よりも貴重な宝。羽根のようにやわらかく触れられ、崇められ、賛美されるべき者。
優しく情熱的に真心を捧げられ、物語のような愛と自由を求める者。
それが彼女の今までの人生であり、この先もずっとそうであるはずだった。
なのに――
「……おい。こいつ、目ぇ覚めてやがる」
「ヒッ!」
「おっと、騒ぐんじゃねえぞ? 騒いだらお綺麗な耳、こうやってそぎ落とすからな」
短剣の刃をひたと押し当て、絶妙な力加減ですう、と撫でる。
がくがく震える娘の顔は引きつり、頬を涙が伝った。
生まれて初めて味わう恐怖に、言われなくとも声が出ない。
それを眺め、何人かの男はニヤリと嗤い、嫌らしく舌なめずりをした。
「くっく、いじめんなよ。かわいそうじゃねえか」
「なあ、こいつ、ちょっとぐらい味見を――」
「だめだ。傷物に報酬は出さんと言われてる。前にてめえらが遊び過ぎたせいで、客から苦情が来てんだぞ」
「ちっ、つまんねえ……」
「ぼやくな。もたついてねえで追加で薬嗅がせとけ。身分高ぇ女は効きが悪いんだ」
「へいへい」
男はつまらなそうに懐から包みを取り出す。
嗜虐心をそそる可愛らしい泣き顔をもう少し眺めていたかったが、確かに仲間の馬車が遅れている以上、獲物が動ける状態にしておくのはまずい。
手にした包みを娘の鼻孔にかざそうとした瞬間、男の耳をひゅんと風切り音が掠め――
――肘から下が消えた。
◆ ◆ ◆
強いて言うならば、人を傷つける行為ではなく、もとが健全なスポーツだったものを、実戦で利用することに多少の罪悪感を覚えていた。
いやでも、パルクールはそもそも軍事訓練がもとになっているのだったか?
どちらにせよ、せっかく大多数の人々が格好いいスポーツとして後世に広めたものを、これから血生臭い目的で活用するのには、少々申しわけなさを禁じ得ない。
だからといって、油断と慢心が死に直結するであろうこの世界、躊躇いはしないのだが。
だって、怖いじゃないか?
反撃されて、中途半端に死にかけるなんて。
そんなのは絶対に御免だ。
お嬢さんの鼻に男が何かを近付けていた。その腕を狙い、肘の下あたりめがけて、剣の刃を振りおろす。
抵抗は少なく、「すぱん」というより「すっ」という感じで、腕が飛んだ。
地上へ到達する直前に壁を蹴り、回転を加えながら膝を屈伸させて着地時の衝撃を相殺。
消えた腕に一人目の男がきょとんとしている隙に、低い体勢のまま背後へ回り込んでアキレス腱を切断、勢いを殺さず前転し、近くにいた二人目の足もとを同様に薙ぎ払う。
三人目が半ば呆然としながら、左腰の剣に手をかけるのが見え、それを抜き放つ前に右腕を切断、返す刃で膝下をななめに斬った。
残る男二人は、身に染みついた犯罪者の習性なのか、素早く箱から人質を引きずり出した。どうやら薬が切れたらしく、驚愕に目を見ひらくお嬢さんと一瞬だけ視線が絡まるも、特に何の感情も湧かない。
これがもし白馬の王子様の劇的な登場シーンなら、囚われの美少女に瞼を閉じるよう懇願し、無意味に時間をくうところか。しかし事前にそんな声がけをしていれば、敵に防御と反撃の猶予を与えてあげるようなものである。
奇襲上等。
殺人その他、山ほど前科のある凶悪犯相手に情け容赦は無用。
ついでに「動くんじゃねえ、こいつがどうなってもいいのか!?」などと、敵が人質を盾にする宣言を律儀に待ってやる必要もない。言わせる前に殺ってしまえばいいのだ。
お嬢さんを捕えていた四人目の背後の壁を走り、通り過ぎざまに死角から首を裂いた。
勢いを殺さぬまま、同様に侍女を羽交い絞めにしていた五人目の首も切り裂く。
襲撃された事実を呑み込む暇すら与えず、五人全員を完全に無力化するまでにかかった時間は、ほんの十秒もあったろうか。
二人分の首が地面にごろりと落ち、次いで胴体が重力に従ってどさりと落ちた。
ここに至り、己の現状を理解した男達の唇から絶叫がほとばしる。
「っぎゃああああああ!?」
「うわっ、うわああああっ、おれの腕があああああっ!?」
これで人を呼びに行く手間が省けた。
お嬢さんと侍女が「あ」と気絶してくれて、パニックを起こされる懸念も消えた。
というか、初めて見ましたナマ気絶。上手に気絶できるもんなんだなぁ、さすがお嬢様。私にあれは無理だわー、必須条件の〝繊細〟が行方不明だからなー。
特に外傷は見あたらない被害者二人は放置して、悲鳴をあげて転がりまわる三人の様子を観察する。根性のある者なら、こちらを油断させた直後に隠し武器で攻撃してくるかもしれない。
ありそうなのは、片手でも扱える吹き矢か。その気配をわずかでも見せたら、残った腕も落とそう。
「…………」
……。
……おかしいな?
もうちょっとこう、いろいろくるかと思ったんだけど。
初めて人を殺めた。肉を裂き、骨を断つ手応えも知った。
なのに、これといって何も感じない。
ちょっと自分、大丈夫なのだろうか?
いくらゲーム世界で擬似戦闘を数え切れないぐらい経験したとしても、現実は現実、ゲームとは違う。
いくら相手が同情の余地など微塵も抱きようのない、腐り果てた性犯罪者や快楽殺人者だとしても、それはそれ、これはこれ。
平和ボケに浸かりきっていた人間が、いきなり武器を手にして相手を殺傷したら、少しぐらいはショックを受けるのが普通の反応だろうに、何の動揺もなく、初実戦の高揚感もない。
心は凪いでいる。始めから終わりまで。
覚醒早々、某氏に目の前で自殺されるという精神的ショックを、既に与えられていたからだろうか?
それとも、武器の性能が良すぎるあまり手応えが希薄で、実感が間に合っていないとか?
……。
……うんにゃ。どうも、教授の教育方針の成果な気がする……。
大画面の至るところで展開する、惨劇の朱池肉林。
R30指定無修正グロテスクホラー。
と見せかけて、この星の各地で実際に起きている、洒落にならないノンフィクション。
そんなあれこれのたっぷり詰まった、血も凍る記録映像観賞会を、マッドドクターARK式カリキュラムにみっちり組み込まれ、たびびと・レベル1の日帰り冒険計画が発表される直前まで、嫌がらせのごとく毎日毎日観続けてきた。
そのおかげで耐性がついたのだろう。
ちょっぴり心が荒んだともいう。
多分これが正解な気がする。
って、あれ?
ひょっとしてこれ、洗の……
《敵対反応、三名接近しています》
青い小鳥がぱたぱたと羽ばたき、肩にとまって男とも女ともつかない声で囁いた。
というか、気付いてはいけないことに気付きそうになったタイミングで思考を中断させやがったな?
……まあいい。今はそれどころではないのだ。
「他の仲間かな?」
《おそらくは》
小鳥が肯定を返した直後、近付いて来る足音が耳に入った。
「なっ、――なんだこいつぁ!?」
「このガキッ、てめぇがやったのか!?」
小鳥の報告どおり三名。他にもいるのだろうか。
悲鳴を聞きつけて慌ててやって来たのだろうが、なるほど、これが悪手というやつか。
わかりやすくて、とても勉強になる。
「わざわざ自滅しに来てくれてご苦労さん。私があんたらの立場なら、遠目でこっそり様子を確認して、そのまま姿をくらます算段つけるところだよ――人攫いどもが」
煽ってみた。
「んだと!?」
「ざけやがって……!!」
「このクソガキ、ぶっ殺してやる!!」
はい、「ぶっ殺す」いただきました。
合流した三名が武器を手にしようとした瞬間。
「そこまでだ、全員動くな!」
お待ちかねの声が響き渡った。




