21 予定は得てして狂うものである
ご来訪、ブックマークありがとうございます。
前話から大分あいて申し訳ありません。
長靴を履いた猫だ。
本当に長靴を履いた猫だ。
油断したら押し込めた奇声が口から逃亡しそうだ。もちろん耐えた。
――妖猫族。
人型に近い半獣族と異なり、大型の猫がそのまま二足歩行している種族。
足の形状が人族と異なるので、長靴もそれに合わせて特殊なデザインになっている。
背丈はおよそ百五十センチ程度。毛並みはキジトラ。若草色の瞳がきらりと光って心憎い。
上は着ていないがズボンをはいている。えんじ色の短めのマントをななめにかけて、お洒落な感じに上半身を覆い、おまけに羽根付き帽子まで組み合わせるとは私を萌え殺す気だろうか。
獲物は全長一メートルぐらいの片手剣。討伐者を示すドッグタグ型のネックレスをかけている。色は銀――銀ランク?
長靴を履いた猫で剣士で高ランク討伐者とは、やはり俺を萌え殺しにかかっている。
しかも声がハスキーな重低音とは何事か。
「……討伐者でも依頼人でもありませんよ。カウンターに用があったんですけど、この【角兎】の絵柄が随分可愛らしいなと思って、つい」
スキル【まともな人】が緊急出動した。これほどの狂乱下にあって声の震えすらないとは、我ながら恐ろしいスキルである。
「ああ、見た目が可愛いっつって騙される奴が多いんだよなあ、そいつ。意外と凶暴だから見かけても近付くんじゃねえぞ? って、知ってたら悪ぃな」
ダンディな猫がシニカルな口調で肩をすくめた。倒れていいだろうか。
「イェニー! いま手ぇあいてっか?」
「大丈夫よ、グレン。なぁに?」
「こいつが受付に用あるってよ」
「あら、そうなの? ――まあ、可愛い坊やね。こっちいらっしゃいな♪」
とてつもなく女子力の高そうなお姉様が、カウンターの向こうで「ウフフ♪」と微笑んでいた。
え、もしかして私、あの魅惑的なお姉様のところに行っていいのでしょうか? どうしよう、いいことが続き過ぎて罰が当たるかもしれない。
「最近は遅くまで混みやすくなってっからな、空いてる今のうちだぜ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「いいってことよ。――俺ぁグレン。見てのとおり討伐者だ。縁があったらまた会おうや」
「ええ。是非」
「じゃあな」
そう言い残し、猫氏は鮮やかに行ってしまわれた。ここは追いかけてはならない、わかっているとも。
しかし去り際までダンディ……素敵だ……。
無用に話を長引かせたりはせず、尚且つこちらの用事が片付くようにサラッと繋げてくれた出来る男。こんな短い時間ですっかり心奪われてしまったんだが、どうしてくれるのか。
本当に縁があればいいけれど、そうなればそうなったで、私のアレな中身がボロボロ露見する恐れが高まる。通りすがりのまともな坊やとだけ憶えておいてもらったほうが幸せなのか、悩みどころだ。
ともあれ、せっかくグレン氏が声をかけてくださったのだ。お姉様をいつまでもお待たせしてはならない。
イェニーと呼ばれた女性は、二十代後半ぐらいだろうか。彼女の前に立った瞬間、背中がちくちくザワザワし始めた。
なるほど、やはりおモテになるようだ。月のない夜は気を付けねば。
「こんにちは、何か依頼かしら? それとも仕事の斡旋を希望?」
「いえ、そうではなく。こういうものを持っているんですが……」
紹介状を台の上に置き、イェニーさんが読みやすいようにくるりと回転させた。途端、彼女は一瞬だけ真顔になった。
「これは……失礼しました。宿の提供をご希望なのですね? 現在一人部屋が空いておりますが、そちらでよろしいでしょうか?」
笑顔の質がガラリと変わった。可愛い坊やとお喋りを楽しむお姉様ではなく、お客様対応専用のビジネスライクな笑みだ。
――女将よ、あなたは何者だ。絶対に公式記録に載っていない暗黙のホニャララがあるだろ? いや、こういう時は正体なんて追究しないのがマナーか。
ほかにどんな部屋があるのか知らないので頷くと、イェニーさんは「少々お待ちください」と席を立った。そしてすぐに戻ってきた彼女の手には、鈍い銀色の鍵があった。
「こちらに宿泊されるのは初めてですよね? 説明をお聞きになりますか?」
「はい。それと――イェニー、さん? 口調は改めなくて結構ですよ。肩が凝るのは苦手なので、普通の話し方でお願いします」
「そう? ……では、遠慮なくそうさせてもらうわね。これは当ギルド支部に併設された宿の鍵よ。部屋の場所は二階の一番奥。本来なら関係者以外は宿泊できないんだけれど、あなたは素泊まり一泊、銅貨10枚で最長二日間泊まることができます」
「銅貨10枚? ……破格じゃないですか?」
「ふふ、そうね。最底辺の安宿でももっとかかるもの。でも部屋の質は段違いだから、そこは安心してくれていいわ。おもに低ランクの討伐者の支援と、高ランクだけれど余所から来たばかりで泊まる所がすぐに決まらない方、他支部から異動になったギルド員の一時的な仮住まいとして建てられた宿だから、採算は度外視なの」
ただし永遠に居座られても困るので、連続で宿泊できる日数には上限が設けられているらしい。懐の寂しい低ランカーほど日数に余裕があり、高ランカーほど少ないのだとか。
「食事は同じく併設された酒場兼食事処がおすすめだけれど、この時期は美味しい屋台がたくさん出ているからそちらで摂るのもいいわね。入浴は町の公衆浴場を使うか、希望があれば身体を拭くお湯を運ぶこともできるわ。このぐらいの桶一杯分で銅貨5枚だけれど、どうする?」
両腕で抱えるぐらいの桶、一杯で銅貨5枚――これは高いのか安いのか。公衆浴場の利用料金と変わらないはずだから、これは割高というものか。
けれど公衆浴場を好まない者、事情があって利用できない者は珍しくないので、頼む人は多いらしい。むろん私もその一人なので、二日分頼んでおいた。
「盗聴防止の魔道具も部屋に設置できるわよ。一日で銅貨20枚だけど……」
「いえ、それはいいです」
いくら宿泊料が安くとも、オプションで一気に金子袋を空にされそうな勢いだ。魔道具に興味は尽きないけれど、ここはきっぱり不要である。
そのほか幾つか注意点を聞いて、さっそく宿とやらに向かってみた。建物内で繋がっているので、大雨強風の悪天候でも行き来に困らない合理的なつくりだ。
建物はかなりどっしりとして、見るからに頑丈。気になるのが耐震性だが、なんと揺れや衝撃で建物が損傷を受けにくいよう、基礎部分に魔術式が仕込まれているらしい。これは小型探査機EGGSが、デマルシェリエ領の建築物すべてを密かにスキャンして判明した。
自然現象ではなく、魔物や敵国からの攻撃を想定した防御術式の一種で、領地によっては適当にやっているところもあるが、デマルシェリエでは徹底しているのだそうな。要するにそれだけ危ない土地というわけなのだが、そのおかげで手抜き建築が少なく、安心して住める環境になっているのだから皮肉というべきか。
「この部屋かな?」
二階の、一番奥。ドアの中央にある真鍮製のマークと、鍵のホルダーのマークも一致している。
ためしに鍵穴に差し込んでみれば、抵抗なくカチャリと回った。部屋番号がないのは、識字率が低いので、数字で書かれてもわからない人が多いからだ。
入ってみれば、十畳ほどの部屋にシングルサイズのベッド、小さなテーブルが一台、背もたれのない丸椅子が三脚。椅子の数がおかしいが、これは討伐者の利用を想定した部屋だからだ。複数名でパーティを組むことがあり、仲間同士で打ち合わせをする時などに誰かの部屋で、というケースが多いのである。ランクが上がれば、盗聴防止の魔道具の需要も増えることだろう。
ほかには何も置いていない、シンプル極まりない部屋だ。が、驚いたことにベッドのシーツの下は藁ではなく、羊っぽい魔物のモコモコ毛を詰めたクッションになっていた。
定期的に洗濯して干したものと交換しているらしく、ノミのような小蟲も湧いていない。普段寝ている〈スフィア〉のベッドとは比較にもならないが、想像以上の清潔さにはびっくりである。
思わず小鳥氏に念話で確認してしまった。
≪これで一泊銅貨10枚って、マジで破格じゃない?≫
≪破格ですね。宿の質もピンからキリまでありますが、常に清潔さを保っているのは高ポイントです。ドアの鍵や蝶番もしっかりしておりますし、もう少し内装や布地等を豪華にすれば、軽く銀貨が飛ぶグレードになるでしょう≫
≪ひえ~≫
下から数えたほうが早いレベルの宿だと、いつ取り換えたかも怪しい藁のベッドがあればいいほうで、一室に数名が押し込まれてようやく銅貨10枚ほどという話だったはず。
≪ごろ~ん……あ、やばい。これ眠くなるわ普通に。結構運動したからなあ、今日……≫
≪夕食を摂り損ねますよ。せっかく注文した湯も無駄になります≫
渋々起き上がった。
唯一馴染めない点があるとすれば、室内でも土足の文化か。しかしこればかりはしょうがない。
――しまった、当たり前だが着替えもないな。上に着ているものを脱いでベッドに入るにしても、ズボンは埃っぽいままだ。古着屋かどこかで着替えを調達できたとしたって、荷物が嵩張っていけない。
二泊三日は短いようで、それ以上は耐えられそうにないのだと早々に気付いた。湯舟もシャワーもボディソープもシャンプーも替えの服もない環境に、三日以上我慢できる自信が私にはまるでなかった。
まあいい。どうせ今回の最大の目的は、お肉その他なのだし。当然ながら冷蔵庫はないけれど、気温の低さが幸いして、食料品が傷みにくい時期だ。
明日はいろいろ見物して回って、明後日はチェックアウト後に市場へ直行、ささっと買い物をして急いで帰ろう。
その日の夜は屋台巡りを楽しみ、湯で身体を拭いて就寝と相成った。さんざん歩き回ったせいか、意外と拭くだけでも気持ちよくてさっぱりした。
それから、最大の嬉しい発見ひとつ。――この土地の食べ物の味、私の好みと合う。
最高。
◇
……そしてどうしてこうなった?
思わぬ事態に直面すれば、人はどこへともなく問いかけずにいられないものである。
いかにもファンタジー映画に登場しそうな、酒場兼食事処。
黒ずんだ壁には、指名手配犯と思しき絵姿が貼られ――モノクロイラストだが、かなり上手い。ただし実物に似ているかは謎――無頼漢がきつい酒を注文しつつ、仲間と悪巧みを交わしていそうなカウンター。
デザイン性のかけらもない、頑丈さだけが取り柄の木製のテーブル。
本来ならばRPG脳のテンションをこれでもかと上げてくれそうな、いかにもな雰囲気に満ちた場所である。
なのに、目の前の面子のせいでそれどころではない。
滞在二日目。
私は帰る予定だったんだ。
帰るつもり満々だったんだ。
熱いシャワーとホカホカの親子丼が私を待っていたんだ。
何故にどうしてこうなった。
「できれば我が城にて歓待したいのだが、礼も過ぎると逆に迷惑であろうからな。しかし、我らが心より感謝していることは理解しておいて欲しい」
正面の椅子に座る素敵なおじ様は、カルロ=ヴァン=デマルシェリエ辺境伯。
灰色の長めの髪をオールバックにし、後ろで結んで流している。空色のまなざしは穏やかでいて隙がなく、さりげなく整った口ひげの下に笑みをたたえ、気品と雄々しさを兼ね備えた絶妙なロマンスグレー。
決して声を張りあげているわけではないのに、通りの良い舞台俳優のごときバリトンボイスは、うっかり恋に落ちそうな破壊力だった。
「父上の仰るとおりだ。君には感謝してもしきれない。君のおかげで我々の大切な方が無事で済んだよ。今後、入用のものがあれば何でも言ってくれ。できるだけ力になろう」
向かって左側の椅子には、ご子息のライナス=ヴァン=デマルシェリエ。
理知的な目は、父親そっくりな空色。歳はまだ二十歳前ぐらいだろう。
ともすれば甘く見られそうな顔立ちだったが、野性的なウルフカットにした亜麻色の髪と、鍛えた身体を包む青い騎士服とが、硬派な雰囲気に引き締めていた。
王子様より脇を固める騎士のほうに萌える性質の人間からすれば、数年後がとても楽しみな逸材だった。
「まあまあ二人とも、堅っ苦しい礼もそのへんにしとこうぜ。気が済む頃には坊やのメシが冷めちまう」
右側の椅子には高ランクハンターのグレン様。姓はない。
まさかこんなところで、またあなたにお会いできるとは……。
しかもグレンは、なんと討伐者の最高位である聖銀ランクだった。下から順に草、石、青銅、鉄、銀、金、一番上の聖銀である。銀色のプレートと思ったギルド証は、実際には白銀色で、銀ランクはもっと鈍い灰色っぽい色合いだった。名前の部分も銀ランクだと黒、聖銀ランクでは金色と目立つようになっている。
どこかラテン風の陽気さを漂わせる、どこからどう見ても色男なイケ猫。美女の膝の上を渡り歩いていそうで、子猫が生まれたら意外と愛妻家になりそうなタイプだなと思った。
しかし、グレン氏はともかく、ほんの少し前までご縁が微塵もなかったはずの人種がテーブルに勢揃い。
何故だろう。
真剣にわからない。
特に謎なのが、どうして私は辺境騎士団の皆様を前にご飯を食べようという状況になっているのだろうか。
辺境伯の護衛騎士達がずらりと背後に控え、知らなければ何の尋問が始まるかと思うところである。
ちなみに他の客達は、さっさと食べ終えて店を後にするかと思いきや、さも食べ足りない顔を装って追加注文をしていた。どいつもこいつもマスコミの素質がありそうなたくましい連中である。
「グレンの言うとおりだな。冷める前に遠慮なく食べるといい。その肉は今朝、我々が討伐したばかりの獲物だ。新鮮でやわらかいぞ」
にこりと笑み、ロマンスグレーの美声が促してくる。
この世界の貴族は皆、このようにワイルドな台詞をさらりと口にできるのだろうか。割と本気で惚れそうなのでやめて欲しい。
それにしても、亜麻色の髪の優男も、羽根付き帽子が似合うラテン系ハンターも、油断はしていないが悪意もない、実に微笑ましそうな視線である。
多分彼らの目には、私が十二~三歳くらいの男の子に映っている。
あえて訂正を入れる必要は感じないので、チーズらしきものと香草を挟んだ、討伐されて間もない何かの新鮮肉と、各種キノコの包み焼きに視線を落とす。
実に食欲をそそる香りだった。平民向けの食堂だが、高位討伐者のグレンが「ここ美味いぜ」と推薦しただけあって、料理人の腕が良さそうである。
ちなみに妖猫族に対し、「人族と同じものを食べられるの?」などと訊いてはいけない。馬鹿か無知と思われるならまだしも、侮辱と受け取られる場合があるからだ。
肉の塊は切り分けられているとはいえ、ひとつひとつが結構なボリュームだった。食器にはフォークしか添えられておらず、直接かぶりついて食べるものなのだろう。
この豪勢な面子の前でそれは遠慮したいので、常時携帯している食事用のマイナイフと布巾を取り出し、刃の部分を軽く拭うと、適度な大きさに切り分けて口に運んだ。
肉はしっとりやわらかく、キノコに馴染んだ塩気も絶妙。
多分魔獣の肉、それが何か? 美味しいは古今東西不動の正義だ。魔改造仕様の肉体には食中毒の心配もない。
料理の皿が置かれているのは私の前だけ。彼らは既に小腹を満たした後のようだ。ならば若干の現実逃避も兼ねて、遠慮なく空腹の解消に勤しむとしよう。
「……ナイフを使うんだな」
「はい? 使いますよ」
ライナス青年の呟きに、上の空で答えていた。
おおぅ、これ、なかなかイケるわ。うまー。
しかしこれだけの量、果たして食べきれるのだろうか。明らかに彼らとは胃袋のサイズが違っている気がする。
しかも私は小食民族と呼ばれながら、提供された食事を残すのは失礼なので限界に挑んででもなるべく食べきりたい困った性分を持つ民族なのだ。密かにピンチだった。
ところで、どうしてこんな畏れ多い面子が、ただの〝坊や〟に食事を奢ってくれる展開になったのか?
それは――事故だった。
ただの偶然だったのだ。
運が悪かったんだよ…………。




