20 精神力の限界に挑む
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女将ゼルシカおすすめの〈ロレガノ爺さんの串焼き店〉は想像以上だった。
まず肉のサイズが違う。昔お馴染みだった焼き鳥の、小さく切り分けられたあの肉ではない。
一個が拳半分ほどはあろうか、そんな大きさのタレ漬け肉が三個ほど串に通され、炭火でじっくり焼きあげられていたのだ。
食欲をそそる肉の油とタレの香り――幸運にも別の場所で旅芸人が出し物をしていたらしく、人がほとんどそちらへ流れて行列は出来ていなかった。
おかげで、おかわりを買える余裕があった……。
いや、あれだけボリュームがあれば、一本でお腹大満足だと思ったのだ。三本も入るとは思わなかったのだ。タレの味が三種類もあるからいけないのだ。塩と柑橘系の爽やか風味のタレと、デミグラスソースっぽいタレと、とどめに私好みの甘醤油っぽいタレ。全制覇せよという意味ではないか?
とろっとろの食感という前評判も伊達ではなかった。果たしてあの短時間で、何百グラムの肉が自分の胃袋に消えたのか。
気になるお値段は……否、気にしてはいけない。作り手のかけた手間と美味さを考えれば妥当なお値段だった、とだけ憶えていればいい。
ところで、これから私の向かうべき場所についてだが。
ドーミアの町は神殿と騎士の城のある山を中心に、東西南北の四区画に大きく分かれている。
北門から入り、大通りの賑わいは北地区から東地区、南地区へと抜け、南地区には国境砦方面へ向かうための南門があった。
西地区は犯罪者や浮浪者、他領から逃れてきた難民などが集まりやすく、あまり治安が良くないらしい。
そして本来泊まる予定だった治癒院は、南地区の山の麓、西地区寄りにある。国境砦へ用のある者が滅多におらず、南へ行くほど静かになるのもあって、余所から来た商売人が宿泊施設として利用する旨味はほとんどないのだとか。
私は治癒院でもまったく問題なかったのだが、せっかくの女将のご厚意だ。滞在中にトラブルと遭遇する確率を下げるためにも、ここは女将の忠告に従うが吉である。
何より討伐者ギルドだ。行ってみたい。観てみたい。泊まれるものなら泊まってみたいではないか……!
とはいえ、自分の寝泊まりする場所の話。ここはさすがにARK氏の御意見も聞いておくべきだろう。
≪駄目かね?≫
以前は滅多に使わなかった念話に、ここへ来てすっかり慣れてしまった。
≪いいえ。セキュリティ面でも、むしろ治癒院より討伐者ギルドのほうが望ましいでしょう≫
≪よっしゃー♪≫
宿は安全なほうがいい、至極当然だ。そして犯罪者の捕縛依頼が出ることもある討伐者ギルドの専用宿泊施設は、そこらの安宿より遥かに安全だった。
かといって、関係者以外が泊めてと頼んで泊まれるものでもない。今回は女将の紹介状という無敵のアイテムを得られたから、たまたま可能になった例外だ。
というかやっぱり、あれは何かのイベントだったような気がしている。
〈青い小鹿〉の店では目移りし過ぎて、結局何も買えずじまいだった。それでも無事イベントクリアと相成ったのでこのアイテムを入手できたのか、それとも次のイベントへ突入するためのキーアイテムをもらっただけなのか――。
≪何か裏があるんじゃないかって邪推しちゃうよねえ≫
≪おや。頭が煮えていらっしゃるかと思いきや、案外冷静でいらしたのですね≫
≪キミはマスターという言葉の意味をもう一度調べ直したまえ。――だって、さすがに出来過ぎじゃないの? 私にとって都合のいい展開になり過ぎ。あんたはどう判断した?≫
怪しまれている風ではなかった。町のことをいろいろ教えてくれた時の顔は本当に楽しそうで、つられてこちらも楽しくなった。
怖い魔女みたいな顔つきとは裏腹に、明らかに高いコミュニケーション能力に「羨ましい……分けて欲しい……!」と結構本気で感心しながら聞き入ったものだ。
――が。それはそれ、これはこれだ。
≪お流石です、マスター≫
≪あ、やっぱり? ……実は優しくしてくれたのは見せかけだったのかな? 内心『とっとと失せなこの毛虫が』とか思われてたら超ヘコむ……≫
≪初恋に苦悩する少年の心理でしょうか≫
≪あの幸せな時間が百パーセント芝居だったとは思いたくない、信じたい、でもたとえそうだったとしても≫
≪それはさておき、嫌悪は見受けられませんでした。あなたの仰るように、好感を抱いていてもそれはそれ、これはこれと判断する女性なのでしょう。怪しむというより、怪しい人物か否かを判断しかねるため、様子見をしているといった風でしたね≫
やはりそうか。いくら無法者かどうかの見極めをつけるのが得意といっても、初対面の異邦人にいきなり紹介状を書いてくれるなんて、何かありそうだなとは思ったのだ。
そしてARKよ、おまえから振っておきながらサラリと無視するのはやめよ。ノった私がとても可哀想な人ではないか。
≪私がそう思ってたのって、あっちにはバレてるかな?≫
≪いいえ。マスターは表情や仕草を抑える文化が心身に染みついておりますので、この数年で表情筋が鈍くなられているのを差し引いても、もとから内面がほとんど表に出ておりません。加えて〝擬態〟もお上手です。会ってさほども経たない相手に見抜かれる恐れはまずありません。今も完璧ですよ≫
≪ふっ……社会人時代に獲得したスキル【まともな人】は、多少のブランクなどものともせぬようだな。……逆にそのせいで女将さんに目ぇつけられちゃったかな?≫
≪おそらくは。珍しいデザインのバッグや陶器の色などは、あなたが異国から来た人物という設定で説明がつけられます。あの女将でなければ、そう注目はされなかったでしょう≫
≪女将さんステキ! 引退してもまだ現役とか格好いい!≫
≪それで、どうなさいますか? ギルドへ向かいますか、それとも当初の予定どおり治癒院へ?≫
≪おぬしのスルースキルも大概よな、ARK……≫
ちょっと切なくなりながら、「討伐者ギルドはあっちのほうだったかな?」と呟いた。
≪厚意を蹴って治癒院を選択しようもんなら、それこそ『私には後ろ暗いところがあります』とか『私はあなたを信用していません』って宣言したようなもんでしょ≫
≪承知しました≫
私の頭が煮えていようがなかろうが、女将が提案してくれた時点で、それに乗らないという選択は無いのだ。
◇
町全体が芸術作品。すべて見どころ。しかしもとからそこに住んでいる者には、ただの日常過ぎてその貴重さがわかりにくくなるという。実に勿体ない話だ。
まあこの国の人々からすれば、私の住んでいたドームのほうこそが異世界なのであって、そこを何の変わり映えもない退屈な世界と認識していた当時の〈東谷瀬名〉こそが、「なんだこいつ本気で言ってんのか信じられない……!?」と呆れられるに違いないだろうが。
とにかく、やばいなんてものではなかった。建物も行き交う人々も、古き時代のヨーロッパ風なファンタジー。その映画の世界にドボンと飛び込んでしまった、そうとしか言えない感覚なのだ。
誰からも不審がられず、さりげなくキョロキョロ見回すのがこんなに大変だったとは!
一分ごとに立ち止まったり横道に逸れたくなる足に、心の中で「進め、進むのだ!」と強く言い聞かせ、ようやくその建物に到着。北地区ではなく東地区、いつもより人が多いとあって、結構な距離に感じた。そのせいだろうか、なんなのだろう、この達成感は……。
「…………」
雰囲気のある両開きの扉は木製で、上部はアーチになっている。そのアーチの上部に、〈討伐者ギルド〉の看板がかけられていた。
資料映像で見たものと同じである。胸の高鳴りがいよいよまずい。しかし引き返せる段階はとうに過ぎている。
ひとつ息を吐き、腹をくくって扉をあけた。
「…………っ」
――やばい。やはりここもRPG脳ホイホイだ。
この町に来てからこっち、脳内物質が確実にえらいことになっている。ARK氏に診てもらわなくたってわかる。
≪あーくさん、あーくさん、私どうすればいい?≫
≪とりあえずカウンターで紹介状を渡しましょう、マスター≫
小鳥の淡々と冷えた念話が今はありがたい。
足を踏み入れた瞬間にその場の全員からギロリと睨まれそうなイメージを抱いていたけれど、そんなことは全然なかったのも地味に助かる。討伐者らしき人々もギルド員らしき人々も、自分達の仕事や会話を優先し、こちらをずっと気にしている者はいない。ほどよく無関心だ。
人種どころか種族すら異なる人々も多く集まっているので、私の容姿もここではそんなに目立たないのだ。
視線の集中砲火なんて、想像するだに恐ろしいものを浴びずに済んで心底良かった――そんな想像をしたせいか、しばらく大人しかったヒキコモリ虫がみょいんと頭をもたげてきた。この虫、人がたくさんいるところだと、時に心が〝無〟になる効果があるのだ。
おかげで心音が少し落ち着いた。さて、いざゆかん、受付のお姉様のもとへ。
討伐者ギルドの評価ランクは、下から順に草、石、青銅、鉄、銀、金、聖銀ランク。
初めて討伐者登録をした者は、最底辺の草ランクから始める。草ランクは子供が家計を助けるために登録することもある見習いランクで、討伐系の依頼は受けられず、厳密には討伐者扱いではない。
年齢も性別もさまざまな、武具を纏った人々の間を縫って進み、ついでに大きな掲示板へ鋲でとめられた紙を眺めていった。
討伐依頼の紙である。当然ながら歩みは鈍った……あなたは本当に誘惑に弱いですねと小鳥の声が聴こえてきそうだ。
ギルドには依頼用紙の専門絵師がおり、挿絵のような説明図はなかなかに上手い。読み書きができない討伐者もかなりいるので、依頼内容の分類はマークで区別がつくようになっている。
一番上に依頼タイトルがあり、タイトル脇に植物の図柄のマークがあれば薬草類の採集依頼。鉱物のマークがあれば採掘依頼。剣と弓を交差させたマークがあれば討伐、盾と鎧のマークは護衛依頼といった具合だ。推奨ランクは、自分のギルド証と同じマークが描かれていればいい。もしマークがマルで囲まれていれば、それは〝パーティ指定〟という意味になる。
その紙をカウンターに持って行って詳細を尋ね、問題がなければ依頼を受ける。どうも合いそうにないとなれば、持ってきた者がもとの位置に戻す。掲示板の材質はコルクに似ているので、鋲でとめ直すのは簡単だ。
ランクアップして調子に乗ったり、いい加減にやっている討伐者には、そのひと手間すら嫌がってカウンターに放置していく者もいるらしい。が、注意してもやめなければ、実はランク査定に響くのだそうな。そんな輩が果たして依頼人の信用を壊さず、仕事をきちんとこなせるのか、というわけである。
≪この紙、依頼完了したらどうすんのかな。まさかポイ?≫
≪記録として保管されます≫
≪ふーん。捨てるぐらいなら欲しかったんだけど、ちゃんと保管するならいいか……≫
≪魔物素材を使った安物とはいえ、無駄遣いできるほど安物でもありません。この世界にポイ捨ての文化はありませんよ≫
≪うっ。そ、そっか。いかんなー、ついそういう発想になっちゃうとこ直さないとな……羊皮紙の本って、一冊だけで現代の価値に換算すると何百万はしたんだっけ?≫
≪この紙はそこまで高価ではありませんね。紙の製作に向いた植物系の魔物で無駄になる部分がなく、一匹の討伐でそこそこの量を確保できますので、価格も抑えられるのです≫
≪ほほ~≫
感心した素振りで答えてみるけれど、小鳥さんにはお見通しだろう。現代の価値がどうとか、知ったかぶりもいいところである。
改めて思い返して、ふと疑問が湧くのだ――私の時代の紙って、実際にどの程度の価値があったんだろう?
買い物にも契約にも、ただの一枚すら紙を使わなくなった時代だ。紙の存在した時代の最後には、高品質印刷用紙が数百枚で千円ぐらいだったはず。けれどあの頃は、人類がまだドームへ避難していなかった。
ドームに移った後でも、製紙自体はきっと可能だった。材料は成長速度の速い種類の木や竹なんかを生産工場で育てればいい。ただし農作物と異なり、いくら成長が早くとも、短期間での大量生産には向かない。おまけに紙の需要がほぼない時代、もし紙を作るとしても、それは何のための紙で、どの程度の価格になったのか……。
「さっきから【角兎】の依頼ばっか見てるな。それが気になんのか?」
「!」
しまった、つらつら考え込み過ぎた。
いきなり間近から声をかけられ、危うく肩が跳ねるところだった。少しぴくっとしてしまったが、不自然さはなかったろうか。
低く渋い声は大人のもの。やや低い位置から聞こえたけれど、椅子に座っているのか、しゃがんでいるのか――
「――……」
「同業にゃあ見えねえし、依頼人かと思ったんだが。そうでもねえか?」
私の胸当てと、腰の刀へ交互にちらりと視線をやり、〝彼〟はぴくりとヒゲをそよがせた。
――この日、この瞬間、奇声を発さなかった私を誰か褒めてやって欲しい。
ARK氏の〝完璧なセナ=トーヤ育成計画〟が真価を発揮した瞬間でもあった。
≪――ッ、――~ッッ、~~~ッッッッッ!!≫
≪…………≫
知らなかった、念話って無言でも何かが通じるものなんだな。
長靴を履いた猫が、そこに立っていた。
瀬名を精神崩壊の危機へあっさり追いやる男(猫)、登場。




