17 到着
※念話のカッコを《( にしてましたが ≪ に変更しました。
2020.12.2
早朝に出発し、ハイペースで森を抜けたおかげで、陽はまだ高くにある。密集していた樹々がどんどんまばらになり、地も平坦になって、倒木や大岩といった障害物も少なくなった。
≪その幹の陰で待機してください≫
≪おっと……了解≫
青い小鳥が思念通話――略して念話で警告してくるのに素直に従う。事情を訊くのはその後だ。
≪何かあったの?≫
≪馬車が通過します≫
≪ばっ……!?≫
≪少し先に街道があります。そのまましばらく待機を≫
≪ええええええ~!?≫
馬車だって!? 馬車だと!?
もの凄く見たいんだが……!?
≪迷彩シールドの範囲をここまで広げておりますので、覗き見程度でしたら問題ありません。が、なるべく音を立てず、急激に動かないよう慎重に行ってください。あちらに斥候職がおります≫
≪りょーかい!≫
こっそり、少しずつ幹から顔を出した。かなり遠くに、胡麻粒ぐらいの大きさの集団がじわじわ移動しているのが見える。
あの小ささで、一番細かい粒が人影であり、大きめの塊が乗り物だとちゃんとわかった。普段はあまり意識していなかったけれど、視力も随分と良くなっている。
――それにしても、人だ。人である。画面越しではない本物の、生身の生物。
ドキドキしてきたが、ARK氏に止められた理由に遅まきながら気付いた。有名な迷いの森から「やあ!」と出てくる奴なんて、不審人物以外の何でもなかろう。ハイになった頭を冷ますべく、幹に寄りかかってゆっくり深呼吸を繰り返した。
ドーミアはそれ自体が関所の町だ。遥か北のイシドールから南へ街道が伸びて、その道はドーミアの町の北門に繋がっている。そして町の南門を抜けてさらに南下し、道なりに進んでいけば、やがて国境砦が見えてくる。
帝国と睨み合う国境砦の方角からドーミアへ向かう一般人などいないので、私が出た場所はイシドール~ドーミア間の街道の近くなのだ。
最初から森に住んでいると申告するのではなく、無害アピールをして慣れた後に「実は……」という流れにするほうが、きっと面倒が少なく受け入れられやすいだろう、と思う。
≪……行きました≫
≪ほっ≫
息を吐いて、こそこそ幹から出た。次が来ない内に、さっさと道の上の人になってしまわねば。
◇
「う、わあああ~……人工物だ。人工物だよ! 私なんでこんな石に感激して興奮してるんだろう……! あ、涙が出そう……」
《なかなかみごとな石畳の街道ですね。水はけも計算されていますし、隙間の雑草は衝撃を和らげるための天然クッションです。一定の人通りがあるので必要以上には伸びませんし、定期的に整備も行われているのでしょう》
紛うことなき人の手になる道の上を歩きながら、ほんの少し濡れた目尻をそ、とぬぐった。
場所によっては、この街道を逸れて見失えば森に迷い込んでしまう恐れがある。それを防ぐ目的か、一定距離ごとに石柱やアーチなどが建てられており、なんだか古代遺跡の道を歩いている気分になった。
《のんびり楽しまれたいでしょうが、なるべく急いでください。遅くなると町に着いてから活動する時間がなくなってしまいます》
「へぇ~い……」
ちくりと厳しいがその通りである。
しばらく走って、徐々に早足に切り替えた。最初に見かけた胡麻粒の影を前方に捉え、追いつきたい衝動に駆られたけれど我慢した。この道をマラソンで完走する変人はいない。いるとすれば時間配分を間違えたかトラブルに見舞われたかで、閉門直前にラストスパートをかける者ぐらいだろう。
そうこうしている内に、森と平原と岩山の向こうから、陽光を受けてきらめく灰銀色の壁がゆっくりと現われた。
「…………」
息を呑み、喉がおかしな音をたてた。
耳元で鼓動がうるさい。
あれこそを〝荘厳〟というのだろう。昔はついぞお目にかかったことのなかったものだ。あれを人の手で造りあげたなんて信じられない。
感動のあまりまた涙が出そうだ。しかしここで目を潤ませていると、いざ人に会った時に要らぬ注目をもらってしまう。前方の胡麻粒は、もはや粒々に見えないほど大きく、はっきりと人の形をしていた。
大荷物を背負った大柄な者、小柄なのに目を疑うほど大荷物を背負った者、大きな馬車や粗末な荷車、それを牽引する生物、護衛らしき武装した人々――
さりげなく深く呼吸をする。今や私自身がその群れの中にいた。
だいぶ心臓は大人しくなったのに、高揚感がしつこく続いて止まらない。不思議なことに、これだけたくさん人がいるのに、ヒキコモリ人種たる私が恐怖や緊張をほとんど覚えていなかった。
何故だろう。ちょっと首をひねって、すぐに理由に思い至った。
衣装といい建造物といい、右を見ても左を見てもファンタジー。
これだ。ほかに理由はない。
堀の上に築かれた橋の手前に小さな門があり、そこでドーミアの兵士に身分証の提示や入町税の支払いを求められ、さすがにこの時ばかりは緊張感が戻ってきた。
身分証があればその種類によって支払いを免除、あるいは減額され、ない者はより高めに設定されている。払えるほどの現金を持っていない場合は、何らかの物品を納める。何でも良いわけではなく、町によって品物は指定されており、消費量の多い薬草や魔物素材などが定番のようだった。ただし期間ごとに指定品が変化することもあるので注意が必要である。
もちろん私は身分証など持っていないので、あらかじめ調べてあった薬草を鞄のポケットから出した。
「ふむ、指定薬草三株、確かに。滞在許可証を発行する。この木札を持ってあちらで交換しろ」
番号の書かれた、何の変哲もないただの木札だが、いちいちこっそり感動するのはどうしようもない。
指示どおりの受付の前に立つと、なにやら軽薄そうな雰囲気の兵士だか文官だかがにょきりと顔をこちらに向けた。
「すいません、この札を……」
「はいはい、交換ね。あんた、エスタ語の読み書きはできる?」
「はい」
「んじゃ、この木版のこことここ、両方とも名前書いてね」
二枚の小さな板と羽根ペンを差し出された。
初の羽根ペンである。インクは既につけておいてくれたのでそのまま書けた。想像以上の書き味の悪さは、「憧れの羽根ペン……!」という感動フィルターで乗り越えた。
「お、なかなか達筆だねぇ。……セナ=トーヤ? ていうの?」
「ええ、はい」
「お供がいないし、商人とかギルド員にも見えないけど、若いのに一人旅なんて大変そうだねえ。ひょっとして〝魔法使い〟だったりして?」
「ええ、まあ」
「おおっ、すごいな坊や! 最近の魔術士ってほとんど貴族ばっかりだからなあ、みんなここより大きな町へ行っちまうし、この辺じゃ滅多にいないんだよ~」
「はあ……」
「もうすぐ祭り期間だからいろんな催しやってて面白いぞ! あんたは何か店でもひらくのかい? それとも見物? 俺のオススメは――」
「おい、いつまで喋ってんだ!! ヒマじゃねえんだぞ!!」
「うわっ、すんませんっ!」
「ったく、きさまは向こうであれ片付けとけ!」
「す、すんません……」
あちゃあ、と頭を掻きながら、軽薄そうな受付のおじさんはすごすごと奥に引っ込んでいった。
「すまんな坊や。あいつ、喋り始めたら止まらんのだ」
「いえ……」
交代した真面目そうなおじさんがヤレヤレとぼやいた。
あの「あちゃあ」で想像がつくけれど、どうやら懲りずに毎度やっているらしい。面食らって「はあ」とか「ええ」ぐらいしか返していないのだが、全然失礼だった気がしない……。
しかし私はちゃんと〝坊や〟に見えるようだ、よしよし。今の身長はぎりぎり百七十センチに届かないぐらいだろうか? 駄目押しでもう少しあってもいいかもしれない。
「――こちらの木板に唾液を一滴落として、こっちの木板と重ね合わせろ。……よし、ではこちらの木板が滞在許可証となる。期間は十日、それ以降は更新の申請手続きが必要だ。失効した状態でうろついてたり、第三者への譲渡、あー、つまり勝手に他人にあげたり売ったりすると捕まるからな。更新せず町を出る時は必ず返却し、再び入る時には今回と同様に入町税、または相当額の指定物品……同じぐらいの何かによる支払いが必要となるので気をつけろ。何か質問はあるか? ……よし、通っていい」
…………顔を見て難解そうな言葉をやさしく言い直された。私は何歳ぐらいに見えたんだろうか? 怖いおじさんに脅されるよりいいけれど。
ともあれ、これで第一関門はクリアだ。
長大な石造りの橋をゆっくり進む。これもどうやって造ったのだろう、鳥肌がぞわぞわ止まらない。長袖の季節で心底良かった。「うわあああいかにも城塞都市の入り口って感じ! かっけー! テンションあがるわぁー!」と叫び狂えないのが本気でつらい。
歩みがゆっくりなのはわざとではなく、前の人々の進み具合が遅いからだ。平素より人が多いと聞いてはいたけれど、想像以上の旅人や行商の馬車が列を成していた。
そしていよいよ第二関門、町をぐるりと囲む防壁の門だ。門の前は小さな広場になっており、兵士達からの身分証検めは流れ作業でさくさく進む。本番のほうが楽で早かった。それでも町へ入りたい人々の数が多いので、振り返れば私の後方には新しい列がかなり伸びていた。陽はまだ高いので、これから先もっと増えるかもしれない。
≪つうかこの滞在許可証、ただの板にしか見えないけど魔道具なんだよね?≫
≪そうですね≫
≪ふわー……≫
二枚組みの小さな木板で、片方は自分で所持し、片方は役所かどこかで保管されるらしい。偽造やなりすましなどが困難で、持ち主が死亡、あるいは破損した際には控えの木板が変色し、即座にわかる仕組みになっている。
魔道具はたいがい高価だが、平民の一般的な身分証はかなり安価なものばかりだ。私がもらった滞在許可証は、ギルドに登録して身分証を新たに発行したり、町を出る時に回収される。そして特殊な方法で初期化されて、再利用が可能になっているのだ。
本身分証は木板以外にも、地位や身分によって金属板や魔獣の骨などさまざまな種類がある。唾液ではなく血液を染みこませるもので、再利用はできなかった。
≪これ魔法抜きで同じ道具作るとしたら、相当なハイテクノロジーだよね≫
≪DNA型鑑定や生体センサーなどの存在しない時代は確実に無理でしょうね。ちなみに、正確に分類すれば〝魔術〟ですのでご注意ください≫
≪はいよ。魔術と言えばあのお喋りおじさん、あんな仕事ぶりでいいのかな? 私が言うのもなんだけど、その内に変なのを通しちゃったりしないか心配だわ≫
≪大丈夫でしょう。実に丁寧でよい仕事ぶりの人物です≫
どこがだ。相変わらずこの青い小鳥さん、淡々とクールに皮肉屋である。
何気なく木板に書かれた自分の〝名前〟を眺めた。エスタ語でセナ=トーヤ。出身地や職業欄はない。出身地が不明な流れ者が多いのでそういう仕様なのだが、もし書く必要があれば薬師とする予定だ。突っ込んで訊かれた場合だけ「魔女の弟子です」的に答えるけれど、誰それの弟子なんて公的書類に記載する項目ではない。
本身分証であれば、地位や家柄がもっと詳細に書かれている。家名のない平民でも、〝どこの村出身の何の仕事をしている誰〟となっているそうだ。
それにしても、この名前だけで本当に『あんた魔法使い?』なんて、ピンとくるものなんだな……。
あのおじさんが程よい感じに大雑把で助かった。実は少しまずいかなと思ったのだ。もし几帳面なタイプに当たっていたら、この辺りでは魔術士が不足しているようなことを言っていたし、引き止められたかもしれない。
スカウトされた時の断り文句もいろいろ考えていたけれど、不要になってよかった。
実力を確かめようなんて話になってしまったら、ニセモノはどうすればいいんだ……。
◆ ◆ ◆
「あちゃあ」と頭を掻きながら奥に引っ込んだ男は、同僚と軽く視線を交わし、手の平程度の布片にさらさらと文字を書き連ねた。
そこに人懐っこいお喋りおじさんの顔はない。書き終えて布片をまるめ、小指ほどの筒に押し込み、丁寧に蓋をすると、裏で飼っている伝書鳥の足に固定した。
鳥が羽ばたいて、向かう先をほんの少しだけ見送る。そして男は元の配置に戻った。
真面目そうな雰囲気の男と目を合わせ、視線だけで頷き合うと、二人は言葉もなく交代した。
そしてまたいつものように、お調子者なお喋り好きの賑やかな声が聞こえてくる。
――〝セナ=トーヤと名乗る魔法使いの通過 真偽は不明 黒髪・黒瞳の少年 異国風の容貌〟――
小鳥さんの日頃の言動に慣れたせいで気付かない主人公。




