隠されざる者たち
──私が語らなければならないのはまず人間である。
人間と呼ばれる種は我々の種には必要不可欠な存在だ。我々の宿主であり我々の傀儡、そんな存在だ。
我々に一歩及ばなかった腹からはそこがひと時の仮の宿であるが、私たちにとって其処こそがカナンであり楽園なのだ。
そしてその楽園もひと時のモノであるものと私たちは知っていた──。
──東京のとある港での一幕。
怪奇としか言いようのない見た目の一団がひと塊となり潮風と錆の舞うコンクリートジャングルを疾走する。
戦闘を走るのは奇妙なほど真っ白い肌と真っ白な髪を靡かせ、可憐とも見て取れる少女であった。
ひたひたと素足の足音が港に響き、その体を覆う糸くずの塊のような奇怪な衣服を着込んで駆ける。
少女はかなりの足並みで走っているにも拘らず、不敵に笑みを浮かべて、虎視眈々と後ろを追う無頼の輩を翻弄していた。
「束にならねば我を相手どれぬとは、まさに無様という他ないな!」
少女はそう言い放ち高笑いを放ちより一層早く地面を蹴り上げ、追手の集団を引き離す。
目を見張るようなスピードであり、足の裏からは血が滲んでいた。
息も切らさず、目指すは大海の大海原であり其処こそが彼女の故郷とも言える場であり逃げ場であった。
『いい加減我に食われろ! 我らが女王よ!』
見てくれを言うのならまさしく怪物と呼ぶに相応しい出で立ち。少女を追う集団の中より低く響く声があった。
「主らに今世紀の宴を取り仕切らせるには些か荷が重いようだのう! 安心せい、我が成就させてもらう。今回もな!」
『ほざけ!』
集団を抜きんでて怪物が少女に迫る。
手に握られていたのは不格好な剣であり、奇妙に螺子くれた姿を月夜の光にかざして振り下ろさんとしていた。
ありありと感じる殺意。いくら不格好な剣と言えどそれままさに凶器であり、確かな殺傷力を有している武具だった。
命からがら間一髪の紙一重のタイミングで少女は剣の軌跡を避け、進路をすぐさま変更した。
「腐肉喰らいの蟲めっ!」
独り言ちり少女は錆の浮かぶトタンの倉庫の迷路へと誘われていく。
あちらへ曲がれば敵が、こちらへ曲がれば敵が──退路と言う退路を悉く潰され包囲されてゆく。
──袋のネズミ。
ふとそんな言葉が浮かんだが諦めは出来なかった。
少女としてもせめてネズミのような宿主に入るほど落ちぶれてはいない。人間こそ少女に見合う宿なのだ。
「──っ!?」
倉庫の角を曲がり眼前に見えたのは遂に行き止まりであった。
『終わりにしましょう。女王よ』
潰れた喉の奥から響く、怪物の声はこの追いかけっこの終わりを告げようとしていた。
腹の底から冷え込むような恐怖感。眼の奥の、脳味噌の芯から痺れていくようなそんな感覚がある。
少女にとってこの感覚は慣れ親しんだ覚えがある。
前回の頃、他の者たちとやり合った時の感覚──死を目の前にした感覚だった。
あらゆる難局を乗り越えて勝ち登り女王とまで呼ばれるようになった少女は、初めて芯の芯より己の死を自覚し始めていた。
どこか何かしらで打開できると考えて逃げ道を思考してみるもどう考えようとも見えるのは敗北し殺される情景しか考え付かなかった。
万事休す、万策尽きる寸前──運と言うものがあるのならそれは彼女を見放さなかった。
黒々とした漆黒の夜空に矢庭に差し込む日光とも違う眩い光が差し込み、それと同時に鷲の嘶きも可愛く思える爆音の羽音が轟く。
『パラドーラ―集団を確認! ドライバー、到着したぞ!』
耳を裂くような声が光の先より聞こえ、そして差し込む光に影が落ち一人の戦士が降り立った。
パラドーラ―と呼ばれた怪物のような鎧を纏っているのか、奇怪な見た目はしていなく人間の、端整の取れた姿形をしている。しかしながら所々に顔を覗かせる皮を剥いだ筋肉繊維のような生々しい色合いの肉が見えしっかりと人間とは懸け離れた存在だった。
少女の鼻そして怪物の鼻に捉えたられた匂いそして雰囲気ですべてを察する。
仲間、しかし人間の仲間、腰の丹田に据えられた機械それが何よりもの証拠だった。
『──処理に入る』
そう一言だけ言い放ったそいつは怪物の中に飛び込んだ。
振るわれる拳が腐肉喰らい達の体を突き破り、肩さとは何ぞやと言わんばかりに撃ち砕いてゆく。
舞い散る鮮血──真っ青な、青々とした群青色の血が辺り一帯を青く染め上げる。
なかなかの戦士──少女が大勢に無勢と思い逃げた一団をちり芥と言わんばかりの無双ぶり。
感嘆の思いに浸るのも悪くはないがしかしながらそのような暇はなかった。
あるのは逃走、宿主のいない少女に今は非常にまずい状況だった。
逃げる事しか打開策が思いつかない少女は倉庫の壁を蹴り上げ屋根へと駆け上りる。
少女の肉体にはとにかく養分が無さ過ぎた。
本来ならばこのような連中に後れを取ることなどある筈はない──何せ前回の覇者。この者たちの『女王』なのだから。
『逃がしません。尋常にその命を頂こう』
ゾッとするような殺意が暗闇の中より迸り、背をなぞる。
久しく感じなかった不快感。これを形容する言葉は痛みしかないだろう。
水道管を破いたように勢いよく噴き出した青い血が倉庫の屋根を汚して生臭い匂いが漂う。
暗闇の底から現れたのは怪物たちの棟梁とでも言えばいいのか──少女が生み育てた一匹の中で最も出来の良い子。
「クナーファ。母に向かって刃を向けるとは、よき根性よ」
『たしかに貴方は我ら“選択された選別”の生みの母。しかしライバルの一匹でしょう。デセルヴィール』
振り上げられる刃を心臓に当たらぬよう避ける。しかしながらその振り下ろす速度と来たら常軌を逸している。
風が轟音を鳴らし倉庫の屋根を綺麗に両断し、少女の肩を右にを切っ先が掠めるだけ袈裟懸けにぱっくりと割られているではないか。
想像もしえない力を付けている。
「ックぅ! ──一体どれだけ喰い蓄えた。クナーファ……」
『さあ、数えるのも面倒になるくらい。凡そ……五百ぐらいでしょうか?』
それだけ食えばこれだけの力は付くだろう。子供同士で食い合い次世代の『先導者』を決める定めで、それだけの数を食えばこれほどの力は頷ける。
鼻笑いが漏れてしまうのも致し方ない。悟ってしまったのだ。
──勝ち目がない。
「そうか……それだけで喰えば最早、先導者の役目は主であろうな」
『そう思うのなら私に喰われてくださいな女王よ。貴方は我々にとってのトロフィーだ!』
剣を横ぶりに振られ胴をひと凪ぎに斬りつけられる。
その感触たるや言葉には言い表せぬほどの不快感。言いえて妙かな喪失感があった。
しかしながらこれほどの所業を甘んじて受ける少女ではない。
勝てぬまでも、相手の目標を達成させないだけの方法はいくつかありその中でも少女が生き残る方法を選び取っていた。
腕に移動させる心臓。それを思いっきり海へと投げ捨てる。
コアが腕より離れる瞬間に、下半身も上半身も、糸が解れたように崩れてゆく。それこそ白いきしめんの如くバラバラに解れその場に散らばった。
放物線を描いて少女の心臓は海面へ着水し、海流にその身を任せて流されてゆく。
コアの大きさはビー玉よりも小さく、BB玉よりも少し大きい白い粒。どこぞの魚の餌となるだろう。
それでいい。ひと時の仮宿だった。
流れよう、そして宿ろう。これが少女たちの人生だった。