06.烏羽色に透けた事実
澄蓮はその後ただただ必死になって、夢の中で自分を殺そうとした人物から逃げた。
背後で響き続ける金属の音が遠ざかって、一緒に逃げていたはずの人々もいなくなり、自分の家に逃げ込んでもまだ、胸が痛く苦しかった。
本気で死にそうだ、本気で命を狙われた、と感じたのは生まれて初めてだった。
共働きのため両親が家にいないことがひどく心もとなく、寂しく感じた。
靴を脱いで自分の部屋に戻り、握りしめ続けていた金色の鎖を机に投げ出した。
重たい金属の音を立てて叩きつけられた鎖から視線を外し、窓を閉めて隙間ができないようにカーテンで部屋の中を隠す。
そして制服に皺がよるのも気にせずベッドに体を投げ出した。
震える体が、荒い息や疲労で薄れた意識が、命か何かを蝕んでいるような錯覚さえ感じた。
「な、な、…なんなの…!?何で夢の中の人が屋根の上で戦ってたの?どうして!?
…まさか…まさか、森谷先輩だけじゃなくて、あの二人も現実に生きてる人たちなの…?」
マントや剣までが夢に出たままで戦っていたことは不思議だったが、そうとしか考えようがなかった。
澄蓮や陽斗、貴司のように現実の人間だということが、自然に思えた。
しかし、澄蓮は夢の中ではっきりと目にしたのだ。
紫紺のマントを身に纏う人物の、まだ幼い顔に感じた違和感。
彼の顔が造り物めいて見えたのは、わずかな汗も浮かんでいない整った顔が無表情だったからだけではない。
現実の人間というには一般的にありふれてはいない、美しいあの不思議な色彩だった。
今日遠目にだが再び見て、その色彩が見間違いや光の反射によるものではないのだと、澄蓮は確信した。
陽斗のように生まれつき色素が薄いとしか考えられない、彼にとても馴染んだ色。
2度も澄蓮に剣を向けた彼は、アルビノと呼ばれる先天性白皮症の少年だった。
澄蓮は今までの人生で一度もアルビノの人を見たことがなかった。
せいぜいゲームや漫画でその知識を得て、白い兎やまれにニュースでアルビノの動物が発見されたというニュースを耳にするぐらいだった。
理解がワンテンポ遅れたのも無理はなかった。
それに、あの紫紺のマントの少年は、日本人のような幼い顔立ちだったが、目もとなどの造りはどうかというと西洋的だった。
絵の具のような白い短髪は染めた色、紫がかった紅い瞳はカラーコンタクトだと思い込んでしまったのだ。
あんな状況ではなく、普通に街で出会ったなら、きっと誰もがうっとりするだろう少年だった。
しかし2度も命を狙われて、うっとりときめけるはずもない。
「…だめ…疲れた……」
眠い、疲れた。
外を確認する勇気も体力もないほど、先程の逃走に全体力をつぎ込んでしまった。
もはや寝たくない、砂漠に行きたくない、などと考える余地もなく、澄蓮は夢の世界へと旅立ってしまった。
「うわあぁ……来ちゃった…」
ただし、今回は中継地点の闇色空間に。
とうとう眠ってしまった、と後悔したのだが、それ以上に、ようやく眠れた、という緊張の緩みで安堵できた。
夢の世界では、現実世界であれほど感じていた眠気や疲労が嘘のようになかったので、健康な生活のありがたみを痛いぐらい実感できた。
とりあえず夢で呼び出されたのが砂漠ではなかったことに心底感謝して、澄蓮はこの場所の主を探した。
この暗い空間に溶け込むような、黒い学ランを着た色素の薄い青年は、上下前後左右と見渡しても現れない。
「滝せんぱーい!いーませーんかー?」
声を張り上げても返ってくる声はなく、ただどこかに反響した自分の声がふわふわと耳に届いただけだった。
ひょっとしたら、陽斗は今、現実世界で起きているのかもしれない。
普通に考えれば、現実世界ではまだ午後5時そこそこなのだし、澄蓮のような事情がない限り、活動している時間帯だ。
起きていて現れない時ぐらい、普通に眠りたかった、と澄蓮はうなだれた。
これからどうしようか、と空間に漂っていた澄蓮の頭上で、最初の時に見たことがある紅い閃光が輝いた。
そう何度も見たわけではないのだが、不思議と光が弱く感じられた。
「滝先輩?」
「よ・スミレちゃん。久々やん!なになに?一昨日から徹夜しとったん?あれ、一昨日?その前やったっけ?」
陽斗が入院してのんびりと惰眠を貪っているのだとしたら。
笑 え な い 。
「…先輩…冗談がお上手ですね……」
「あはは。マジやねんけどなー!」
引きつった笑顔で言った澄蓮に、陽斗は冗談ではなさそうな笑顔を浮かべた。
二日ぶりに見た陽斗の笑顔に、体中の毛が粟立った。
邪悪というか、何か企んでいる人間の顔だった。
「っと、まぁそれはおいといて。…荊棘の砂漠、どやった?」
「な……なぁー!!?」
「まあまあ、そう怒らんといてくれや。てっとり早く事情伝えるにはそれが一番やったし。やろ?」
「っ……だからって…いきなり飛ばすとか、「そのことについては謝る。悪かった。せやけど時間がないんや」
言葉を遮り、陽斗は澄蓮に訴えた。
今までにないほど、本当に焦っていた。
その必死さが伝わった澄蓮は口を閉ざし、とりあえず話を聞くことにした。
変化は、澄蓮の気付かない所から始まっていた。
「この中間地点、そろそろ消えてしまうんや。せやから協力してくれるかどうか、最後にちょぉ聞こう思てな」
「…消える?ってことは、ここに来るのはもう終わりなんですか?」
「―――――ま、そーゆーこっちゃなー」
ようやくいつも通りの日常に戻れる!
喜んで問いかけた澄蓮に陽斗は頷いて、人差し指をタクトのように振った。
指先がやわらかく白い光を放った。
夢の世界はこんなこともできるのか、と澄蓮は素直に感心する。
暗い空間では不思議と体や服の輪郭は浮かび上がるように見えていたのだが、やはりこの空間は通常よりも暗かったのだと、陽斗の指先からの光で気づいた。
光は指の動きに一拍遅れて、ふわふわと宙に軌跡を作った。
「つーまーりー。俺もスミレちゃんに会うんはお終いやなっ!」
明日の天気を当てるような軽さで言われた言葉に、澄蓮は内心首を傾げた。
確かに陽斗は入院しているので学校で出会うことはないだろうが、それでも退院すれば学校で会うこともあるはずだ。
もしかして転向でもするのだろうか。
「俺なー、今入院してんねん。たぶん全身骨折とか打ち身とかでベロンベロンなんやろーけど…まあ、ぶっちゃけ、意識ない状態やねん。あははー」
「……はい?え、ちょ、はいっ!?」
「んで、たぶんそれは階段から落ちたとかいうんが理由とちゃうんや。…胡蝶でな、俺、パーンッてバラバラにされて―――――どないしたん?」
頭を抱えて、待ってくれ、と手を突き出した澄蓮に気づいて、陽斗が言葉を止めた。
しん、と静まった空間の中で、澄蓮は混乱を極めた。
彼女に見惚れて階段から落ちて全身骨折(クラスメイト談)、その後入院。
そのことは親友の森谷貴司からも、彼のクラスメイトたちからも聞いた。
だが、その誰もが、意識不明の重体だとは言っていなかった。
知らなかった?それとも、隠していた?
クラスメイトたちは、おそらく知らないのだろう。
意識がない状態だというのなら、あれほど楽しそうに話せるはずがない。
だが、貴司は知っていたはずだ。
あの様子なら何度か見舞いに行っているはずだし、澄蓮を見る目もなんだか困ったような感じがした。
それに、彼は言っていた。
『あいつ、胡蝶で今ちょっとヤバいことになっててさ、俺らで助けてやろうってことになってるんだよ』
だから砂漠を越えて、助ける方法を探すんだ、と。
彼が言っていた言葉を、冗談半分で聞いていたことを、今初めて後悔した。
「先輩、夢の世界で…胡蝶で、何があったんですか?」
そう尋ねた澄蓮を見て、陽斗は振っていた光る指を下ろした。
「ようやく本題に入れるな。…時間ないし、簡潔に話すで」
澄蓮が頷いたのを確認して、陽斗は静かに話し始めた。
一瞬、陽斗の体が薄れたように感じたが、気のせいだろう、と澄蓮は話に集中することにした。
「澄蓮ちゃんももう気付いていると思うんやけど、あっちの世界て魔法とか剣とかが普通に存在するファンタジー系の世界やねん。
種族は普通に人間とか動物とかだけで、羽生えた人とかエルフ系とかは一切ナシ。
まあ、ゲームでもありがちな、数百年前の西洋みたいな世界を想像しといてくれたらええわ。
で、ここからが問題や。普通の人ん中に、魔法とか使える人がおる。職業は魔術師とか、細工師、人形師、封術師、最近は魔剣士とかまで出てきとるわ。
大抵の魔法は、暖炉に火ぃつけるとか、木を切るとか、動物狩るとか、船漕ぐとかに使用されてるんやけど…悲しいかな、胡蝶でも人間同士の殺し合いとかは絶えへんわけや。
貴司が砂漠におったやろ?胡蝶には砂漠挟んで、2つの国があるんや。東の、神様のおる国。それから、西の、神様のおらへん国。
俺、六花、雅樹、和奏、貴司の現実人間5人は西…つまり、神様のおらへん国を拠点にしとったわけ。ここまでオケ?」
「…オッケーです」
「っし、続けるで。
で、胡蝶の方では、神様は宗教的な存在っちゅーより、魔法を極めた人かなんかのことを指すみたいなんや。ようするに、不思議な力を使う、選ばれた唯一の人間やな。
しかーし、俺らのおる西の国にはそういう国のトップ!っちゅーのがなかったわけ。村とかが国中にぽつぽつあるだけの、ホンマ無法地帯って感じやってん。せやから、国て言われへんような場所やってんな」
「だったって…過去形なんですか?」
「おうよ。俺がトップになったったさかい、ちゃーんと国としてまとまるようになってきてんで」
はい?
と、首を傾げて聞き返した澄蓮を、陽斗はにんまり笑顔を浮かべた。
今までなんとなく猫や狐っぽい笑みだと思っていたのだが、これは不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のような笑顔なんだ、と澄蓮は気づいた。
「俺、魔王サマやねん。神様と同じくらい魔法使える設定な魔王様な。ファンタジー世界の悪の華的な存在。2回言うたでー。テストに出すから最低限ココだけ覚えときやー」
自称魔王サマはどこまでも自由に言った。