過去話 ∞ ラルダ
以前期間限定で出していたものを再掲載。
過去の話です。
本編への伏線があったりなかったり?
私は小さいころ、この瞳の色をからかわれて嫌な思いをしたことがある。
私の父が授け宝だったのだ。
髪の赤茶色はこの土地の色だけど、赤い目はここより北の色。
といっても西の方は髪が緑だとか紫だとかの人がいるっていうから、まだましなのかもしれない。
それでも、子どもっていうのは残酷なもので。
私にはこの目の色をからかわれた記憶ばかりある。
村の人たちは私の血を喜んでくれたけれど、私はこの血がとても嫌だった。
いっそ父のように黄色い髪、赤い目だったら、お天道様もお月様も似合っただろうに。
私の色じゃあ、赤土や蒸らし過ぎた紅茶の色がいいところ。
からかわれるのが悔しくって、腹立たしくって。
気づいたら村一番のガキ大将になんてなっちゃって。
父は嘆いていたけれど、母や村の大人たちは、みんな私を気の強いいい女だと褒めてくれた。
そんな私にも少女時代が訪れて、私は一人前の女のように恋をした。
村の、私の住む場所から結構離れたところに住んでいる、イハラという人だった。
小さいころ、私がまだいじめられるだけの子どもだった時に、さりげなく庇ってくれた人で。
まだ小さいころに、細工師の技術を学ぶために、家族総出で大都【紅】まで旅に出ていた人。
彼は湯を生み出す技術や部屋を明るくする技術など、石をより高度に扱う方法を村に伝えてくれた。
十年単位ぶりに帰ってきた彼は私を見て、秋の木の葉色の瞳を丸くして笑った。
「ずいぶん逞しくなったなぁ、ラルダ」
彼が私を覚えていたことに安堵したり、純粋に嬉しく思ったり。
ちょっと年頃の女に対する評価とはかけ離れた言葉に苛立ったり。
だけど私は彼の言葉通り、逞しい女になっていたから、頬を赤らめて照れるなんて真似はできなくて。
鼻息も荒く、喧嘩を売るようにして、彼に笑い返した。
「大きなお世話よ、イハラ。あなたこそ、随分背が伸びたみたいね」
「ははっ。まあ、十二年も経てばなぁ。もう成長は止まったがな」
そうか、と思い出す。
私が彼と別れたのは、もう十二年前なのか。
私は十七、彼は…十八になる。
もう、適齢期で。
…。
「結婚は、したの?」
尋ねた声は震えていなかっただろうか。
ただ、彼の満ち足りたような顔に、何か嫌な予感がした。
すると彼は照れたように笑って。
「リエットとな、祝儀を挙げることになったんだ」
その言葉に愕然とした。
そして、不思議な納得とともに、負けた、と思った。
リエットは綺麗な黄色の髪と、優しい大樹色の瞳の、細くてきれいな女の子。
だけど芯がしっかりしていて、私が喧嘩をすると必ず気合を入れた応援してくれるくせに、怪我をするとまるで自分が怪我を負ったような泣きそうな顔で手当てをしてくれる、女の子。
彼女には、勝てないな、と。
彼女なら彼の隣にいてもお似合いだと。
きっと二人は、誰よりも幸せな家庭を築けるだろうと、容易に想像できて。
できてしまって。
親友と、好きな人が結ばれるなんて、幸せなことなのに。
自分がその幸せを得たかったと望んでしまう自分が、浅ましく思えて。
胸の中が、グチャグチャしてしまった。
初めての事態に戸惑うと同時に、頭の中がキンと冷たくなったように冷静になっていた。
だから私は、ひきつることもなく、笑顔で言えた。
おめでとうと、寿いだ。
かつての喧嘩相手で、もう一人の親友、結婚したばかりのジェアがやってきたのはその日の晩だった。
酷い顔をしていただろうに、彼女は何も言わずにそばにいてくれて、実家から持ってきた羊肉でおいしいシチューをたくさん作ってくれた。
そして「うちの兄さんはどう?」なんて推してくるものだから、「あんたは私を慰めに来たんじゃなくて、弱虫アジックを私に押し付けに来たの!?」なんて言い返して笑い合って。
私の恋は寂しい空腹感と一緒にどこかへ消えていってしまった。
翌月に二人の結婚式が行われた。
リエットのドレスを、私はありったけの祝福の気持ちを込めて縫い上げた。
二人の姿は、とても素敵で。
きっとこんな日々が続くだろうと思っていたのに。
十七年前。
砂漠を越えた異国から、私たちの常識を超えた人々が、やってきた。
「ラルダ…ラルダ、どうしよう…イハラが大都【紅】に招集されたの…戦争が起きて、あの人が死んでしまう…っ!」
いつも頼れる彼女が泣きついてきても、私には実感がなかった。
まさか、戦争だなんて。
イハラが死んでしまうだなんて。
信じられない、そんな想いで落着けない日々を過ごして、イハラや他の村人たちが村へと戻ってくるのを待ち続けた。
だけど誰一人として、戻ってこなかった。
他の村や集落で、招集に応じなかった人たちを連れ出しに行く中に、イハラや村人たちが加えられた。
招集を拒んだ魔術師や人形師によって、軍ともども壊滅させられ、生存者はいない。
従って、村人たちは戻ることはない。
冷たい声でそう告げたのは、大都【紅】の騎士。
冷たい鉄の甲冑を着た男に、痩せ細ったリエットが掴み掛って。
何度地面に投げ飛ばされても、すさまじい形相になって叫ぶ彼女を見て。
ああ、彼女は本当に彼のことを愛していたのか、と思った。
ジェアやアジックたちが必死にリエットを止めるのを見て、ただただ驚いた。
彼が帰ってこないという事実を受け入れた自分に驚いた。
彼女のように彼の死を拒否しない自分に驚いた。
何より、そんなことにイハラや村人たちの命を散らしたという大都の人々に対してすら、何も思えない自分に、あきれ果てた。
所詮、私の恋はその程度だったのかと。
けれど、それから数週間は満足に食事ができなくて、私は人生初の減量を成し遂げた。
ジェアや、リエットまでもが心配してくれたことには、なんだか申し訳がなかった。
私は家族を失っていないのに、私が一番無気力になるのは、おかしいだろう、と。
そしてそんな頃、一組の旅人達が、この村を訪れた。
まるで芽吹いたばかりの若葉のような髪と、光を透かした上質な翆玉のような瞳の若い男と。
蒲公英よりもより深い橙色の長い髪と、湖畔のような水色の瞳を持つ、少女のような女。
どちらも白い肌が美しい、そして髪や瞳の色が異質なまでに鮮やかだった。
私たちは一目で理解した。
これは異国の人間だ、と。
そして同時に、この二人を村に招き入れることが、大都からの罰則を受けるに値することを理解していた。
村人たちは誰もが災厄を遠ざけようと、二人が村に足を踏み入れることを拒否した。
けれど、私は見てしまった。
マントの下に隠れる、女の腹。
まるで出産が迫っているような、臨月。
「…うちでいいなら、使っておくれ」
「ラルダっ!?あなた、自分が何を言っているかわかっているの!?」
リエットにとっては、最愛の夫を亡くした原因。
村人たちにとっても、家族を亡くしたのはこの人たちが原因だと、分かっている。
けれど。
「アタシも、彼女たちが村に滞在することを許可したい」
「ジェア…あなたまでどうして…」
信じられない、と泣きそうな顔になるリエットに、ジェアは女の腹を示して見せた。
リエットは大きな腹を見て目を丸くした後、ずるいわ、と涙を流した。
「子どもに罪はないだろう」
「そんなの…あんまりだわ……」
リエットとイハラの間に、子どもはできなかった。
けれど、イハラを喪う原因である者たちの間には、もうすぐ子どもが生まれてくる。
幸福の象徴が、生まれてくる。
リエットや村人たちに、この旅人達の世話は無理だろう、ということで、両親が亡くなっていた私の家に、二人は滞在することになった。
どうせいるとしても何か月もいるわけじゃない。
そう言えば、大都に良い感情を持っていなかった村人たちも、大都に報告せずに見逃すと判断したようだ。
まずは一安心して、私はジェアと、そして時々顔を覗かせる村人たちと、旅人の世話をした。
男の方は無口で、女の方は時々苦しそうにしていたけれど、よく笑う、朗らかで笑顔が可愛らしかった。
最初は警戒していた村人たちも、閉鎖的な村だからだろうか、女の暖かな笑顔に、憎しみは捨てきれないようだったが、徐々に警戒を解いていって。
ひと月を迎える前に産気づいた女を、村の女たちは総出で助けに来た。
生まれてきたのは、女の髪色と男の瞳の色を継いだ、小さな男の子。
髪色は、光に気を付ければ、おそらく異国の者とばれないだろう。
瞳の色は、何か…そう、イハラがつけていたような、目を覆う硝子でもあれば。
取り上げた命は、思った以上に小さくて。
とても愛おしくて。
けれど、女は我が子を抱く前に、事切れてしまった。
もともと、この国にたどり着く前から、砂漠で随分と体力を消費した上に病に侵されていたのだという。
「名前を…つけてください」
無口で無表情を貫いていた男が、女の体を抱いて、私に言った。
「我が子の名前ぐらい、あんたがつけてやりな。それが、親から子どもへ与える、最初の贈り物だろう」
頑なに妻の体しか抱かない男の腕に、泣いて体中が真っ赤になっている赤ん坊の体をねじ込んで抱かせた。
男はじっと我が子を見つめて、ぽつりと、言葉を紡いだ。
「…ネオン」
「ネオン?」
「…新しい、という意味です。リアンが、この子が生まれたら、国を越えた新しい存在だと言っていたから…」
だから、と囁くように紡いだ男の目から、涙がこぼれていた。
妻を失った代わりに、我が子を得た。
それが嬉しくて、悲しくて、どうしようもないといった男の顔だった。
せっせと働いていた女たちも、思わず手を止めてしまうほどに、ただの人間の顔だった。
何が異国だ、何が戦争だ。
ここにいるのは、妻を失って、我が子をどう扱っていいのかすらわからない、ただの男だというのに。
男は妻の長い長い三つ編みを首のあたりでブツリと切り落とした。
何を、と驚く私たちに、その髪と我が子を押し付けて。
「……ネオンを、頼みます」
深く頭を下げて、男は消えた。
文字通り、その場から掻き消えるようにいなくなったのだ。
扉や窓は閉められたままだというのに、まるで、魔法のように。
「ラルダ…その子をどうするの?」
真っ赤な顔で泣き叫ぶ小さな子ども。
その小さな体を軽く揺すってやれば、泣き声が落ち着いて、徐々に呼吸が穏やかになってくる。
ただ、可愛いだけの、無垢な命。
「私が育てる。…いや、村全体で育てればいいじゃないか。この子は大切な授け宝だろう?」
「いや、だけどさ…大都にこのことを言った方が…」
おどついた声で言い出した馬鹿者に、私は怒鳴り返してやった。
「あんたは村の子どもを見殺しにするってのかい!?」
ひいっ、と情けない声を出した男は、悪かった、と言って逃げるように出て行った。
情けないったらありゃしない。
鼻息荒く睨んでたら、昔私がいじめ返してやった男たちが、お互いに顔を見合って苦笑していた。
この村は何も変わらない。
私の気性の荒さも、男たちの情けなさも、女たちの強さも。
ただ、数人の村人たちが理不尽な出来事に命を奪われて、私の初恋も消えてしまって。
ただそこに一人、子どもが増えただけ。
世界は何も変わることなく、ただ太陽と月の追いかけっこは続いて、私たちは今を精一杯に生きているのだ。
「俺さ、実はお前に惚れてたんだよなぁ」
今年できたばかりだというアジェルを持ってきたアジックが、なぜか突然そんなことを言い出した。
手土産に、とできたばかりの作業着を手渡して、私は豪快に笑ってのけた。
「…あんたも趣味が悪いねぇ」
「そうかねぇ」
からりと笑う私たちは、お互いに独身で。
お互い、恋に破れて生きてきたのだろう。
それでも私たちはこの距離感を生きていく。
自分たちで子を成すことはないけれど、もう我が子のような存在がいるのだから。
「すみませーん、ネオンですー。ラルダさんいらっしゃいますかー?」
ほら、聞きなれた少年の声。
「はーいはいはい…ってネオンちゃんじゃないの。何かあったの?」
私たちは変わらない日々を生きている。
けれど、退屈なんてすることはない。
時々現れる、まるで奇跡のようなできごとに、私たちは毎日救われているのだから。