過去話 ∞ 凪の魔術師の人生
以前期間限定で出していたものを再掲載。
過去の話です。
本編の伏線もあったりなかったり?
身の丈ほどの豪奢な棒を振って、彼女は薄く笑っていた。
深い紫のマントが風になびいてふくらみ、むき出しの大地を覆うように影を広げる。
「『息吹、それは生きるものの生命の鼓動!大地を駆ける刃となれ!』」
ひぅん、と銅細工の樫の杖が風を斬り、先端の宝石が人の群れに向けられた。
怯える目、竦む体、震える息、くいしばった口にぎらつく刃。
それらを前に、彼女は笑っていた。
そして、魔術の宣言とともに吹き荒れた風、風。
血に染まった大地に、人の群れがまた肉塊となって崩れ落ちた。
誰かが言った、化物め、という言葉は、幸か不幸か、彼女には届かずに風に掻き消えた。
魔術、それは天地の理をほんの少し捻じ曲げる方法。
理念を解明しようとする魔術師の一人はそれを時間への干渉と呼び、またある魔術師は眷属の存在を提唱した。
かつてあったものを、未来にいつかあるだろうものを、現在に引き込むものだとする干渉派。
目に見えない眷属という存在によってすべてのエネルギーは動かされているのだとする眷属派。
しかしそのどちらも違うのではないか、と彼女は声高に言った。
「魔術は、別世界の力を奪う道具だ。でなければ、無風の海に竜巻を呼び起こせるものか」
その言葉を契機に、彼女は追放された。
魔術師の登龍門であり、プロの魔術師の聖地、大都【黄】から。
永遠に、除名されてしまった。
上質な鉱石が採掘され、魔術師たちが生活を省みることなく己の力のために切磋琢磨できる空間から、彼女は追い出されてしまった。
反論はできた。
いくらだって、そう、全人類を黙らせることだって、彼女にはできた。
けれど、彼女は実力行使はしなかった。
できたがしなかった、と、できないがしたかった、では大きく違う。
彼女には、それをする理由も、大都【黄】への未練も、何もなかったのだ。
除名され、追い出されて、彼女は息を吐いた。
自分はなんて小さく愚かしい世界にいたのだろう、と笑った。
あの世界を、自分の絶対唯一の世界であると、自分の故郷になりえると思っていた過去の自分を、大きな声で笑った。
除名を受け、最初、彼女には数多くの勧誘があった。
【黄】と【蒼】の大都以外からは特にしつこく、大都の警護や騎士団などに入ってくれと願われた。
けれど、彼女は断った。
何が警固だ、何が騎士団だ。
色々と都合がいいことを言っても、結局はあたくしの力を駒として兵として利用したいだけなのでしょう。
そう言い返せば、大抵は口を閉ざし、激昂して帰って行った。
中には彼女を師として教えを請いたいと願う者もいた。
だが、彼女は自身が師たりえる人格であるとは思っていなかったし、未熟な身で教えることに抵抗があって、辞退した。
魔術への愛は冷めていなかった、けれどその愛を貫くにはあまりにも彼女は有能すぎた。
ただそれだけのことだった。
時は大陸の西側、『神様がいない国』が混沌としていた時代。
5つの都市によってある程度は人々の統率がとれていた時代。
ゆえに、彼女の有能さは有害でもあった。
野放しになった力は、盗賊に所属されてしまうと有害になってしまう。
彼女が向かったのは大都【黄】からまっすぐ北に向かった大都【蒼】よりも、またさらに北。
槐の森、美しい北の翡翠海が望める場所。
ちょっと無茶をして海に潜れば、翡翠や藍玉などが手に入るし、海底には紅珊瑚や真珠がある。
魔術師にとっては、最高の石が手に入る場所こそが自分たちの生きる場所だったから。
例に漏れず向かった彼女は、一人の狩人と恋に落ちた。
…というわけでもなく、空腹によって倒れた彼女は、近くの住人によって酒場に運び込まれた。
そこでしばらく生活をして、北の槐の森の名もなき村、の住人となることになった。
やがて一人暮らしに困難を感じて適当に男をみつくろってもらい、一人の無口な狩人と結婚した。
口の回る魔術師に囲まれて生活してきた彼女にとって、口数が少なく熊のようなガタイの彼は、解剖したいぐらい不思議だった。
心地よい空間に、彼女は初めて、競わなくてもいい日々の存在を知った。
2年が過ぎたころに息子が生れて、子どもを教育することの楽しさを知った。
息子の首が据わってきたころに、大都【蒼】の近くで親らしき死骸を抱いて路傍に暮れていた子どもを見つけてかっさらってきた。
子ども2人に魔術を教えて、大都【黄】ではかなりの腕前と称えられた剣術を教えて、楽しく暮らしていた。
生活はそれほど豊かではなかったし、望のままの魔術研究もできなかったけれど、それでもそれ以外の全てがあって、幸せだった。
しかし数年が経って、それでも世界は彼女を忘れなかった。
『神様がいる国』、大陸の東から、はるばる荊棘の砂漠を越えて、人々がやってきた。
砂漠の向こう側に何があるのか調査するためだ、と彼らは言っていたが、飢えや貧困、殺人などで混沌としていた『神様がいない国』の人々は恐怖に慄いた。
捕らえた彼らに豊かな大地からの強奪者を見て、大都の人々は恐怖した。
だから殺した。
捕らえた『神様がいる国』の人々を、一人残らず殺して砂漠に投げ捨てた。
そして掻き集めた。
優秀な魔術師、優秀な剣士、優秀な策士、優秀な鍛冶師、優秀な人材全てを、掻き集めた。
逆らう者は全て殺した。
彼女も例外ではなかった。
だけどささいでかけがえのない幸せを手に入れていた彼女は、それを手放すことを拒否した。
拒絶した。
使者を完膚なきまでに叩きのめした。
だから戦争になった。
北の槐の森の魔女と、大都【紅】の騎士団。
今は魔術師から除名されたかつての『凪の魔術師』と、魔術師4名に率いられた騎士150名。
北の槐の森に最も近い大都【蒼】は、異能者と重病人たちの都だったから、どちらへも支援はしなかった。
けれど、一部の異能者たちは、『凪の魔術師』の逆鱗に触れることはやめるようにと忠告を発していた。
凪を、凪いだままにさせておけ、と忠告をしていた。
けれど、大都【紅】の長は動いた。
ここで動かなければ、悪魔を退治した騎士の名折れであると、凪に武器を向けた。
結果はあっけなく、当然のように彼女は勝利した。
あっという間に決着がついた。
当然だった。
4人の魔術師たちは当然のように大都【黄】で腕を磨いていたのだし、騎士たちは魔術に対して無知に等しかったのだから。
そんな人々が敵では、かつての『凪の魔術師』が苦戦するまでもなかった。
そうでなければならなかった。
そうでないなら、口で言い負かされた大都【黄】の魔術師たちが、彼女を言い負かせないからと除名にする必要はなかった。
彼女はあまりにも有能すぎた。
だから、自身の有能さを理解し利用していた彼女には、負ける要素があるはずがなかった。
彼女は強かった。
外面ではなく内面で、彼女の美しさに勝てるものはいなかった。
「おかあさん、おなかすいた」
「ししょー、カインが私のおやつをとりましたー!」
ほんの少し緑色混じりの金髪を風になびかせて、彼女は困ったように笑った。
「食い意地ばかりはってしょうがないな、カインは。また後で作ってあげるから、先に家で待ってな」
わかりましたー、と緑色の髪の少女は金髪の子供の手を引いて家に戻る。
それを見送って、彼女はうっとうしそうに赤い瞳を生き残りに向けた。
「ってわけだ。おとなしく未練残さずただあたくしの眼前にひれ伏し大地にその身を捧げて――」
死んでくれ。
声はなかった。
やがてむき出しの赤い大地から、人気がなくなった。
…身ぐるみをはがされた状態で。
「喜べガキども!今晩は贅沢鍋だぞー!」
「やったー!!!」
「…こんどはどこからお金盗ってきたんですか、ししょー」
呆れたように言った緑髪の少女に、彼女はニヤリといたずらっぽく微笑んだ。
「ヒミツ、だ」