第1章 ∞ 昔々のお話です。
本編と関わるかもしれないお話。
昔々のお話です。
世界に三人の悪魔がいました。
死の蒼、血の紅、闇の碧。
道具も何も必要とせず、天変地異を引き起こし、人々の生活を脅かした残忍な悪魔たちはとても強く、不老不死に最も近かったのです。
人々が殺しても、悪魔は甦りました。
人々が抵抗しても、悪魔は簡単に人々を捩じ伏せました。
人々は誰も何もできませんでした。
稀に、人々の間に、悪魔たちと似た色を持って生まれた子どもが生まれました。
悪魔の色の瞳、そして黒い髪。
決まって天災の前触れのように生まれたその子どもたちは、人々から疎まれました。
ある日、悪魔たちはそんな子どもたちをみんなみんな攫っていってしまいました。
虐げられる人の子を憐れんだ悪魔たちが、彼らを自分たちの手元に置いて養いました。
我が子として、善き友人として、永い時間の一時の手慰みに、悪魔たちは彼らを育てました。
彼らは幸せでした。
人の元で生きるよりも、悪魔たちはずっとずっと優しかったのです。
とてもとても残忍な、紅と緑と蒼の悪魔。
悪魔たちはとても気まぐれで、毎日近くの村に雨を降らせるのを邪魔したり、大切な宝物を奪ったり。
けれど厄介者だった子どもがいなくなったことに、人々は大喜び。
けれど、腹を痛めて生んだ我が子を奪われた一人の母親が泣きました。
「私の大切な子どもを返して」
母親は泣いて、泣いて、カラカラに干からびて死にました。
子どものことは愛していなかったけれど、妻のことは愛していた父親は、怒りました。
「私の大切な妻を返せ」
父親は剣を振りかざして悪魔の住む森へ行きました。
けれど村人たちのところに帰ってきたのは、手足が千切れた父親でした。
村人たちは怒りました。
「私たちの大切な仲間を返せ」
村人たちは武器を手に、悪魔を倒しに行きました。
だけど村人たちも死にました。
バラバラになって死にました。
そしてようやく、神様たちも怒って、誰もがみんな悪魔に立ち向かう決意をしました。
神様が作った武器はとても強かったのですが、悪魔たちは死んでも死んでも、何度でも生まれ変わりました。
永遠に続くかに思えた、不毛な戦いでした。
しかしある日、蒼の悪魔が養っていた1人が、紅い悪魔を殺しました。
虐げられるだけの人間だった頃、自分を庇ってくれたたった一人の妹を、人質にされてしまったからでした。
悪魔は何度だって生まれ変わる。
そして自分たちの元に帰ってくる。
そう信じていたのです。
強く優しく暖かかった紅い悪魔は、小さな短刀のたった一突きで、死にました。
けれど、いくら待っても、紅い悪魔は甦りませんでした。
どれだけ待っても、生まれ変わりませんでした。
悪魔の養い子たちは怒りました。
泣きました。
悲しみました。
蒼の悪魔は殺してしまった養い子を庇いました。
碧の悪魔は養い子たちを宥めました。
悪魔たちが親友を殺した養い子を責めることは、一度もありませんでした。
次に、碧の悪魔が死にました。
人々が集った騎士団が碧の悪魔を殺しました。
騎士団の人の中にいた、翡翠色の瞳の人もまた、悪魔と同じ色を持っていたために人々から迫害されていた人でした。
碧の悪魔の養い子たちは戦いました。
紅い悪魔の養い子たちも戦いました。
蒼の悪魔の養い子たちも戦いました。
養い子たちの半分が死にました。
騎士団の半分が死んで、残りも戦えなくなりました。
長い永い時間が、過ぎて。
けれど、紅い悪魔も碧の悪魔も甦りませんでした。
人々の間からも、産まれ孵りませんでした。
養い子たちを愛して、大切にした悪魔たちの力は、同じ色を持つ人間に殺されて、二度と甦りませんでした。
魔術で美しさを得ていた蒼の悪魔は、戦うことにも、憎まれ続けることにも、生き続けることにさえ、疲れ果てました。
だから、蒼の悪魔は決めました。
強く育てた自らの養い子に、悪魔の座を譲りました。
愛する少年に全てを渡しました。
少年は悪魔でもなく、美しくもなくなったその『娘自身』を、愛していました。
親から売られた彼を救って、愛情を持って育ててくれた彼女のことを、愛していました。
だから彼は娘を眠りにつかせました。
もう二度と神に殺されることがないように、自分たちの手で殺してしまうことがないように。
彼女が死後の世界に奪われないように、深い森の奥の屋敷に閉じ込めました。
こうして、悪魔たちはもう二度と姿を見せることはなくなりました。
人々は喜びました。
神様たちは喜びました。
けれど本当は。
養い子の父親を殺したのも、村人たちを殺したのも、悪魔ではありませんでした。
悪魔たちに攫われた子どもたちが殺したのです。
悪魔の養い子たちが、殺していたのです。
両親より、村人より、神様よりも慈しんでくれた悪魔たちを守るために。
子どもたちは悪魔たちを守れませんでした。
大切な悪魔を守れなくて、とても悲しみました。
悪魔たちは心から、この哀れな子どもたちが幸せになることを望んでいました。
だから子どもたちは悪魔たちの森ごと姿を消しました。
「みんな殺してしまっても、私たちの悪魔は返ってこない」
そう言って、緑の色が深い森ごと、姿を消しました。
本当の意味で子どもたちを不幸にした神様たちは深く深く後悔して、二度と人間たちに関わらなくなりました。
そして人間は自分の力で生きていくことになりました。
新たな蒼の悪魔は、今でも眠り続ける愛しい娘とともに、どこかの森の奥で生きているのでしょう。
もしも悪魔の養い子たちと出会ったら、目を見ても顔を見てもいけません。
深い深い悲しみに飲み込まれて、返ってこれなくなってしまうから―――…。
「…おしまい?」
「うん。おしまい」
ええー?と布団の中から不満いっぱいの声を上げ、暗い天井からランプの灯りで何やら作業をしているネオンを見た。
最初は、青色が死の色って戯言シリーズかよ、とニヤニヤしていたのだが、話の方向が徐々に思い描いていたハッピーエンドから遠ざかって行くし…。
童話といえばハッピーエンド、とあらかた相場が決まっているだろうに。
すっきりしない終わり方にぼやいたが、こちらではそういう話が普通なのか、ネオンは特に何もないように笑っていた。
あんな長編大作な物語をスラスラと語りながらも、手の動きはまったく滞ることはない。
全く、寝にくいからって胡蝶の世界のおとぎ話なんかねだるんじゃなかった、とちょっと後悔。
ハッピーエンドじゃなかったことが不満すぎて仕方がない。
「で、最初に悪魔を殺した人はどうなったの?」
「紅の悪魔を殺した人は、罪に耐えかねて死んでしまったらしいんだ」
「うーん…まあ、なんとなく分かるけどなぁ…」
死んでも甦るはずが、甦らなかった。
それはどれほどの衝撃だっただろう。
碧と蒼の悪魔たちや、養い子たちは、どれだけ悲しんだだろう。
紅の悪魔を殺した人は、どんな気持ちだっただろう。
「…じゃあ、他の悪魔が、親友を殺したその人を怒らなかった理由、スミレさん分かる?」
「え?えっと…、殺したっていう…養い子?と仲が良かった、とか?」
「それもあるかもしれない。親友同士だった悪魔たちと同じで、養い子たちも仲が良かったから」
「違うの?」
それ以外に、親友を殺した親友を責めない理由なんて、あるのだろうか。
ネオンはちょっと哀しそうにほほ笑んだ。
「本当は、悪魔たちは死にたがっていたんだ。永い時間は虚しくて、養い子たちが自分たちを遺して死んでいくのが辛かった」
「じゃあ、紅い悪魔はわざとその人に殺してもらったの?」
「うん。同じ死なら、愛した人を救えるなら、って。愛する人に殺してもらったんだ」
愛する人に。
それは、どういう気持ちなんだろうか。
悪魔からすれば、好きな人に殺してもらうことは、幸せだったのかもしれない。
けれど、じゃあ、甦ると信じていたのに殺してしまったかもしれない、その人はどうなるの?
仲間から批難され、自分を愛してくれた人を、自分を慈しんでくれた悪魔の親友を殺してしまった、その人の気持ちはいったい、どうなるの?
「…哀しいなぁ。結局誰も幸せになってないじゃない」
「あ、戦いで勝ち残った騎士団はその後平和に生活をしたらしいよ。今の大都の長の…15代ほど前の人が騎士団の生き残った人らしいから」
1代で大体20年ぐらいだと計算するらしい。
なるほど、日本のように長寿ではない胡蝶では、現役の代替わりは20年ぐらいというのは納得できる。
ついでにいうと、結婚して子供が生まれるぐらいで20歳になるらしい。
こっちの人たちは身も心も早熟すぎる!
…現代の日本人がのんびりなだけ?
「え、実話だったの!?じゃあ、残った人たちはどうなったの?」
「彼らも、髪や目の色は違っても普通の人だから、蒼の悪魔になった人以外はみんな亡くなったんじゃないかな?」
まあ、ざっと計算しても20×15=300年前の話、ということになるのだし、亡くなって当然なのだろうが。
魔法万歳なこの世界なら、がんばったら300年ぐらい生きられそうだ、と思ったのは内緒。
「そっか…。でも実話だとは思わなかったなぁ……」
「あはは。まあ、この辺りはほら、金色とか茶色の髪や眼の色の人しかいないし…。赤や緑の色の人たちが悪魔に見えたとか、そういう話だったかもしれないから」
なるほど、口頭で伝わるおとぎ話なんて、実際にあったできごとがベースだとしても、おおげさに誇張されたり湾曲したりしてるもんなんだろうし。
…ん?赤色?
「ラルダさんは?」
澄蓮に服やら何やらをくれた、クランベリー色の瞳の、ぽっちゃり系の中年女性を思い出し、澄蓮は尋ねた。
紅=赤という図式が澄蓮の頭の中にあったので、クランベリー色もそう考えられるのでは、と思ったのだ。
「ラルダさんのお父さんが授け宝で、元々外の人だったらしいよ。だいたいだけど、この国の中央とか東北側に紫や赤の色を持つ人が多いらしいし。あ、オルシスさんみたいに金の髪と赤い目は東北の人の特徴そのままだし」
「へぇ…髪とか目の色って地域に関係してるんだ…」
あれか?
寒い地域に住んでる人は体温維持のために大柄&直射日光量が少ないから色白の人が多いとか。
暑い地域に住んでる人は直射日光量が多いから性格が明るいとか、色黒の人が多いとか。
ってことは、胡蝶の世界も地域によって寒暖の差があるとか、食べ物が違うとか、そういう感じ?
…まあ、国っていうぐらいなんだから、広いし大きいし、地域差ぐらいフツーにあるんだろうけど。
「あ、シェイラさんはどうなの?」
「ラファエルさんは緑の髪と紫の眼だから、ご両親がたぶん北西に縁のある人なんじゃないかな。まあ、昔と違って今は旅人も多いから、国中でいろんな地域の人たちが入り混じってるんだろうけど」
シェイラさんは北の森から来たんじゃないの、と尋ねかけて、思い出した。
そういえば、シェイラは小さい頃カインの母親に拾われた、と言っていた。
なるほど、北西近くで生活をしていたシェイラを、北の森のカインの母親が拾ったのかもしれない。
色彩で出自まで分かるなんて、と澄蓮は改めてこの世界の奥深さを実感した。
「へぇ~…なんかすごいねぇ。…え…ってことは……」
そうなると、黒髪黒眼の現実世界人って、…かなり怪しいのでは?
そういえば、最初にラルダに出会った時、やたらと目を見られていたような気がする。
あれは澄蓮の心を覗き込むような意味と同時に、澄蓮の目の色を確認していたのではないだろうか。
まさか目や髪の色だけでどこの出自かまで推測されていただなんて、と考えるとぞっとした。
そんな、プライバシーも何もないことが、日常的にあるだなんて。
たとえそれが身を守るための処世術だったとしても、見られる側の気持ちは関係ないのか、と。
(……でも目の色って…日本人だけじゃなくて他の国の人でも、完璧な黒色ってないんだっけ)
髪は黒色があるけれど、痛めば赤茶けたり黄色みが強くなったりするものだ。
光を当てて瞳孔が開いた目の色彩は、茶色だったり灰色だったりが普通なのだ。
というか、完璧な黒目なんて、今まで澄蓮は見たことがない。
…某○の魔王小説は置いておくとして。
(あ、なるほど。だから○マのユーリとかは黒髪黒眼で優遇されたわけだ)
もし他の日本人があの世界に行ったとしても、目の色を確認されてポイってことか。
なら確かに双黒というのは魔王って見分ける時には便利だなぁ。
…まあ、現実に存在する魔王サマは、胡桃色の少し長いショートカットと赤味の強い茶色の猫目の、「コイツが真の悪役です」みたいな人なわけで。
そもそも明らかこっちの人だろう、その色彩は。
ってツッコミ、だれか言ってくれないものだろうか…。
澄蓮の夢に干渉してきて勝手に魔王宣言した陽斗を思い出し、澄蓮は苦い顔をした。
「うん、よし。今日はこれで終わろう。スミレさん、消しますよ?」
「へ?あっ、うん。消してちょうだい」
ふぅ、とネオンの息がランプの灯を吹き消した。
途端に部屋が暗くなり、一瞬目が眩んだ。
現実世界ではまず見られないような、月と星の煌々とした灯りが窓から飛び込んできていると気づくのに、時間はかからず。
ネオンはランプなしで、階段へとまっすぐ進み、作業着を脱ぎながら澄蓮に笑んだ。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、ネオン…」
ネオンが階段を下りていく音を聞きながら、澄蓮は聞いたばかりのおとぎ話を頭の中で反復させた。
悪魔たちは赤と緑と青の目だけど、そろってみんな黒髪だったと言っていた。
そして、悪魔の養い子たちも。
それって…澄蓮たち現実世界の人が、澄蓮のようにこっちに来て、そして成された子の子孫とかなんじゃないだろうか。
不老長寿とか、転生しまくるとか、不思議系のことばっかりだったけど。
だけど、もしそうだとしたら。
現実世界から来たあたしも…。
「不老長寿…なぁ……」
…人生80年って、ほら…胡蝶世界って栄養が偏ってたりするし…やっぱこっちの人からしたら十分長生きなのかも。
悪魔=現実世界の人、というと違和感があるけれど。
魔王=滝陽斗、が成立してるぐらいだし。
……ありえそう。
(そういえば…プーちゃんが見せてくれた舞台の台本も、色の名前がついた悪魔の話だったなぁ……)
夢の暗闇に意識を引きずりこまれながら、そんな記憶が泡のように浮かんで…消えた。