第1章 ∞ 澄蓮と親友のある日の話
以前期間限定で出していたものを再掲載。
「…プーちゃん、おはやー」
あ、今誤字ったかも。
クラスに到着した澄蓮は、自分の席で携帯電話をいじっていた友人に声をかけた。
癖の強い髪をうまく活用した髪型の友人、演劇部の部員でもある友人は、澄蓮に気付いて携帯電話を閉じた。
菊島蜂、と書いて、きくしまふう、と読む、変わった漢字の名前を持つ澄蓮の友人だ。
自分の名前の『蜂』にかけているらしい携帯電話が、今日も見事な黄色と黒のコントラストで朝から目に痛い。
「アロハー。…あれま、スゥちゃんてばまだオネムでちゅか〜?」
「うるせーですよコノヤロー」
ケッ、とやさぐれた顔でもしそうな雰囲気で言った澄蓮に、蜂は気にした様子もなく笑った。
今日も朝から元気だなぁ、と澄蓮は友人を羨んだ。
寝ても寝ても寝られない地獄を味わっているのは自分だけだと思うと、朝から笑う余裕もない。
大きなため息を吐いて、鞄を机に置いた。
今日は辞書持参の英語の授業があるから、気分に比例するように荷物まで重かった。
親に頼んで家用に辞書を買ってもらおうか、と思うのだが、辞書が2冊もあってどうするよ、と言われるのは目に見えている。
英語なんて大嫌いだ、とぼやきながら教科書を机の中に入れた。
ホームルームまで時間があって暇なのか、蜂が手作り感あふれる冊子を持って澄蓮の前の席にやってきた。
「朝っぱらからお疲れなんでーすかー?」
そりゃまあ、みんなより一日多く生活してますから。しかもファンタジーワールドで。
…とは言えず、澄蓮は曖昧に笑って鞄を机の横に吊った。
「まー、イロイロありまして」
「ふぅん。イロイロねぇ…」
「イロイロですよー」
ええもう本当に、『イロイロ』とね。
言外に含まれた恨みつらみの雰囲気を察したのか、蜂はそれ以上話につっこんでこなかった。
高校で知り合った友人なので、まだ出会って2か月程度しか経っていないが、蜂は空気を読むのが上手いようだ。
梅雨でうねる、と文句を言っていた髪を弄りながら頬杖をついた蜂に、今度は澄蓮が尋ねた。
「ねぇねぇ、プーちゃん。それ、演劇の台本?」
デコボコした水色の表紙の、ホッチキスで留められた冊子。
表には明朝体で『村人と悪魔』とそっけなく印刷されている。
夢で村人、というワードによく触れていたからか、どうしても気になってしまったのだ。
興味津津で冊子を見つめる澄蓮に、蜂は何か思うことがあるのか、浮かない表情で冊子を指先でつまみあげた。
「一昨年の先輩たちの台本。なんだっけ…ほら、絵本である、泣いた赤鬼?青鬼だったっけ?なんかそういう感じの話っぽいの。見る?」
「『泣いた赤鬼』じゃなかったっけ?あ、見せて見せてー」
「ドゾドゾ。お納めくださいましー」
「うむ。よきにはからえー」
ははーっ。と両手で大仰に掲げられた冊子を、澄蓮もノって受け取る。
まばらに登校していたクラスメイトたちは、そんな二人を見ても特に何も思わないらしい。
いくら規律に厳しい学校だと言っても、大半の生徒がこういう軽いノリだからだろう。
ノート2冊分ほどの厚みの冊子を開く。
縦書きで改行が多いその台本は、文章は見やすかったが、独特な書き方で少し戸惑う。
セリフとセリフを言う人物、その状況が箇条書きのように記されている。
赤いペンや青いペンで、丁寧さや見やすさを省いた書き方で、乱雑に修正点や注意点などのメモが書かれている。
そういえば表紙は汗で歪んだような手触りだし、中の紙も端を折ったりしていて、かなり使いこまれているようだ。
一昨年の台本と言っていたから、おそらく3年生か卒業生の持ち物なのだろう。
丁寧に扱おう、と澄蓮は手つきに気をつけた。
・エクリュ(女) … 水瀬 慧 ←★エクリュからクラウドに変更
・悪魔(男寄りの中性で) … 春藤 奈津美
・長老(男) … 猪川 稔二
・村人A(女) … 雪田 なずな
・村人B(男) … 小海 順弥
・村人C(男) … 小野寺 昴
・騎士団長(男) … 小海 順弥
・騎士A(男) … 小野寺 昴
・村人D(女) … 雪田 なずな
・語り手 … 二宮 飛鳥
・照明 … 春藤、猪川、雪田
・音響 … 春藤、小野寺
・幕 … 小野寺、猪川
・小道具その他の準備 … 手が空いている人全員 ←先輩たちに手伝ってもらう
★二宮がタイミングを合図する
(照明暗めに。顔が見えにくいように。)
【村人A : ああ、なんてこと!もう二年よ…!二年も雨が降らないせいで、丘の向こうの川まで枯れてしまったわ!】
(村人A、悲痛な叫び。客に状況を説明するシーンなので、できるだけハッキリと発音して)
【村人B : 井戸にはもう泥水すらないぞ!すくってもすくっても、砂がほんの少しとれるだけだ!】
(村人B、桶を足元に叩きつける ←ぶたいのソデの近くに転がるように。客に注意する!)
【村人C : これも全部あいつのせいだ!あの悪魔が生まれたからだ!ちくしょう、なんで俺たちだけがこんな目にあうんだ!】
(村人C、がっくりと項垂れて。怒りを露わにして)
「…読みにくいね」
「あっははー♪そっか、スゥちゃんは台本読むの初めてだっけ?本読むのとはまた違うデショ〜?」
1ページ目で早々に音をあげた澄蓮を見て、蜂は面白そうに笑った。
いつも蜂は読みなれているのかサラサラとページをめくっていたので、澄蓮は台本とは小説よりも文字数を減らしたものだと思っていたのだ。
セリフと状況の説明が上下していて、セリフをしゃべっている人の状況を把握するのに視線を上下させなければならないということが、辛い。
しかもその通りに人物を脳内でいちいち動かしながら、となると、澄蓮にはもう想像が追い付かなかった。
「まさかこんなに読みにくいとは思わなかったよ…!」
「なろー?っつってもコレ書いたのは脚本初の先輩だからさぁ……ちょ、最後の方見て見てー」
「最後の方?」
蜂に言われた通り、親指でページをはじいて飛ばしていく。
行き過ぎて最後までめくってしまったので、何枚かめくった。
【クラウド : ああ…悪魔さん……悪魔さん、ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで、あなたを死なせてしまうなんて】
(悪魔に泣き崩れる)
【悪魔 : 泣かないで、私の友人。あなたを泣かせてしまうために私は捕らえられたのではないのだから】
【クラウド : 無理よ、泣かないなんてできないわ!私の幸せはあなたが教えてくれたのよ。あなたが私の幸せなのよ】
【悪魔 : ならば私の幸せはあなただ。だから、どうか泣かないで。笑って、幸せになって。さあ、私を忘れて、人の世界で幸せになりなさい】
(クラウド、悪魔の手を握って)
最後の方のページを見て、澄蓮は違和感を感じた。
「…なんか…」
気のせいかな、と思ってもう一度、最初の方のページを開く。
最後の方のページと同じく、明朝体の文字が縦に連ねてあった。
赤と青のペンもカラフルだ。
【村人B : 追い出せ!あんな子どもがいるから、雨が降らないんだ!作物どころか、俺たちまで干上がっちまう!】
(悔しげに、手に持つクワを床にたたきつけるように ←いきおいをつけて。セリフが消えない程度に ★床を傷つけないように注意!)
【長老 : 待て、待つのだ!あやつはまだ14になったところじゃ。もう少し、もう少し待ってやってくれんか?】
(長老、懇願する。村人たちは聞く耳を持たない。威嚇するように、武器を構えるように掲げる)
【村人C : 俺たちはもう14年待った!14年だ!長老、あんただってこの苦しみを味わったんだろう?ならどうしてそいつを庇う?悪魔とはいえ孫が可愛いとでも言うのか?】
(声は大きめで。今にも跳びかかりそうな雰囲気。皮肉っぽく歪んだ表情で ←? イヤな顔という意味?)
カラフルだが、何かが変だ。
そう思って見比べる澄蓮を、蜂は何も言わずニヤニヤと笑って見ていた。
「…ねえ、プーちゃん。ひょっとして…最後の方ってアバウトになってない?」
最後の方のページは、セリフひとつひとつに状況の説明が加えられていない。
あってもなんだか、泣き崩れる、だとか、手を握って、といった簡単な指示しか書かれていない。
それにカラフルなペンのラインも、なんだか少ない気がする。
全体的に統一されていない台本に澄蓮が首を傾げた。
蜂はその答えに満足そうに頷いて、澄蓮から冊子を受け取った。
「さっすがスゥちゃん!ま、シロートさんが書いた台本だから、書いてくうちにスタイルが変わるってのはしょうがないんだけどね。ほら、ココから後の部分、分かる?」
そう言って指さされた箇所を、澄蓮は見比べた。
左右のページの色が、ほんの少し違う。
左のページがより白っぽく、なんだか新しく付け加えられたようだ。
「追加したの?」
「ハズレー。内容を大幅に変更したんだって。だから、ホラ」
ペラペラ、と一番最初のページに戻った。
登場人物の名前と、演じる人、それぞれの担当が記されている。
その一番最初の行にある、いわゆる主人公の場所。
『・エクリュ(女) … 水瀬 慧 ←★エクリュからクラウドに変更』
最初はエクリュという名前で作っていた物語だが、なぜかクラウドという名前になっている。
そういうこともあるのか、と見逃していたのだが、蜂に指摘されて、なんだか違和感を感じるようになった。
「これ、名前…なんで変更したの?」
「んー、なんか、声出しにくかったみたい」
「こえ?」
「うん、そう。「エクリュ」って呼ぶより、「クラウド」って呼ぶ方が声が出しやすいんだ」
そう言われた澄蓮は、何度かエクリュ、クラウド、エクリュ、クラウド、と舌に乗せてみた。
そして蜂に言われた通り、なんだか呼びにくかった。
舞台ということは、マイクを使わないなら地声でこれを言わないといけないのだろう。
舌を噛みそうだし、クラウドという名前の方が理にかなっているのだ。
なるほどなぁ、と納得した澄蓮に、蜂は先程のページをもう一度開いて指差して見せた。
「内容の変更に伴って、前半と後半でキャラ名も変更されてんの。ほら、最初の方はエクリュのセリフって表記されてるけど、こっからはクラウドのセリフってなってんでしょ?」
そういえば、途中まではエクリュという名前にラインを引いてクラウドと書かれているのだが、その後は全部クラウドと表記されている。
なんとも手作り感あふれる冊子だが、部員たちは混乱しなかったのだろうか。
「先輩たちも戸惑ってたみたいでねー。ほら、途中までエクリュって名前で書かれてるからさ、途中からクラウドって印刷されてるの見て「誰コレ?」ってなったらしいし」
本番でもちょっとヤバかったらしいよー、と蜂は軽く笑っていたが、それはかなりヤバい。
まさかの本番で失敗…もとい、いい雰囲気なのに名前に詰まる、だなんてことがあったら、雰囲気もガタ崩れだ。
どうせなら最後までエクリュと表記し続けてたらよかったんじゃ、と澄蓮は思った。
「そういや、このエクリュっての、女の人でしょ?なんでクラウド、なんて男っぽい名前なの?」
「あー…なんか、ちょうどいいのがなかった、って聞いたよー」
「ちょうどいいの?」
なんじゃそりゃ、と澄蓮は首を傾げた。
マリアとかエリザベスだとか、そういう名前じゃダメなのか。
ていうかエクリュってのは何かの単語?
「色の名前なんだって。エクリュもクラウドも」
「い、イロっすか」
イロっすよ、と頷く蜂には悪いが、澄蓮はちょっと敏感になっていた。
まさか、夢に続いて、ここでも色に関する名前が出てくるとは思わなかった。
…もっとも、夢で細かく言われていた色名は、ほとんどが地名に関する情報だったのだけど。
若苗色の村とか、紅い槐の森とか。
和風の色の名前と洋風の色の名前、という違いもあるが、色は色に違いない。
口の端を引きつらせた澄蓮に気づかず、蜂は腕を組んで唸りながら思い出そうとしていた。
「なんだっけ…エクリュが色のうっすいバニラアイスみたいな色で、クラウドは曇り空みたいな薄い水色だっけ?なんかそんな感じ?」
「へ、へぇ…。面白いんだねぇ……」
「だしょ?キャラ作る時も、このキャラにはこのイメージの色!みたいなのがあったら、そのイメージで動かしやすいんだってー。ストーリー作る人ってすごいよねぇー」
「…だねぇ…」
色のイメージ力はすごい。
若苗色の村も、若苗色じゃなくて真っ黒だったら、きっとものすごい暗い感じだったと思う。
あの春みたいな雰囲気の村には、ほっとするようなあの若葉の色じゃないと。
「ちなみに!スゥちゃんのイメージは薄い紫デス。澄蓮だけに☆」
「上手い!でもなんかしっくりこないよ!」
「蓮だけに白!でもいーんだけどねー」
「ならプーちゃんは黄色?菊島だけに」
「えー。なんかイメージちがーう!あたしはこう…もっとミステリアスな、クラレットみたいな色を…」
もどかしげに両手を蠢かせる蜂。
普段黄色と黒を愛しているだけに、蜂にミステリアスな色は想像ができない。
とりあえず、澄蓮は笑顔で尋ねた。
「クラレットってどんな色?」
スゥちゃんは色の名前知らなさすぎ!
蜂のふてくされた声が、チャイムに半分かき消された。