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魔王の見る夢  作者: 木枯 雪
1章
32/41

25.木賊色、初めての戦い



貴司と巽が家を出てしばらくして、シェイラとカインが厳しい顔で戻ってきた。

いつもの澄蓮ならニアミスについてもっと慌てたのだろうが、自分の身に迫る危険だとか、自分たちに対して敵意や殺意を抱いている人間がいる、という事実に頭が持って行かれたらしい。

シェイラたちが入ってきたドアの隙間にさえ気を配る澄蓮の不審な行動も怪しいものだったが、そんな澄蓮の行動に気づかなかった二人は、何か思いつめたような顔で、二階から降りてきたネオンに告げた。



「この近くを怪しいやつがうろついてるみたいなの。念のため今晩はここに泊まりたいのだけど、いいかしら」



尋ねるというよりは確認のように言ったシェイラの言葉に、澄蓮はドキリとした。

怪しいやつとは、巽たちが言っていたテンラという人物のことなのだろうか。

とすれば、この近くにいる、ということになる。

自分を殺そうとする人間…。

砂漠で自分に向けられた白刃を思い出し、澄蓮は一人、身震いした。

が、次の瞬間、眉を下げて困ったように口を開いたネオンの言葉に、今度は冷や汗を流した。



「構いませんよ。あ、でも今晩は他に2人--…」



「ねっネオン!あの2人はちょっと用事があるとかで、今晩は泊まれなくなったんだって!ごめんって言ってたよ!」



「そっか…」



心底残念そうに目を伏せたネオンに罪悪感を感じた。

澄蓮自身に過失はない(はずなのだ)が、どうも気落ちしたネオンを見ていると居たたまれないのだ。

でもって、いまさらながら、シェイラたちが貴司たちと出会わなかった(であろう)奇跡に感謝した。


アリガトウ、神様アリガトウ…。

あ、でも胡蝶(こっち)じゃ神様って実在するんだっけ?

…やっぱやめとこう。


一人で唸ったり頷いたりする澄蓮を、カインが「熱でもあるのか?」なんて言って心配してきた。

いやいや、大丈夫ですから、それは余計なお世話ですから。

懐から出された、明らかに苦そうな薬を見て、澄蓮は逃げ腰になった。

そんな澄蓮とカインのやり取りを面白そうに見ていたネオンは、じゃあゆっくりしていってください、と、作業用のエプロンを脱ぎながら言った。

エプロンから床に散った銀粉を見て、掃除しなくちゃ、と澄蓮がやる気を出したのは内緒で。

だいぶ勝手が分かってきた台所に立って、夕飯用に、と野菜を洗って下処理をする。

手元に集中して、切れ味の良い、現実世界よりも重たい包丁を滑らせる澄蓮に、ふと思い出したような唐突さでカインが告げた。



「ああ、そうそう。俺たちさ、明後日の朝に発つことにしたから」



「えっ!あ、明後日の朝って、そんな急に!?」


突然の旅立ち宣言に驚いた澄蓮は、危うく野菜ではなく、自分の手の皮をごっそり剥きかけてしまった。

危ない危ない、とにじんだ汗をぬぐうのもそこそこに、澄蓮は「本当ですか」とシェイラに詰め寄った。

頷くシェイラとカインを見て、澄蓮と同じく寂しそうな顔をしたネオンが、しかたないよ、と澄蓮を諭した。



「杖は予定通りにできますから」



人との別れに弱く見えるネオンが、諦めよく笑ったことに、澄蓮は驚く。

そしてすっかり忘れていたことを思い出す。

ネオンは、村で唯一の細工師で、ここに一人で暮らしている。

だから、旅人との出会いや別れは、きっと何度も経験しているのだろう。

シェイラやカインも、きっとそうなのだろう。

割り切りがいい、一期一会だから、と言えばそれまでだが。


携帯電話がない、住所もない、村の外には野盗だっている。

そんな相手に、そんな場所で、また今度会える、なんて言えない。

本当の本当に、これで今生の別れになるかもしれない。

うつむいた澄蓮の心情を理解してか、三人は澄蓮の肩をたたいたり、頭をなでたりしてきた。

温かな料理を囲んでの夕食は、心なしか、満ち足りない気がした。





が、はいそうですか、と別れるのは、嫌だった。

現実世界で目覚めた澄蓮は、珍しく目覚まし時計がなる前に支度を終え、驚きに目を丸くする親を放置してサクサクと登校した。

そして朝早くから登校して、湿気でうねる髪と格闘していた友人に、開口一番、尋ねてみた。



「ねー、プーちゃーん。明日さぁ、知り合いと別れるんだけどさー。何かしたいんだけど、何がいいかなーぁ?」



いつも挨拶を欠かさない澄蓮の、どこか切羽詰まった顔を見て、菊島蜂も同じノリで返した。



「すー子さんや。金欠なら手料理でどうだい?明日が期限なら手芸やる暇もないでしょー?」



「いや、それがさぁ…あたし、火もつけらんないのよね…」



物憂げに、アンニュイなため息を吐いて空を見上げた澄蓮に、蜂は心底驚いたように口をあんぐりと開けて叫んだ。



「はぁ?スゥちゃん家ってコンロないわけ!?」



「はい!?いや、違っ!てかあるし!じゃなくて、その人たちのいる所がカマドで料理するようなトコだからさー…」



でもって燃料は宝石なんだゼ?

…とは言えず。

言ったところでかわいそうなものを見る目で見られるだけに決まってるし。



「ふぅん…。じゃあガスパチョとかラッシーとかでいーくね?あたしらまだ高一だし、ンな高度な料理なんざ期待してないでしょーよ?」



「え、名犬?」



「ラッシー☆って違うわ!ヨーグルトと砂糖と水、だっけ?ミキサーに突っ込んで混ぜるジュースよ。あたしはカレー食べるときはバナナのラッシーが好きだけど…。ガスパチョはトマトとキュウリをミキサーしたスープ。…あ、塩とか入れたか。ピーマンもつっこんだっけ?……ダメ、よく分からんわ」



あとは自分で調べてみて、とぞんざいに放置して、再び髪と格闘し始めた蜂の言葉を脳内で繰り返した。

要するに、火を使わない飲み物なんかでいいわけだ。



「ありがと、プーちゃん」



どういたしまーしてー、と返す言葉を背に受け、澄蓮は図書室へ向かった。

芳村、今日は顔色が戻ってるな、と声をかけてきた教師に笑顔を返し、ふと思う。

そういえば、今日はスッキリした気分で起きれた気がする。

もしかして、これって巽さんと森谷先輩のおかげ?

思い当る節に自然と顔が綻ぶ。

よし、多めに作って二人にも食べさせてあげよう。

本を借りてるんるんと図書室を出る澄蓮の背中を、波打つ黒髪に隠れた無機質な瞳がじぃっと見つめていたことに、澄蓮は気づかなかった。





胡蝶世界の夕方。

散策から戻ってきた二人が、約束通り3日で仕上がった杖をネオンから受け取った後。

言った通り明日の朝旅立つわ、と言ったシェイラに、夕食を食べていってください、とネオンと澄蓮が言い出した。

その言葉に、嬉しそうに笑った二人は、今度はちゃんとしたお客さんということで手伝いもできず、暇を持て余して家を出ようとして。


いったい、何の因果というのだろうか。

北からの旅人二人が。

魔王の側近の二人と。


出会った。


アウチッ!なんてこった!

なんて思うよりも止まらない冷や汗と高鳴る心臓(ある意味正しい)、そして目の前の修羅場一歩手前状態に、澄蓮はただただ硬直するばかりだった。

時間が止まったような、空間。

不思議そうに「どうしたんですか?」と台所から顔を出したネオンの時間だけが、きちんと正しく動いていて。

さすがに貴司や巽も、あの後澄蓮の言葉に注意を払って、シェイラとカインに会わないようにしていただろうから。

会うなんてこと、ないと思っていたのに。

誰もが、目を見開いて驚きに言葉を失っていた。

一人、貴司が「やべぇ…」と小さく唇を動かしたのだけが、やけにはっきりと見えた。


こんな、急展開が、まさか、おきるだなんて。

事実は小説よりも奇なり、というが。

…だって、まさか、ニアミスでもなく、まさしくバッタリと出会っただなんて。



「……黒髪」



「黒服…」



ぽつ、と呟いたシェイラの言葉に続けて、カインが確認するように囁いた。

緑の長髪でシェイラの表情は見えないが、カインの顔に浮かんでいたのは、驚きというよりは、確信と恐れと覚悟のある笑みだった。



「草と土と…エリカのニオイだ、セラ」



カインの声を合図にしたように、銀杖を軋みあげるほどに強く握りしめたシェイラが、消えた。

え、と驚いて視野を広くした澄蓮は、巨大な杭を打ち込む掛合のような杖を力一杯振り下ろしたばかりのシェイラの姿を捉えた。

鈍器を何かに叩きつけたような嫌な音。

それと同時に、バチィッ、と、まるで電線が千切れて電流を放出しているような音が、鳴る。

何度か目にした色のマントが、家の前に広がる薄茶色の道に飛んだ。

周りの音が全てシャットアウトされたような無音の中、ゆっくりとマントが落ちるのが見えて。

澄蓮はいろいろな感情に裏返りかけた声で叫んだ。



「森谷先輩ッ!」



「スミレさん、危ないっ!」



「はっ、離して!離してよっ!森谷先輩ぃっ!」



駆け寄ろうとした澄蓮の腕を、とっさにネオンは掴んだ。

まだ、玄関の扉を遮るようなシェイラの杖は、鳴っている。

赤紫と緑にちらちら色を変える白雷が、木の床をジリジリと焼きながら。

周りが見えていないような澄蓮を羽交い締めにしながら、ネオンは村へ先にやってきた旅人2人を見上げた。

カインはいつもの間の抜けた顔から一転して、垂れた赤い瞳を飢えた獣のようにぎらつかせていて笑っていた。

ここ数日、カインを見ていたネオンは、その様子に息を呑んだ。

まるで、別人だ。

けれど、せめてどういうことなのかという説明をしてほしい、とネオンはもう一人の旅人を見た。

だが先ほどと同様に、ネオンは言葉を出すことはできず、眉を下げてしまう。

開け放たれた玄関から流れ込む風。

長い髪に隠れていたシェイラは、泣きそうな、けれど憎しみを抱いた表情だった。



「--…悪いわね、スミレちゃん。どうやら、あなたの先輩はあたしたちの敵だったみたいだわ」



「え…」



「コイツの仲間は、あたくしたちの親友を、仲間を殺した。あたくしたちはあたくしたちの敵を、決して…許しはしない!」



地面に落ちたマントに走り寄ろうとしていた澄蓮は、思いもよらなかったシェイラの言葉に、顔を上げた。

嘘のない口調に、その内容に、威圧されたように歯噛みする。

だが、それでも、と澄蓮はネオンに羽交い絞めにされたまま、叫んだ。


あたしの知っている先輩は、そんなことをするはずないし、そんなことを許すような人でもない。

そう、叫んだ。



「もっ、森谷先輩はそんなことをする人じゃない!何かの間違いです!」



「けど実際に、あたくしたちの村は襲われた!エリカのニオイのする男によって!殺されたのよッ!」



血を吐くようなシェイラの叫びを浴び、澄蓮は戸惑った。

これは、真実なのだろうか。

真実だとするなら、これは、シェイラが貴司に復讐することは、正しいことなのだろうか。



「…なるほど、そういうことな」



返す言葉もなく、炎のような怒りにきらめくシェイラの瞳から目を離すこともできず、荒く呼吸する澄蓮の耳に届いた声に、澄蓮は安堵の息を吐いた。



「森谷先輩!巽さん!」



ふわりと風に舞うように地面に降り立った貴司の胴体を、巽が支えていた。

どうやら、以前澄蓮が驚いた『不思議な出現方法』をする巽によって、貴司は助かったらしい。

だが、助かったにも関わらず、その顔色は悪い。



「悪い、芳村さん。その人らの言ってることはたぶん本当のことだ」



陽斗を助ける旅の途中でか、マントが剥がれて現れた黒い学ランは、ところどころ土で汚れていた。

腰に佩いていた剣は、シェイラの杖によって折れたらしく、中ほどでべきりと折れ曲がっていた。

しかし、巽によって何らかの方法で身を守ることはできたようだったので、そのことに澄蓮は安心したのだが。

告げられたその言葉に、全身が冷水をかけられたように、冷たくなるのを感じた。

だって、人殺しが、先輩が、先輩の仲間が…。



「ぅ、うそ…」



「俺らの部下には、盗賊だとか殺人狂だとか、そういうヤツらがいた。だからたぶん、……そういうことだ」



重いため息を吐きながら腰のベルトを外して、無造作に剣を地面に投げ捨てた貴司に。

巽は、マントを脱ぎ、小柄な体で前へと進み出て言った。



「……。主、私が…」



どこから取り出したのか、銀に光る苦無を握りしめた巽に、臨戦態勢をとったシェイラとカインだけでなく、澄蓮とネオンも息を呑んだ。

しかし、今にも刃を突き立てんと金の瞳をぎらつかせた巽の肩を、貴司はそっと引き戻した。



「いや、部下の責任ってのは上司もとるもんだろ。…芳村さんを頼む」



「しかしっ!」



「巽、お前だから任せられるんだぜ?」



自分が過去の清算を、と巽は言いつのろうとしたのだろう。

しかし貴司の言葉に、巽を信じると笑う主の言葉に。

巽は、唇をかみしめて、首肯した。



「……承知、しました」



よくできました、と言わんばかりに頭巾越しに巽の頭を撫でた貴司は、両手を軽く広げておちゃらけたように笑って尋ねた。



「よお、緑の姉さんと鎧の兄さん、待たせて悪かったな。部下の不始末、俺が償うぜ。俺は何をすればいい?」



ほざけ、と憎々しげに呟いたシェイラの杖と電流が、その怒りに呼応するように、バチリと一際甲高く鳴いた。

いつもならシェイラの怒りに対して真っ先に逃げ腰になるカインが、シェイラよりも早く、口を開いた。



「…あんたの手足の腱を切る。そしてラウムにあんたをくれてやる。俺はそれでいい。セラは?」



お前は、何をしたい。

瞳孔が開いた赤い目に見つめられ、シェイラは顔を上げた。

悲しみや悔しさの色のない、純粋な、殺意に瞳を光らせて。



「んなこと、決まってるでしょ…ゲルダの墓前で悔いて死ね!深緑の庭!」



地面を叩き割らんばかりに振り下ろされた杖。

地面を焼かんばかりに激しく鳴いた雷の音。

そして同時に溢れた閃光が、目を焼く。

その光に怯んだネオンが澄蓮の拘束を離した。

こんな閃光が家の前で、まるでフラッシュのようにチカチカと光っているというのに、巽は動じることもなく、冷静に澄蓮の腕をつかんで、家から連れ出した。



「スミレ様、こちらへ!お早く!」



家の裏手の小川を通り、そのまま森の中へと逃げようというのだろう。

目が利かないため、巽の声による先導や腕に引っ張られるままに、よろよろと小石を蹴りながらも走っていた澄蓮たちの前に、鈍く光るいぶし銀が躍り出た。



「おっと。悪いが行かせるわけにはいかないな」



カチ、とカインが剣の鯉口を切った音が、派手な雷の音にまぎれながらも、澄蓮の耳に届いた。



「カインさん…っ!?」



どうしてシェイラさんを止めないんですか。

どうしてあたしたちに刃物を向けようとするんですか。


聞いても無駄な、答えがわかりきった疑問が、延々と頭の中を駆け巡る。

ああ、そうか。

あたしは、納得できていないんだ。

先輩の部下が人殺しで、この世界で仲良くできた人が復讐しようとしていて。

どうしてそうなった、とか、そういう理由はよく分かる。


『恐怖政治的な感じでなんとか国まとめて、恐怖とか憎悪の対象を一点に絞ってみてん』


それはつまり、盗賊とかを部下にして、実質無法者を取り締まり、必要悪だけを作り上げたということ。

ならば、部下になる前の彼らは、人殺しや、それ以上のことを、していたということになるんじゃないか。

分かっていたことなのに、理解していたつもりなのに。

いざ目の前にその被害者が現れたとたん、澄蓮は体の震えが止まらなくなった。

ああ、これが。

これが、悪役を担った魔王組が背負う『罪』…。



「俺は北の村から来たカイン・オルシス、あれはシェイラ・ラファエルだ。あんた、名前は?」



「…名乗る名はない。私たちはあの方の望みのために、全てを捨てて生まれ変わったのだ」



「へぇ…。だから過去は過去、昔のことは忘れたって言いたいのか?」



「………」



無表情ながらも、悔しそうに、苦しそうに、巽は口を噤んだ。

澄蓮の腕をつかむ手に力が加わる。

たったそれだけで、澄蓮には巽の万感の想いが伝わったような気がした。

徐々に慣れてきた澄蓮の目が真っ先に映したのは、皮肉気に笑うカインの顔だった。



「ハッ…だんまりかよ。…お前らが、今、善人であったとしても。俺たちは、奪われたものを忘れはしない。しかも奪ったお前らが忘れた、過去の話だ、なんて言うなんてことはな…絶対に認めない!」



「…ならばお前たちは、我々を皆殺しにしなければ気が収まらないというのか?」



視線をそらさず、相手の動きを見逃さず。

しかし、呟かれた巽の言葉に、カインは答えなかった。

ただ、ニヤリと口の端を持ち上げ、大剣を抜き放った。

傾きかけ、僅かにオレンジがかった太陽の光に、その剣は美しく輝いた。



「…あいにく、世界はお優しくできてねぇんだよ。俺が何を言いたいか、分かるか?銀の一閃」



「………」



「…お前を倒して、餌にさせてもらう。お前を餌にして釣った深緑の庭を餌に、張本人たちを釣り上げる。…武器がコレってのは、結構キッツいんだが…ま・なんとかなるだろ」



ギュ、とカインが剣の柄を握りしめた。

剣の周りを、あの緑の光が、纏いつくように現れた。

澄蓮がこの光を見るのは、3度目だ。

1度目は助けられ、2度目は村人に怒られ、そして今、3度目は…恐怖となった。

澄蓮の腕を押し、家の陰に隠れているよう指示した、巽は、一人、武器を構えた。

右に太い針、左に苦無を握り、自然な動きで腰を落とす。

立ち向かう体制に入った巽を満足そうに見、カインも剣を構えた。


まさに今、殺し合いが始まる。


そんな瞬間だった。

予想外の方向から、巨大な何かが飛来してきたのは。


ドスッ、と地面にシャベルを突き立てるような音がし、その音の場所に構えていた巽の姿が、消えた。

代わりに現れたのは、巨大な、巨大なペンチ…いや、鋏だった。

昔話に出てきそうな、丸みのあるフォルムの鋏が、まっすぐに、地面に突き刺さっていた。


あまりの展開に目を丸くして茫然としていた澄蓮は、真横に現れていた巽の存在に気付くことさえできなかった。



「え……え?あ、あれって…は……はさ、み…っ!!?」



なんでまた、ハサミ!?

いや、それよりもなぜハサミが空を飛んで!?


軽くパニックになった澄蓮と、敵の代わりに空から飛んできた鋏に剣を振りかぶった状態で硬直していたカイン、そして恐らく命を狙われたのであろう当の巽。

その三人の眼前、注目の巨大な鋏の上に、軽やかに、今度は小柄な少女が飛来してきた。

そしてカインの大剣を軽く足で払い、よろけたカインを冷たく一瞥した。

明るい茶色の髪と、赤い鉢巻の下から、荒削りの宝石のような見事な緑の瞳が現れ、三人を冷静に見まわした。


『茶の髪に緑の目、顔面左の傷。間違いありません』


胡蝶の時間でつい昨日、聞いたばかりの特徴。

巽の部下だった、鍛冶師。



「テンラ…」



苦しげに呟かれた巽の声が、届いたわけではないのだろうが。

しかめっ面の少女の瞳が、ひたり、と巽で止まる。

バランスが悪いだろう鋏の上で、ネオンのものとはまた違った形の作業着を風にはためかせ。

彼女は、少女特有の高い声ではなく、少し掠れた声で、声高に告げた。



「銀の一閃!そして深緑の庭!お前たちの身柄を捕縛に来た!武器を捨て、ここへ来い!」



「ッ、貴様等…手を組んでいたということか…っ!」



今まで無表情に近い顔ばかりだった巽に、明らかな怒りが浮かび、カインを睨みつけた。

カインはその言葉に目を丸くし、「ンなワケねぇだろうが!」と怒鳴り返した。



「っつかコイツ、何者だよ…」



ぼやきにも似たカインの呟きが聞こえたのか、律儀にも少女はカインを横目に見て答えた。



「私は火色の魔王、カーサが配下。鍛冶師だ。時にお前は…【王部】狙いの旅人か?」



あ、そういえば【王部(オーブ)】の話もあったんだっけ。

今は森谷先輩が持ってるから……あ、森谷先輩がシェイラさんにやられたら、【王部】…ていうか鎖、持ってかれるじゃん!

滝先輩が復活できなくなる!


密かに慌てている澄蓮をさりげなく巽は背に庇い、カインの答えを待った。

もし、カインが【王部】を狙い、かつ復讐のために貴司を狙うというのならば。

二重の意味で、彼らは敵となる。

一つの村を襲った野盗ともなると、大都でも手配されているだろうから、顔を覚えられた以上…殺す以外の道が、ない。

もとより、殺すまでとはいかずとも、二度と動けない体にする予定だった巽にとって、どちらも似たようなものなのだが。


しかし巽の思惑とは裏腹に、カインは、驚いたように口を開け、「あっ!そういや魔王の側近は黒髪黒服だったんじゃねぇか!」と叫んだ。

ああ、コイツ、バカなのか。

女三人にそんな目で見られているとはつゆ知らず、カインは納得したように頷いた。



「なーるほど。ってことはスミレちゃんが黒髪で、先輩を助けるとか言ってたっつーセラの言葉も納得が……って、じゃあスミレちゃんも俺らの敵だったってことか…!?」



「違いますッ!」



どうやらシェイラによると「敵=殺すべし」の法則が立っているようだ、と十二分に理解していた澄蓮は、即座に否定した。

が、大声で否定したことが、返って裏目に出た。

テンラの緑の瞳が、家の陰からわずかに出た、太陽の光が当たる場所に出ている澄蓮の髪を、捕らえたのだ。


太陽の光にさらされると、染めた髪の色も元の色に見えるようになる。


澄蓮も巽も、誰も、忘れていたわけでは、ないのに。

その意味に気づいた時には、テンラの目が驚きに見開かれていた。



「お前、その髪……黒衣からの手先か!?」



「へ?…っあ、しまっ……」



慌てて髪を抑えて日陰に入ったが、もう遅い。

日陰にいれば、染めたから黒髪です、とでも言えたのに。

それを見越してか、わざわざ巽が家の陰へと指示していたというのに。

しかもそれを、敵にばれてしまうだなんて。

失敗した!

これでは、貴司や巽たちだけでなく、澄蓮まで堂々と狙われることとなる。

敵からすれば、いるかどうか分からなかった未確認の存在が、文字通り、白日の下にさらされたわけなのだから。


巨大な鋏から地面へと降り立ったテンラは、自分の身の丈ほどもある鉄の塊と同等の鋏を難なく地面から引き抜き、中央の留め具を外した。

そしてカインの大剣の何倍もの太さを持つ、鉄筋とも見まがう太さの二本の斬馬刀を両腕に持ち上げ。

それを、構えた。



「脅威となる前に…お前も殺す!」



で、デスヨネー?


巽はすぐさま青ざめた澄蓮の胴体へ腕を回し、突進するように走ってきたテンラから軽々と身をかわし、あろうことか、その勢いのまま、ネオンの家の屋根へと飛び上がった。

ひた、と澄蓮の尻が屋根にくっつき、澄蓮がハッと意識を戻した頃には、屋根の下で、激しい金属音が響き渡っていた。

鍔競りの音も聞こえないほどの、素早い刃物の応酬が繰り広げられている。

その事実に再び意識を飛ばしかけたが、拳を握りしめ、そこはぐっと堪える。

そして先程の澄蓮と同じように意識を飛ばしかけていたカインに、大きな声で呼びかけた。



「カインさんっ!」



「っ、な、なんだ!?」



「こんなこと、言っちゃいけないのかもしれないんです、けど…っ……」



下を見る。

重量系、対、軽量系。

一撃一撃が大振りで隙がある分をもう片腕でカバーし、巽を圧すテンラ。

対する巽は、小ぶりな武器でスピードと回数のある攻撃ができる反面、重たい一撃をかろうじて受け流している状態。

いずれ必ずつくであろう決着の軍配は、おそらく……。


だから、だからこそ。

ただ黙って見ていることができないからこそ。

力ない澄蓮には、頭を下げることしかできない。



「お願い…お願いします…!巽さんを、助けてください…ッ!!!」



澄蓮にあるだけの誠意を、込めて。

屋根の上という、視線的には上の位置にあたる場所からになってしまっているけれど。

澄蓮は、土下座した。



「あー……釣って釣って釣り上げる計画が、パァじゃねぇか…」



ガッカリしたようなカインの声。

その声に体を震わせ、断られる、と涙を浮かべた澄蓮の耳に届いた、金属音。

次いで、風を斬るような、疾風。

一拍遅れて、家の壁を抉り取ったような、衝撃と音。


顔を上げた澄蓮の視線の先で、カインが大剣を振り下ろした格好でため息を吐いていた。



「おい、銀の一閃!一緒に斬られても文句言うなよ!?」



ひぅ、と風を切る音を伴い瓦礫の下から飛び出た巽は、ベッと血を吐き捨て、口を拭って不敵に笑んだ。



「貴様もな」



「おい!助けてやろうってのにどういうつもりだっ!」



「なんだ。貴様、私を助ける気だったのか?」



「~~ッ…!後で覚えてろ!」



カインさん、まるで悪役の捨て台詞みたいですよ。

とは、まあ、例によって例のごとく…言えず。

澄蓮は、眼下で始まった奇妙な共闘に、安堵の息を吐いた。


しかし、今は安心しているだけでは無理だ。

後ろで派手に繰り広げられている戦いを仲裁し、貴司にテンラの存在を伝えなければならない。

窓枠に手や足をかけ、必死になって屋根から降りることにした澄蓮は…最終的に、瓦礫に尻から落ちて、盛大に嘆くことになった。


ケツ割れた!真っ二つになった!…あ、元から割れてるんだった!

…という、ありがちなセリフが脳裏によぎったが、今は変なことをフラッシュバックさせている場合ではない。

光や音が派手な分、村人たちも何事か、と駆けつけたらしい。

軽く人だかりができてきるその中央で、何がどうしてこうなったのか…地面いっぱいに広がる植物と、焦げたニオイと、派手な電流の音や光が炸裂していた。



「ちょいと、スミレちゃん!これはいったい何があったんだい!?」



ラルダが村人たちの戸惑いを代表するように澄蓮に詰め寄ってきたが、澄蓮自身、どう答えていいものかと迷いに迷った。

この村の人たちは比較的魔王…陽斗に対して友好的なようだったが、今、新たな魔王の配下が現れて、陽斗の部下と戦っている、なんて言ったら、どうなることか分からない。

それに、そもそも戦えなさそうな村人たちを巻き込むのは、貴司たちの意思に反するのではないだろうか。

戸惑うばかりの澄蓮に詰め寄っていたラルダを抑えたのは、ネオンだった。



「ラルダさん、それについては僕が説明します」



落ち着いた声が、輝くタンポポ色の髪が、戸惑う澄蓮に穏やかな冷静さを呼び戻した。



「ねっ、ネオン…」



「スミレさん、後で、教えてくださいね?」



振り返ったネオンの瞳が、ゴーグルの下で寂しそうに揺れていた。

けれど、あえて笑ってみせるネオンに、ただただ澄蓮は唇を噛みしめて頷くしかできなかった。



「ありがとう、ネオン!」



「スミレさん、お気をつけて」



「うん!」



走る。

伝えるべき言葉を、口の中で転がして。

村人を固めて説明を始めるネオンの厚意を、無駄にはしない。

こんな穏やかな村に、戦いなんて、似合わないんだから。

そう、走り出す澄蓮にかけられた…、


こえ。



「こんにちは」



低い、けれど澄んで心地良い、声。

目の前に、澄蓮の視界に、スッと滑り込むように現れた。

あかいろ。



「……あなた…」



思わず足を止め、真正面から向き合う形になった澄蓮は、体の感覚がなくなるほどの、驚愕、恐怖、戸惑い…そういったさまざまな感情を、生まれて初めて体感した。

赤い炎の色、と例えられた長い髪が、微かに漂った甘ったるい臭いの風に揺れた。



「カーサさん、ですね」



賭けではない、確信を持って言った澄蓮の言葉に対して。

にこりと笑った、男。



「あなたは魔王の手先だね?紫の小花を名に持つ少女」



その気の抜けるセリフに、澄蓮はがくりと肩を落とした。



「…大げさな呼び方しないでください。恥ずかしい」



「はは、ごめんね。…でも、あなたは陛下の配下として、私を殺しにきた。違う?」



ああもう、誰も彼も殺す殺すと…!

命をなんだと思ってんだ!

と内心叫びつつ、澄蓮はキッパリと言い放った。



「違います。あたしは森谷先輩たちを助けにきただけです。それに、あたしは滝先輩の配下じゃない。単に手伝いをしにきただけです」



はっきりとした澄蓮の物言いが面白かったのか、それとも言った内容自体が不思議なものだったのか。

カーサはくすくすと上品に笑って、青い空のような瞳を細めた。



「…そう。あなたは変わったことを言うんだね」



「……そうですか?」



その瞬間、なぜか、澄蓮はカーサの一見優しげな笑みが恐ろしく感じた。

後ろの閃光や音など、聞こえないぐらいの、何か。

カーサが纏う雰囲気というものが、一変したのだ。

豹変と言ってもいいくらいの変わり様だった。

そんな澄蓮を置いて、カーサは朗々と語り始めた。



「私たちはある計画を実行しています。この国の民を救うために」



愛しげに村人たちを見つめる瞳。

そこに澄蓮は映らない。

貴司や陽斗までも、その瞳に映ることはない。



「あなたが言う彼らを助けるということは、陛下を甦らせること。しかし陛下が甦れば、私たちの計画は必ず、破綻してしまう。…そもそもこの計画を成功させるためには、私たちはタカシたちを壊す必要がある。だから、陛下を甦らせるのなら、彼らを助けるのならば、あなたは私を殺すしかないんだよ」



「は…?!」



ちょっと、待ってよ。

それってどういうこと?

殺すだの壊すだの、微笑む唇から紡がれた物騒な断定の言葉に混乱しながらも、澄蓮は一つひとつ、考えを巡らせた。


貴司たちを手伝う=陽斗の復活。

陽斗(前魔王)の復活=カーサの計画の失敗。

カーサが言う計画というのは、この国の人々を救うこと。


あれ?

でも、そもそも陽斗が行っていた魔力の徴集でこの国の人々は豊かな生活を手に入れていたのでは?

それとも、この世界では日常生活に魔力を使用しているから、その力を僅かとはいえ無断で奪われるというのは気にくわないと?


え、でも、それじゃあ、滝先輩に直訴すればよかったんじゃないの?

滝先輩は性格悪いけど、人の話聞かないとこもあるけど、魔王を名乗るとかする変な人だけど。

自分に関係ない世界の人たちを助けるために奔走するような人だ。

だから、正面からぶつかれば、一緒に他の方法を探せたんじゃないの?

ねえ、それならどうして、滝先輩をバラバラに壊したの?

魔王の座が欲しいとか、そんな理由ではないと思う。

だって、この人はそんな人に見えない。

なら。

…計画は、滝先輩がいると失敗する。

……滝先輩が、邪魔だった?

邪魔だから、壊した…?

そんな、理由で…?



「あなたはこの世界に連れ込まれたばかりなのだろう。何も知らず、何もしないままに。…私たちに関わらないなら見逃します。けれどもし、私たちの妨害をすると言うのなら、」



「…あたしを、殺しますか?」



知らず、低く冷たい地声になる。

表情が抜け落ちたような蒼白な自分を見て、カーサは何を思ったか、澄蓮には分からない。

けれど、澄蓮が導き出した答えが正しいとしたら。



「ひとつ、教えましょう。陛下は…ハルトは、この国の人々を脅かしていた。…今はまだ目に見えない形で」



それは知っている。

胡蝶の時間で昨日、貴司に教えられたから。

澄蓮はもったいぶるようなカーサの言葉を先に紡いだ。



「滝先輩は、魔力を徴集していたんですよね?」



「…それを知っていて、それでも私の邪魔をすると…?」



青い瞳が強く強く、澄蓮を射抜く。

なぜ理解してくれないのかと、まるで責め立てるように。

しかし澄蓮は屈さず、逃げ出したくなるほどの威圧感を前に、拳を握りしめて耐えた。



「何が魔力ですか…何が魔王ですか!本当に悪いのは、こっちの生活を圧迫してくる東の国の神様でしょ!?なのに、なんとかしようとしてた滝先輩を傷つけるなんて、最低じゃないですか!」



言葉に詰まったように、カーサが息を飲んだ小さな音が聞こえた。

反対に、周りの喧騒が全く聞こえなくなる。

まるで、澄蓮とカーサのいる空間だけが、違う次元にずれてしまったかのように。

澄蓮は荒くなった息を整えた。

そして揺るがない決意を心に打ち立てて、宣言した。



「あたしは森谷先輩たちを助けるためにここにいます。きっとそれは滝先輩を甦らせることになるんでしょう。でも、あたしはそれを間違ったことだと思わない。だって、あたしたちは本来、この世界とは無関係だったんだろうから。もし、胡蝶世界(あなた)現実世界(あたし)の邪魔をするのなら、」



思い出す。



「あたしはあなたの敵になる」



思い出す。


屋根の上で、本物の刃物を向けあって戦う貴司たちを。

この人にバラバラにされたせいで、病院で目覚めないという陽斗を。

扉を維持するために、陽斗の救出と世界のバランスを保つために全力を出しているという陽斗の仲間たちを。

本当は関係ない世界なのに。

関係ない人たちを救うために力を尽くしたせいなのに。

本当は関係ない人たちを助けるために、わざわざ見ず知らずの他人と敵対する、自分も。

馬鹿だと思うのに、止められない。

というか、澄蓮は陽斗のせいで否応なしに関わらざるを得ない、というのもある

けれど。

盤上全体が見えてきた澄蓮には、今更手助けを止めるなんてできない。

余所でやっている他人の理不尽を許せない自分は、馬鹿だと思う。

けれど、同時に自分がちょっと誇らしくもある。

だって、自分ではなく他人のために、悪いことを悪いと言えるのだから。

友達が聞いたら中二病だとかクサイとか言われるだろうけど。


理解しあえないことに悲しげに眉を下げたカーサを笑う。

魔術、なんて人外の力を振りかざせる人に、火すらつけられない澄蓮が言い放った敵対宣言。

お互い出会ってわずか数分。

前魔王の手先と新魔王の交渉は、決裂したのである。




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