24.御召茶、安眠と魔王組の形勢
「そういや正しい睡眠時間って、眠るコツのことか?」
食後の白湯を飲みながら切り出してきた貴司の言葉に、澄蓮は洗い物を終えて席についた。
ネオンはもうちょっとだから、と二階に戻っている。
紅茶は苦手という二人のために他のお茶を出せたらよかったんですけど、と申し訳なさそうな顔をしていた。
「はい。滝先輩がなんか…胡蝶で時間を過ごしたら自然と身に付く?みたいなことを言ってたんですけどイマイチ分からなくて…。それに、最近なんだかどっちの世界でも眠くて眠くて……」
『胡蝶でしばらくおったら時間の調整は自然と身に付くんや』
と言われたけれど、調整もなにも感じられない。
だって寝て起きて寝て起きて、の繰り返しでしかないし。
「あれ?俺は二日ほどで調整できるようになったんだけどな」
昼食をあれだけガッツリ食べたのに、クッキーを口に放り込んでいる貴司が不思議そうに呟いた。
もぐもぐと咀嚼する音をかき消す勢いで、澄蓮は貴司に食いついた。
「そ、それです!その調整について教えてください!」
うーん…、と言いながら次のクッキーを口に放り込んだ貴司は、手で鎖を弄んで何か思いついたらしい。
白湯を注いでから、ひとつ、頷いた。
「まあ……丁度鎖もあるしな。巽」
「かしこまりました」
貴司は澄蓮から返された鎖をひょいと巽に放った。
突然放られたにも関わらず、包帯を何重にも巻いた巽の手は見事に鎖をキャッチ。
じゃらん、と鎖が重たげに金属音を発した。
「ヨシムラスミレ殿、失礼ながら、額を」
「あ、別に澄蓮でいいですよ……って、え。え?何かするんですか?!」
椅子に座っていることを忘れて後ろに逃げようとして、がたりと椅子が床をひっかいた。
コーティングされてない木の床だから、傷がついてしまっていないか心配だ。
…じゃなくて。
鎖を片手にじわじわと追い詰めるように近づいてくる巽と、後ろで優雅に湯呑みを傾ける貴司を見比べて叫ぶ。
巽さん、怖い!
無表情でにじり寄ってくるのが怖い!
「ちょっと魔力の調整をな」
シェイラが澄蓮の額に触れていたのを思い出す。
『体温というか血…体液というものが魔力の流れと似ていると言えばいいのかしら…』
あの言葉の意味はいまいち分からなかったのだけれど、要するに、動脈とかの方がいい、みたいな意味だったのだろうか。
魔力はガソリン。マジックポイント、MP。
魔術はガソリンを燃やした時に発するエネルギー、もしくは技。サンダーとか、ルーラとか……デスルーラ?いや、それは違う違う。
人は…その調整をしたり容器だったりするもの?車?
「魔力って…額とか首に触って、のですか?」
背を逸らしてじりじりと逃げつつ尋ねた言葉に貴司は目を丸くした。
そういう情報について、澄蓮が知らないと思っていたらしい。
知っているなら話は早い、とこれからすることについての説明してくれた。
「あれ、よく知ってるな?そうそう、その魔力。
こっちのやつらは成長しながら徐々に形を変化させてくんだけど、俺らはまだこっちにきて日が浅いわけだろ?っつーことは、魔力に癖がないから、上手く胡蝶に対応できてねーんじゃないかなーってわけだ。ってわけで、魔力にひっかかりをつけるだけだから。ああ、大丈夫、痛くないない」
まさしく人ごと、とばかりに軽く手を振る姿に、澄蓮は大げさにうなだれた。
最初は頼りになる格好良い先輩だ、なんて思ったのに。
今はもう、さすがは滝先輩のご友人ですね!という感じ?
「何ですかその適当な言い方!ちょ、巽さん怖いんですけど!!?」
「大丈夫です。失礼します」
マジな顔で手を伸ばされて額に掌を乗せられた。
叫ぶ暇もなくて、なすすべもなく、とりあえず息をのんだ。
ちょ、巽さん、近い!近いから!
黄色よりも深みのある…動物みたいな金色の瞳が、なんか…怖い!
「………」
「………」
「…芳村さん、呼吸ぐらいしてもいいぜ?」
無意識に呼吸を止めていた澄蓮に、貴司が面白そうに声をかけてきた。
はっとして閉じていた目を開けて、思った以上に近かった巽の顔に再び目を閉じた。
…同性でよかった。
それでも顔が赤くなるのを感じながら、気を紛らわせようと澄蓮は口を開いた。
「す、すみません、人が近くにいると呼吸が浅くなるんです。…小さい頃の歯医者さんのせいで……って、なんかあったかい?」
ぼわっ、と、巽の掌が温かく感じた。
シェイラの時は蒸しタオルを押しつけられたように感じたのだけれど、それよりも穏やかな、というか、やわらかい、というか。
なんか、どうかというと巽もシェイラと同じ、気が強いタイプに思えたから、まさかこんな優しい感覚がするとは…予想外だった。
人によって違うのか、と思いながらその心地よい熱に目を閉じていると、唐突に手が離れていった。
「…完了です」
「お疲れ」
巽の離れる気配を感じて目を開ける。
貴司の後ろに戻っていく巽を茫然と見つめて、澄蓮は目を瞬かせた。
ちょ、なんかいろいろ、早くね?
「え?え?もう終わりですか?っていうか…何も変わってない気が……」
額に手をやるも、何も変わっている感じはない。
熱もなく、ひんやりとした自分の額がそこにあるだけだ。
怪訝な顔をする澄蓮に貴司は小首を傾げながら言った。
「そりゃまあ、芳村さんの魔力の塊に触れたーって言ったって、ちょっとしか触ってないしな。でも十中八九といわず完璧に、睡眠時間の調整ができるようになるから。今まで寝ると胡蝶、寝ると現実、みたいな生活だったんだろ?」
「そ、そうです!メチャクチャしんどかったんですよ!」
「ははっ」
仲間がいた!と身を乗り出して涙ながらに今までの苦労(テストに関してとか)を語った。
貴司も身に覚えがあることだからか、苦笑しながらも一つ一つに頷いた。
「でもこれからは世界越えの時に素通りせずに引っかかるようになるから、ちゃんと寝た感じが味わえるぜ」
「ひっかかる?」
「おう」
変な言い方をするんだな、と澄蓮は首を傾げて終わった。
睡眠に関する言い方ぐらい、人それぞれだろうし。
ひっかかる…引っかかる……木のささくれじゃあるまいし。
変なの。
たとえこの行動が気休めや暗示のようなものだったとしても、一つ悩みが減ったことで澄蓮は安心した。
寝れる、眠れる。
もう授業中に手をシャーペンでブッ刺して眠気覚まし、なんてしなくてよくなるのだから。
ほっとすると同時に、澄蓮はもう一つ、大変なことを思い出した。
魔術の使い方も教えてほしいけれど、それよりずっと、重要なことだ。
「あの…実はですね。ちょっと、マズいことがありまして…」
背筋を正して、椅子ごと机に接近して、澄蓮は貴司を見据える。
腹を括って。
今話さなくては、マズイ。
だって夕食はたぶん、シェイラとカインの二人とも、またこの家で食べるんだろうから。
その時何も知らずにご対面☆なんてなったら、即座に戦闘になりそうだ。
シェイラも巽も、なんだか話すより手が先に出そうな感じだし。
反対に男性陣は…普通に夕食を食べてるイメージ?
「……あんまいいことじゃなさげだし、聞きたくねぇんだけど」
詰め寄った澄蓮と反対に、椅子ごと身を引く。
そんな貴司を後ろから椅子ごと押さえて、巽が冷えた声をかけた。
「主」
怒ると熱くなるシェイラとは反対の、絶対零度の冷気が巽から漂っている感じがする。
ああ、確かに巽さんって仕事重視って感じだもんね。
雰囲気からして、サボって逃げようとする人に対して厳しそうだもんね。
とても優秀な秘書的な?
「あー…はいはい。何?芳村さん」
観念したらしい貴司が、澄蓮に向かい合った。
ふざけた感じのない顔を見て、澄蓮も一つ息を吐いて気合を入れる。
…怒られたら即座に謝ろう。
知らなかったとはいえ、現実から来たとか、言っちゃったし。
「…実は、ですね。その…あたしが現実の世界から来たってこと、話しちゃったんです」
すみません!
頭を下げた澄蓮を見て、二人が目を丸くした。
「え…っと?」
「…誰にですか」
部屋の温度が下がった気がする…。
やっぱりヤバいことだったのか。
言うんじゃなかった、と後悔しながら、澄蓮は目を伏せた。
「この村に来てる、旅人の二人に、です。…ごめんなさいっ!」
「バレたのか?」
「魔王から言われて来たってことですか?いえ、単に現実世界から来たとだけ…」
「じゃあ、【王部】のことは」
「バレてません。あたしも知らなかったんで…」
知ってたらゲロってたかもだけど。
その時は知らなかったから、と澄蓮は素直に白状した。
「他の方には話しましたか?」
「いえ、シェイラさんとカインさんの二人だけです」
できるだけハッキリと分かりやすく澄蓮は答えた。
その答えを聞いて、二人は視線を合わせる。
「主」
「ああ、頼む。様子見だけでいいから」
僅かに隙間を開けた玄関扉からするりと姿を消した巽を見送って、貴司は大きなため息を吐いた。
グッタリと椅子に体をもたれさせる姿を見て、澄蓮もまた吐いた。
貴司が様子見だけで、と言ったのだから、巽はシェイラたちに危害は加えないだろう。
つまり、バレないうちに村を出て行ける。
澄蓮だって、嘘つき呼ばわりされて険悪な状態で別れるより、良心は痛んでも心地好くさよならをしたいのだ。
何はともあれ、最悪の状況でバレる前に言えたことに安心して、澄蓮は目を閉じる。
「…っはー……焦った…。っつか、何でそういう話になったんだよ?」
「だ、だって、別にやましいことがあるわけじゃないんですよ?シェイラさんだって家庭のことを話してくださったのに、こっちも話をしないのはフェアじゃないっていうか、森谷先輩たち魔王組だけしかこの世界に来ていないとかないよなーって思ったっていうか……まさか【王部】がどうとか、そういう話になるとは思ってなかったん…デス…」
しどろもどろな澄蓮をジト目で見ていた貴司も、納得するところがあったのか、疲れたように天井を仰いだ。
「…まあ、そうだよな。こっちも時間がなかったっつっても説明不足だったのは否めない……っつかさ、芳村さんってさ」
「はい?」
「やっぱり中村に似てるわ」
「はい!?」
誰かに似てると思ったらアイツだアイツ、と自分の考えにしっくりきたらしい貴司は腕を組んで頷いた。
誰だ、中村って!
先輩の部活仲間の人ですか、と聞こうとしたが、その前に貴司が再び話し始めた。
「フェアとかフェアじゃないとか、別の可能性がどうとか。未だにそういうことにこだわるって馬鹿正直は、俺らの中ではもうアイツだけだし。…あ、アイツもそうか」
面白そうな顔から一転、今度は苦い顔をして、貴司は髪を掻いた。
何か意味ありげな言い方に引っかかって、澄蓮は首を傾げた。
「アイツ?」
どうやら澄蓮の存在を忘れていたらしい貴司がはっとしたように顔をあげて、澄蓮を見た。
そして何かためらうように視線を逸らして、結局決意したように再び澄蓮の目を見てきた。
「…芳村さんにも話しとかないとマズイよな。新魔王のこと」
『あいつなー…俺の身体とか使って勇者とかベコンバコンにしてもーてん。ゲログロのぐっちゃぐちゃ!そんで何を思ったか、魔王の後釜に座りこみやがったんや!』
陽斗が言っていた、裏切り者。
今は新しい魔王になったのか、と澄蓮は顔をしかめた。
「そ、れって…滝先輩を裏切った……?」
嘘だと言ってほしい。
そう思いながら万が一の可能性に賭けて挙手した澄蓮の希望を、貴司はバッサリと斬って捨てた。
なんていうか、バッサリすぎて清々しかった。
「ま、そーだな。俺らと行動するってことは危険性が高いってことだから、説明しとく。頭に叩き込んどいてくれ」
「…はい」
がっくりと肩を落とした澄蓮を、貴司は不思議そうに見てきた。
無意識だったらしい。
しかし今は少しでも情報を身につけておかなければ、後々大変なことになる。
…独断でシェイラに色々話してしまって、澄蓮はもうちょっと自分の行動を考えなければならないのだたと、学んだのだから。
「名前はカーサ・ミュゼル。通り名は火色の旗。…今は陽斗の代わりに魔王に成り上がったから、火色の魔王とか呼ばれてるな」
「ひいろ?」
緋色?
って赤い色?
「火の色、で、火色。そのまんま、火の魔術を使うからだな。あと、髪が赤色だな。毛先とか生え際とかの色が微妙に違うから、風になびいてるトコが火の旗みたいだ、とか言われてたな。俺らといた時は長髪をこう、肩の辺りで緩く結んでた」
左肩近くで髪を括る動作を見て、澄蓮はそれに炎の色を想像した。
髪は長いんだな。
「赤い髪…目立ちそうですね」
「まあ、こっちじゃ赤髪ぐらいゴロゴロしてるけどなー。
で、青い目。肌は白っぽい。特徴は…冷え性だとかで羊毛の肩掛けをかけてたな。で、なんか細長い。だいたいいつも笑ってた。美人だったし」
…なんか、イメージがつかない。
柔らかそうな肌の、背の高い綺麗な女性が、微笑みを浮かべて指先に息を吹きかけている姿を想像した。
赤い髪の、青い目の、白い肌の、…裏切り者。
そりゃあ、そんな人に裏切られたらショックだよなぁ、と澄蓮は思った。
あの陽斗を負かした人だ、よっぽど仲間を裏切りそうにない人だったのだろう。
「女連中と服の品定めして遊んでた。いつも敬語だったな。酒が苦手で果物好き。装飾品は肌が荒れるとかで嫌がってた。あと、芯がしっかりしてて背筋伸ばして歩いてるくせに何もない廊下とかでよくこけてて、部下とかからは天使とか俺らの女神とか言って崇められてた。っつかアイドル扱いだった。セクハラとかもされてたな。本人は泣いて嫌がってたけど。あとはー…」
「ちょ、ちょい待ってくださいっ!あの、そういう個人情報とか関係ないんじゃないですか!?っていうか魔王がセクハラされるとか!」
わけわからん!
何なんですかそれ!
仮にも魔王とか名乗るんだったらもっとこう…おどろおどろしい感じとかを目指そうよ!
納得できずにわめく澄蓮を貴司は冷静になれ、と制した。
「言っとくけど、この情報は魔王になる前のだからな。二宮はもちろん、人に懐かない本条さんとか巽も、アイツには近付いてた。…良いヤツ、だったんだけどなー……」
がりがりと頭を掻いてため息を吐く姿は、なんだか疲れきっているようだった。
…そうだよね、信じてた仲間に…手ひどく裏切られたんだ。
憂鬱そうに目を伏せた貴司を見て、違う話にしなくちゃ、と澄蓮は頭を捻った。
「えーっと……あ、そうそう。本条さんって誰なんですか?」
明るい声を出して澄蓮は貴司に尋ねてみた。
澄蓮の思惑は成功したようで、貴司は顔を上げて詳しい話を話し始めた。
「あ?ああ、言ってなかったか。
俺らー…魔王組、でいいか。陽斗を筆頭に、現実組の、本条さん、中村、二宮、で・俺な。男3人に女2人。
後は俺ら一人一人に相棒がいたから、陽斗の相棒だったアイツも入れて幹部は9人。現代組は5人。
ちなみに二宮以外は全員和織だぜ。ああ、全員高2で」
幹部が、高校生。
しかも自分よりも一年早く生まれた人たち。
仮にも一国を治める人物の幹部でしょ?
いわば大臣レベルじゃん?
陽斗が一国のトップだと言った時のような、信じられない気持ちになる。
…それとも、そんなにすごい能力を持ってるとか、カリスマがあるとかいうこと?
っていうかそもそも…そんな人たちが身近にいたなんて、全然知らなかったことにビックリした。
「うちの学校の人たちが幹部って………っていうか、二宮先輩は違うんですか?」
「アイツはこっちに越してくる前の陽斗の幼馴染だ、とか言ってたな。和織の近所の…ほら、たまにイベントを共同でやったりしてる私立の高校。二宮はあそこに行ってる」
ああ、それでか。
陽斗の親友、幼馴染、というだけでたいていのアリエナイ現象が納得できてくる。
どんな猛者なんだ、ひょっとして筋骨隆々のマッチョ?
森谷先輩が本条さんって先輩みたいにさん付けで呼ばない女性…でもって、滝先輩の幼馴染…。
滝先輩系の、笑顔のくせにめちゃくちゃなことを言いそうなタイプの女性?
…あたしもだんだん染まってきたかなぁ、と澄蓮が思う瞬間だ。
「えっと…女子高の、流繕高校、でしたっけ?確か音楽学科みたいなのがある…」
「アタリ。その音楽の学科で、ソプラノ歌手目指して特訓してんの。俺らも最初胡蝶に来た時はバラバラの場所に飛ばされててさ、二宮は今の魔王城がある近くに落とされたんだ。で、俺らが見つけた時には大都【白】で歌姫とか呼ばれてたんだ。ついた通り名が漣の歌姫」
本人に言うと照れて怒り出すけどな、と言われたが、ぜひ呼ばせてもらいたいと思った。
ていうかどんな歌声なのか、ぜひ聞かせてもらいたい。
だって、澄蓮と同じように、身一つでこの世界に落とされたのだろうに、きちんと生活できていたようだから。
芸が身を助ける、を実践した猛者なのだろう。
そこまで考えて、ふと、陽斗に言われて2年の教室を覗きに行った時のことを思い出した。
「もしかして、滝先輩の彼女って…」
幼馴染というのだし、あの狐…もとい、人を喰った笑みを浮かべる割りに警戒心が強い滝先輩だし。
彼女っていうのは気心知れた幼馴染なんじゃないだろうか。
そう考えて、ぜひ噂の彼女のことを知りたい、と澄蓮は目を輝かせた。
クラスメイトたちが見ず知らずの後輩に思わず言いふらしたくなる、『俺の彼女は世界一!』宣言のお相手とは、どんな人なのか。
わざわざクラスで言いふらすというのは、違う学校だからできたのではないだろうか。
澄蓮が意味ありげに語尾を濁らせると、さすがは体育会系というか、貴司は素直で正直に…というよりも打てば響く条件反射の速さで、返した。
「え、本条さん?」
「二宮先輩じゃないんですか!?」
幼馴染が彼女ではない、と知って驚いた澄蓮を見て、なぜか逆に貴司が驚いた。
丸く見開かれた目はともかく…冷や汗の量が、ハンパない。
「…え………知らなかった…とか?」
「初耳です。…そっか。違うのか…」
あ、そういえば2年の先輩が言ってたっけ。
教室にいたクラスメイトに向かって『俺が愛してるんはお前だけやでー!可愛い可愛い俺の彼女にふぉーえばーらーぶ!』とか叫んだって言ってたような…。
学校が違うなら二宮先輩は違うってことになるんだよね。
じゃあもう一人の女性の、その本条さんって先輩は…どんな人なわけ?
あの狐みたいな、他人を巻き込んでおいてにやにや笑うような人物の彼女…。
やっぱり森谷先輩みたいに、滝先輩と渡り合えるようなタイプの人?
それか全くの反対って感じ?
「っちょ、ちょっと、芳村さん!」
「え、はい?」
机に身を乗り出した貴司が、怖い。
必死の形相が、マジで怖い!
「何で陽斗の彼女のこと…」
「え……2年の教室に行ったら、滝先輩のクラスメイトの人たちが教えてくれましたよ?」
「……マジ?」
「マジです。えーと、なんか、『俺の彼女は世界一!』みたいなことを言ったとか。マジな話なんですか?これって」
「それはマジだな。マジの話だ。うん、マジだ。うわ…マジで殺される」
「え」
急に焦ったように虚ろな感じになった貴司に、澄蓮は引いた。
ドン引いた。
恐るべし、滝陽斗パワー…!
「芳村さん!」
「ぅへいっ!?」
「現実から来たことを話したってのは、あえて見逃そう!その代わり…俺から本条さんのことを聞いたってのは、黙っててくれませんか?」
急に敬語キャラになった。
ていうか、交換条件の内容が…なんか卑怯だった。
先輩、ずるい!
しかし澄蓮も知っている。
滝陽斗が二年生の間で春頭と称されるようになった伝説を。
「なぜ敬語…。え、そんなにヤバイことだったん…ですね。はい、分かりました。黙ってます」
「助かる。命の恩人!」
素直に要求を呑んだ後輩に、貴司は心底安心した顔で肩の力を抜いた。
でもってなぜか澄蓮を拝みだした。
…そこまで怖いのか、滝先輩。
「…先輩たちについて教えてもらえませんか?どうせ会うんだろうし。…あ、それからカーサ…さん、についても」
戦いにはまず情報が必要。
火色の魔王ことカーサについての情報はもちろん、仲間に当たる人たちのことも知りたい。
……気になるし!
どうせそのうち会うんだろうし、と重ねて言えば、思うところがあったのか、迷いつつも貴司も承諾した。
「…まあ、どうせ会うんだろうしな」
「そうですよそうですよー」
「なんか乗せられてる感もあるけどなー…ま、いいか。何から話そうか…ああ、とりあえずカーサのことな」
ふう、と息を吐いた貴司が、白湯を口に含んだ。
その時、澄蓮には貴司が緊張していたのだと気付いた。
…どんだけ怖いんだ、滝先輩。
「カーサの裏切りがあって、城を預かった中村が、とりあえず全員を城の外に放り出したんだ。で、一回俺らもカーサと話し合って、結局離反が決定したんだ。俺らの部下は半数近くがアイツの部下としてくっついてった。残ったやつらも半分以上が元の盗賊に戻ったり、自分の村なんかに帰ったんだ。
つまり、俺らの手駒は、元の四分の一にも満たない数だっつーことだ。つっても、数十人はいるんだけどな。元を考えるとかなり少ない」
数十人、というレベルに、澄蓮は必死に頭を活用する。
そうだ、これは仲間内での喧嘩レベルで終わらない話なんだ。
国レベルの問題なのだから。
裏切り者のカーサをどうにかしたとして、部下が大量にいなくなった状態で…その後はどうなるんだ、この国。
頭が痛い。
けど、とりあえず澄蓮がすべきなのは『先輩を助けること』。
でないと…眠れるようにしてもらったとはいえ、安眠と平穏な生活には戻れない!
「でもなんか…結構人数は多いですよね…。こっちも…カーサさん、も。お互いに」
「ああ。だが城っつー拠点はこっちにあるからな、蓄えも一応あるわけだ。対するカーサは…まあ、アイツのやり方からすると自分でも蓄えを持ってるんだろうが、それでも数百単位の人数を抱えてとなるとキツイだろう。
ってことで、今は蜂の巣を突くよりも陽斗を復活させようぜ、って流れになってんだ。…あ・前に説明したんだったか」
『俺は砂漠を越えた先にある国を目指してるんだ。他のやつは別の場所で方法を探してる』
だから、砂漠の向こうの、「神様の国」を目指していた。
「でも、カーサさんは動こうと思ったら動くんじゃないんですか?だって、部下がいてもトップは自分一人ってことは、フットワークが軽いとかいう利点がありますよね?滝先輩から奪った魔力だってあるんだし…」
力があって、行動力がある。
なぜカーサが裏切ったのか澄蓮は知らないが、何か…陽斗たちとは違う考えがあったということなのだろう。
それなら、部下が不満を言い出す前にさっさとケリをつけようとするんじゃないだろうか。
まあ、ゲームや小説での話ではなく、現実での問題なんだから、他にも問題があってなかなか行動することができない、とかあるかもだけど。
「そこなんだよな。コレ、この鎖。どんな物か分かるか?」
「サッパリです!」
「清々しい答えをありがとう。これはこんな形でも一応制御装置なんだ。陽斗は国中の人間から魔力を徴収してる。つまり、ドラゴンボールの元気玉状態だ」
ああ…なるほどねー…。
って、ちょっと待て!
「先輩、著作権著作権」
「おっと失礼。で、だ。そんなんをさ、スーパーサイヤ人でも何でもない一人の人間が持ちきれるわけがない。ましてやそれを使うなんて論外だ。爆発して身体が吹っ飛ぶ。血と肉でグッチャグチャだ」
著作権がどうこう、と言いかけた澄蓮の口も閉じてしまう説明だった。
ぐちゃぐちゃって…。
「うわ…スプラッタ…」
軽く返したものの、ここはそういうことが現実に、身近に起こりえる世界なのだ。
できるだけそういう場面には会いたくないな。
っていうか絶対避けて通りたい。
今まさに対面している問題だということには、あえて気付かないフリをしておく。
知らぬが仏?
「そこで、魔力を上手く調整するのがこの鎖、ってことだ。これで上手く魔力を纏めて、国中に返還していくっつーことな」
えーっと…?
鎖がス●パ●サイヤ人的な要素?
…なんか分かりにくいな。
別の例えで言ったら……。
「つまり…徴収した魔力が税金で、鎖が国会みたいな物ですか?」
「お、それ上手いな!そうそう、それで議員が魔王、みたいな感じか。分かりやすいな」
「なんかシュールですけどね…」
魔王が議員…。
増殖した陽斗(複数)が、テレビでよく見る国会の席に座って何か議論している姿を想像して澄蓮は顔色が悪くなった。
正直、シュールというか、気持ち悪い。
想像してしまったことを後悔した瞬間である。
というか想像しやすかったのはなんでだ!
「魔王だしな。まあ、悪人を手下にして、無断で他人の魔力を徴収、なんて、魔王じゃなきゃ何なんだっつーことだけどな。
まあ、それはさておき。陽斗がバラバラにされる時に分解されたのが、身体、魔力、鎖。それから、陽斗の記憶と魂だ」
「記憶ってのはなんとなく分かりますけど…魂って」
「まんま魂だな。具体的に何って言われたら悩むけど…まあ、接着剤みたいなもんじゃね?」
……んん?
なんか…あれ?
「…やっぱり、変?……でも滝先輩は全部をくっつけるのが鎖、とか言ってましたよ?」
「あれ?」
「……あれ?って何ですか、あれ?って!」
「まあ、その辺はテキトーにフィーリングフィーリング。つか、そっか。俺は魂が全部を繋げる役割だから大切だ、とか聞いたけどな。んー…まあ、普通バラバラになるとかない話だし、その辺はよく分かってないんじゃねえの?封術師ってスゲー希少価値が高いらしいし」
「そんなもんなんですか…」
…あれ?
じゃあ、なんで滝先輩はそういうこととか色々詳しく分かってるみたいに語ってたんだろ?
体感したらそういうのって分かるものなのかな…。
ていうか、そもそもバラバラにされる間際とかでも、自分がバラバラにされちゃうって分かったりするものなの?
これが魂、これが知識、みたいにひょいひょい仲間に預けてるヒマとかあったの?
だって、裏切られて、裏切った人の目の前でバラバラにされたんでしょう?
滝先輩って、自分の身体が勇者をグチャグチャにする瞬間とか、知ってた。
あれはどうして?
バラバラにされた後、あたしと会ったあの中間地点とかいうところで見てたの?
それともバラバラにされるまでに時間があったとか?
納得しきれないところもあるが、今はそれより、と澄蓮は居住まいを正す。
なんとなく、シェイラたちを見張っているだろう巽が戻ってくる前に話を終えなくてはならないと思った。
まあ、幹部の一人だったという巽がいない所で彼女たちの昔話を聞いているわけだから、ちょっと申し訳ないというか、後ろめたいような気持ちがあったからだが。
「んで、話を戻して、だ。カーサに身体と魔力を盗られたことで、全部を一つに纏めることができなくなったわけだ。それで俺が鎖、二宮が記憶、本条さんが魂を預けられたんだ」
つまり?
親友が鎖。
幼馴染が記憶。
恋人が魂。
…え、じゃあもう一人はどこいった?
「なるほど…。…ん?あれ、えっともう一人の先輩は?」
「中村か?アイツは鍵だ」
「カギ?…あ、そういえばさっき城を預かった中村先輩が全員を放り出したとか言ってましたよね。ってことは、魔王城の鍵ですか?」
あたしってば冴えてる!
自信満々に言ったのだが、貴司は「惜しい!」と笑った。
「ま・それも兼ねてるな。でもそれよりももっと重要な鍵だ。この国にとっても、俺らの世界にとっても一番大切な扉の鍵。さて、何でしょう?」
城でなく、扉?
しかも現実世界にとっても大切な?
「扉って…分かりませんよ!」
ギャン、と吠えた澄蓮を見て、貴司は「まさか」と笑ったが、澄蓮の本気を見て、徐々に目を丸くしていった。
「あれ?芳村さんは見てないのか。現実の世界と胡蝶の世界を繋ぐ、いわば世界の境界線ってヤツ」
「それが…扉?」
「…そっか、こういうタイプのヤツもいるのか。
まあ、そういうわけで、扉がなくなったら俺らは行き来できなくなるってわけだ。魔王城ってのはその扉を守るために造ったんだ。だから、中村が持ってる鍵はその扉の調整と、魔王城そのものの主である証明ってことだ。ま、言うなら今の城主は中村ってことだな」
「へえ…って、魔王城の城主って、そのまんま魔王なんじゃないんですか?」
だって、『魔王城』の『城主』なわけだし?
素朴な疑問に、貴司は首を振った。
「いや、テロリストが国会を占拠しても国民は動かないだろ?アレと同じってことな」
「すごくよく分かりました。え、じゃあ中村先輩たちと部下の人たちって、全員魔王城にいるんですか?」
「いや、魔王城にいるのは中村と本条さん、それから二人の部下たちだけだな。他の部下は大都の守護から外れた小さい村とかの守護に行かせてる。二宮さんは相棒と一緒に大都の長に圧力をかけに回ってる」
「あ、あつりょくぅ!?」
澄蓮よりも一つ年上の女性が、部下を連れてとはいえ二人だけで?
大都って都でしょ?
澄蓮がこの村に溶け込めるように努力したのとは、まるでわけが違うのに。
しかも話し合いというか…圧力をかけるとか、もろに喧嘩腰ですよね?
「…陽斗が数年で国を纏められたのは、そもそも大都が持っていた力が大きかったからなんだ。大都を纏めることがそのまま国を纏めることに直結したからな。で、今は現実世界から来た陽斗が潰れて、胡蝶の住人のカーサが魔王になった。どういう意味か分かるか?」
自分たちの国のトップに立っていた外国人がいなくなって、自分たちの国の人がその場所に居座った。
これって、この国の人たちなら、すごく歓迎しちゃうことなんじゃない?
じゃあ、元々いた外国人にはもう戻ってきてほしくないから…。
「えっと……つまり、大都が魔王組の支援を止めるってことですか?」
「ああ。あいつらは元々現実世界から来た俺らを警戒してたからな…下手すりゃ国民を沸かせて大々的に俺らを始末しにかかってくる。まあ、小さな村みたいに大都からモロに影響されない場所なんかじゃ、まだまだ俺ら魔王組の支援者が多いけどな。…時間の問題だろ」
それでも、【王部】を狙う旅人はいるわけだけど?
という貴司の言葉が耳に痛い。
ごめんなさい言いふらしてすみませんでした!
「…それで二宮先輩は反乱しないように説得して回ってるってことですか」
「ま・そういうことだな」
圧力っていうか、説得ってことなのか。
そういうことをしなきゃ、ダメなんだ…。
国に味方がいない、というのは、想像していたより辛いことなのだと気付いた。
そこで初めて澄蓮は正しく現状を知ることができた。
簡単に『仲間を助けてくれ』なんて言われて頷いたはいいけれど、これじゃあこの村を出て行くことも難しい気がする。
出歩く際に髪や目を隠す服を着ていたとしても、買い物に行ったり、間近を歩く人たちには髪だって目だって見えてしまうだろうし。
澄蓮は貴司たちに同行させてもらうつもりだが、戦える二人が澄蓮というお荷物を背負って、人目に触れない場所を歩くというのは、厳しいだろう。
貴司たちを助けるためには、彼らが行動する目的である陽斗を助けなければならない。
でないと貴司たちは陽斗を助けるために危険地帯に挑み続けるだろうから。
陽斗を助けるというのは、つまりはバラバラにされた陽斗を元に戻す必要がある。
それは貴司たちが持つ陽斗の一部、【王部】を守ることになるから、必然的に貴司たちを守ることで成立する。
けれど、最終的にはこちらから陽斗の身体を奪った魔王に近づかなければならない。
貴司たちを助けるということは、…陽斗たち全員を元鞘に戻す必要があるんじゃ…?
(…なんか…間接的にもっと難しいことを押しつけられたんじゃ…?)
とはいえ、もうここまできては後戻りなんてできない。
大変なことになっていると知ってしまったし、どうせ嫌だと言ったところで悪の張本人(初代魔王)に声が届くわけでもないし。
何より、澄蓮は意地っ張りなのである。
けれど、否応なしに嫌な情報は増えていくし、後悔の色は濃くなる。
そんな中でも必死にもがく先輩を前に、澄蓮はこっそりとため息を吐いた。
とんでもないことを引き受けちゃったなあもう!!!
「だから動くなら今しかないわけだ。カーサが膨大な魔力と数多い部下を抱えて泡吹いてるうちに、ってな」
「なるほど…」
短期決戦、短期決着!
…できれば2年になる前に全部終わってほしいなぁ……。
先輩たちだって3年になったら夢の中でわいわいなんてできないだろうし…。
「…じゃあ、城主の中村先輩はいいとして、本条先輩はどうして魔王城にいるんですか?二宮先輩みたいに女性でも相棒を連れて大都を回れるってことは、本条先輩もできるんじゃないですか?っていうか一人より二人の方が効率いいし…そもそも中村先輩も鍵かけて出かけるとか…」
「あっはっは。それができたらなー」
「え、笑い事じゃないんですけど」
ていうか笑う要素がどこに!?
気分を害して半眼になった澄蓮を見て、貴司は少しだけ笑い声を控えた。
といっても、少しだけ、だけど。
ほとんど変わらなかったけれど。
「あ、ごめんごめん。えー、まず中村な。俺らが今こうやって世界を行き来できてんのは眠ることで扉を潜ってるからなんだぜ?その扉を管理する中村がいないと俺らは閉じ込められるだろ」
「え…そうなんですか?」
「言っただろ?境界線だ、って。で、中村はその扉を管理してる。扉ってのは開け閉めするもんだろ?つまり、俺らが現実や胡蝶で寝て起きて、をする時に、間違っても現実世界の一般人が、もしくは胡蝶世界の一般人が、俺らと同じように世界を行き来しないように、中村が管理してるってわけだ」
…どういうこと?
滝先輩は、『まじかるぱわー☆』であたしをここに連れてきたって言ってた。
だから、普通の人はこの世界に来ることができないのは、普通なんじゃないの?
「…すみません、いまいち分からなくて…」
「うーん…つまり、中村が扉に鍵をかけてしまうと、俺らは世界を行き来できなくなるってわけだ。で、恐らくこっちの世界で魔術が発動しなくなる」
「どういうことですか、それ!」
思わず澄蓮は声を荒げた。
わけがわからない。
二つの世界を繋げる扉が閉められたら、魔術が使えなくなる?
どうしてそれが魔術とかに関係するわけ?
それに魔術を使えなくなったら…この世界の人たちはどうなるの…?
「昔の話になるんだけどな…。
大都【黄】は正式な魔術師として記銘する役割を持ってる大都で、同時に魔術師の育成所や研究所でもあるんだ。そこの魔術師の一人が、昔々に現実世界の存在を証明する論文を作ったんだ。今でも禁書扱いにされてるヤツでさ、内容が『魔術は異界の現象を召喚するための道具だ』、『でなければ無力な人間が石ころを使って自然界を揺るがすようなことを何でもできるわけがない』みたいなことだった。それを禁書扱いした理由が、『正しいから』なんだ」
「……えっと…魔術の理論が、根底から覆される…的な?」
歴史的大発見は、宗教的にも、国際的にも、影響を及ぼすから。
数年前に恐竜の骨が見つかったとか、新たに聖書の一部が発見された、というニュースがあったことを思い出した。
貴司はまさか澄蓮が答えを出すとは思わなかったらしく、あんぐりと口を開けて盛大に驚いた。
そして机越しに伸ばした手で犬を撫でるがごとく、澄蓮の頭を力強く撫で始めた。
「まさしくその通り!賢いなー、芳村さん」
「え、あー、どーも……」
「陽斗は扉と魔術について、大木の幹と枝葉だ、っつってたな。扉を閉めれば大木の幹を切り倒すことになる。要するに、俺らが行き来できなくなる=魔術が使えなくなる、ってことだな」
賢いと言われても、澄蓮は素直に喜べなかった。
魔術が使えなかったら、ネオンは仕事ができないんじゃないだろうか。
羊の出産を手伝うことだってできないし、温かいお湯がたくさん降り注ぐ豊かなお風呂事情にだって影響していくはずだ。
それになにより…。
「…シェイラさんが、」
「ん?」
「この村に来てる旅人のシェイラさんは、大都【黄】で魔術師になるって、言ってました。…叶わなくなるんですか?」
師匠に一人前と認められたから、旅立つことができたんだと言っていた。
魔術師の試験を受けて合格して、魔術師として雇ってもらうのだと言っていた。
澄蓮にも、そうすることで師匠への恩返しになるんだ、というシェイラの気持ちがなんとなく理解できた。
魔術が使えなくなったら…シェイラさんは、どうなるの?
強い人に見えるけど、カインさんは、小さい頃のシェイラさんは弱い人だったって言ってたのに…。
机の下で手を握りしめた澄蓮に、貴司は分かっている、と頷いた。
「…できるだけ、そうならないようにはする。俺らも現実の世界で目覚めない、なんて笑えないしな。…芳村さんは見ただろ?」
「え?」
「屋根の上にいた俺ら」
白い髪と赤い目の、紫紺のマントを羽織った少年。
巽と貴司も屋根の上だというのに飛んだり跳ねたりして、武器を振りまわしていた。
あの非現実な戦い…?
「!あ、…もしかしてあれって…!」
話の流れからして、扉と中村雅樹が持つ鍵が関わっていることは分かっていた。
ならあの白昼夢みたいな戦いは、まさか、扉の管理がうまくいかなかったから?
「鍵の持ち主が変わって、本来なら適正がない中村は現状維持で手一杯なんだ。学校も休みがちになってる。…世界の境界線が揺れてんだ」
ま、別の理由もちょっとあるけどな。
と貴司は気まずげに視線を逸らした。
…気になる。
「別の理由?」
「…ま、それは追々な。だから、もし俺らが世界を閉じることがあるとしたら、それはお互いの世界に多大な影響があった、って確認した時だ。中途半端に開けて管理する状態より、いっそ閉め切ってしまった方がいいからな」
「…そう、ですよね。普通の人たちに刃物突きつけられるとかあったら、危ない…ですから」
「……あー、…そうだよなー。まあ、俺も刃物持つとか襲われるとかは慣れたくなかったんだけどなー…」
振り下ろされる銀の刃を思い出して、澄蓮は机の下で震えそうになる手を押さえた。
貴司はもっと怖いことになるかもだけどな、と言いながらも、澄蓮の言葉を否定することはなかった。
元が付くとはいえ幹部だった貴司は、澄蓮が一個人としての考え方をしたよりもずっと、広い視野で考えていた。
たとえば、境界線があいまいになることで、互いの世界の人々が誤って違う世界に入り込んでしまうことだとか。
魔術を用いて胡蝶世界から現実世界への侵略がないとはいいきれないだとか。
だが、貴司はそういった考えをあえて口にはしなかった。
言ったところで、澄蓮の負担になることは目に見えていたからだ。
だから、貴司はさて、と話を切り替えることにした。
話すべきことは話したのだし。
「あ、それから本条さんが城から出て行かない理由だっけ?」
「あ、そうです」
「本条さんなー…あの人、俺らも一体何したいのかが分からねぇんだよ」
「へ?」
澄蓮は驚いて変な声を出してしまった。
え、なんで同じ現代組の仲間なのに、同じ目的があるのに、何をしたいか分からないの?
ど、どういうこと?
目を丸くした澄蓮に同意するように貴司は頷いて、難しい顔で頬杖をついた。
こころなしか、裏切り者の魔王がどうこう、とか、境界線がどうこう、といった話をしていた時よりずっと深刻そうな顔だった。
「なんつーか、表情もあんま変わらないし、いっつも髪の毛モサモサだし、声小さいし。美人ってほど美人でもなさそうだし?二宮と正反対っつーか、モロに教室の片隅にひっそりいる女の子状態?」
え、それ、理由じゃないし。
っていうか先輩の持ってるイメージ…?
とは聞き返せず、澄蓮は物静かな少女を頭の中でイメージしつつ、控え目に挙手した。
「……あの、聞き間違ったかもなんですけど。滝先輩の彼女?」
貴司は力いっぱい頷いた。
「陽斗の最愛の彼女。人類の謎っつーか…あれで人のいないトコでラブラブしてる、とか言ってたぜ?陽斗が、満面の笑みで」
「それは怖いですね!」
力いっぱい納得した澄蓮に、貴司は「だろ?」と笑った。
なんだか、さすがは陽斗の親友というだけあって、貴司は陽斗のフォローをする気配が全くなかった。
むしろ陽斗に対して(されたことを考えれば当然だが)警戒心バリバリの澄蓮に対して親近感を持っているような感じだった。
「…で、どういうことなんですか?森谷先輩たちは分からないんですか?」
「サッパリ。勇者にくっついてた雪猫っつー子どもを連れてどっか行ったかと思ったら、人が何人も入れそうなデカい箱を荷車に載せて城に戻ってきて、そっからずーっと一日中部屋に篭り始めて」
「……あの、サッパリ分からないんですけど」
「だろー?まあ、意味のないことをする人じゃねぇし、俺らは様子見って感じだな。今のトコ」
「…あ、でもなんか納得」
「何が?」
「読み辛い相手だから、滝先輩も楽しいのかな、とか。…あ、滝先輩と本条先輩が彼氏彼女ってことです」
「いや、あれは違うと思うぜ。なんか小動物みたいで守ってあげたいタイプだからじゃね?アイツ、人の上に立つとか好きだし。本条さんってあれでなかなか体つきとかいいし。俺だけを見てくれる女の子!って感じだし。俺ら男子の間では得点高いっつか」
完全に澄蓮を男友達と勘違いしている。
口調もなんだか砕けているし。
そして澄蓮は冷笑をたたえた表情で椅子ごと後ろに引いた。
ドン引いた。
「………へえ。男性はそういう目で女性を見るんですか。へ~え~……」
「…………」
明らかにしまった、という顔をした貴司に、澄蓮は満面の笑みを浮かべて言った。
「次、滝先輩に会ったら言うことができました。ありがとうございます、森谷先輩☆」
「ごめん嘘だから!嘘ですごめん!」
「嘘なんですか?」
「…いや、嘘じゃないけど」
そして貴司は陽斗の親友にしては、とっても正直者だった。
澄蓮のサムズアップが、今日も綺麗に決まった。
「あなたの犠牲は無駄にはしません、森谷先輩☆」
「ごめん、許してください!っつかこのことは巽には秘密に…」
「主!」
してくれ、と言いかけた貴司の側に、やはりどこから出てきたのか分からないが、巽がすとんと降り立った。
すんでのところで叫び声を呑みこんだ澄蓮は、コップを持っていなくてよかった、と思いながらも盛大にむせてむせてむせまくった。
貴司も巽の相棒ということで唐突な巽の出現には慣れているはずだったが、後ろめたさ満載だったからか、冷や汗を流して大げさなほどに身を引いた貴司は、なんていうか、澄蓮の目からもちょっと同情したくなった。
で、当の本人はキョトンとした顔で奇妙な二人を交互に見比べた。
「ごめん巽!」
「?私が何か?」
「や、何もない何もない!」
ぶんぶんと首と手を振る貴司の慌てっぷりに澄蓮は笑いかけたが、いつも以上に厳しい顔をした巽が口を開いたことで、和やかな雰囲気が吹き飛んでしまった。
「主、件の旅人たちが戻ってくるようです。それと……村の中ほどの場所に、テンラがいました」
さっ、と貴司の顔つきが変わった。
「嘘だろ」
「茶の髪に緑の目、顔面左の傷。間違いありません」
臍をかんだような貴司の表情に、澄蓮は何があったのか、と巽の顔を見上げた。
巽は金色の三白眼に、無意識だろうが苦々しげな光を宿して、澄蓮へと丁寧に説明した。
「テンラというのはカーサ様の側に付いた鍛冶師見習いの名です。…元は私の部下でもありましたが」
え、と澄蓮は尋ね返しそうになった。
ついさっき聞いたばかりの…カーサが裏切った際についていった部下たち半数の、一人ということだろうか。
なんとなく想像しかしていなかったのだが、まさか、部下に裏切られた幹部の一人が、自分の目の前にいるという状況は、考えていなかった。
だが、それを言えば貴司だって部下に裏切られたのだろうから、単に澄蓮の考えが足りていなかっただけなのだろう。
仲間に、部下に裏切られた人に、自身が裏切られたことを話させてしまった。
辛かった過去を、傷口を抉るようなことをしてしまった。
そのことに気づいて、澄蓮は顔を青くした。
「芳村さん」
穏やかで優しい声が澄蓮を呼ぶ。
つられるようにしてのろのろと顔を上げた澄蓮に、意外と落ち着いた顔をしている二人が大丈夫だ、と軽く微笑んでみせた。
「例の旅人ってのが戻ってくるみたいだし、俺らは一回村の外に出るわ。泊まるっつった手前悪いんだけどさ、ネオンには用事があるって謝ってたって伝えてくれないかな。これからのことは明日の朝にでも聞きに来る」
「敵方は貴女を見れば陛下が遣わした使者だと見抜くでしょう。我々が訪れるまでこの家に籠ってください」
巽の言葉に、再び緊張感が体を巡った。
狙われているという意識が戻ったからだろう。
「…分かりました」
気をつけて、なんて自分だって言える立場じゃないんだと、澄蓮は改めて歯を食いしばった。
魔王が治める西国の、こんな端っこの村にまで、敵がやって来た。
制御部という、敵が最も欲しがっている鎖がここにある以上、貴司か澄蓮、もしくは巽の姿が見られてしまえば、その時点でアウトだ。
この穏やかな村に、敵が押し寄せる風景が浮かんで、拳を握りしめた。
ああもう、いつになったらこの悪夢が終わるんだろうか。