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魔王の見る夢  作者: 木枯 雪
1章
29/41

23.黒茶、一組目の魔王側近

外に出ない。

お迎えが来るまでお家で待ってる!

…と決意したものの、ネオンたちにはさすがに言えなかった。

ネオンもシェイラたちも不審に思うだろうし、何よりお家引きこもり宣言なんてしたらあからさまに怪しいですオーラを出すことになってしまう。

先ほどカインと別れるまで普通だったはずなのに、と怪訝に思われるだろう。

それだけは避けたい。

ので。

午後からは雇ってもらっている身を利用して、家の中の掃除をすることにした。

というか、それを建て前にすることで、澄蓮は家の中に引っ込むことにした。

小心者の浅知恵と言うなかれ。

魔術だとか剣術だといった暴力に対抗するすべを持たない澄蓮には、逃げたり隠れたり虎の威を借る、それぐらいしかできないのだから。

自分の実力ぐらい、澄蓮も重々承知なのだ。


掃除ぐらいなら魔術が使えない一般人にだってできるだろう。

そう思っていた澄蓮は自分の甘さを痛感した。

細工師の家だからだろうか、鉱物が入った箱や道具の入った家具、そしてそれらの隙間に石の研磨で出たらしい粉が驚くほど多かったのだ。

加えて、運動なんて体育の授業ぐらいしかしていない女子高生の腕力レベルでは、箱一つ持ち上げることができない事実。

中の物を退かそうにも、高価そうな鉱物や物騒な光り物ばかりで、なんだか触るのが怖い。

となると、掃き掃除や拭き掃除がメインになって、それもすぐに終わってしまった。

一日掃除、なんて無理すぎた。

途中、琥珀を採掘(盗ったとも言う)し終わったシェイラが戻ってこなかったら、澄蓮の腕は悲惨なことになっていただろう。

シェイラに手伝ってもらったおかげで、箱を退けたりもできた。

まだ水では冷たいだろう、とシェイラが容易してくれたお湯のおかげで、拭き掃除もはかどった。

夕方近くに戻ってきたカインも、狭い場所の埃を魔術で発生させた風で掃き出してくれた。

風はともかく、火ぐらいは点けられるようになりたい、と再度実感した。

何はともあれ、家でも学校でもこんなに頑張って掃除したことがないと言えるぐらい、張りきった。

掃除に熱中したおかげで、紫紺のマントのアルビノ少年のことは綺麗サッパリ忘れることができた。

いつまでも気にしてしまう気のある澄蓮としては、非常に良いことだった。

というわけで、一日かけたおかげで家の一階はピカピカだ。


というか、いつの間にかシェイラたちがナチュラルにネオンの家で食事することが決定していた事実に、澄蓮は今さら驚いた。

シェイラたちも澄蓮に言われて気付いたらしい。

自然と他人を引き寄せていたネオンの不思議な雰囲気に、若干びびった。



「うわ…すごい!すごく綺麗になってますよ、スミレさん!ラファエルさん、オルシスさんも、ありがとうございます!」



ちょうどいいヒマつぶしになったわ、とシェイラが縛っていた髪を解いた。

緑色の髪が相変わらず綺麗だ。

隣ではカインがぐったりと床に倒れている。

剣の修行をした後だったからか、それともシェイラの激のおかげか、かなり体力が消耗されているようだ。

澄蓮も腕と腰に早くも筋肉痛がきていて、ちょっとプルプルしている。



「うっふっふー。そうだろうそうだろう!途中からなんか楽しくなったしね!…だから夕食作るの忘れちゃってたこと、許してくれないかなぁ?」



「仕方がないですねー…」



うっかり昼食も抜いてしまった澄蓮がお腹を押さえているのを見たからだろう。

同じく昼食を抜いてしまっているネオンも苦笑して、それじゃあ、と腕まくりした。



「一緒に作りましょうか。ラファエルさんたちも手伝ってもらえますか?」



「最初からそのつもりよ。ほらカイン、さっさと手を洗う!」



「ちょっとぐらい休ませてくれよー…」



「あらあらあら、こんなところにちょうどいい踏み台がー…」



「痛い痛い痛いそこ鳩尾痛い痛い痛いぃっ!!!」



ブーツのヒール(と言っても細くも高くもない。山道の滑り止め用みたいだ)でシェイラがカインを踏みつけた。

満面の笑みだった。

違う世界で、生まれて初めてドSの女王を目にした澄蓮は、あえて見なかったことにした。

むしろ触るな危険。


カインの縋るような視線からそっと顔をそむけ、筋肉痛で震える腕をまくる。

火は使えないので、ネオンの指示を仰ぎながら野菜を切るのだ。

というか、料理といってもせいぜい学校の家庭科レベルなので、手つきも非常に怪しい。

ネオンがはらはらしながら見てくるので、むしろ澄蓮の方がネオンの手元にはらはらする。

火を扱ってるんだからちゃんと気をつけなさい!という感じだ。

ネオンからすれば、刃物を扱っているんだからちゃんと見てください!なのだろうけど。

そんな感じでカインとシェイラに食器を出してもらったりしながら、お互い内心はらはらしつつ野菜炒めを作っていた時だ。

トントントン、と玄関の扉が叩かれて、即座に扉が開いた。

家主からの反応を待たないこの行動は、初日のネオンを含めて人生2度目だった澄蓮は、軽く数センチ飛び上がって驚いた。

指先をちょっと切ってしまったのは内緒だ。



「こんばんは。ネオンちゃん、いるかしら?」



「あれ、ラルダさん?どうしたんですか?こんな夜に…」



ほうじ茶色の髪とクランベリー色の赤い目の、恰幅の良い女性。

ラルダが顔を覗かせていた。

鍋の下の火に手を翳して消し止めたネオンは、エプロンで手を拭いながら慌ただしく玄関に向かって行った。



(こんな夜って…まだ明るいんだけど)



ガラス窓から外の色を見て澄蓮は疑問に思ったが、どうやら太陽が沈むと強制的に夜になるらしい。

時計がないので時間の感覚が今一つだが、現実世界ではまだ子どもが外を遊んでいるような時間なのではないだろうか。

シェイラに尋ねようと振り返った澄蓮は、開いた口で別のことを尋ねた。



「カインさん、何してるんですか?」



「しーっ!俺はここにいないの!」



机の下で小さくなって隠れているつもりらしいが、丸見えだ。

腰に佩いた長い剣が机からはみ出しているし、第一玄関からこの机の下は丸見え。

シェイラとカインはギャグ担当のキャラなのだろうか。

それとも素?

反応に困った澄蓮の視線を受けて、見て見ぬフリをしようとしていたらしいシェイラが大きなため息を吐いた。



「カイン…あんた、何やらかしたの」



「今日はしてねえよ!」



カインが何かをしたことに疑いを持たない言い方だった。

そしてカインはそれに素早く反論したはいいが、結果、墓穴を掘った言い方だった。

シェイラの冷たい目と澄蓮の微妙な目にたじろいだカインは、ネオンと朗らかに会話しているラルダを窺いながらこっそり言った。



「昨日、剣風で木ぃ切っちまっただろ!」



「「ああ……」」



あれだけインパクトが強い出来事だったのに忘れていた。

澄蓮は他にインパクトが強い出来事が多かったというのもあるが、現実世界での一日を体感したからだとも言える。

シェイラが忘れていたのは…こういうことが日常茶飯事だからだろう。

口調や態度からしてそういう感じだ。



「それじゃあ、おやすみなさい」



「はい、おやすみ。スミレちゃんに服はもうちょっと待ってねって言っておいてちょうだいな。それから、そこに隠れてる旅人さんたちに、あんまり村と森を荒らさないように言っといて」



それじゃあね、と軽やかに身をひるがえして去って行ったラルダを、丸く見開かれた紫の瞳と赤い瞳が見送った。



「…だそうですよ」



手に抱えた大きな鍋を持って、ネオンが苦笑した。

シェイラとカインは同時に硬直が解けたように大きくため息を吐いて、ぐったりと机にもたれかかった。



「シェイラ…バレてたぞ」



「うっさいわよ、年中問題児…!」



そんな二人を見ながら、ネオンは鍋を机に置いた。

鍋の中身が気になっていた澄蓮はネオンが開けた中身を見て驚いた。



「これって…ミネストローネ?」



湯気と一緒に漂った、赤色で酸味のある香り。

豆とか玉ねぎとかセロリとかベーコンとか、とにかくいろんな具が入ったスープ。

面倒くさがりだけどスープ系を作るのは好きな母親がトマトがあれば作る、澄蓮の家の定番料理。

ただし澄蓮の母親ならこのスープにマカロニやコンキリエ(貝殻形のパスタ)も投入するが。



「みねすとろーね?へえ…これってそういう名前なんですか」



「うん。あたしの家の定番料理なんだ。あたしも作るんだけど…こっちにもあったんだ…」



初めて知ったようにまじまじとスープを見つめるネオンを見て気付いた。

こちらの世界と澄蓮の世界は、同じ野菜や鉱物が多いが、名前が異なるものが多い。

すっかり慣れていたせいで気にしなくなっていたが、髪の色や目の色もアニメかよ、と言いたくなるような色ばかりだし。

特にシェイラの緑色の髪。

世界が違うんだなぁ、と思う反面、現実世界と似た物が多いことも驚きだった。

魔王組の誰かが布教したのかもしれないが。



「ラファエルさんたちがいるだろうから、ってくださったんです。スミレさんが切ってくださった野菜でサラダを作って…パンもありますし、今晩はこれでいきましょうか」



うっかり切ってしまった指を隠しつつ何も考えずに切っていた野菜の山を見て、澄蓮は微妙な顔をした。

いつの間に…っていうか野菜炒めにサラダって、どんだけ野菜好きな子なのよあたし。

まだ温いスープを机の真ん中に置いて4人で食事を進めていく中で、そういえば、とネオンが口を開いた。



「ラファエルさん。杖ですが、明日の夕刻には完成しますよ」



「あら、本当?嬉しいわ。腕が軽くて鈍ってしまいそうだったのよ」



シェイラの言い方に澄蓮は疑問を感じた。

腕が鈍るって言うけどそれって剣とか使う人の言い方で、シェイラさんって魔術師でしょ?

とろけそうな笑顔でお酒を飲んでいたカインに視線を向けた。

…気付いてくれない。

澄蓮の斜め前にいるカインに声をかけるのは難しかったので、しょうがなく澄蓮は目の前に座るご本人に尋ねることにした。



「シェイラさんって魔術師なんですよね?魔術師でも腕が鈍るんですか?」



「え?そうね…あたくしの場合は重い杖を使っているから、そういう意味で腕が鈍るってことよ。魔術自体は歩くことと同じだから、一度覚えれば忘れることはないのだけれど」



「あぁ、なるほど」



自転車乗るのと同じってことか。

何年乗ってなくても一度乗れれば乗り方を忘れない、みたいな。

重い杖、というのも言われて思い出した。

そういえばシェイラの杖はごつかった。

金属と宝石の塊を両端につけた杖というか…明らかに実用に向いてないようなブツ。

確かにあれは常日頃から持っていないと腕が鈍るだろう。



「セラの杖、俺の剣より重いしなー」



「へ、へぇ…」



「戻ってきたらスミレちゃんにも本物の魔術って物を見せてあげる」



「うっわぁー…楽しみにしてマスー」



どうりで今日の掃除で箱を持ち上げる姿がたくましく見えたわけだ。

背の高いシェイラがあの杖を振りまわしている姿を想像してみた。

…非常にたくましい感じだった。

むしろあの杖で殴りつけた方がいいんじゃいだろうか。

ま、まさか、杖の修理って人を殴りつけて緩んだから…?

あながち違うとは言えない辺り、澄蓮もシェイラとカインの性格を把握しつつあった。



「明日かぁ…」



胡蝶世界の明日。

貴司と巽が来て、シェイラの杖が戻ってくる。

これであの紫紺のマントのアルビノ少年が襲ってきても大丈夫!とか思った澄蓮は、完全に他人の背中に隠れる気だった。

澄蓮でない人なら、雇い主の家の掃除や現状把握を放り出して、この数日で意地になって魔術習得をしたかもしれない。

不思議な力を揮える日なんて、現実世界では無理なのだし。

だがあいにく澄蓮はヒーロー体質というより、どこまでも普通に一般人だった。

こればっかりはどうしようもなかった。



(明日…)



夕刻に完成、とネオンが言っていた言葉の通りだとしたら、シェイラとカインがこの村を出発するのは明後日に持ち越しだろう。

となると、広い村とはいえ澄蓮に会いに来る貴司と巽に接触する確率は、低くない。



(あ…そういえば森谷先輩にシェイラさんたちのこと言わないと…。【王部オーブ】狙ってて、あたしが現実世界の住人だって言っちゃったって…)



無限に流れ落ち続ける湯を浴びながら、澄蓮は明日からのことを考えた。

けれど掃除であまりに疲れていたので、早々に考えを切り上げた。

早く寝よう。

寝て、現実世界で起きたら学校に行って……ん、学校?



「……しまった、英語の構文テスト!」



ほんの少し覚えていたはずの内容もすっかり頭から消し飛んでしまっている。

掃除のおかげであの怖い少年のことを忘れられた、と喜んでいた自分にアッパーしたい。

お前は馬鹿か、と。





「ああもうあたしはどうせバカですよーぉおお!!!」



結果はご想像の通り。

テスト用紙がそのまま燃えてなくなればいいのに。

胡蝶の魔術がそのままこっちにあれば、お母さんのアクセサリーから琥珀アンバーを持ってきて紛れ込ませて燃やせば…。



「はいはい。スゥちゃんは相変わらずのカワイコちゃんでちゅねー」



「…バカな子ほどってか」



「うん」



「一発殴っていい?」



あら怖い、と笑う友人に笑い返す気力もなく、澄蓮は大きくため息を吐いて返した。

色々あって最近寝た気がしていないのだ。

睡眠した充足感がないと生活にも余裕がない気がする。

…今日のイライラは明らかにテストのせいだけれど。



「でもなんかさあ…最近寝不足っぽかったじゃん?土日でしっかり寝て復活したのかと思ったらしてないし。大丈夫なわけー?」



「大丈夫じゃないわけー。ていうか寝てるのよ。たっぷり寝てるはずなんだけど…」



寝た気がしない。

胡蝶でも照明があまり明るくないので夜はきちんと早めに就寝しているのに。


ふわあ、とあくびをかみ殺しつつ、澄蓮は同じ状況にあるはずの貴司を思い出した。

彼は柔道部の朝練があるから、澄蓮よりも早く起床しているのだろうが、昼間は全く眠そうではなかった。

慣れれば平気になるのだろうか。

けれど、そんな慣れは澄蓮は欲しくない。

平穏無事で普通の安眠だけが望みだ。

『胡蝶でしばらくおったら時間の調整は自然と身に付くんや』

胡蝶世界と現実世界の中間点、あの暗い空間で陽斗はそう言っていたが…数日過ごした澄蓮には未だその体感はない。

大きなあくびをした澄蓮に、さすがに茶化す気になれなかったらしい友人が言った。



「とりあえず、今日はさっさと帰って寝ること。おっけーぃ?」



「おーいえー…」



それじゃあ数学やるぞー、という教師の声を聞きながら、今日も授業中起きてられるかな、と遠い目をした。

とりあえず、乗り切ることはできた。

…授業中に教師に当てられる率が高かったおかげで。

何か恨みでもあるのか、と教師をこっそり睨んで思い出した。

金曜にこれでもか、とさんざん睨んだんでした。

おとなしくしていよう、と心に決めて、澄蓮は睡魔と闘った。

そしてやっぱり今日も勉強にならなかった。





家に帰って早々に眠り、胡蝶世界で貴司が来る日になった。

あいかわらず眠いままの澄蓮はあくびをかみ殺しつつ、今日は二階の掃除をしようと桶を担いで階段を上がった。

澄蓮は一階で寝泊まりさせてもらっているので、ネオンが一日の大半を過ごす二階に行くのは初めてだ。

仕事場に当たる場所だし、集中力が途切れると言われたらさっさとトンズラする予定で。

そーっと顔を出した澄蓮は目を丸くした。

二階はワンルームで、一目でに全体が見渡せた。

床は一階と同じフローリングで、壁も木張り。

家具は机と椅子、寝台、タンスだけ。

ただ、床と家具の上一面に、原石のままの鉱物が転がっていた。

研磨されていない鉱物は光をあまり反射せず、黒や鉛色も多いためか、部屋全体が鈍い色で包まれていた。

そのためか、たった一つある窓から差し込む陽の光が、よけいに綺麗だった。

ネオンはその窓のそばで何かを透かして見ていた。

一瞬だが、陽のあたる部分がタンポポの黄色、影の部分が暗さのないただの蛍光オレンジ、と極端な二色に見えた。



(――太陽の光の下では、どんな染色技術があっても髪や目の元の色が分かる……)



なんとなくその話を思い出して、澄蓮は声をかけようと吸い込んだ息をのみこんだ。

むせた。



「げっほげふごほごふっ」



「うっわあ!ぅえ、えっ……あ!スミレさんっ!?」



両手で包み持っていた石を落としそうになりながらネオンが驚いていた。

大丈夫ですか、と駆け寄ってきたネオンの揺れる長いポニーテールを見て、やっぱり黄色だ、と澄蓮は思った。



(そういえばネオンの目の色って…若草色だ)



この村の人たちはたいてい黄色茶色の髪や目が多い。

ネオンが宝授けだから、ネオンの両親がシェイラたちのように違う地方の出身だからそうなのだろうかと思っていた。

けれど、ネオンの髪や目の色は、胡蝶の世界で澄蓮が会った数少ない人々の、どれとも違う気がした。

…澄蓮の勘違いや見間違いだったかも、しれないけれど。


まじまじと澄蓮が見つめてくる視線に気づいたのだろう。

ゴーグルの下の瞳が、困ったように笑みの形を作った。

泣きたくなるような囁き声が、そっと告げた。



「ないしょ、です。…お互いに」



「………」



澄蓮の事情を聞かない代わりに、自分のことも聞かないでほしい。

そういうこと、なのだろうか。

隠しごとをしている自分を雇ってくれたネオンに、澄蓮は強く言えなかった。

知られたくないことは、誰にでもあるから。

それに、知らなくてもいいことだってある。

澄蓮は抱えていた桶を持ち上げて、にまりと笑って見せた。



「ここの掃除!やってもいい?」



「…じゃあ、明日お願いしようかな。今日はラファエルさんの杖を仕上げるから」



卵のような手の中の紅い石を見せて、ネオンは笑った。

机の横に立てられた杖は、確かにあとは部品をつけるだけ、という状態だ。

澄蓮は素直に頷いて、昨日の掃除で震える腕で桶を抱えなおした。

水が、重い。



「わかった。あたし下にいるから、何かあったら呼んでね」



「うん。…あの、スミレさん…」



「ん?」



「…ごめんなさい」



「え?ああ、いいよ別に、気にしないで。仕事がんばってね」



へらりと笑って反転。

唇をかみしめて階段を下りる。

ちょっと仲良くなったことで、距離を見誤って、踏み込みすぎた。

階段を下りる速度を間違えて、桶の中の水がべちゃりと腕に跳ねた。

冷たくて、悲しくなった。



「…なんか、なぁ……」



本当は家の外に出ていろいろ見てまわりたい。

腕とか筋肉痛でぴりぴりしてるし。

あたし本当は無関係なのに、いつの間にか命狙われてるし。

眠い。

眠いし。

眠たいし。

ちゃんといっぱい、寝たいのに。

夢の中にも、逃げられない。



「なんだかなあ…」



白いお米を食べたい。

もっと可愛い服とか着たい。

目が疲れるような髪の色と眼の色に囲まれるのとか、地味に疲れるし。

先輩たちとか、ぜんぜん、あたしが助けなくちゃダメ!みたいな状況じゃないし。

あたし、なんでここにいるんだっけ?


完全にすることがなくなった澄蓮は桶を床に置いて、階段の段差に座ってぼんやりと宙を見上げた。

自分でもマズイ、と思っているのだが、どうも思考がマイナス方向に突っ走っていく。


『慣れない場所でのストレスっつーもんは、しばらく何かを考えることを放棄して、食って寝るのだけ欠かさけりゃいいんだからな。そのうち笑うことができりゃ解決だ』


不意にカインの声が脳裏に浮かんで、はっとした。



(そっか、あたし疲れてたのか)



(筋肉痛以外)体に疲れが出ていなかったから、すっかり忘れていた。

最近振りまわされてばかりだし、正しい意味で脳の休息がとれていなかったから、疲れていたんだ。

一歩踏み出すって、決めた。

けれど、急がなくてもいいじゃんか。

よいしょ、と立ち上がって、澄蓮は桶を持ち上げた。

この桶を片づけたらアイスティーとゴマのクッキーで息抜きをしよう。

ネオンにも持って行ったら息抜きになるかもしれないし、さっきの気まずい雰囲気を払拭できるかも。

その時だ。

トントントン、と扉を叩く音。

またラルダさんか、と扉が開くのを身構えて待った。

が、開かない。

荷物で手がふさがっているのだろうか、と思ったのだが、ラルダの声もしないというのはどうも、おかしい。



(…まさか)



紫紺のマント、白い髪と赤い目の、少年。

荊棘の砂漠で、あれだけ足場も視界も悪い場所で、すばやく澄蓮に斬りかかってきた人。

桶を床に置いて扉を開けようとした手を戻して、胸に抱く。

一歩後ずさって、扉を睨みつける。

この村のガラス窓は厚みがいびつで、外がはっきりと見えない。

だが色彩は分かる。

窓から来客を知ろうとした澄蓮は、突然開いた扉に飛び上がった。


まさか、勝手に入ってくる気なんじゃ…!

そう思った澄蓮は慌てて扉を抑え込んだ。

派手な音を立てて扉が閉まるが、開けようとしてきた人物も閉められまいと力をかけてきた。

中途半端に開いた扉から、焦る声が聞こえた。



「っちょ、芳村さん俺!森谷貴司!!敵じゃないって!!!」



「…もりや……先輩っ!!?」



ぎょっとして澄蓮は扉から飛び離れた。

ばたーん、と大きな音を立てて開かれた扉から、額を赤くした貴司がひきつった笑顔を見せた。



「手荒い歓迎、アリガトー?」



「すみませんでした…っ!…っていうか、先輩、夜に着くとか言ってませんでした!?」



今は昼前だ。

どうがんばっても夜とは言えない。

他称アサシンの巽でもないのに、という澄蓮の疑問を汲み取った貴司がニカッ、と笑った。



「俺は魔王側近だぜ?」



え、そういう問題?

それ以上貴司は何も言わなかった。

…ということは、どうやらそういう問題らしい。

確かに知らなくていい事実はあるだろうが…これは知らなくてはならない事実ではないのだろうか。



「とりあえず、お邪魔してもいいかな?一応見つかったらマズイ身だし」



「あ、はい、どうぞ…」



村人でも客でもないがいいだろうか、と考えて思い出した。

ネオンなら大丈夫だと言いそうだし。

ダメだったらこっそり外に出よう。


貴司を家に招き入れて、貴司の背後を窺った。

てっきり巽も一緒にいると思っていたのだが、あの茶色いマントの小柄な彼女はいなかった。

きょろきょろと外を見る澄蓮の頭を掴んで、家の中にインさせた貴司は、扉を丁寧に閉じて、巽、と言った。



「はっ、ここに」



すとん、と目の前に舞い降りるように現れた姿に、澄蓮はぎょっとした。

いつの間に、どこから、どうやって!!?

上を見上げるが、そこにはまっさらな天井が広がるだけで、身を隠す場所などどこにもない。

だが、明らかに巽は頭上から現れた。



「え…ええーっ!!?ちょ、森谷先輩、これはないでしょうこれは!」



「巽は俺の相棒だからな」



タネも仕掛けもありません。

言いきった清々しさに、追求するのがバカバカしくなった。

だよね。

魔術もあるような世界だもんね。

こういうこともあるんだよ…ね?


村人並みのフリーダムを発揮した貴司は堂々と家に上がり、椅子を引いてがっつり座った。

巽は座った貴司の後ろに控えるように立っている。

たぶん、貴司が言う相棒という関係より、巽が言った主従の関係が正しいのだろう。

使うも片づけるもできず、何度目かの床着地をした桶が、ちょっと空しさを醸し出していた。

うん、後で片づけるよ。

今はもう、澄蓮の腕はもう限界だ。



「さてさて。そんじゃー始めようか」



「え、何をですか?」



「悪役に必須の作戦会議」



ああ、悪役やってるって自覚あったんだ…。

さあさあお座り、とせかされて、御前に引きずり出された気持ちで椅子に座る。



「さて。話をする前にー……そこにいるのは若苗の細工師だろ?」



「え、ネオン!?」



本日何度目かの驚きついでに振り返ると、階段からそっと顔を覗かせていたネオンが驚いたように顔を引っ込めた。

一瞬遅れて黄色い髪が消えたが、再びそろりと様子を窺うようにネオンが顔を見せた。



「……―――?」



「え?」



「あ、いえ…」



ネオンが何か言った言葉を聞き返そうとしたが、はっとしたように首を振ってなんでもないと言われた。

変だな、と思ったものの、ネオンが何もないと言うならそうなのだろう。

…気になるけれど。



「こんにちは。外の世界の方ですか?」



「うん、あたしの先輩なの。ごめんね、勝手に招いちゃった」



貴司と巽の雰囲気から客ではないと分かったのか、ネオンが不思議そうに尋ねてきた。

澄蓮の時のような笑顔がない理由を勝手に家に引き入れたからだろう、と思った澄蓮が謝ると、ネオンは慌てて違うんです、と否定した。



「最近村の外からいらっしゃる方が多くて、少し驚いただけです。あ、この村の細工師のネオンです。初めまして」



そういえば、澄蓮がネオンと出会った日にシェイラたちが来ていた。

さらに数日で今度は貴司たちだ。

初日のラルダたちの反応を見る限り、村の外からの旅人は珍しいようだし。



「初めまして、貴司です。こっちは相棒の巽。後輩がお世話になりました」



「いえ、こちらこそスミレさんにはお世話に………?…スミレさん…出て行かれるんですか…?」



「え?」



ネオンの不安そうな目は、澄蓮がこの家から出ていくことへの戸惑いを色濃く表していた。

ええと、と口ごもった澄蓮は助けを求めて貴司に視線を送る。

澄蓮は貴司たちに同伴していくつもりだったが、旅立つのが今日なのか分からない。

そういう意味を理解した貴司はネオンに片手を振って言った。



「それについて、今からちょっと話そうと思ってるんだ。ネオン、悪いがしばらくここを使わせてもらえねぇかな?」



「あ、はい。どうぞごゆっくり。じゃあスミレさん、僕は仕事に戻るから、後はお願いしてもいいかな?」



「わかった、大丈夫だよ。…ごめんね、ネオン」



「気にしないでください。それじゃあ」



ぺこり、と頭を下げて階段を上っていく姿を見送る。


…シェイラさんたちと食事を食べられることを、ネオンはとても喜んでいた。

村人たちみんなが家族だと言っても、ネオンは寂しかったんじゃないだろうか。

だからあたしを泊まり込みで雇うことにしたんじゃないかな。


つらつらとそんなことを考えていた澄蓮に貴司が呼びかけた。

今は頭を切り替えなくては、とネオンのことは気になるが、澄蓮も目の前のことに意識を向ける。

ネオンは家主なだけだ。

澄蓮にはやるべきことがあるのだから。



「じゃー…何から話せばいいかな……。芳村さんは、陽斗からどこまで聞いてる?」



「えーっと、バラバラだった場所を国として纏めた、盗賊とかを手下にした、国が平和になった、けど仲間が裏切った、体をバラバラにされた…で、仲間が心配だから助けてほしい。…とだけ」



「まぁ…あらかた話してんのか。ならもうちょい詰めようか。この国の成り立ちについて、とか」



「…滝先輩が地域を一国にまとめたんじゃないんですか?」



「てかその前…根本的なところってヤツ?」



「根本的?」



…まさか、滝先輩、まだ何か隠してたんじゃ…!

という澄蓮からの疑いの視線を受けて、貴司は言葉に困ったように腕を組んで宙を見上げた。



「あー…なんて言やいいんだ?…えっと、芳村さんはこの世界の地形とかは?」



「あ、一応聞きました。確か、西側…東側?のこの国が『神様のいない国』でしたっけ?それで、砂漠を挟んで反対側に『神様のいる国』…?」



「そうそう、それ。こっちは西側な。今は『魔王の国』もしくは西国、向こう側を『神様の国』か東国って呼ぶけどな」



「魔王の国って…まんまですね。それが何か?」



「あー……説明苦手なんだけどなー…」



いや、いいですよ適当で。

むしろ適当の方が分かりやすくていいと思います。


澄蓮が口を挟む前に、貴司の後ろから巽が半歩前に進み出た。



「主、私から説明しましょうか?」



「悪い、頼む」



お手上げ、と投げられたボールをキャッチして、投手交代。

いつの間にかマントを脱いでいた巽は、濃い灰色の軽装で細身の猫みたいだ。



「かしこまりました。

 遥か昔より、我らが西国は土地の栄養を東国に搾取され続けてきました」



「へ?」



いきなり何!?

栄養を搾取って何!?



「荒んだ大地からの実りが少ないことや、様々な地形により人々が村などの少数単位で生活をしてきたことから、人々の差別や作物を巡る争いは後が絶えませんでした」



「ちょ、」



(ええと、…どういうこと!?)



「そんな中、寄る辺なき人々は彷徨う中集いあい、当時から存在していた力ある者や結束力のあった町などと同様に『大都』として一都へと変貌を遂げました」



「ま、」



話ってあれか、歴史の話なのか!?

あまり話の流れに乗れず、戸惑い続ける澄蓮を放置で巽はまるで本を読みあげるようにさらさらと語り続ける。

まずい、メモしてないのに!

…と思うのは悲しいかな、学生の性分である。



「しかし人による人への危険性が減ったところで大地の恵みが損なわれた場所での生活が上手くいくはずもなく、また人口が多い都では医療の発達による寿命の延びと子供の誕生により、ますます生活は苦しくなるばかり…」



「あの待っ、」



勇気を出した澄蓮の声は速攻で却下された。

取り付く島もなかった。

ていうかスルーだった。



「そんな中、東国より視察団なる人々がやってきました。彼らは砂漠を越えた先に何があるのか探るために東国の国主なる『神様』から命を受け我らが西国へとやってきました。それが20年近く前の話です」



「えーと…」



先生、先輩が寝てます。



「餓え、日々の生活に苦しんでいた人々は、あの砂漠を越えてやってきた存在に恐怖しました。以降大都ではそれぞれの都が得意とした技術を特化させ、時には小さな村に住む有能な人物を引きずり出し、徹底して東国と戦う決意をしました。しかしその後は砂漠を越えてやって来る者もなく、またこちらからも砂漠を越える手段がなかったため、人々の緊張は緩みつつありました。しかし恐怖は薄れることはありませんでした」



「ちょっと待った!」



昔話かよ、ていうか昔の話じゃないですか、と耐えきれなくなった澄蓮は、とうとう大きな声で巽の話を遮ることにした。

もうちょっと簡潔に、必要な部分だけピックアップして言ってほしい。

先生、テストに出すところだけ授業してください!

しかし現実にテストに出すところだけ教えてくれる教師はいない。

むしろ全部理解して覚えろという感じ。



「何でしょう?」



「それ、昔の話なんですよね?それと滝先輩に何の関係が?」



金色の目にたじろぎつつ意見した澄蓮を、貴司は理解できると言いたげに苦笑した。



「まあまあ、次だからもうちょい我慢な。巽」



「はい。…数年前、異界より現れた人物がいました。彼はそもそもの根本にあった東国による搾取を見抜き、疲弊した我らが西国を一国とし、各地の大都を纏めました。もちろん、大都の頭領たちは突然現れた人物を自分たちよりも上の存在として認めることを不服としましたが、このままの状態では東国を相手取ることは難しいと分かっていたことや、すでに裏社会の実力者とも知り合っていた彼の力を恐れ、仮初めとしてですが一国を束ねることを認めました」



要するに、この国はもう一つの国に栄養(土の?)を盗られていたけれど、それを知りませんでした。

数年前に胡蝶に来た人がそれを見抜いて(異界人間パワーで?)、一つの国にしました。

そういう話。


そこまで頭の中で整理して、気付いた。

が、あまり気付きたくなかった。

だってそんなよく分からないぐらい大きなスケールの話とか…まさか自分の知っている人が数年でできちゃうなんて、そんなまさか……。

まさかね、ぐらいの軽さで尋ねることにした。



「……まさかそれって滝先輩………なわけ、」



「あるんだな、これが」



はい砕かれましたー。

淡い希望、今砕かれましたー。


この世界の人たちもちゃんと生きていて、生活をしている。

地図に描かれた小さな小さな村でこのスケールなのに、それが国規模とか、ありえない。

ありえない。

…いや、分かってはいたけれど。

陽斗に魔王宣言と国まとめちゃいました宣言をされた時点でちゃんと分かっていたけれど。

だってあの時はこんなに現実味がある世界だと思っていなかった。

どうせ魔法とかでパーッとダーッとやっちゃったんでしょー、ぐらいにしか考えてなかった。

それがまさか…ねえ?


頭を抱えて唸り出した澄蓮にもはや苦笑するしかないらしい貴司は、さて、とマントを脱いだ。



「今晩泊まるトコとかないし。探すか、巽」



「そうですね。どこか宿泊施設があればいいのですが…」



「えっと…この家に泊まりますか?」



再び階段からそーっと顔を出したネオンが、声をかけてきた。

その提案に嬉々として挙手した貴司と巽のコンビネーションに、もはや何も言う言葉がなかった澄蓮は撃沈した。

ツッコミも現状も、対処しきれない。



(あ、桶片づけないと…それにお腹すいたからごはん作らないと……)



こんな時でもお腹が減る自分に笑ってしまう。

シェイラとカインはせっかくだから村を回ってみる、と言って昼食はパスしていた。

それでも貴司と巽が増えたからやっぱり4人分作らなくては。



「そうだ。先輩、火のつけ方とか正しい睡眠時間の方法とか教えてくれません?」



陽斗の言うことや荊棘の砂漠から逃れようと眠らずの戦いをしていた自分がバカみたいだ。

今の自分だから言えるんだな、と数日で成長した自分を振り返って澄蓮はしみじみと感じた。

なにはともあれ、とりあえずは腹ごしらえだ。

難しい話はその後考えよう。



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