20.素色、点在する大都
野菜がたっぷりのスープと、一口サイズに切った鶏肉の炒め物。
フランスパンみたいに外側が硬いパン、それから透明なお酒。
陶器の器に盛られたそれらを囲んで食事をした4人の雰囲気は、満腹感も手伝ってかだいぶ砕けたものになっていた。
一人暮らしのネオンも、久々に賑やかな食事で嬉しいと言って始終にこにこと楽しそうに食事をしていたので、雇ってもらった身で客を二人も連れてきたことに後ろめたさがあった澄蓮もほっと息を吐くことができた。
人が良すぎて心配になるな、とネオンを心配しているシェイラの意見には大賛成だが。
口紅が落ちないようにハンカチで口元を軽く叩いたシェイラが、そういえば、と澄蓮に向かった。
「スミレちゃん、さっきの続きだけど」
「さっきの続き?」
「いっつもあんたが途中で飽きて寝てた石の歴史についてよ、カイン」
グラスを傾けながら赤い目を向けてきたカインを、紫の瞳でシェイラがギラリと睨みつけた。
カインの口元がひくりとひきつったのを、澄蓮は見た。
「続ケテ下サイ」
明後日の方を向いてぎこちなく言ったカインを無視して、シェイラはハンカチをポケットに戻した。
机の上の皿を少し寄せて、優雅に足を組んで話し始めた。
「さっきは発明について話したでしょう?一般家庭への普及はね、主に細工師が行ったの」
こちらでの昨日今日で聞いた単語に驚いた澄蓮は目を瞬かせながら、水を口に含んでいた家主に視線をスライドさせた。
ゴーグルを外した丸い薄黄緑の瞳が、澄蓮の視線に気づいてやわらかく笑んだ。
「細工師って…ネオンもだったよね?」
「うん。細工師は物質の『あり方』を変化させる職業だからね。昔も今も、魔術師が細工師に発明した物の作り方について教える代わりに、細工師が得られた利益の半分を魔術師に渡す契約をするんだ。そうやっていろいろな技術が発展しているんだよ」
「まあ、細工師の弟子が技術を盗んで出て行って、小さな村とかでも普及させていったから、魔術師が取れた利益なんて最初だけだったんでしょうけれどね」
「へ、へぇ…」
契約書とか書かないのか、と尋ねかけた澄蓮は、そういえば、と思い出す。
この世界は現実世界とは違うのだ。
契約を違反しても、たとえ人を殺したとしても、そういったことを調べる組織もないし罪に問う存在もないのだろう。
大都、というところには騎士とかがいるらしいから、そういうところに行けばある程度の秩序はあるのかもしれないが。
少なくとも、ここのように山間の小さな村となると、警察どころか自警団もいないのだから怖い。
まあ、ある意味平和なのかもしれないが。
「あ、そういえば気になってたんですけど、大都ってどこにあるんですか?」
お気に入りのゴマのクッキーをかじりながら尋ねた澄蓮の言葉に、シェイラが不思議そうに首を傾げた。
「?いきなりね。どうしたの?」
「いえ、ラルダさんとリエットさんが…ご近所の方々なんだけど、近々騎士さまが派遣されてくる?みたいな話をしてたから…」
その瞬間、シェイラとカインが固まった。
「「え」」
カインの手から空になりそうだったグラスが滑った。
それを条件反射のような素早さで取り上げたネオンに拍手をしつつ、澄蓮は二人の奇妙な硬直を不思議そうに見つめた。
「えっと…シェイラさん、カインさん?」
「どうかしたんですか?」
ネオンと澄蓮がそれぞれカインとシェイラの顔を覗き込むと、二人は目頭を押さえたり乾いた笑い声を出したりしながら視線をそらした。
…なんで騎士の話を出した途端に目をそらしたんだろう。
まさか何かやらかしたんじゃ…?
先程カインが剣で木をなぎ倒していたのを思い出し、怪しむような目で見てしまった。
それに気づいたシェイラが不自然に浮かんだ汗をそっと拭いながら、澄蓮の肩を力強く叩いた。
女性の力かと疑いたくなるような力にむせた澄蓮を、唯一、ネオンだけが心配してくれた。
「い、いえ、なんでもないわっ!やあねぇスミレちゃんったらもう!気にしない気にしない!」
「そうそう気にしない気にしない!で、えっと、それで大都がどうしたって?スミレちゃん」
いつか機会があったら聞き出そう。
そう思いながら澄蓮は体勢を戻した。
「……あー、えーと、それでですね。大都…というか、この国の地理ってどんなのかなーって思って…」
「ああ、スミレちゃんは知らないのよね。ええと、紙とペンは…」
「あ、それなら……あったあった。これに書きこみましょうか」
昨日、澄蓮に説明する際に使用したインクと銀色の細いペンが机の上に出された。
そしてあの和紙のようにざらついた紙も。
「あ。それってネオンが昨日描いてくれた地図?」
「うん、捨てるのを忘れてたんだ」
紙の中央に黒い丸、右下の方に白い丸。
確か黒い丸が魔王の城…陽斗と陽斗の仲間が拠点にしていた場所だ。
白い丸がこの村だったはず。
あえて見なかったふりをしたくなるいくつもの山や泉を示す線がびっしりと描き込まれたままだったので、思わず遠い目をしてしまう。
「ラファエルさん、よかったらこれを使ってください」
「そうね。使わせてもらうわ。…ふぅん、よく描けてるわね」
「ありがとうございます」
「あら、大都は描いていないのね」
「はい。僕が聞いた場所にまだあるか分からなかったので…」
申し訳なさそうに頷いたネオンだったが、いまいち理由が分からなくて澄蓮は尋ねた。
「どういうこと?大都ってなくなったりするんですか?」
「あー…そういう意味じゃなくてな?大都にはいろいろあるってことだ。大都【白】は遊牧っつー縛りがあるから地図の場所にあってないみたいなもんだし、俺らが目指してる大都【黄】ってのも結界で隠されてるから一般人にとっちゃないような場所だからな」
さすがマジカルワールド、わけが分からない。
「はい!?そ、それって全然都じゃないじゃあないですか!」
都というのは一定の場所にあって、多くの人が生活をしている、国の交流の起点のような場所。
澄蓮の中にあったそういう概念が粉々に砕かれたようなショックだった。
しかし叫んだ澄蓮の意見に賛成しつつも、現実にそうなのだから仕方がないだろう、とカインは逆ギレしてきた。
「知らねえって!そもそも地図自体が旅人やら大都の商人やらがテキトーに作るもんなんだぜ!?」
「て、て、てきとー!!?」
「はいはいうるさいわよ静かになりたいの?」
あ、シェイラさん、超怒ってる。
シェイラの周りに、目に見えない怒りの電流のようなものが散っている幻覚が見えて、澄蓮とカインはすぐさま頭を下げた。
「ゴメンナサイ」
「す、すみません…」
「で、今は大都はこの辺らしいわ。大都【白】もここ何年かは土地の巡り方が安定しているし」
二人を無視したシェイラは、黒い丸、つまり魔王の城の近くに、ペンでぐるりと大きめの円を描いた。
「ああ、魔王陛下のおかげですね…」
「え?滝せ……ま、魔王さんのおかげ?ってのはなんで?」
尊敬するような羨望の声で納得を示したネオン。
思わず滝先輩、と言いかけた澄蓮は慌てて言い直しながら理由を求めた。
そういえば、最初から思っていたのだが、ネオンは魔王を好ましく思っているらしい。
ネオンだけでなくこの村の人々も、陽斗を陛下、と呼んでいた。
もう陽斗を裏切って新しく魔王の座にいる人がいるというのに、前魔王を未だ魔王陛下、と呼んでいるのだし。
反対にシェイラやカインはあまり好ましく思っていないのか、今も眉根を寄せたり苦笑したりしている。
そうだ、そういえばシェイラは陽斗の身体の一部(というと語弊があるかもしれないが)、【王部】という物を欲しがっていた。
それに異界の人間が自分たちの国のトップに立っているということを良く思ってもいないようだった。
…つまり、陽斗が君臨していたこの国の中でも、人の考えは統一されているわけではないのだろう。
そして澄蓮の想像では、陽斗を裏切ったという現魔王は、そういった反対勢力の人についたのだ。
陽斗と同じ現実世界から来た澄蓮にも、こちらの住人だという現魔王がした行動は理解できる。
裏切られた陽斗も理解していたのだろうから、あえて澄蓮に裏切り者を倒せとは言わず、残った仲間を助けてくれと言ってきたのだから。
ただ、やり方を間違っているとは思う。
魔王を倒しに来た勇者に任せていれば、全てがうまくまとまっただろうに。
『適当にやられたフリしてトンズラしよー思てたんやけど』、と陽斗も言っていたのだから。
黙々と考え込んでいた澄蓮の意識を戻したのは、シェイラがペンで机をノックした音だった。
インクが乾いてきたペンをくるりと器用に回したシェイラは指を二本立てた。
「…理由は二つあるわ。魔王が現れて、徒党を組んで大都を襲う賊が減ったというのが一つ。もう一つは完全な遊牧から作物を育てる方法に少しずつ移行したから、らしいわね」
「大きな都なのに、盗賊に襲われるの?」
どんなだよ、と眉をひそめた澄蓮にカインが丁寧に説明した。
「大都の中でも大都【白】は人口が少ないし、あちこち移動するからいろいろな場所から採れる鉱物や作物が手に入るからな。しかも大都【紅】や【黄】みたいな戦闘を対処できる都ってわけでもねぇし」
なるほど、移動する宝箱ということか。
そんな身も蓋もない例えを思い浮かべながら、澄蓮は地図に書かれた円を見つめた。
「へぇ…。それで、今はここにあるんですね?」
「といっても大体の位置だけど。国の中央に大都【紅】、騎士と商人で賑わう最も大きな都」
魔王の城よりも右下に書かれた二重丸は紙の上では中央からずれていたが、この国の中央らしい。
魔王の城のある場所よりも澄蓮のいる若苗の村にずいぶん近い。
「北西の草原に大都【白】、さまざまな地域の原石が集められた遊牧の都。南西の地底洞窟に大都【黒】、武器や石の加工をする者たちが集う技術の都」
ネオンもそういった情報について明るくなかったのか、興味津津にシェイラの言葉に頷いていた。
ネオンと同じように話を聞いていた澄蓮だったが、大都【黒】の場所がまさか地底とは思わず、驚いてシェイラの顔を二度見した。
しかし、どうやら冗談ではなかったようで、澄蓮はこの国の不思議現象について考えることを放棄したくなった。
なんで魔法と宝石で生活ができるんだよ、とか。
なんで洞窟に都があるんだよ、とか。
そもそもなんで寝たら世界を行き来できるのさ、とか。
「北東に大都【蒼】は『異常者』の都ね。でも失せ物探しや人探しの相談をする人々がよく利用する都よ。あまりお勧めはしないけれど、どうしようもないことになったら尋ねてみるのもいいかもしれないわね」
「って言っても、その…『異常者』の都、なんですよね?」
戸惑いながらシェイラに尋ねたネオンの言葉に同意しながら澄蓮もシェイラを見つめた。
麻薬をやっている人が行きつくという配慮の道、そこからもあぶれた人が行きつく都。
どうしようもなくなったら自主的にそこへ行け、というのはなぜなのか、と。
外の世界をよく知らない二人の視線を浴び、シェイラはカインに目くばせした。
シェイラからの視線を受けて、酒を舐めていたカインは難しい顔をしてため息を吐いた。
「異常者異常者っつっても、危ないヤツばっかじゃないんだよ。魔術とは明らかに違う、おとぎ話の『魔法』みてーな力を生まれつき持ってるヤツも多くいる都なんだ。大都【蒼】ってのは一般常識しか持ってないヤツには理解されない能力持ちが、身を寄せ合って生まれた都だからな」
「あたくしたちの故郷である紅い槐の森は大都【蒼】よりも北で、大都に近い位置にあるわ。だから小さい頃は都の医師に大病を祓ってもらったこともあるし、年に一度開かれる祝祭では、『塔』に住む強い能力の所有者たちに祝福をしてもらったこともある」
だから悪い人や避けられるべき人ばかりではないのよ。
そういって話をまとめたシェイラは乾いた喉を潤そうと水を飲んだ。
麻薬がどうこう、という話から一方的にイメージをふくらませてしまっていた澄蓮は申し訳なさそうに視線を彷徨わせたが、机越しに気にするなと頭を撫でてきたカインに頷いた。
二人は澄蓮やネオンを責めるために説明したのではなく、一面だけで物事を捉えないように、と言いたかったのだろう、と分かったから。
飲み干されたグラスを机に戻し、再びペンをインクにつけながらシェイラが地図を睨みつけた。
「さて、最後は南東、この村の近くに大都【黄】ね。あたくしが目指している憎ッ々しい頑固者の魔術師どもの都…あら失礼、聞かなかったことにして頂戴ね。大都は全部でこの5つよ。もちろん他に小さな村や町はあるけれど、大都とは規模が比べ物にならないわね」
つまり、この村は魔王の城から一番遠い位置にある、と。
しかも陽斗の仲間を救うということは、あの魔王の城まで行く必要があるのだというわけだから…。
思っていたよりも酷い位置づけに叫びだしたくなる衝動を抑え、澄蓮は水を呷った。
陽斗に再会したらまず一番に殴ってやろうと決意を固めながら。
「ん…あれ?」
地図をじっと見つめ、澄蓮は首を傾げた。
今朝、リエットとラルダが話していたこととは違う気がしたのだ。
「何かあった?」
「えっと…リエットさんが、大都【紅】が一番近いって言ってたような……」
そして大都【紅】から騎士が派遣されてくる、と言っていたのだ。
大都【黄】の方が村に近いというなら、盗賊退治に大都【黄】から騎士なり魔術師なりが派遣されるのが筋ではないのだろうか。
変じゃないかと首をひねる澄蓮の疑問は、シェイラの盛大な舌打ちと説明によって解決した。
「一般人にとっては、結界で隠されてて中で何してるかも分からない大都【黄】ってのは、実際のところあってないようなものなのよ。所詮普段は結界に守られて盗賊とも外界とも接触を絶ってるようなものだし。だからココは勘定に入れてないってわけ。…そもそも一般人が大都【黄】の場所を把握しているかも疑問だもの」
おいおいおい、仮にも都がそれでいいのか。
いよいよ本格的に頭が痛くなってきた澄蓮に、酔いが回ってきたらしく暑そうにタートルネックの生地を引っ張って手で顔を扇いでいたカインが尋ねた。
「そういやスミレちゃんはどこに行く予定なんだ?」
「え?」
「そういえば聞いてなかったわね。先輩の親友の命を助ける、とか言ってたけど」
「えーと…」
当然のことだが、先輩が魔王で、先輩の親友が魔王の側近、なんて言えるわけがない。
言えば人の良いネオンは応援してくれるだろうが、莫大な懸賞金がかけられた【王部】を欲しているシェイラは間違いなく澄蓮を締め上げてくるだろう。
この何時間かでそこそこ仲良くはなったつもりだが、彼女はきっと一日やそこらで知り合った人間との情なんかより、利害や身の安全を優先させる人だろうから。
そしてきっとカインはそんなシェイラを優先させるだろう。
…この世界の人たちに、自分の目的を言えるはずがないのだ。
しかし誰かを頼らなければ何もできない、というのも現状だ。
だからネオンに雇ってほしいと頼み込んだし、シェイラやカインに現実世界から来たと話した。
けれど…頼れるのは、事情を知った上で助けようとしてくれる人は、やはり同じ現実世界の人なのだ。
今は土曜夜で日曜の朝だ。
だから、月曜になれば学校がある。
学校に行けば、胡蝶世界を知っていて、陽斗が助けてくれと言った人物…森谷貴司に相談ができる。
そしてきっと澄蓮が選ぶべき道は、貴司といることなのだろう。
「……とりあえず、ネオンの所で働こうと思う。あたし無一文だし、まだ何も…その、一般常識とか?よく、知らないし」
そういえばネオンには澄蓮が現実世界から来たと説明していなかった。
それを思い出して、焦って途中で言葉を濁しながら澄蓮は笑って説明した。
無一文、の件でカインが同情の目で見てきたが。
「まあそういうことで、しばらくよろしくです」
「うん。よろしく、スミレさん!」
ネオンは嬉しそうに頷いた。
その無垢な笑顔を前に結局澄蓮は、火も起こせないんだけどね、と言えなかった。
給料分の働きは、できるだろうか。
優しい(甘いとも言う)ネオンはたぶん、澄蓮が洗い物もできなかったとしても、責めることも家から追い出すこともしないのだろうが。
この子、大丈夫なんだろうか。
恐らく澄蓮たちの会話の部分部分に、現実世界を匂わせる話もあったはずだし、そもそも澄蓮がこの国のことを知らなさすぎるということや無一文でウロウロしていたという点に、常人ならもっと疑ってかかるはずなのに。
ネオンは一切そういったことに触れず、優しい微笑みで話を聞いていたのだ。
この子、とっても残念な子なんじゃ……いや、まさかそんなことは…。
自分と同い年ぐらいの家主を本気で心配し始めた澄蓮は、きっと変ではないはずだ。