19.鉄御納戸、掠った思考と鼻歌と台所
「へぇー………ってマジか!?」
シェイラに促されて話した後、このセリフがカインの第一声だった。
本来なら理解が早いことやシェイラのように斬りかかってこないことなどに安心すべきなのだろう。
…が、カインのあまりのノリの軽さにあっけにとられて澄蓮は苦笑した。
ことは数分前。
村の人々の視線が痛かったのと落ちつける場所を、ということでネオンの家に戻ることになった。
ネオンの人の好さを最初会った時に一目で見抜いたらしいシェイラが、ネオンに部屋を貸すように頼んだのだ。
なんだかんだで、とりあえず澄蓮はシェイラの口添えもあってカインに自分の事情を伝えることができた。
つまり、学校の先輩に『異世界にいる自分の親友の命を助けてほしい』と頼まれた、と。
自分が言われたら絶対信じないだろうな、と思いつつ言ってみたのだが。
なんだこれ、なんだ…この人軽いぞ、軽すぎるぞ、っていうか…これって…。
(カインさんってバk……いやいやいや、そんなわけ…)
シェイラもあっさり理解してくれたが、それとは違うあっさりさ、というか。
ちゃんと考えているのか若干不安になるような軽さだ。
不安になってシェイラを見上げたら、シェイラは眉間にくっきりと寄せられた皺を指で押さえているところだった。
ネオンに部屋を貸してほしいと尋ねた時と似た反応だ(ちなみにネオンは「いいですよ」と即答していた)。
ついでに言うと、ネオンの家に住み込むことを村の人々に説明してまわった時に村の人々がネオンを見る目と類似していた。
ただ、ネオンは心配の目で見られていたのに対して、カインを見るシェイラの目は明らかな呆れが入っていたけれど。
ああ、苦労してるんだな、とシェイラの心労を察して澄蓮は目をそらした。
…見なかったことにしよう、うん。
「アンタね、もうちょっと考えて言葉は使えって何回言えば分かるんだい!」
「え、今のセリフのどこが悪かったんだ!?」
「今の言い方じゃ理解したようにとられるって言ってんのよ!師匠が聞いたらなんて言うか…」
嘆かわしいと言わんばかりの態度だったが、カインは前髪についた埃を指で摘みながら言った。
「笑って終わりじゃね?」
「………」
無言になったシェイラの沈黙が、痛い。
どうやら凪の魔術師という人は怒るとシェイラに、普段の姿はカインに似ているようだ。
シェイラの話を聞いて怖いイメージが先行していたのだが、ちょっと会ってみたいかもしれない、と澄蓮は思った。
とにかく、と一つ咳払いをして、シェイラは行儀悪くカインに指を付きつけた。
「アンタ、どうするの」
「は?どうするって、何をだよ?」
「だから異世界のことよ!」
紅茶をちびりと飲んで二人を見つめる澄蓮は、今何時だろう、と窓の外に視線をずらした。
現実世界のように機械で均一に均されていない窓ガラスから、歪んだ光が差し込んでいる。
陽の傾きによって入った光が反射して、昨日と同じように部屋を照らしている。
こっちに来て丸一日経ったんだ、と今更思い出した。
お母さん元気かなー、と寝る前に見たパイナップルをかじる母親を思い出して、お腹すいたな、と思い出した。
そういえば今日は現実世界での土曜日と日曜日の境。
(分かってたけど、やっぱり先輩のお願いって一日二日で終らないんだな…)
お金をためて、知識を集めて、移動手段も徒歩っぽいから広い広い国を歩きまわって先輩たちを助けて………。
…村から出るのに何日もかけていたら、いったい何年後に終わるんだって話だ。
陽斗が意識不明で入院しているという現実。
胡蝶が現実と同じように時間が経つなら……―――。
「スミレちゃんは異世界の存在よ?師匠に会わせたいのかって聞いてるの!」
ダンッ、と白い手が机を叩いた。
勢いでティーカップが跳ねたのをカインが慌てて抑え込んで、なんとか事なきを得た。
さっきまで考えていたことが吹っ飛んだ。
怒ると怖い、と言っていたカインの言葉がちょっと理解できた澄蓮は、大人しく紅茶を口に運ぶ。
沈黙は金だ、金。
「……別に会わせなくてもいいだろ。遠いし。それに…今更異世界の話なんか出したって【渓谷】に戻る気は―――」
気だるそうにカインが言った言葉の一部に引っかかりを感じて、澄蓮は尋ね返した。
「けいこく?」
けいこく…っていうと、渓谷のこと?
二人の故郷は北の槐の森、ではなかったのだろうか。
カインの母親でシェイラの師匠である『凪の魔術師』という人と渓谷にどういう関係が?
澄蓮…というか、現実世界と『凪の魔術師』に、何か関係があるのだろうか。
意味ありげにカインが口にした言葉に反応して澄蓮が尋ねると、二人ははっとしたように澄蓮を見て、ぴたりと口を閉ざした。
聞かれてはいけない話をうっかりしてしまっていた、と思いだした様子で。
戸惑うように視線をうろつかせたカインに変わって、溜息をひとつ吐いたシェイラがなんでもない、と手を振って話を終わらせた。
何かわけありのようだ、と悟って、澄蓮もそれ以上追及しなかった。
訪れた気まずい雰囲気をごまかすように冷めてしまった紅茶を飲み干した。
「あ、みなさんお話は終わりましたか?そろそろ昼食にしたいのですが…」
口に布を、目に大きな板状のゴーグルを、そして手には革でできた手袋をはめたネオンが、ひょっこりと階段の踊り場から顔をのぞかせた。
ナイスタイミング!
澄蓮は思わず笑顔でサムズアップしたくなった。
あの雰囲気を旅人の二人も気まずく思っていたのだろう、ほっと息を吐いて椅子から立ち上がった。
「それじゃ、あたくしたちはこれで…」
村のどこかで昼食をとるつもりなのだろう。
出て行こうとした二人を見て、口もとの布を外しながら寂しそうに言った。
「え?みなさんと昼食をご一緒したかったのですが…ダメですか?」
気まずさを引きずらないためにも出て行こうとしていたのだろうカインとシェイラは、ネオンの言葉に驚いたように目を丸くした。
澄蓮もうっかり「空気読んでよ空気!」と言いかけたが、一応ネオンはこの家の主なわけで。
どうする、どうしようか、どうしましょう。
そんなアイコンタクトで三人が会話をしているうちに、ネオンが満面の笑みでぼふっと手を打った。
「そうだ!せっかくなのでお酒も出しましょうか!大都【白】のアグア・ブランカがあるんです!」
「ドナ・ブランカ!?ゴチソーになりまっす!」
長い腕で勢いよく挙手したカインを、大きな銀色の指輪をつけたシェイラがグーで殴った。
シェイラは魔法使いだと言っていたが、格闘家にでもなった方が向いているのではないだろうか。
そんなことを澄蓮が思ってしまうほど、腰の捻りや拳の速さなどが堂に入っていたいいパンチだった。
そして白目になったカインの胸倉をつかんだシェイラは、心もち首を絞めつつ前後に揺らして(小声で)怒り始めた。
「バッ、ちょ、あんた何酒につられてんの!少しは相手の迷惑とか考えて…」
「えっと、お二人は何か予定が…?」
申し訳なさそうに上目使いで尋ねたネオンを見て、シェイラはうっ、と苦しそうに半歩下がった。
その時点ですでに決着は見えていたので、澄蓮はあえて三人のやり取りには触れず、カップを流しに持っていくことにした。
なるほど、村の人たちがネオンのことを心配しているのはこういう面もあるからなのか。
きっとネオンは泥棒が家に入ってきても笑顔でお茶とか出すタイプだ。
澄蓮と同い年ぐらいなのに、クラスの男子たちよりずっと幼い雰囲気だ。
もしくは悟った大人?
お年頃なのに何の下心もなく澄蓮の同居を快諾した時点でおかしいと思っていたが。
そうだ、こっちでの昨日の夜、風呂上りのネオンを見て美少女!?とか思ったんだった。
で、女としての自信をなくしかけて………。
…そ、それはさておき。
(こっちの男性って××?××なの?ネオンとカインさんはおいといて、アジックさんもなんか、抜けてるとは言わないけど…ピュアピュア?な感じだったし…)
反対に女性はしっかりした感じだった。
リエットさんも上品だけど芯が強そうだったし、カインの母親なんかは……この人は例外か、騎士団を潰したとかいってたし。
母親や嫁が強すぎて男性がのんびりさんになっちゃったってことだろうか。
ちらりと横目で見た先で、カインがシェイラに目を覚ませと額を殴られていた。
…あり得る。
うちの両親もそうだし。
もんもんとしながらカップを水につけていた澄蓮に、ネオンが手袋を外しながら近づいてきた。
「スミレさん、昼食を作るんだけど手伝ってもらってもいい?」
小首を傾げたネオンの肩から、さらりとタンポポ色の長髪が零れ落ちた。
(こっちでの)昨夜は暗がりの中、蝋燭に照らされて金髪に見えたんだけど。
煤で汚れたゴーグルがなかったら、薄い黄緑色の瞳がバッチリと可憐さをかもしだしてるし。
「…ネオンってさ」
「うん?」
「……あ、いやいや、なんでもないっス。昼食ね、昼食。うん、手伝うよー」
「?うん、ありがとう」
ふにゃりと笑ったネオンを見て、澄蓮はやっぱり聞いておけばよかったかな、と思った。
キミってほんとはオンナノコ?
…言えるはずもないのだが。
(…まさかねぇ)
骨格からして女性とは違うし。
木箱から野菜を取り出して手際よく料理に取り掛かる姿は…どこか料理中の父親を思い出す。
…芳村家では母親よりも父親が料理をよくするので。
再びもんもんと考え始めた澄蓮に、後ろからシェイラが声をかけてきた。
「あたくしも手伝うわ。カイン、あんたは座ってなさい。手伝わなくていいから。つか手伝うな」
「うぃー…。うっぷ…酔った……」
シェイラの揺さぶりやアタックは強烈らしい。
逆らわないようにしよう。
そのことをしっかり脳裏に焼き付けて、澄蓮は洗剤でカップを洗い始めた。
「え、もうお酒を飲まれていたんですか?」
なんていうネオンのボケは…とりあえず、華麗にスルーして。
「…そう。洗い物はできるのね」
「え?」
「ああ、ごめんなさいね。…なるほど、こっちでは水を溜めて利用するのね」
シンクで最も目を引くのは、鉄でできたタンクの突起を捻ると水が零れ落ちる仕組みだ。
澄蓮も今朝アジックの家で皿洗いの光景を見ていなかったら皿洗いなどできなかっただろう。
昨晩の風呂のように自動的にお湯が出ているならよかったのだが、こちらでは魔法が使えなければ火も起こせないらしい。
そこを心配して、シェイラはネオンにばれないように澄蓮の傍で手伝いを申し出てくれたのだろう。
手伝うと名乗り出たが手持無沙汰らしく、澄蓮の作業を見つめるシェイラに礼を言った。
「ありがとうございます、シェイラさん」
突然の澄蓮の礼の意味が分からなかったのか、一瞬きょとんと眼を瞬かせたが、ややあって納得したらしいシェイラは何故か不意に苦笑した。
最後のカップを洗い終えた澄蓮がタオル代わりの厚手の布で手を拭くのを見ながら、「なるほどね」と呟いた。
「どうかしたの?」
「いえ、ね…。あのカインがスミレちゃんを師匠に会わせる気がないって言ったから、少し…驚いたのよ。でも…そうね。確かにスミレちゃんみたいな子は、きっと巻き込まない方がいいのよね」
「え?」
何の話かいまいち理解できなかった澄蓮が首を傾げると、ここで初めてシェイラが曖昧に濁すような笑みを浮かべた。
その奥があるような笑みは澄蓮が見知ったものだったのだが、あいにく、真意を読み取れるほど相手を知らなかったのだ。
そしてその真意を、後に理解することとなる。
「ああ、気にしないで。…それより、若苗さん。あたくしたちは何を手伝えばいいのかしら?」
機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら手際よく野菜を切っていたネオンが、ぱっと嬉しそうに顔を上げた。
若苗さん、という言葉に疑問を持った澄蓮だったが、そういえばこの村がそう呼ばれているんだったっけ、と思いだした。
ネオンのことも若苗の細工師、とシェイラが呼んでいたし。
「あ、えっと…じゃあ、そろそろ火を点けてもらってもいいでしょうか?スープと炒め物用に二つ」
「わかったわ。スミレちゃん、こっちへ」
手招きされてかまどを覗き込むと、今朝見たアジックの家のかまどと同じ内部が見えた。
煤に混じってキラキラ光る宝石が入っているのも同じだ。
腕まくりをして白い腕をためらいもなくかまどに入れたシェイラは、右手に灰と石を掴んでいた。
それを澄蓮にも見えるように開いて、アジックのように石を確かめ始めた。
「スミレちゃんの世界では石を使わないのよね?」
「はい。そもそも宝石は装飾品ですから…」
煤にまみれた石を見る澄蓮の目がよほど輝いていたのだろう。
笑いを噛み殺しながらシェイラが、でしょうね、と頷いたのには、やはり魔力がどうだこうだ、という話が絡んでいた。
「ま・魔術が使えなければ最大限に利用できないものね。昔は摩擦なんかで火を使っていたらしいのだけれど、それじゃあ効率も悪いし火力の調整もできないからってことで、もう200年ほど前には石を利用した方法になったのよ」
「にひゃくねん…」
「そう。それから風呂なんかの水回りが続いて、家庭内への照明用の石の普及などにまで及んだの」
ようするに、あれか。
火で調理するより電気で、というような感覚なのだろうか。
異世界版オール電化?
どこの世界でもそういった流れというのは似たようなものなのかもしれない。
それにしても、と澄蓮は疑問を感じた。
地球では企業に勤めている人とか、趣味が高じた人によってそういったものが発明されたりするものなのだろう。
そして一般家庭への普及などといった話になると、国などが支援していくことが近道なはず。
この国では滝先輩が統一にこぎつけるまで村が独立して成り立っていた、といっていたはず…。
ネオンから聞くに、この村はかなり小さくて山奥にあるらしいが、200年で一般家庭まで普及となると…。
「シェイラさん」
「どうしたの?」
「宝石…石を使う方法って誰が発明したの?それに一般家庭に普及させるって…」
「魔術に関わる発明は、大抵が魔術師によるものよ。それも大都【黄】のね」
「たいと…き?」
「ええ、そうよ」
そういえばラルダとリエットが話していたっけ、と澄蓮は思い出した。
ただ、彼女たちが言っていたのは大都【紅】だったが。
「この国には大きな都が5つある。それが大都。国の中央には大都【紅】、あたくしたちの住んでいた所に近かったのは大都【蒼】。大都にはそれぞれ特色があって、大都【紅】は騎士や商人の登龍門とされていて、最も栄えているとされているわ。反対に、大都【黄】は魔術師の登龍門、そして素晴らしい鉱山がある場所ね…。よし、これでいいわね」
手をかまどに入れて灰を均しながら、シェイラが説明していくことを澄蓮は必死に頭に叩き込んだ。
が、おそらくすぐに忘れてしまうだろうから、後で地図に書き込みながら覚えよう、と決意した。
世界観なんて、自分の国の歴史だって危ないのに無理だっての。
「『炎、燃え広がる罪の光』」
かまどの中で灰にかざされたシェイラの手から光が溢れた。
まさしく火は魔法のようにあらわれて、灰に埋もれた宝石に移った。
そして均された灰の上に、シェイラの慣れた手つきで乗せられていく薪が徐々に炎をまとっていく。
なんだかんだで朝食の時に火をつける瞬間は見逃していたのだ。
イッツアマジーック、と控え目に拍手をすると、照れたように、というより呆れたようにシェイラが笑った。
「本当に異世界人なのね」
まだ疑ってたんですか、と驚いた澄蓮に、後ろから控え目な声がかけられた。
「あの…そろそろ野菜を炒めたいんですけど……」
まな板を手に、本当に本当に申し訳なさそうに言ってきたネオンが、そこにはいた。
すっかりネオンのことを忘れていた澄蓮とシェイラは、お互いにアイコンタクトを交わした。
ばれたかしら?
ばれてないと思いますよ。だって…。
ネオンだし。
という心の声は、きっと…というよりもほぼ確信を持って言える。
楽しそうに料理をしている家主には届かなかっただろう、と。