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魔王の見る夢  作者: 木枯 雪
1章
24/41

閑話.藍墨茶、無計画の言動

常人ならば踏み入ろうとしない山奥のその場所には、熊や野犬ですら踏み入ろうとしない。

そんな洞窟にもわざわざやってくるのは、『客』か『同盟者』か、あるいは採掘のためにやってくる『採掘者』か『魔術師』だろう。

といっても、それらの大半は洞窟の奥から自らの足で戻ってくることはないのだが。

『件目の道』と呼ばれる、西国の各所に散らばって配置されている石畳は、そんな洞窟にも存在した。

その件目の道をトトトン、と軽やかだが密やかに靴が叩き、洞窟に響いたのは、つい先ほど。

氷のような水晶から発せられる仄かな灯りを頼りに、湿った地面や岩の凹凸に足を取られないよう気をつけながら、三つの影が移動していた。

その一つは自分よりも大きなものを背負っていたが、先頭を歩く小柄な影よりもはるかにしっかりとした足取りだ。

しばらく歩き、彼らは開けた場所にたどり着いた。

冷気が白い霧のように地面を這う、薄暗い洞窟。

湿った黒い土壁に囲まれた洞窟の中間地点に、その女性の根城はあった。

白い羽毛の敷き詰められた床、壁から生えた灯り代わりの水晶、王座のような豪奢な椅子。

しかしその椅子の主は不在のようだ。

まるでどこかの貴族の館から部屋をごっそり抜いてはめ込んだようなその場所は、冷気さえなければ洞窟の中であることを忘れてしまいそうだ。

小柄な影が霜でスニーカーが滑りそうになったのを、一番背の高い影がそっと支えた。

ありがとう、と囁いた声が洞窟のせいで思いのほか大きくなる。

そんな時。

不意に荷を背負った影が、横に跳び退いた。

猫のようにしなやかに跳び退かれたその場所に、針のように細い一本の剣が刺さっていた。

音もなく地面にめり込んだその剣は、洞窟のものよりもハッキリと視認できる冷気を放ちながら、微かに揺れていた。

とっさに庇うように抱きしめた影を宥めながら押し退け、小柄な影が前へと進み出た。

それを見逃すはずもなく、白い太刀が喉首を狙って―――。



「…おんやま!久方振りだねぃ、灰色の毒」



あっけらかん、というよりも、知人の首筋に刃を沿わせたことに何も思わなかったように、奇妙な言葉遣いで女性は笑った。

そしてするりと退けられた刃や、自分を殺そうとしてきた知人に何も思わなかったように、相変わらずの薄い反応で彼女も笑った。



「お久し振りです、女王」



「やだねぃ、よしとくれや。アンタに女王だなんて呼ばれちゃ寒気がするよん。おんやま、お客とオ人形チャンに、死体まで持ってきたんかぃ?」



針のような剣、レイピアと、丸く反った太刀の二本を鞘に戻し、腰に佩いた女性はぐるりとまわりを見回して言った。

そして二本の剣を掲げ、囁くように魔術を行使して、水晶の影にあった燭台に炎を灯した。

神秘的で静謐な空間が、その炎の光によって生々しい現実の色を取り戻す。

映し出された色彩に目を細め、呆れたように溜息を吐いた女性は椅子にどっかりと腰を下ろした。



「お久しぶりです、氷の女王」



丁寧に頭を下げた長身の彼は、吐く息も白くなる空間にも関わらず浴衣のようなものを羽織った薄着で、それでも普段と変わりない様子で再会の言葉を紡いだ。

それに対しても何も反応を変えず、むしろ楽しそうに女性は笑った。



「おーぅ。相変わらずの翡翠色だねぃ、オ人形チャン」



はい、と小さく頷いた彼の長い翡翠色の髪が、さらさらと揺れた。

再会に喜ぶ三人に怯えるように、背の荷を庇った影はいつでも逃げられるように、と入口ににじり寄る。

笑みの形に細められたまま、女性の月のような金色の瞳が、ぞろりとその影を観た。

たったそれだけの一瞥に、影はびくりと身体を震わせ、霜の蔓延る黒い地面に膝をついた。

圧倒的なまでの恐怖が身体中を蹂躙するような、そんな視線だった。

寒さからではないものによって体を震わせて、それでも影は荷を庇うように縮こまった。

満足そうにそれを見た女性は、足元に広がる白い羽毛をブーツで踏みながら、ゆっくりと足を組んだ。

まさしく、とも言うべき女王の貫録を前にしても何も思わないのか、彼女は寒そうに灰色のケープを引き上げながら、ところで、と切り出した。



「今、少し厄介なことになっていまして。しばらくこの方をお願いできますか?」



寒さに色をなくした指でさしたのは、地面に縮こまる紫紺のマントを羽織る影。

彼女の言葉によって自分に注意が集まったことに対して怯えながら、荷を守るように抱きしめる。

女王は、彼女の言葉によってようやく影に興味を持ったのか、ひじ掛けに腕を乗せて『それら』を見た。



「私はいいけど、あたしにできンのは世話だけで勝手に出てかれても探し出してまでしないよん?」



彼女はその言葉にわかっている、と頷いた。



「はい。その時は仕方ないですから。処理もお願いしても?」



影が抱きしめる荷から流れていて、ようやくおさまりかけた流血。

黒い地面に吸い込まれていく血液と、その血臭を目で追って、女王は仕方なさそうに手を振った。



「灰色のンのお願いじゃあ仕方ないねぃ。構わんよ、置いてきんさい」



「ありがとうございます」



翡翠色の髪の青年が、怯える影に近づく。

さくり、さくり、と霜が音を立てて踏みにじられていく。

そして白い腕が荷に伸ばされた時、ようやく硬直が解けたように、影がはじけた。

その場から跳び退いて、荷を抱きしめて叫ぶ。



「っ、やめて!私のミトワに触らないでッ!」



わぁん、と洞窟に広がった叫び声は、闇の中に吸い込まれていく。

反響、残響が消えるのをじっくりと待って、彼女は寒さに指先を震わせながら、安心させるために薄く微笑んだ。



「…大丈夫。この人の傷は、あたしがちゃんと治してあげるから」



「え…?ミトワ、私のミトワに何をするの!?」



何かをされるのだ、と気づいた影は、自分ではどうしようもない恐怖が傍にあるために浮かんだ涙を堪えて、僅かに後ずさった。

微風によってゆらりと炎が踊り、陰影が揺らぐ。

その光を横顔に浴びながら、彼女は説得を続けた。



「魂はもうないけど、残った身体はちゃんと治してあげるね。このままだと傷口から腐って虫の餌になっちゃう。その後はあたしがちゃんと片付けてあげるから。ね?」



『それ』はもう死体だ。

生きてはいない。

荷を抱きしめる影の心情を慮って、彼女は慎重に言葉を綴る。

ゆっくり、ゆっくりと。

影に荷を手放させるために。



「…腐る…片付ける…」



まだ頭が混乱しているのだろう、彼女の言葉を繰り返す影は、事情をよく知らない女王から見ても普通ではなかった。



「そう、始末するの。大丈夫、無駄にしないよ。傷を縫って、綺麗にして、ちゃんとお別れをしてあげるから」



「…ミトワ、治るの?」



その口調は、まるで『それ』がまだ生きていると信じているような口調。

そしてそれを聞く彼女は、そのことに気付いていないようで。

女王はなんとなく居心地が悪く感じた。



「そう」



説得が通じてきたのだ、と微笑みとともに頷いた彼女に、ついつい女王は口を挟んでしまった。



「ちょちょいと、灰色の。アンタぁ、そんなこと言っていいのかぃ?」



「え?あたし、傷を治すよ?」



彼女は口数も表情も少なく薄いが、有言実行なタイプだ。

死体の傷だって自ら針と糸を持って治すだろう。

しかし、影が思っていることと彼女が思っていることに、多大な違いがある。

というか勘違いが。

とはいえ、彼女のセリフには何もおかしいことはないので、女王は不思議そうな顔をしながら頷いた。



「まぁそうだけどねぃ」



「治療にハルトの鎖がないのは痛いけど、他に制御のアテはあるし、たぶん失敗しないと思う」



彼女は無機物に魔術を利用することは得意だが、他人の傷を癒す、といった作業は苦手だった。

ひとえに、生きている物が苦手だからだ。

念には念を入れる彼女はそういった作業をする時は、必ず陽斗に手伝ってもらっていた。

それを覚えていた女王は指輪などの装飾がない指でトントンとひじ掛けを叩きながら尋ねた。



「あの制御装置ないと無理でしょーが」



無理だろうが、と尋ねてはいるが、本当のところは分からない。

灰色の毒、グレイゾーンに立つ女。

彼女がいつでも全力で行動をしているとは思えないのだ。

氷の女王にさえ悟られない彼女の本質は、彼女自身知らないのかもしれない。



「さぁ。やらないと分からない」



案の定、曖昧な答えを出してきた。



「そこんとこ、あーたならやる前から分かってんしょ?」



しかし、そんな彼女と会話をすることを女王は好んでいた。

さすがに駆け引きの際は真面目にやるが、この灰色の毒は魔王以外に固執しないからだ。

それを踏まえておけば、その一線に触れなければ、彼女との会話は戯言に等しい。



「…鎖…魔力…」



ぽつり、と影は呟く。

抱きしめられた荷からはみ出た腕が、黒い地面に白く映える腕が、ひどく冷たそうだった。

何気なくそれを見て、女王はふと気になったことを尋ねてみた。

この場に魔王がいないからこそ聞けることだった。



「ちょちょいっと質問いいかねぃ。鎖があったら魂も戻せたナリ?」



「え…?」



驚いたように顔をあげた影が、意識をも自分から外した女王の横顔を凝視する。

彼女は尋ねられた内容を吟味し、顎に手を添えて肩をすくめた。



「さぁ。それこそやってみないと」



やったことがないから分からない、と呟いた彼女の隣を、女王は指差す。

指さされた翡翠色の髪の青年が、不思議そうにゆるりと瞬いた。



「ソレはどうなんだぃ?」



「…ああ、コレは違うの?コレは人間の魂が入ってるの。だから、コレは別口なの」



ね、と語尾で尋ねられ、翡翠色の青年はゆるりと頷いた。

コレ扱いされても何も思わないんだな、と観察して、話題とは別のことで女王は密かに嘆息した。

長く様子を見ているが、これじゃあ人間とは呼べない。

仕事に彼女の技術を使いたかったのだが残念だ、と。

しかしそんなことを考えているということは悟られないように言った。



「魔王っても万能じゃないんだねぃ」



彼女は少し困ったように笑って、ケープの中に凍えきった手を隠した。

青みを帯びている唇が、それでもしっかりとした笑みを形作った。



「ハルトがやらなかっただけかもだけどね」



「あぁ、そりゃあありえるわぁ」



その声色は、できたかもしれない、という言外に込められた思いへの自信に満ちていて。

ゴチソウサマ、と女王は疲れたように笑った。

さすがは仲間好きね、と。

そんな会話を聞いていた影の震えが、止まった。

揺らめく炎を映し、紅い瞳が二人の女性をを捉えた。



「…甦る?あの鎖が、あれば…?」



その視線に異様なものを感じたのか、翡翠色の青年が視線を遮るように彼女の前に立った。



「、りつ「あの鎖があればミトワを戻せるの!?」



「聞いてたの?」



きょとん、と眠たげな目を丸くさせて、彼女は影を見た。

どうやら完全に意識から外れていたようだ。

あっちは必死なのにこっちはのんきなものだ、と女王は笑う。

所詮、他人事。

娯楽程度になるなら上々。

そしてそれに加える香辛料が自分であれば、より面白い。

もったいぶるように女王は椅子にもたれ、ゆっくりと口を開いた。



「そうだねぃ。もしかしたら―――…」



できないだろうけど、と告げる前に、影は洞窟の奥へと走り去った。

遠くでトトトン、と軽やかな足音が聞こえた。

件目の道は、他の件目の道へと通じる不可視の通路。

おそらく別の場所へと移動してしまったのだろう、血臭が途絶えたのを女王は感知した。



「…女王、あれでは勘違いしてしまいます」



荷を背負った影の気配が消えたのを見計らったのだろうか。

よく状況を理解している上にきちんと空気を読んで口を閉ざしていた青年をちょっとだけ見直して、女王は彼女に話を振った。



「別にいいんでないん?なぁ、灰色の」



「あたしはミトワ・ルルドの身体、欲しかったですよ」



「…おんやま」



影が駆けて行った洞窟の奥を見つめながら、残念そうに呟いた。

女王が驚いて見てみれば、どうも冗談ではないらしい。

もともと彼女は冗談を言わないタイプなのだが、まさかこのタイミングで言われると何かあるのかと勘繰ってしまいそうだ。



「灰色のぉ~って、屍姦趣味でもあったんかぃ?」



「あいにくあたしはネクロフォリアではないんです」



眠れる森の美女だって性別が反対なのに、と笑った彼女とは反対に、女王と青年は首を傾げた。

時々彼女の言うことが分からない。

なぜ眠れる森?眠れるのは森の方?美女の方?

しかし彼女は気にすることもなく、今度は血液が染み込んだ地面を見て、うっそりとため息を吐いた。



「ハルトの魂を入れる器にしようと思ったんですよ。傷を治して清めた後に」



「なーん?魔王チャン、何かあったにー?」



「はい。また今度お話します」



つまり、今は何も聞くな、と。

興味はあるがここで突っ込んだことを聞いたところで互いに利はない。

そう汲み取った女王は一つ頷き、組んでいた足を戻して膝に肘をついた。

やや前のめりになって、娯楽以上の意味を持って話をする構えだ。



「けんど、治るとか魂を戻すとか話聞いてたら、あん子、死人が甦るて思うんじゃないん?」



それを分かっていて言ったのだろう、と暗に言ったのだが、どうやら寒さにまいりつつも灰色の毒は相変わらず曖昧なままだった。

彼女はぼんやりとした瞳で、女王の言葉におかしそうに笑った。



「元通りにって?無理でしょう?」



「あちゃー。あん子、勘違いしてんよぅ」



かわいそうにねー、と両手を広げて笑った女王。

そして、未だ何が起きているのか分かっていないような薄い反応の彼女。

二人の女性を前に、翡翠色の青年は挙手して尋ねた。



「お二人とも、それを狙ったのでしょう?」



青年がそのことに気付いているとは思わなかったのか、女王は一瞬意外そうな顔をした。

そしていつものように、おどけて彼女に話題を振った。



「…あれまぁ、そうだったんかぃ?灰色の毒」



「んー…そうなのかなぁ?でも、あの子が出て行かなかったら売り飛ばしていたでしょう?女王」



真冬の花売り、奴隷商のカーティス一族。

氷の女王の同盟者であり配下でもある、女子どもに留まらず広い範囲で人身売買をする一族。

奴隷商の中でも特に奴隷への扱いが酷く、一晩の春をも売ることができなくなれば、その身体をばらして売りさばくという。

西国のアンダーグラウンドの一部。

この洞窟に足を踏み入れたものの大半が、何らかに染められて、あるいはカーティス一族によって運び出される。

もちろん、花か命を売るために。

平和ボケしたような彼女がいつの間にかそれを見抜けるほどに成長していたことに女王は少し驚き、同時に自分の後を追うように知識を身につける様を、非常に喜んだ。



「賢くなったにぃ。あんなんに可愛い子は高価いんよぅ?もったいないわぁ」



「本人の意志で出て行ったんですよー」



そうだ。

最初に言いだしたのは女王の方だ。

といっても、言いだした時は、こういう方向に行く可能性は低いと思っていたのだけれど。

残念そうに女王は流氷のような色の長髪を片手間に梳いて、暗い洞窟の天井を仰いだ。



「分かっとるてば。ちえーっ。つまらーん。けれんど、灰色のンも処理していいっつーたっしょー?」



もちろん、地面に吸われた血液や血臭の処理などではなく、影の存在そのものの『処理』だ。



「うん。だって、どうでもいいもの」



そう、彼女にとっては、どうでもいいことなのだ。

助けるようなそぶりを見せてここに連れてきておいて、洞窟から逃がすような言動をして、そして最終的にどうでもいいと切り捨てた。

最初から今に至るまでに得られたものは、いったい何なのか。

女王は思う。

『所詮、他人事』、『娯楽程度になるなら上々』、『そしてそれに加える香辛料が自分であれば、より面白い』…と考えるのが自分であるなら、彼女の言動は一見すると何も考えていないようだ。

何がどうなったって、かまわない。

だって、どうせ自分や魔王には何もできやしないのだから、というのが本音だろうが。

優しいようで実はとても非情な女。

女王にとってはただただ面白いのだ、彼女と会話をするのは。



「アンタは相変わらず魔王一筋やねん…。んじゃば、魔王の器ってのはどうすんのん?」



死体をリサイクルしようとしていたのに、逃していいのかい、と。

未だ魔王に起きている事柄は理解できていないものの、器を欲しているのだということはおぼろげに理解した女王がそう尋ねると、そのことに今ようやく思い立ったかのように、あ、と彼女は手を打って。

そして、隣に立つ翡翠色の青年を見上げて薄く微笑んだ。



「それなら造ればいいだけだよ。ねぇ?翡翠」



はい、と柔順な人形は頷いた。

次回更新などを告知していきますので、活動報告のページもどうぞご覧くださいましー。

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ケータイ → 『小説案内ページへ』→『作者:木枯 雪』→キー4番の活動報告

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