17.薄緑、秘密を知った人
「『現実世界』…?」
「はい。こことは違う、世界です」
澄蓮の言葉を咀嚼するように、シェイラは顎に手をやって澄蓮の眼を見つめた。
そして何か納得したように、ふぅん、と頷いて。
緑色の髪を背に払った。
「それって、異界のこと?」
「異界…まあ、異界といえば異界なんですけど…」
「そう。じゃあ、」
風に乗って甘い花の匂いが鼻孔をくすぐった。
そしてふと澄蓮は違和感を感じた。
シェイラが笑う笑顔に、何か含みがある。
それに気づいた時には、冷たい金属が澄蓮の首筋に沿われていた。
「あなたは、あたくしたちの敵かしら?」
特に今までに見たシェイラの笑みと変わりないようで、全く違う凄味があった。
金属、それが凶器だと本能的に勘付いた澄蓮は、ごくり、と生唾を飲んだ。
どうしてこうなったのか、と思うのだが、澄蓮には思い当たる節などなかった。
どこから来たの、と聞かれたから、ただ…事実を言っただけなのに。
カインが剣を振り下ろす音がまだ聞こえている。
一瞬だけ、カインに気付いてもらって、と考えたのだが、カインとシェイラが仲間で、自分とは無関係の人だと思いだして、やめた。
聞かれていることを話す、それでこの刃を退けてもらえるなら。
「…あたしは、先輩に頼まれたことをしに来ただけです。だから、シェイラさんたちの敵じゃないと思います」
その時の澄蓮は、シェイラとカインが貴司たちを狙っているかもしれないとまで、考える余裕がなかった。
一対一で、人気のない場所で、刃を首に押し当てられた状態でそこまで考えられるほど、澄蓮は現実離れしていなかった。
そして素直に答えた澄蓮に、そういう『野蛮な聞き方』は慣れていないのだ、という確証を得たシェイラは、ますます笑みを深めて、皮膚に刃がめり込むまで力を入れて尋ねた。
「先輩っていうのは?」
「あたしの、学校の先輩、です。…異界…、の」
自分にとっては生まれ育った現実に存在する世界なのに、異界と呼ぶなんて、と思いながら澄蓮は答えた。
『胡蝶世界』なんて、趣味が悪すぎるネーミングだ。
リアルな世界感すぎて、本当に、『どっちが本当の世界だったのか』と迷ってしまう。
「そう。頼まれたことっていうのは?」
「先輩の親友の命を、助けること」
器用に、ぴくり、とシェイラの片眉が上がった。
「…命ですって?」
「はい。先輩にはできないからあたしに、頼むって…」
あ、そろそろ首ヤバいかも。
自然と首をそらすように顎を上げていたからか、疲れてきて感覚がなくなっている。
うっかり自分から首を刃につっこんでしまいそうだ。
冷や汗を頬に滑らせた澄蓮に気づいたからか、聞きたいことを聞いて納得したからか。
シェイラは刃を退けて、先程と何も変わりないようにカインの稽古を見学し始めた。
命の危険を感じた澄蓮は、何もなかったようにのんびりし始めたシェイラに何か考えがあるのかと思ったのだが、シェイラに倣って心もち距離を置いて警戒心を持ちながら座った。
正直、今すぐ逃げ出したくもあったのだが、ここまで話した澄蓮から刃を退けたシェイラに興味があって、場を離れることができなかったのだ。
「異界からのお客様、ねぇ…。なるほど」
………。
……………。
…………………。
…あれ?
ふぅん、もう一度呟いた後、シェイラはカインに向かってヤジ飛ばしを再開しだした。
先程の息を呑む展開から一転して、あっけないほど何もなかったようになってしまった。
困惑を極めつつ、澄蓮は両手で宙を掻くように慌てた。
(だって、こういう話の流れとかになったら、大抵はこう…根掘り葉掘り聞くもんじゃないの!?っていうか、あたしの立場ないじゃん!わっけわかんないよ!!?)
この人はいったい何なんだ。
何をしたいんだ。
「…、…え、えっ、ちょ…、何か言及とか、」
ないんですか、という言葉を口の中でもごつかせる澄麗を見て、シェイラは艶やかに笑って見せた。
「要するにアレでしょ?異なる次元、世界の裏側、異界と呼ばれる場所。
魔術師なら誰でも耳にしたことがあるはずよ。あたくしたちの行使している魔術は違う次元から召喚しているのだという説があるもの。
ま、世間はどうかと言えば、炎には炎、水には水といった眷属なるモノが存在するとかいう説…物質に宿る極小の魔力を魔術師が操作して魔術を生み出すのだという説に傾倒しているのだけれど…。
それに――」
「?何ですか?」
まだ警戒は解いていないものの、言葉をためらったシェイラが気になって澄蓮は続きを促した。
ちらり、と澄蓮を…というより、澄蓮の目の少し横側を見て、シェイラは考えるように言葉を選んで言った。
「いや、前魔王と側近たちは異界からの使者なのだという噂を耳にしたものだから」
「そ、れは……」
ドキッとした。
ネオンが最初に陽斗のことを『魔王様』と呼んだこと、そしてシェイラの言葉で、シェイラが何を思って言葉をためらったのか澄蓮にはピンときた。
先程、シェイラは『現実世界』を『異界』と呼んだ。
『魔術は違う次元から召喚している』のだという『説』がある、と言った。
そして、世間は違う説に傾倒しているのだ、とも。
それはつまり、この世界の人たちは澄蓮や陽斗の住む世界…『現実世界』について、薄々は感じているけれど、存在は認めていない、ということではないだろうか。
そして、そんな未知の世界から現れた存在が、自分たちの国の頂点に存在するということは、いろいろな意味でとても恐ろしく認めがたいことなのではないだろうか。
(日本のトップが海外からのテロリスト集団、っていうような感覚なんだろうな…)
とても怖いこと…というより、それは許してはいけないことだ。
下手をすれば国民の命にかかわることなのだし。
そして澄蓮は…この村の誰一人として持っていなかった、髪と目と肌の色がある。
顔の造りだって、この世界の人とは違うようだった。
シェイラのように緑色の髪もあるから、探せば黒髪などもあるのだろうが、こういう話の流れとなれば、澄蓮が陽斗や貴司と関わりがあると疑われていると考えるべきだろう。
なら、シェイラの言葉にどういう風に答えるのが、自分にとって、陽斗や貴司にとっていいのだろうか。
あたしは事実を言っただけなのに、どうして滝先輩のフォローとかまで考えないといけないんだろう。
考えすぎたからだとは思いたくないが、さっきからぐるぐると吐き気がしている。
自分の顔色が青ざめていくのが分かる。
黙っていては逆に怪しまれる、とシェイラから視線を外して、何も考えられないまま口を開く。
「……それ、は…「まっさかねぇ!仮に側近はそうだとしても、魔王陛下は違うわよね!側近たちのように黒髪じゃないもの!」
はい?
あっはっは、と豪快に笑うシェイラにあっけにとられた。
「(生まれつきそういう人もいるんですよー。染めることもできるし、金髪碧眼もいますからー)」
とはいえ、うまい具合に勘違いしてくれたシェイラにそんなことは言えるはずもなく、澄蓮も「ですよねー」と曖昧に笑顔を見せておいた。
冷や汗をかきつつ、バックバクと嫌な意味で高鳴っていた心臓を落ち着かせようとする。
今は亡き(でもないが)陽斗の薄い色素に、心の底から感謝した。
…魔王に感謝したのはこれが最初で最後になりそうだが。
「ってことは…うん、やっぱり側近は異界の者かしら。まあ、一番上がしっかりしているようだし、異界の力をあたくしたちのために利用しているというならいいんだけれど」
「そ、そうですよー!この国のためならいいじゃないですかー!」
完全に嘘、というわけではないのだが、正直に話さず勘違いさせてしまったので、やはり後ろめたさ、心苦しさはある。
いつか、きちんと話せるようになればいいのだが。
安堵が心苦しさか、澄蓮は大きく息を吐いた。
ため息なんて吐きたくないのだが、出てしまうのだからしょうがない。
影を背負った澄蓮に気付かず、シェイラはそういえば、と切り出した。
「スミレちゃん何か知らない?」
「え、何をですか?」
「【王部】」
「オーブ?」
唐突に変わった話の内容に内心首を傾げながら、おーぶ、という言葉を頭の中の辞書で探す。
オーブといえば、アニメなんかでも稀に出てくる、魔法道具なんかのことだろうか。
古代の遺産だとか、丸い宝石みたいなものだとか。
首筋に刃を突きつけられた恐怖も薄れ、警戒心も薄れてきつつあることに気づかず、澄蓮は記憶にないと首を横に振った。
それを見て少し残念そうにしていたものの、シェイラは楽しそうに澄蓮に教えた。
「【王部】っていうのは、前魔王の体の一部の略語よ。大都のお偉い方や新魔王が欲していてね。王部一つで大都に豪邸が買えるぐらいの懸賞金が出ているのよ。…ま、利用価値の高いモノだってことは知れ渡っているし、そう簡単に売り渡すヤツなんかいないでしょうけど」
体の、一部。
『封術師に俺、バラバラにされてしもたんや。身体、魔力、魂、記憶、全部をくっつけるための力。あとそれから魔王の城のカギもやな。』
あの時、最後に陽斗が言っていた言葉が脳裏を過ぎる。
ああ、そういうことなのか、と話が繋がったことに納得する。
そういうことができる『魔法』がこの世界に存在するとも理解できた。
けれど。
【王部】とか格好良く言ったところで、しょせんそれって他人の一部じゃね?と思うわけだ。
内臓やら脳みそやらだと考えると、おさまりかけた吐き気も復活してくる。
なんでまたそんなものに懸賞金なんか…。
「えっと…シェイラさんは欲しいんですか?」
「欲しいわよ!腸が蠢くぐらいにね!」
いっそすがすがしいほど、キッパリ頷かれた。
「(っていうかハラワタって…)ち、ちなみにどういうのなんですか?その、王部っていうのは…」
身体なら分かるが、魂だとか記憶だとか、そういうものが形として存在しているだなんて、全く想像できない。
不思議に思って尋ねたが、シェイラも詳しくは知らないようだった。
「さぁ…憶測の情報が多いから。そういうコトをした封術師のセンスや本人の素質にも形は影響するから。まあ、鏡だとか鍵だとかいう噂が多いかしら。ああ、あと鎖とかね」
「…、くさ、り…?」
―――普通に売られているアクセサリーよりも遥かに太い、駐車場や廃墟などの立ち入りを禁止する際に用いられるようなごつい鎖
―――色は金色で、長さは30センチそこそこ
―――留め具もなければ使われたような傷もない、ただの綺麗な短い鎖
(ま……まさか…)
嫌なことに思い当って、ごくり、と生唾を飲む。
あれ、そういえばあの鎖…家に帰ってからどこにやったっけ?
全く記憶にない鎖の行方に、体中の血が抜けるような感じがした。
というより、あの鎖、なりゆきとはいえ預かり物なのに。
「前魔王陛下が側近に渡したらしいのだけど…知らない?」
(あの鎖じゃんかー!!!)
心臓が口からコンニチワしそうになった。
どうにか堪えて、でもさすがに愛想笑いもできず、マジな顔の澄蓮は高速で首を横に振った。
現実世界で起きたら探そう。
そうしよう。
「ま、まま全く、存じ上げません!」
「そう、残念ね…。あ、じゃあ、スミレちゃんって前魔王陛下のことは知らないの?」
「…昨日来たばっかりなんで」
どこから、などと言うのは野暮ってものだ。
シェイラはなるほど、と心得たように頷いた。
「あら、そうだったのね。悪かったわね、こっちの話ばかりしちゃって」
「いえいえ、(死にかけたけど)楽しかったんで。…あの、」
「何?」
どうしようか、と迷って、澄蓮は聞くことにした。
じゃないと今後の身の振り方に、困る。
「シェイラさんは、もしあたしが、その…前の魔王サンの仲間だとしたら…どうします?」
先輩を魔王だなんて呼ぶのはさすがに抵抗があったものの、郷に入れば郷に従え。
今後もそう呼ばなければならないのだから、とこれからは割り切ることに決めた。
そして真剣な表情で尋ねた澄蓮を、シェイラは一笑で両断した。
「スミレちゃんが?ないない!まだ魔力も弱いのに」
「そうなんですか?って……あたしにも魔力とかあるんですか!?」
一瞬リアルにぽかーんとしてしまった。
たとえこの世界が魔法の世界だとしても、いきなり「あなたにも魔力があるのよ☆」なんて言われても、「何言ってんのコイツ」としか思えないのだ。
魔法なんて、まだ信じられないぐらいだし。
17年近く生まれ育った世界の基盤がそうなのだから、こういった先入観や考え方はどうにもならない。
一般常識を持った普通の人間なら、そういうものだ。
…よっぽど柔軟な頭であったり、妄想癖や空想癖に富んだ頭でないと、まあ、マジで魔法を信じるだなんて無理だろうし。
「あるわよ。…って時点で有り得ないわ」
「?何がありえないんですか?」
「前も今も、魔王陛下の側近は特殊な魔術を使うのよ。それにそれぞれがパートナーを連れているらしいし」
「へぇ…(巽さんのことかな?)」
荊棘の砂漠と現実世界の屋根の上で虫のように身軽に飛び跳ねていたこげ茶色のマントの人物を思い出す。
そういえばあの人は男性なのだろうか、女性なのだろうか。
貴司よりもずっと小柄だったから、女性か、あるいは子どもなのかもしれない。
あの紫紺のマントの人物と戦っていた時は普通に(というのも変だけど)剣やナイフのようなもので戦っていて、魔法なんて全然使っていなかったから、想像しかできないけれど。
貴司や巽も特殊な魔術というものを使うのだろうか。
…魔術に特殊も普通もあるのか?という感じだけど。
「まぁ、万が一仲間だとしても、スミレちゃん、あなた、あたくしたちの敵になるかしら?」
先程の質問を、もう一度。
けれどいろいろと頭を使うことが多すぎて、澄蓮はそんなことをスッパリ忘れて全力で否定した。
「敵!?ななっ、ないですないです!敵だなんて…」
何も考えずに反射的に言った澄蓮の言葉を見抜いて、シェイラは朗らかに笑って空を見上げた。
そよ風が、草木よりも濃く薄いシェイラのグラデーションの髪を少しだけ揺らした。
「なら、あなたが何でも別にいいわ。あたくしは自由に生きたいだけだもの」
干渉されないなら関係ないわ、と言い切った彼女が、澄麗には眩しかった。
強い女性だ、と改めて思う。
自我はしっかり持っているつもりでも、案外流されやすい自分とは違って、うらやましいと感じた。
―――いやです、あたしは見ず知らずのあなたを助けるだなんてことしたくありません。他をあたってください。
澄麗もシェイラのようにキッパリと陽斗に言えたら、この世界に来なくても良かったのだろうか?
久々の更新ですみません!
ようやく書けたことにホッとしております…。
今後の方針もあらかた決まったので、ちょくちょく更新していきます。
しばらくは戦闘シーンなんかもない予定です。
魔法についてのウンチク話が何話か続くので、生温くお読みくださいまし。