16.柳茶、凪の弟子たち
閑散とした村というのは、カインたちにとっては結構いい環境らしい。
シェイラの杖と同じぐらいの長さがある剣を抜いたカインが、家の裏手、小川の近くの広場で剣を振っている。
昨晩に見たような薄い緑色が混じった白っぽい光が、煌々と放たれていて。
「でやっ」
と、ちょっと気が抜ける掛声と一緒に振られた剣から、白い光が放たれていく。
飛び出た光が長く伸びた雑草を切っているのをみて、雑草切るのに便利だな、という感想を持った。
見た目、ラ○トセ○バーだけど。
木陰の下にシェイラと並んで座って、澄蓮はカインの稽古を眺めていた。
クラスの男子が授業で剣道をしているのを見たことがあったが、それとは比べ物にならない鋭い覇気を感じる。
真剣だからというのもあるのだろうが、振り下ろした時の音やらスピードやらがもう、半端なくかっこいい。
すげぇ、と見つめる澄蓮とは反対に、シェイラは隣で「真面目にやれー!」とヤジを飛ばしていたが。
「シェイラさんとカインさんって、一緒に旅してるんですね」
「ええ、そうよ。あたくしが小さい頃にアイツの母親に拾われてね。優秀な魔術師だった彼女から技術を賜ったのよ。アイツの『セラ』って呼び名は、舌っ足らずだったころの名残りね。忘れてちょうだい」
「あ、なるほど。可愛い呼び名ですよ」
「…照れるわねぇ」
一瞬、強い風が二人の髪をなぶった。
シェイラはうっとうしそうに緑色の髪を払いながら、懐かしむように空を見上げた。
「『凪の魔術師』…南じゃあんまり知られてないかしら。槐の森に大都からの侵攻があった時、魔術師を含む騎士団の中隊をひとつ潰してね」
「中隊って…どのくらいの規模なんですか?」
「普通なら200人程度なんだけど、その中隊は魔術師を多めにしていてね。魔術師4人と騎士が150程度だったそうよ」
優れた魔術師1人なら普通の騎士200人に相当するから、と笑ったシェイラの言葉に、澄蓮はますます遠い目をした。
魔法があったり騎士がいたり、そもそも騎士1人の力の基準がわからない。
「ひゃくごじゅー…」
ということは、高校の1クラスが35人だから…4クラス以上の生徒を相手にするようなものなんだ…。
ひとりで150人強と対決なんて……無理でしょうに!
力の差が大きすぎて、非常識にもほどがある、と澄蓮はうめき声をあげた。
それに、なぜこの世界では魔術やら騎士団やらと、実力行使が基本なんだろうか。
野蛮すぎる、というか命を大切に、という考え方はないんだろうか。
陽斗は、胡蝶にはゲームのような魔獣や妖精などは存在しない、と言っていた。
それなら戦う意味はないんじゃないか、と考えたのだが、澄蓮は先程ラルダたちが話していた内容を思い出した。
『また盗賊が増えてきてね、その討伐のために大都から騎士様たちが派遣されてくるらしいの』
そうだ、ここはそういう場所なんだ。
人が人を襲う、世界。
それはさっきも考えたことなのに。
(うぅ…またグルグルしてきた…)
「師匠は強くてね。あたくしに魔術を、息子のカインには剣術を教えてくださったわ」
今は魔術と剣術とを扱える魔術師は少ないのだけど、と笑ったシェイラは、少しだけ寂しそうだった。
カインが22歳、ならその母親はもう40代のはず。
…もう、亡くなったのだろうか。
こっちの世界の平均寿命は分からないが、日本のように100歳まで生きる人がいるような場所には思えない。
澄蓮は一度口を閉ざして、明るく振舞ってシェイラに尋ねた。
「どんな感じの人だったんですか?やっぱりカインさんに似てるんですか?」
澄蓮の問いにシェイラは一度カインを見やって、思いきり、遠慮なく、容赦など欠片もなく、顔をしかめた。
否定というか、心底嫌がっているような感じだ。
「違う違う。師匠はあんなヒョロい感じじゃなかったわ。怒ると人類を死滅させるくらいしそうな恐ろしい人だったもの」
「……………そうなんですか…」
火山の噴火と例えられる人にそこまで言わせるとは、カイン母…いったいどんな人だったんだ。
頬を引きつらせる澄蓮に、シェイラは何かを思い出したのか、苦笑しながら話を続けた。
「普段はこの村の人みたいな雰囲気なんだけどね。心配性で、かと思ったら結構豪胆で。カインの父親は狩人だったんだけどね、仕事の時はしょっちゅう師匠に心配されて戸惑ってたわ」
「やっぱり、狩人って仕事は大変ですもんねぇ」
野生の獣と対峙する狩人というのも、やっぱり小説やゲームでしか知らないけれど。
毛皮をとったり、肉をとったり、日々の生活を担う大切な仕事。
時にはクマなんかに襲われて生死をさまようこともあるのだろう。
そりゃ、心配性な奥さんだったら、旦那さんが危ない仕事をするのは心配なんだろうな。
そう思って頷いた澄蓮と現実はどうやら違ったらしい。
「そうね。特に師匠は子供の教育に熱を上げていたから、フィオールさんが倒れたら一家で野垂れ死ぬしかなかったのよ。裕福な生活じゃなかったし」
(…旦那さんの心配っていうか…家族の生活の心配なんですか…)
女性ってしたたかだ…。
笑うに笑えないのは、きっと澄蓮の母も同じようなタイプだからだろう。
心中を察します、と言いかけたのは、まあ、おいておくとして。
「ま、師匠のスパルタ教育のおかげで、あたくしたちも発てることになったのだし。感謝しているわ」
「たてるって、」
「師匠からは一応一人前と認められたからね。大都で試験を受けて、雇ってもらおうと思っているのよ。そのための旅をしているの」
「へぇ…。魔術師にも試験があるんですね…」
「ええ。知らなかった?」
「はい、全く。魔法とか魔術自体、最近知ったばっかりなんで…」
ていうか昨日知ったばっかりなものですから。
そう言って澄蓮は苦笑したのだが、シェイラにとっては笑って済ませられる問題じゃなかったらしい。
目と口を大きく開けて、驚きを顔全体で表現してきた。
「魔術を知らなかったですって!!?」
突然の大声に、澄蓮は数センチ飛び上がってしまった。
キーン、と耳鳴りが耳の奥でしている。
いったいなんなんだ、と目を白黒させた澄蓮に、シェイラはひたすら驚きを隠さないまま慌てふためていた。
「え、ちょっと、どういうこと!?じゃあどうやって生活してきたの!?」
「えーと…普通に、ですけど…」
「火はどうやってつけてたの!?水はどこから…まさか川!?じゃあ薪を作るとか野犬を追い払うとか――」
まくしたてるように質問されて、澄蓮は唖然とした。
こっちでは、魔法がないと火をつけることもできないのだろうか。
いや、でも、そんなまさか…とは思うものの、胡蝶ではなんだかそれもアリな気がする。
実際に宝石を石炭代わりに使うような世界なのだから。
「火は火をつける装置がありましたし、水も同じような感じです。薪は…石油とかで代用できますし、野犬もいなかったので…」
「マジで」
「マジです」
うわ、という顔をされた。
言っていることは信じてもらえたようだが、納得はしていないという雰囲気だ。
澄蓮からするとこちらの様式の方がありえないのだが。
世界が違うということの本当の意味を実感して、澄蓮はシェイラと同じようにため息を吐いた。
「…ちょっと失礼してもいいかしら」
にょき、と白い手が澄蓮の顔に伸びてきた。
澄蓮は驚いて思わず腰が引けてしまった。
「えっと…なんでしょうか?」
「大丈夫、額を触るだけだから」
「おでこ?なんでですか?」
「ちょっと調べたいの。嫌ならいいけど――」
思ったよりもあっさり身を引いたシェイラに、害意はないのだと理解して、澄蓮は頷いて前髪を横に分けた。
どうぞ、という了承を得たシェイラは、露わになった額に掌を載せた。
冷たい掌が心地よい。
そう感想を持った澄蓮は、次の瞬間驚いて飛び上がりそうになった。
シェイラの掌が、熱い。
耐えられないほどでもないのだが、突然の温度の変化に冷や汗が吹きでそうだった。
まるで蒸しタオルを押しつけられたような感じだ。
これも魔術とかの類なのだろうか、と不安いっぱいに見上げる澄蓮の視線に、シェイラは安心させるように微笑んだ。
「お終いよ」
時間にして10秒ほどだろうか。
あっさりと引かれた掌が乗せられていた額に、澄蓮は手を乗せた。
あれだけ熱さを感じていたというのに、額はなぜかひんやりと冷めている。
シェイラの掌に、熱を奪われたように…。
未知のものに近づいた、という実感からか、澄蓮の背中に冷たい汗が流れた。
「…スミレちゃんって、どこから来たの?」
いつか誰かから聞かれるだろうな、と思っていたのだが、澄蓮は一瞬言葉に詰まった。
なんて答えればいいんだろう。
夢の世界から来ました?
ありえないありえない。
澄蓮だって全くそんな話は信じていなかった。
自分の目で見て、体験して、それでも今、まだ世界が違うというのが信じられないぐらいなのだから。
「あたし…あたしは……」
シェイラの紫色の瞳を、見ていられない。
何て言えば正しいのか、分からない。
(――正しい?)
あれ、正しさなんて、あったっけ。
どれを答えても、怪しまれそうな感じなのに、今こうやって口ごもっていることの方が、怪しいのに。
それに正しい答えを考えたところで、正しい答えを導き出せるほど、澄蓮はこちらの世界のことを知らないのだ。
そもそも、どうして澄蓮がこんなことで悩んでいるのだろう。
澄蓮は陽斗に引っ張ってこられただけの、ぶっちゃけ被害者であるというのに、なんでこんなことで悩まないといけないのだ。
おかしいだろ、明らかに。
そう思った澄蓮はキッとシェイラの瞳を見て、言った。
どうせ隠した所でどうにもならない。
なら言うだけ言ってみたっていいはずだ。
信じるか信じないかはシェイラに任せればいい。
澄蓮は嘘を吐いていないのだから。
「あたしは、現実世界から来ました」