15.胡桃染、再会と再会
遠目にも顔色がよほど悪かったのか、澄蓮の顔を見てすぐ、カインが焦って駆け寄ってきた。
「ちょ、おま、大丈夫か!?」
「…え……」
「え、じゃないって!ちょ、こっち来いって!影!」
肩を掴まれ、その勢いによろけながら澄蓮は従った。
村では家の一軒一軒が閑散としているので、休める軒下は少ない。
その少ない家の軒下に連れられ、澄蓮はカインから押し付けられるように渡された水を口に含んだ。
春の陽気に近い陽射しだったので、熱射病ではないはずだとは思いつつ、飲んだ水が全身に行き渡るような心地良さを感じて、澄蓮はほっと息を吐いた。
「すみません、ありがとございます」
「どーも。ってか名前、スミレちゃんでよかったっけ?」
「あ、はい。カインさん、ですよね。昨日はありがとうございました」
頭を下げた澄蓮に戸惑ったのか、カインは視線を彷徨わせて、照れたように笑った。
今日のカインの服装は、昨夜見たよりも軽装のようだ。
重たそうな白銀の鎧を着けず、薄い赤色というか落ち着いた朱色に似たタートルネックの上着を着ている。
ただ、濃い灰色のズボンの上に白銀の、脛まである鎧のような靴を履いていて、そこだけなんだか重たそうに見えた。
そして剣。
あの長く大きな剣が、腰に装着されている。
剣を見詰める澄蓮の視線に気づいたらしく、カインが軽く鞘を引いて剣を見せた。
「珍しい?」
「…はい」
素直でいいじゃん、と頭を撫でられた。
カインが結構イイ男なので、何の躊躇もなく撫でられた澄蓮は頬を染めて照れた。
高校生にもなると、年の近い異性に触れる機会なんて皆無に等しいのだから、仕方がないんだ、と自分に言い聞かせつつ。
「で、何してたんだ?」
純粋な疑問で尋ねられ、澄蓮は答えに少し躊躇った。
カインのように旅をしている、というわけではないけれど、村人というわけでもない。
そもそも澄蓮はこの村に家出をして訪れたわけではないし。
この村に住み込むつもりもない。
目的は、陽斗に頼まれた、貴司たちを助けるということであって、この村にいるのは資金のため。
一時的に住まわせてもらっているだけ、というのは、旅をしている、ということなのだろうか?
「その…散策、に」
無難にそう答えると、カインは意外そうに瞬いた。
「散策って…スミレちゃんも旅人?」
「(旅人ってかなんていうか…)あー、はい。一応。昨日の朝?に、ここに来たばっかりなんです」
嘘はついてない。
っていうか自分でも自分の立場が何か分からないし。
心の中でそう言い訳をしつつ、はっきりしない答えを返して、澄蓮は壁にもたれかかった。
思っていたよりも火照っていたらしい自分の熱が、壁に吸い込まれるのを感じた。
「へぇ。じゃあ、俺らと一緒か」
「俺『ら』って…誰かと一緒に旅されてるんですか?」
「ああ。わがままで頑固で少々金遣いの荒い相棒が…」
ふっ、と遠い目をしたカインは、虚ろな感じで空を見ていた。
陽の光で少し濃い色の金髪が煌めいていた。
そういえば、よく見るとカインの髪も傷んでいる。
学校でよく見る同級生たちの髪のような艶がなくて、跳ねた髪が軋んでいる感じだ。
もったいないな、と澄蓮は思った。
それより、とカインは息を深く息を吐いて、澄蓮を見下ろしてきた。
カインの瞳は、赤色というか、陽の下で見ると少しばかり紫色を帯びた紅色のようだ。
澄蓮は小学校の飼育小屋にいた兎の目の色を思い出した。
まあカインの眼は、兎の目よりもはるかに生き生きとしているようだけれど。
「で、ダレてたのは慣れない場所だからか?」
「…まあ、そうですね。なんか考えこんじゃって…」
「ははっ。そういうタイプっぽいもんなぁ」
え、あたしそんな感じに見えるんですか。
学校の友達には悩み事がなさそうな感じに見えると言われているだけに驚きだった。
恥ずかしがればいいのか悩めばいいのか、リアクションに悩んで、澄蓮は髪の毛先をいじった。
そんな澄蓮の反応を知らずか、カインは人の良い笑顔で話し始めた。
「慣れてない場所ってキツいらしいしなぁ。あ、俺は大丈夫なんだけど、アイツ、セラがすっげぇ神経質でさ、今じゃ結構マシなんだけど、最初はヤバかったんだぜ」
「セラさん?あ、相棒の方ですか」
わがままで頑固で少々金遣いの荒いという…。
曖昧な笑みで尋ねたら、カインからは澄蓮以上に曖昧で、ちょっと哀愁を帯びた笑みを返された。
居たたまれねぇ。
「ああ。親が拾って来てさ。なんか、俺の家に来た時も、四半月ほど部屋にとじこもって、ろくにメシも食わなかったし」
「そ、それもまたディープですねぇ…」
「だろ?アイツに比べりゃ、スミレちゃんはまだ大丈夫だって。
慣れない場所でのストレスっつーもんは、しばらく何かを考えることを放棄して、食って寝るのだけ欠かさけりゃいいんだからな。そのうち笑うことができりゃ解決だ」
高校受験で滑り止めの高校に落ちた時、ショックで食べ物が喉を通らなかった澄蓮に、確か母親もそういうことを言っていた気がする。
それが生きていくための基本なのだと言われた。
「……本当ですか?」
「あ、信じてねぇのかよ!?マジだって!やってみろよ。って、それも許されないぐらいキツい環境かなんかか?」
「いやなんか家主さんとかめちゃめちゃ優しくて、なんか逆に迷惑かけてて申し訳ないっていうか…」
「そっか。気を使うってのも疲れるからな、早めに打ち解けるか破綻するかした方が楽なんだが…」
「ちょ、破綻はめちゃくちゃ嫌ですよ!なんですかそれ、バッドエンドじゃないですか!」
いきなり文無しで放り出されるとか、絶対ムリ。
…でも全然手伝いとかしてないから給料とかももらえるはずがない…ってことはやっぱりバッドエンドか!?
ぐぐ、と頭を抱えた澄蓮の頭を撫でて、カインは朗らかに笑った。
「っはは!元気っぽいじゃん。よかったな」
「…ありがとうございます」
「こーゆー時はお互いさまさ。スミレちゃんはまだ若いんだし、これから積み上げてきゃいいんだって」
うわ、なんか先生に言われたぞ、そういう感じの話。
いったいこの人は何歳なんだ、と気になった澄蓮は、別に女性ではないから聞いてもいいか、と考えて、正直に尋ねることにした。
じゃないと気になって眠れない…ということではないが。
「…カインさんって、お幾つですか?」
「え、あー、今年で、22かな」
にじゅうに、と口の中で繰り返す。
22歳といえば、大学を卒業するぐらいの年齢だろうか。
これから社会の荒波にのまれていく年齢。
ということは、まだ親の保護下にいるような年齢でもあるのだけれど…。
「にしては考え方がしっかりしてますよねぇ…」
「え、なに?ソレ言外にけなされてる!?」
「え、いやいや全然!日本…あたしの住んでたトコでは、カインさんの年齢ではまだ子どもっぽい…っていうか、大人になりきれてない人が多いんですよ」
つーか親戚の兄ちゃんとかそうだし。
部屋なんかゲームとマンガであふれてるし。
…時々お邪魔して、その恩恵に預かっているのはナイショ。
「マジかよ。じゃあどうやって生活してくんだ?」
「最近は大学を出て働き出すまで親に養ってもらったりってのが多いんじゃないかなぁ。あ、大学ってのは勉強する所で、大学院まで行ったら24歳まで親に頼みっぱなしになりますね」
「…冗談だろ!?つか24まで勉強とか、親は迷惑に思わねぇのかよ?てか金かかるし、そんなん人生の半分近く他人に寄生してんじゃねぇか!」
寄生…といえば寄生だけど。
それを喜ぶ親もいるかもしれないから、言い方はどうかと思うけど。
ていうか24歳って人生の半分もないですよ。
あ、こっちじゃ違うのかな?
「まあ、そう考える人は義務教育…は15歳か。最低でもそれ終わるまでは働いちゃダメなんで、その後働きに行きますね。
でも近年は18歳、もしくは22歳まで勉強してから、ってのが主流です」
学校の授業で習ったのはそんな感じだった。
…うろ覚えだけどね!
「じゃあ、商いとかの相場とか、品の善し悪しとか、話術みてーなのはその時に学ぶのか?」
「や、そういう学校もあるかもなんですけど、大抵の人はそういうことは自分にとって必要な時に学んだり、その道のプロを雇ったりしてやるんじゃないですか?その道のプロを育成するための勉強でもあるし」
「…うわ…マジかよ。じゃあマジで他人に依存しねぇと生きていけねーのかよ。そんなん、互いに負担になるだけだろ?
なんで自分でできることを自分でしねーんだよ。その道極めるったって、生きていくのに必要な分以上に、本当に必要なことなのか?」
…それは、確かにそうかもしれない。
ただ生きていくだけなら、そこまで勉強する必要はないと思う。
けれど、その道を極めるからこそ人類はここまで発展してこれたわけで、それが不必要とは言い切れないと思う。
まあ…まだ学生の身での言い分なんだけど。
「…どうなんでしょう。あたしはまだ大学に行ってないんでよく分からないんですけど…。それと、勉強したことを専門に働く人ってそう多くないと思います。
大抵の人は営業とか事務とかで会社…組織の下っ端から働き始めるんだと思うし」
「ふぅん。スミレちゃんにこんなこと言ってもいいか分かんねぇけどさ…無駄な人生だよな、それ」
おお、結構キツイぞソレ。
カインさんって結構厳しいこと言うんだな、と思った。
嫌みな感じではないから素直に聞くことができるけれど。
やっぱり日本じゃないから、八橋にくるんだものの言い方…もとい、曖昧な表現ってのは存在しないのかな。
「無駄…ですか?でも働いてもらった給料で生きがいを見つける人もいますよ。…うちの母親みたいに」
「いや、それもいいんだろーけどさ。
なんつーか、俺らはガキん時からやってることで今もこれからも働いてくんだけどな、なんかさ…せっかくの若者でいられる短い時間の間に、なんで良い師について技術身に付けねぇの?っつーこと。魔術使うヤツなんか、鍛えんのはガキのうちからじゃねぇと世の中に貴重な感性潰されるんだぜ?」
「感性、ですか?」
でもハ○ー・ポ○ターとかは魔術学校に入るのは12歳からじゃなかったっけ?
あ、11歳からか?13歳?
「例えばさ、…って、スミレちゃんってじゃあ何だ?武術も商いもしてなさそーなんだけど」
「あ、学生です。普通の」
ちょっと今こんな感じで異世界にコンニチワとかしてるけど。
と心の中で呟いておいた。
…これって普通じゃない、よね?森谷先輩とかもコンニチワしてる派だけど。
「普通で学生…なぁ。ま、いーか。学生っつーのはさ、魔術は習わねぇのか?」
「まぁ、学びはしませんねぇ」
ていうか魔術なんてないし。
占いとかは魔術に入るのかな?
ネオンみたいに宝石使ってるトコ見てたら、イメージ的にはそういう感じだけど。
「…ますます気になるんだけど。何、じゃあ何してんの?」
何って…イロイロ?
色々としか言いようがないのだけど。
澄蓮は少し悩みながら、授業を思い出して指折り話し始めた。
「え、語学とか社会情勢とか算術とか、生物、物理、化学、地学…料理の栄養素とか調理方法、簡単な工作に音楽とかの芸術系、あとは体育って競技とか…」
「…なんか…すげーな、それ全部学ぶのかよ!?」
「はい、一応。その中で一番やりたい学問を、大学で応用まで学ぶんです」
「なのにそれでメシは食っていかねぇわけかよ?マジでわけわかんねぇって…」
でもそういうもんだからなぁ、と苦笑するしかなかった。
まだ人生16年ちょっとしか生きていないから、社会の仕組みだとか、難しい話はよく知らない。
曖昧な話で申し訳ないな、と思いながら、澄蓮は言った。
「まぁ、やりたい学問って言っても趣味とかと同じような感覚なんじゃないですか?それか働かせてくれる所の人が多すぎてバランスがとれないとか。…今の日本は、そんなもんだと思います」
「ふぅん…。ああ、それじゃ、その芸術ってので感性が鍛えられんのか?例えば…そうだな、『響き大地』とか。【鐘】と【基盤】から【神話】を導き出して、【苦痛】って印象を持つとか」
「……すみません、全く意味不明なんですけど。な、なんすかそれ…宗教?」
それか占い?
意味不明な言葉に中てられつつ、澄蓮は挙手して尋ねた。
「いや、違うんだけど。…そっか。やっぱそういうことは学ばねぇのか。でもさ、そんなん学んだって食い繋ぐのは無理だろ?」
「…そうですね。頭下げて誇りを捨てて、会社って組織に染まって依存しないと、生活の糧を得られない。そういう人が多いと思います」
現にそういう人をよく見てるし、父親も中小会社に勤めているから、そういう苦労話はよく零しているから。
そうなりたくはない、と小さい頃は思っていたけれど、最近はどこでもそういうものなんだろうな、と思うようになってきた。
これを成長と呼ぶのか、挫折と呼ぶのかは分からないけれど。
「…苦労してんだな、そっちも」
「…まぁ、慣れなきゃ食べて…ってか生活していけませんから」
「そか…。…まぁ、応援ぐらいしかできねーけどさ、頑張れよ。それからあんま無茶はするなよ」
「あはは、ありがとうございます。カインさん」
「いーって。それにもう、結構元気になったみてぇだし」
「あ、そういえば…」
気持ち悪さもなくなっているし、足もともしっかりしている。
知らないうちに、ちゃんと笑うこともできていた。
「うん、やっぱ女は笑ってる方がいいぜ。…セラは別だけどな」
言葉の最後にぼそりと付け加えられた言葉に、若干の恐れがあったのはなぜだろうか。
首を傾げて、澄蓮はカインに尋ねた。
「えっと、セラさんってそんな怖い人なんですか?」
「怖い。ものすごく、怖い!なんかこう…怒ったら火山でも噴火するんじゃねーかって感じで…」
カインは、とにかく恐ろしい、とマジな顔で力説したが、澄蓮にはいまいちその恐怖は理解できなかった。
火山の噴火、と例えられた時点で理解の範疇を超えていたし、むしろそこまでいう女性とはいったいどんな人なのだろう、と興味が湧いていた。
そんな感じで話していた二人の所へ、一人の女性が近づく。
「ちょっとカイン!アンタ、いったいどこで稽古、を………んん???」
その声は、澄蓮がついさっき聞いた声だった。
陽の光の下でキラキラ輝く、緑のグラデーションが風に揺れて綺麗で。
真っ赤に塗られた唇は、陽の下でもよく目立つ。
緑色と灰色の布地に、白い手が映えていた。
「げ…ヤベ…」「あ、シェイラさん!」
カインと澄蓮は、緑髪の魔術師に反応を返した互いを、驚きに丸くなった目で見た。
そしてシェイラの顔を見て、隣にいる人物の顔を見て、ほぼ同時に首を傾げた。
「「え、顔見知り?」」
今度はピッタリ同時に、全く同じセリフを言ったカインと澄蓮を見て。
シェイラは、澄蓮が抱いていた上品な女性のイメージからは少し離れた、大きな笑い声をあげた。
「あっはははっ!な、なに一緒に同じこと言ってんのよ!オモシロー!」
訂正、シェイラはなんとも豪快な笑い声をあげた。
澄蓮は少しだけ、バッチリ化粧をしているシェイラの化粧崩れが心配になった。
そういえば二人とも、北の槐の森から来た、とか言ってた気がする。
今更気づいた澄蓮は、火山が噴火するように怒る恐怖の女性と、腰が引けている相方という組み合わせを前に。
色合いが派手だな、と平凡な感想を抱いた。