14.人色、考えすぎの少女が思考
ネオンはしばらく仕事場にこもるということで、澄蓮がしておくべき用事はないらしい。
それを確認して、さっそく外へ出てみることにした。
本当は飲み物ぐらい出したかったのだが、いろいろと勝手が違いすぎて無理だった。
茶葉も茶器も違うどころか、着火方法から分からない。
ネオンは何度も、あっという間に紅茶を用意してみせてくれたが、火をつけるところを見ていなかったのだから仕方がない。
ライターもマッチも、火打ち石自体なかったのだから。
料理や茶どころか、湯だって沸かせられないじゃん。
覚えなければいけないことがまた増えた、と澄蓮は唸った。
扉を開け、外へ出る。
外に出るために靴を履かないって慣れないな、と思いながら、見慣れた自分の革靴はコンクリートで舗装されていないむき出しの地面を踏みしめる。
今はたぶん9時ぐらい。
現実では何時だろう。
寝た時は日付が変わっていたはずだから、3時頃?
けどこっちはまだ朝…ということは、胡蝶で夕方に眠らないと、現実で昼を過ぎてしまう?
そういえば、と澄蓮は陽斗が消える前に言っていた言葉を思い出した。
『胡蝶でしばらくおったら時間の調整は自然と身に付くんや』
確かそう言っていた気がする。
(ってことは…あたしもしばらく胡蝶にいたら、寝坊とかしないようになるってこと?)
柔道をしている貴司は朝練で早起きしないといけないだろうから、時間の調整ができないと困るだろうけど…というか普通の生活をするなら時間が調整できないと困るけど…。
便利でいいなぁ、魔法世界。
なんでもアリだなぁ、魔法世界。
…ここでは絶対生活したくないけど。
野犬とか怖いし。
…宝石を石炭代わりとか無理…精神的に…無理!
悶々としながら石を蹴っていた澄蓮は、聞こえた話し声に顔を上げた。
今澄蓮が着ている柔らかな薄黄色の服をくれたラルダと、もっと向こうの方に住んでいる村の中年女性の2人がいた。
確か名前はリエット、元気な甥っ子を村の外からもらって育てている、上品なおばさま。
今はいないが、ジェアという女性がいて、その女性が羊毛から糸を紡いで、染料で染める仕事をしている。
ジェアが作った糸でリエットが布を織って、それをラルダが加工して村の人々に渡されているのだったはず。
難しい顔をしているが、何か問題でもあったのだろうか。
けれど話している雰囲気はなんだか井戸端会議というよりは内緒の愚痴大会みたいな感じだ。
そういえば服のお礼をもう一度言おうと思っていたんだ、と思いだし、澄蓮は二人の女性の所へ行った。
「おはようございます、ラルダさん、リエットさん」
「あら、おはようスミレさん。まあまあ、似合ってるじゃない!」
「おはよう、スミレさん。若い子って何を着ても似合うからいいわねぇ」
私の若い頃そっくりよ、と笑ったラルダに、澄蓮はこっそり体重に気をつけようと思った。
リエットも村に若い女性が少ないからか、眩しそうに澄蓮を見て微笑んだ。
「その萌黄色もいいけれど、スミレさんには藤色も似合いそうねぇ。今度、スミレさん用に服を作ってみましょうか」
突然の申し出に澄蓮は慌てたが、ラルダも面白そうに目を輝かせて、澄蓮の頭から足までをじっくり眺めた。
そしてひとつ大きく頷いて、それいいわね、と笑った。
「私があげた服はちょっと大きいみたいだし、せっかくだから取り立てが来る前に作っちゃいましょ」
「取り立て?」
領主に年貢を納めるとか、そういうのがあるのだろうか、と不思議そうにした澄蓮に、リエットは困ったように言った。
「ええ。前魔王陛下がいらっしゃった時は良かったのだけれど…。また盗賊が増えてきてね、その討伐のために大都から騎士様たちが派遣されてくるらしいの」
盗賊なんてこんな小さな村に来ることはまずないんだけれどね、と言っているリエットにラルダも頷いた。
討伐のために騎士が派遣されてくるというのは、村人にとってはとても迷惑らしい。
「タイト?」
「そう、ここから一番近い大きな都、大都【紅】から。おかげで騎士様の滞在のためとお礼費、大都への感謝費が…ねぇ?」
「そうよ。馬鹿にならない額を要求してくるに決まってるわ。魔王陛下にかまけて自分たちはろくに働きもしなかったってのに…陛下の代替わりで基盤が揺らいでるのをいいことに…」
ぶつぶつと文句を言っているラルダとリエットに、先程まで難しい顔で話していたのはこのことか、と澄蓮は気づいた。
大きな都ということは、『大都』とは都市部のようなものだろうか。
ということは、この村のように、『紅』という色名は場所の名前なのだろう。
そこから『騎士』が派遣される?
あれ、これって何のゲーム?
(んん?滝先輩がこの国をまとめるまで、小さな村が点在するだけの無法地帯じゃなかったの?
大都から騎士が派遣って?実権は魔王が持っているんじゃなかったの?
それとも滝先輩を裏切った人が新しく魔王になって制度が変わったとかいうオチ?)
こんなことならちゃんと真剣に社会の授業を勉強しておけばよかった。
頭の中の整理がつかず黙り込んだ澄蓮に、リエットは勘違いしたのか、気遣うような声色でこの話はおしまい、と切り上げた。
ずいぶん話し込んだのか、もう太陽が高い場所に登っている。
二人も仕事を思い出したのか、慌ててエプロンを叩いた。
「それじゃあまた夕方に。布を持ってくるわね」
「スミレさんに作ってあげるわね。楽しみにしていてちょうだい」
「え、本当にいいんですか?」
もちろんよ、と頷いた二人に、澄蓮は久しぶりに感動した。
自分のために、布を裁つところからしてもらえるだなんて、生まれて初めてのオーダーメイドだ。
まだ会って1日程度なのに、そこまでしてもらうのは逆に申し訳ない。
遠慮がちな澄蓮に、ラルダはこっそりと耳打ちした。
「その代り、ネオンちゃんのことをお願いするわね」
まるで息子を心配する母親のような言葉に、澄蓮は少し笑って。
もちろんです、と頷いた。
どこの世界でも、血が繋がっていなくても、母にとって子は大切だということだろう。
淡いベージュ色のロングスカートをたくし上げたリエットは、家が遠いのでそのまま笑顔の駆け足で去って行った。
なんていうか、この村のたくましい女性の姿を見た気がする。
特に行くあてもなかった澄蓮は、村の地理でも覚えようと思い、ラルダに別れを告げて、村でももう少し家の多い方向へと向かった。
ふと横に視線をずらすと、丘で羊を放牧しているアジックが見えた。
黒と白の羊が、モコモコの体を揺らして、ゆっくりと移動していた。
学校やら何やらに追われていないからか、澄蓮にはこの村の雰囲気は平和にしか感じない。
通勤のために急ぐ人もいない、目まぐるしく道を走る車もない。
けれど、盗賊が増えているという。
陽斗は、『魔王』という存在を創ることによって恐怖と憎悪の対象を一点に絞った、と言っていた。
そして今さっきリエットが、前魔王…陽斗が魔王であった時は、盗賊が減っていた、というニュアンスで話していた。
「…滝先輩を裏切った人が、魔王の後釜に座ったから…犯罪が増えた?っていうか、減っていた犯罪がまた増えたってこと?」
(え、ってことはひょっとしなくても…滝先輩ってメチャクチャすごかったんじゃないの!?)
そこでようやく、澄蓮は陽斗が言っていた、魔王というより国王のポジションだった、という意味を理解した。
権力をもつ者は、良くも悪くも他人に影響することを澄蓮は知っている。
国のトップなら、敵も半端ないだろう。
そんな敵が、いち高校生の命を狙っている。
それを、澄蓮は食い止めなければならない。
「無茶だ…」
痛む頭を抱え、澄蓮は項垂れた。
そもそも、どうして貴司たち魔王組が命を狙われているのか、陽斗は説明してくれなかった…と思う。
胡蝶の基盤がどういうものかも理解していない澄蓮には、何が重要なモノであるのかまで分からない。
しかも一度しか説明されていないのに。
はあ、とため息を吐いて、日差しを気にしながら澄蓮は歩いた。
川が近くを流れているからか、涼しい水音と川の清涼な匂いが風に乗って漂っている。
こんなに穏やかなのに、盗賊が出るだなんて。
(…胡蝶って、怖いな)
盗賊は、どうして盗賊なのだろう。
村から物を奪わないといけないほど、貧窮しているということなのだろうか。
それとも、村を襲うこと自体に意味があることなのだろうか。
澄蓮はゲームでしか異国を体験していなかったからか、武器や魔法というのはモンスターや盗賊などの敵を倒すための道具であるとしか認識していなかった。
けれど、この胡蝶では、魔法で羊の出産を手伝ったりもする。
宝石によって、お湯を沸かしたり、金属を加工したりもする。
一歩間違えば人を殺す道具になるものが、近くに散らばっている。
それが怖くないわけではない。
けれど、それを言えば、現実だってそうなのだ。
台所にある包丁で人を刺すこともができるし、洗剤を飲めば死んでしまう可能性もある。
国語の授業や小説で、道具を扱う人の意思で全てが決まる、という話があった。
昨夜、野犬を追い払うのだって、カインが剣(魔法?)で追い払ってくれなかったら、澄蓮は重傷を負っていただろうし、へたをすれば死んでいたのだ。
なら同じように、この村の人たちも、盗賊が来れば剣や魔法で追い払うのだろうか。
騎士が来たら、剣で盗賊を斬りつけて殺すのだろうか。
人を殺してはいけないという法律は、ないのだろうか。
(ああ、そっか。国が成り立ってなかったら、法律なんてできるわけないんだ…)
自衛のために、野犬や盗賊を倒す。
生き延びるために平和な村を襲って強奪をする。
自分たちのために、権力を振りかざす。
人が人間として生きるために避けられない、エゴ、傲慢。
現代日本に生まれ育った澄蓮には想像でしかないものが渦巻く、恐ろしい場所。
それが、胡蝶。
文字通り、世界が違う。
違いすぎて。
「あれ?えーと…あ、思い出した。スミレちゃん!」
ネガティブな思考に捕らわれて青ざめて立ちすくんでいた澄蓮に、低い男性の声がかけられた。
のろのろと顔を上げた澄蓮の目に、とても楽しそうな笑顔が映った。
短い金髪を尻尾のようにくくった、赤目の男性、カイン・オルシスが、腰に剣を佩いて大きく手を振ってきた。