13.翡翠色、雷を扱う魔術師
遠くで、名前を呼ぶ声が、聞こえる。
誰だっけ。
聞きなれない声に違和感を感じ、澄蓮は目を開けた。
ぼやける視界に瞬きでピントを合わせると、こげ茶色の木目の床が顔の傍にあった。
「おはよう、スミレさん」
少し離れたところに、毛布を畳んで持つネオンがいた。
ここが胡蝶だと気づくのに少しかかって、澄蓮は頭を起こした。
緑色を残したレモンイエローの髪が、動きに合わせて揺れている。
眠気はない、けれど、寝た気はしない。
それもそのはずだ、さっきまで布団の中で眠れないと身動きしていたのだから。
胡蝶に来たということは、現実の世界では眠ることができたということで。
つまり、澄蓮は今、本当は眠っているということで…。
「…実感がない……」
「どうしたんですか?」
「あ、ううん…」
なんでもないよ、とネオンに返して、澄蓮は毛布を畳んで片付けた。
手も足も思った通りに動くし、触れる感覚もちゃんとある。
そんな自分の体が、本当は眠っているものだとは、思えなかった。
改めて意識すると、なんだか奇妙な感じだった。
どうやら目覚めたのは澄蓮が一番最後だったらしい。
太い指でさらさらと野菜の皮を剥きながら料理を作るアジックに、食事を作る自分の父親を思い出して笑いそうになった。
母親のようにエプロンが似合わないのに、料理の手つきがいいから台所に立つ姿は似合ってる。
もともと羊飼いが職業だからか、アジックもそのタイプのようだ。
手伝います、と言った澄蓮にアジックは皿を出すように指示して、昨日の残りのスープを温め始めるらしく、かまどの蓋を開けた。
どうやら胡蝶では魔法が発達しているけれど、暖炉やかまどなどは石造りの物らしい。
土足の家にレンガの家、魔法に宝石がいっぱい…。
澄蓮はまるで絵本の中に入ったみたいだと思った。
しかしかまどの中に、半分ほど焦げた薪に交じって何か光る物が見えた。
「…なんだろ……」
「こらこら!嬢ちゃん、危ないって!」
「あ、ごめんなさい」
よいしょ、と屈んだアジックは、澄蓮が知識として知っているよりも高い位置に穴の開いているかまどを覗き込んだ。
まだ火が入っていないかまどの中は、煤のせいもあって、暗い夜の闇の中のよう。
光っていたのはどうやら小さな石らしい。
アジックが中から取り出し確認する横に、澄蓮も近づいて見させてもらった。
携帯電話のボタンほどの小さな石がいくつか、アジックの大きな掌の上で転がっていた。
「こっちの地方じゃ紅玉に赤色琥珀も加えるんだ。北にある紅の琥珀の森から採れるのを分けてもらってなー」
一粒渡された琥珀を指でこすって、表面の煤を拭った。
こげ茶色に近い紅色の石は、樹脂でできているためとても軽い。
かまどに入れるものだからか、純度は低いようだが、十分に売り物になると思われた。
これを燃やすのか、と思うとなんだかとっても惜しい。
「へぇ……もったいない…」
「ん?なんか言ったか?」
「いえいえ何も!お皿はこれでいいですか?」
「おう。助かるぜ」
ああ、なんだ宝石をかまどで燃やすって。
もったいない…もったいないじゃないか!
ていうか何だ、宝石って石炭か何かか!?
しかも紅玉ってルビーか!?ルビーなのか!?
ああもう価値観が変わりそう…。
ってか待てよ?ってことはアレか。
こっちの金持ちは石炭を飾りにしてるようなもんなのか。
それ以前に庶民にも宝石ザクザクって何だ、価値観どうなってんだ。
わけわからーん!!!
「…ミレさん…スミレさん?どうしたんですか?」
はっ、と気付いて目を開けた澄蓮の横に、心配そうな顔をしたネオンが立っていた。
澄蓮を何度も呼んでくれていたようだ。
申し訳ないと思いながら、澄蓮はへらりと笑顔を見せた。
「や、なんでもないない」
しっかりしないと、と澄蓮は深呼吸した。
ここには、自分がこの世界の人間ではないと知っている人がいない。
騙すといえば聞こえが悪いけれど、説明したところで信じられないだろうから、しかたない。
少なくともこの世界の常識ぐらいは知っているふりをしないと。
怪しいからと追い出されてはお話にならない。
時折心配そうにこちらを窺ってくるネオンの視線に大丈夫だと笑顔で返して、澄蓮は食事を食べた。
少し味が薄い、素朴でおいしい食事だった。
食器を洗い、ネオンと澄蓮はアジックに礼を言ってネオンの家に戻ることにした。
ほどよく陽が昇っているので、おそらく8時頃だろう。
アジックも羊に餌をやらないといけないから、と早々に山へ出て行った。
そして気になって振り返った澄蓮は、アジックを取り囲みながら山に入っていく羊に思わず叫びかけた。
巨大すぎだ。
オスよりメスの方が大きいのか、昨晩見たよりも小柄な羊も半数ほどいたのだが…まるで空から降ってきた白と黒の雲が地面を這っているような光景だった。
背が高く大きく見えたアジックが、羊毛にまみれて姿が紛れている。
(…喰われるって)
あの羊が肉食だったらきっとこの村はお終いだ。
そう思った澄蓮は、今見たものを早急に脳内から削除して、ネオンの背中を追った。
丘を下りきって、見張り台のような高台を過ぎたころ、ネオンの家の前に誰かがいるのが見えた。
遠目にもカラフルな服装だと分かる。
この世界の服装はカラフルなのだろうか?
それにしてはこの村の人たちの服の色は主に錆色と薄茶色で質素な気がするけど。
「ネオン、あれってお客さん?」
「たぶんそうだと…。少し早いけど、開店しましょうか」
「了解っ」
アルバイトは初めてだが、昨晩のネオンの説明はわりと分かりやすかったから、きっと大丈夫だろう。
そう思いながら急いだ澄蓮は、扉の前でトランプのようなカードを切っていた女性に挨拶をした。
「おはようございます」
「お客様でしょうか?」
「ええ。細工師の家はこちらでよかったかしら」
「はい。お待たせして申し訳ありません。中へどうぞ」
澄蓮とネオンの声に顔を上げた女性の美貌に、澄蓮はため息を吐きそうになった。
少し気が強そうな瞳は、奥に桔梗色を隠した薄い藤色の宝石のよう。
腰の辺りまで伸びた髪は朝の光に艶々と輝く濃緑色…残念なことに毛先は傷んでいるらしく翡翠色に褪せているようだったが、そのグラデーションもうっとりするほど美しかった。
人工的な色ではないからか、本来なら人が持たない奇抜な髪の色や睫毛の色なのに、こんなにも綺麗。
強気を表すように引かれた真っ赤な口紅が、色素の薄い白い肌に映える。
薄緑色と濃緑色の無地のロングスカートに、薄汚れた灰色のマントが似合わなかったが、そんなのが気にならないほど美しい女性だった。
しっかり伸びた背筋とまっすぐな視線が、気高さを示しているようだ。
それに何より、落ち着いた大人の女性の美しさが、内面からにじみ出ているようで。
こんな女性になりたいな、と澄蓮は思った。
「何かしら?」
物珍しさにじろじろと見てしまっていたらしく、澄蓮は照れてごめんなさい、と謝った。
「や、あんまり綺麗な人だったから…」
「…ぉぉぅ……素直でいい子ねぇ…」
どうやら気に入られたようだ。
自分よりも少し背の低い少女からの褒め言葉に、朝待たされたことなど吹き飛んだようだ。
機嫌良さそうに笑んだ女性は、ネオンに勧められて居間の椅子に座った。
ネオンが手早く入れたお茶を運んで並べた澄蓮は、仕事の話のようだから、と外へ出ておこうとしたのだが。
「あら、別にいてくれても構わないわよ」
「よろしいのですか?」
「ええ。どうやら魔術師ではないようだし」
魔術師じゃないならオッケーなのか。
異世界って分からないな、と思いながら澄蓮はネオンの隣に座らせてもらうことにした。
やっぱり仕事の内容も気になるし。
金木犀のような香りがする紅茶を一口飲み、さて、と女性は口を開いた。
「あたくしはシェイラ・ラファエル、雷の魔術師よ。最北の紅い槐の森から旅で来たの。腕の良い細工師がいると聞いたので寄らせてもらったわ」
「細工師のネオンと申します。わざわざ来てくださってありがとうございます」
「手伝いの芳村澄蓮です」
「よろしく。さっそくだけど―――」
ゴトリ、と木の机に重々しく、澄蓮の肩ほどまでもある長さの棒が置かれた。
しかしただの重く長い棒ではない、澄蓮が想像したものに近い、魔術師の杖だった。
杖の柄の部分はこげ茶色の艶やかな木の棒で、端に行くほど太く、反対側は細くなっている。
太くなっている方の先端には、握り拳ほどの大きさの卵形のルビーが、白銀の蔦に絡まれたデザインで上品に飾られている。
反対側、柄が細くなっている方には、銀杏の葉のような不思議な形が4つ外側に向けてボール型を作っているというか…。
(なんとも形容しがたい形…しかもでかいよコレ)
ボーリング大、人の頭ほどの大きさ。
重たそうな白銀の塊、としか言いようがないその先端には、やはりこちらにも反対側と同じようなルビーがむき出しでつけられている。
売ったらいくらになるんだろう、と冷や汗を流しつつ、澄蓮はネオンとシェイラの会話に耳を傾けた。
「ああ、不純物が混じっていますね。それに少し緩んでます…」
柄が太い方のルビーと、飾りが大きい方のルビー、両方を指でそろりとなぞってネオンは呟くように言った。
そしてどうやら両端の白銀と柄の木材の接続が緩んでいるらしい。
見ても全く分からない澄蓮は、ネオンのプロの眼にただ素直に感心した。
シェイラはネオンの応えに満足そうに頷いて、マントの下から麻袋を取り出した。
重たげに置かれたその袋の口を開いて、中身を机の上に取り出した。
出てくる出てくる、銀の塊にルビー、他の色とりどりな鉱石まで…。
目を丸くして絶句した澄蓮に気づかなかったのか、シェイラはこっちは報酬に、と色とりどりな鉱石を分けて差し出した。
「質としては十分だと思うのだけど…どうかしら?」
「…はい、問題ありません。上質な紅玉ですね。紅い紅玉の湖のものでしょうか?」
(また知らない地名が増えた…!)
嘆く澄蓮を放って話は進む。
ニヤリと笑ったシェイラの笑顔が、ちょっと毒々しい。
「ふ…さすが、若苗の細工師…見ただけで分かるの?」
「旅の方々のおかげです。…それでは、滞在は何日ほどですか?」
「決めてはいないけれど…修理には何日ほどかかるかしら」
「完璧な状態にするなら、3日あれば」
「じゃあそれで頼むわ。ああ、診断はいつがいいの?」
診断、とはどういうことだろうか。
身体検査もしているとか?
ネオン…恐ろしい子…。
「そうですね…精密にするなら毎日来ていただけると助かりますが…」
「それじゃあまた明日、これぐらいの時間に来るとするわ。お嬢さん、あなたはなんて呼べばいいのかしら?」
「!あ、えっと、澄蓮って呼んでください、お姉さん」
「シェイラでいいわ。それじゃあスミレちゃん、またね」
「あ、はい。さようなら」
マントを翻し、颯爽と出て行ったシェイラの後ろ姿を見て、澄蓮は息を吐いた。
新出単語が多すぎて頭がパンクしそうだ。
まだまだ常識を知っています、という顔をするには道のりが遠い。
楽しそうに杖を手にしたネオンが、紅茶の残りを飲み干して立ち上がった。
「それじゃあ、これから作業に入るから…洗い物を頼んでもいい?」
「あ、うんうん。まかせちゃって」
ありがとう、と言って材料を手に二階へ上がって行ったネオンの後ろ姿を見送って。
すっかり冷めた紅茶を、ぐびりと胃に落とした。
冷めるとミントのような清涼感が鼻を抜ける紅茶は、憂鬱そうな澄蓮の顔を映して揺れた。
「…あたし、こんなのでやってけるのかな」
ていうか物語を先に勧めるためのフラグが全く見当たらない。
紅茶を飲み干し、澄蓮はカップを持って立ち上がった。
カップを洗って、ネオンの所に顔を出そう。
ネオンから用事がないか聞いてみて、ないようだったら村を探索してみよう。
少しでもこの世界の、常識程度でいいから知識を手に入れよう。
無造作に机の上に残された鉱石を見下ろして、澄蓮は気合いを入れた。
本来の目的である陽斗関連のことより何より、とりあえず1番に知りたいことは、この世界の宝石の価値だったが。
遅くなってすみません…!
今後もちょっと遅くなるやもしれませんが…ノってる間にサクッと出せたら…いいなぁ…と……。
…ガンバリマス。