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魔王の見る夢  作者: 木枯 雪
序章
16/41

12.千草鼠、レタスと牛乳

半泣きでランプをかざした澄蓮を見つけたネオンは、真っ青になって澄蓮を心配した。

持ってきた澄蓮の服を取り落としてしまいそうな感じだ。

しかし澄蓮のつたない説明を聞いて、そして周りの木に付着していた狼の毛や、薙ぎ払われた雑草を見て、安心したように溜息を吐く。

何かを確かめるように綺麗にカットされた雑草の先に触れた。



「迅き風の魔術……魔術師の方かな…」



「魔術師っていうか…魔術師って剣で戦うの?」



カインの持っていた、白っぽい銀色の剣を思い出して尋ねた。


そういえば、カインさんの剣は白い光を纏っていた。

ってことは、ラ○トセ○バーみたいな剣だと思っていたけれど、あれは魔法?



「剣?じゃあ、魔剣士の類かな…」



剣で魔法を使えば誰でも魔剣士?

その辺りの定義が分からなかったが、澄蓮にとっては魔法が使える時点でどんな職業でも同じようなものだった。


それよりも、澄蓮は疲れていた。

理解できないことの連続だったこともあるが、何より環境が変わったことへのストレスが大きかった。

しかも巨大羊の出産まで手伝わされたのだ。

空腹も気にならないぐらい、疲れ果てた。



「ネオン…疲れた…」



そう呟いた澄蓮をネオンは微笑ましく見て、そうだね、と頷いた。



「うん。じゃあ、アジックさんの所に戻ろう。何かお腹に入れて、湯を浴びて、それから寝よう」



「何から何まで、ありがとう…」



気にしないでいいよ、とネオンは澄蓮の手を取って丘を登った。

澄蓮に兄はいなかったが、もしいたらこんな感じだったのかな、と思いながら手を引かれて歩いた。

なんとなく、ヘンゼルとグレーテルを思い出した。


羊の鳴き声が聞こえるまで近づいた頃、ふと風向きが変わった。

その時澄蓮が握っている匂い袋の匂いが届いたのか、ネオンが小さく首を傾げた。



「あれ?スミレさん、何か持ってる?」



「え?…あ、うん。カインさんが動物避けに貸してくれたの」



「これは…槐と木天蓼かな。よく考えられてる」



「モクテンリョウ?」



「またたびです」



またたび?

ネコを泥酔させるという、あの?



「ちなみに…犬とかに効果は…?」



「この匂い袋は加工してあるようだから、ある程度の動物には効果があると思うよ?」



「そ、そっか…」



澄蓮は安心して匂い袋を見た。

格好よく澄蓮を助けて、猫をメロメロにするブツを渡して颯爽と去る剣士なんて、残念すぎる。


そんな話をしているうちに、アジックの家に到着した。

心配そうに一番大きな小屋の前でうろうろしていたアジックは、ネオンに連れられた澄蓮を見て、ほっと息を吐いていた。

彼もちゃんと汚れた服を着替えている。

そして戻るなり即座に謝った澄蓮に、目を吊り上げて怒ろうとしていたアジックは気が抜けたらしい。

厳格な教師のように、次から気をつけるように、としつこく注意されるに留まった。

アジックがあっさりした人でよかった。


風呂を勧められ、疲れていた澄蓮はありがたく先に入らせてもらうことになった。

質素な木張りの風呂で、打たせ湯のように傾いた木の板から湯が流れ落ちてくる。

落ちた湯はそのまま少し傾いた木の床を流れて、外に流される仕組みのようだ。



「贅沢…」



澄蓮の背よりも高い位置から湯を落とす木の板の端には、細長くした朱いガラスのようなものが組み込まれている。

水が落ちる時にその朱いガラスが光り、熱を発しているようだ。

綺麗だと思って手を伸ばした澄蓮は、危うく火傷を負いかけた手を引っこめた。

どうやら魔法には、ネオンが今日して見せたように、手で材料を握っていないと発動しないということはないらしい。

この流れ落ちる湯の元である水も、ひょっとすると魔法で自動的に出現されているのかもしれない。

魔法というのは、材料さえあれば万能なのかもしれない。


植物の苦い香りの液体を泡立てて、髪や体を濯いだ。

どうせ実体ではないのだし、この際多少髪がパサついても仕方がない、と早々に諦めた。

というより、ほとんど手伝っていないのにシャンプーやら何やらを用意しろという方が無茶だ。

風呂は家で楽しめばいいのだし。


いつもなら湯船に浸かってのんびりとその日の出来事を思い出すのだが、アジックの家には湯船がなかったので、澄蓮は長風呂をせずにネオンと交代できた。

しかし湯船がないとくつろいだ気がしなかったので、そこは我慢する。

無一文の身で贅沢なんてできない。



「嬢ちゃーん、ちょーっと一杯どうだーい?」



手持無沙汰で毛布に包まって使われていない暖炉を観察していた澄蓮に、アジックがひょいとグラスを掲げた。

クモの巣のように複雑に細かく銀が細工されていて、その網目の部分を透明度が高いガラスが覆っていた。

まるで今すぐシャボン玉を膨らませられそうに見えるのは、ガラスの厚みが不均一で凹凸があったからかもしれない。

光が不規則に反射して、中の半透明の白い液体を滑らかに透かした。

顔が真っ赤ですっかり出来上がったアジックを見るまでもなく、匂いからしてアルコールだと分かる。



「アジックさん、これ、お酒ですか?」



「おーう!アジェルっつー酒だーぞー」



アジックさん、不精髭もあって、本当に工事現場帰りのおじさんみたい…。

それになんかアジックとアジェルって名前似てるし。


失礼なことを考えながら、澄蓮はアジックから澄蓮用にと注がれた牛乳瓶サイズの綺麗なコップを受け取った。



「デルベリーチェ(祝福を)!」



陽気にコンッ、とコップをぶつけられ、大きなグラスに入った酒をアジックは水のように胃袋に注ぎ込んだ。

しかし、いきなり何かを満面の笑みで叫ばれても、理解できなくて混乱するだけだ。

取っ手のないコップを両手で温めるように持ちつつ、どうしようかと戸惑う澄蓮の元に、救世主が戻ってきた。



「あれ?アジックさん、もう飲んでるんですか?」



「ははは。悪い悪い、つい今年の出来が気になってなー」



あはははは、と陽気に笑い続けるアジックには悪いが、澄蓮は酔っ払いの男性が苦手だ。

酔っぱらいは大抵悪気なく大声を出したり肩を叩いてきたりするから、絡まれるとどうすればいいのか対処に迷うのだ。


困っている澄蓮に気づいたらしく、ネオンが髪を拭いながら曇ったゴーグルの下で苦笑した。



「大丈夫だよ。アジックさん、明日の朝には記憶がないから」



「忘れるタイプの人なのね…!」



アジックさん、恐ろしい人…!


注意したところで忘れてしまう酔っ払いなど、余計に手に負えない。

コップだけ持って、澄蓮は早々に暖炉前の位置に戻って毛布に包まった。

ネオンに絡んで羊の話を延々としているところなんて、見るだけで十二分だ。


それにしても、と澄蓮はネオンを見つめた。

湯に濡れた白い肌は血色が良くなって、蝋燭の仄明るい光に照らされてあでやかだ。

タオルから零れ落ちた長い金髪も、陽の下で見るより橙色を増していて、蛍光ペンでノートに引いた薄いオレンジ色の線に近い。

声は、それほど早口ではないし、どうかというと耳を通り抜けるような涼しさのある声だ。

特徴がないようだが、子守唄代わりにはちょうど良さそうな声。

細い体つきだし、あれで女性だったらきっと良い母親になっていただろうに。

そしたらきっとモテモテだろうにな、と澄蓮は想像しかけたがやめておいた。

寸胴な自分を見るまでもなく、想像だけでも簡単に女としての自信をなくせそうだ。



「スミレさん、お酒苦手だったら飲まなくてもいいよ」



「ん?ああ、ううん、せっかくだし…一口だけもらう」



正月や家族の誕生日にだけこっそり酒を飲ませてもらったことがあるが、家族などの内輪でもないのに酒を飲むのは生まれて初めてだ。

ちょっとした罪悪感と冒険心にドキドキしながら、澄蓮はどこかで嗅いだことのある香りに唇を寄せた。


唇と舌に触れた感覚は、なめらか。

味は素朴な甘味があって飲みやすい。

後に口の中に少し幻想的な独特の香りが残るけれど、のどが少しチクチクする感じがある。

それを紛らわそうともう一口だけ飲むと、チクチクした感じがおさまって、代わりにまた幻想的な香りが残る。

酒独特の香りはともかく、口に含んだ感じではアルコール度がないような飲み物だったので、そうやって飲んでいくうちにコップの中身が徐々に減っていく。

まるで大根のような野菜と香りの強い花で作った甘酒のような飲み物だった。


暖炉の前でおとなしくちびちびと口をつけている澄蓮に、ネオンが寝入ったアジックに布団をかけながら話しかけた。



「アジックさんの家のアジュルは、蕪とカミルレ…カモミールに、隠し味ですりおろした生姜と林檎を少しだけ加えてあるんだ。発酵時間が長いから程よく味が落ち付いているけれど、度数はそれなりにあるから気をつけ―――――」



ゴツン


木の床板が振動して微かにネオンに伝わるほど強く、その振動はあった。

ギョッとして振り返ったネオンの視界に、毛布に包まれてコップに口をつけていた澄蓮の姿はなかった。

驚いて駆け寄ったネオンの足もとで、芋虫のようにもりあがった毛布があった。

しかも手が生えていて、空になったコップが転がってた。

毛布の下からは、健やかな寝息が。



「…もう…」



仕方がない、と苦笑しながらネオンは髪から滴る雫を一度きちんと拭き取って、澄蓮の落したコップを拾い上げた。

そして突き出ていた手を毛布に戻して、蝋燭の明かりを減らした。

最近はそうでもなくなってきたが、やはり村の人々から可愛がられて育ったネオンは、自分が世話をする立場に立てたことが嬉しかった。

村の人々から信頼されていないわけではないのだが、世話をする立場に立つと、相手から信頼されていると分かることが嬉しくて仕方がない。

アジックだって、今夜のように酒が入らないと、ネオンを先に寝かしつけなければならないと思っているようだから。


これで、受けた恩を少しでも返せるといい。


そう思いながら、ネオンは2つの器を洗って、自分も毛布に包まった。

顔も知らない両親がネオンに笑いかけているような、そんな夢を見た。





「―――――れ……?…今…何時……?」



眩い光から逃れようと布団の中にもぐりこみながら、澄蓮はいつもの位置に手を伸ばした。

ひやりと冷たい金属が指に触れて、指先でそれを揺らして倒しながら自分に近づける。

何度かそれを繰り返して、布団の中に引っ張り込んだ目覚まし時計を見て、澄蓮は、目を疑った。


午後4時。


人生最長記録を見事更新した澄蓮は、何も考えず、ただ寝過ごしたことへの焦りと罪悪感だけでベッドから飛び起きた。

その瞬間、頭を電流が走り抜けたような、強烈な痛みが走った。

頭が、痛い。

血液が鼓動して流れるのに合わせて、痛みが響いてくる。


布団に埋もれるようにうずくまりながら、見た時計盤から起きなければと催促される。

よろけながら着替えて、皺くちゃになっていた制服をハンガーにつるしておく。

皺が取れてなければ明日霧吹きとアイロンでなんとかしなければならない。

まさかほぼ丸一日眠ることになるとは思っていなかった。


おはよう、と階下に降りれば、夕食を作っていた父親が呆れたように澄蓮を見てきた。



「昼寝はいいけれど、もう夕方だよ?」



今晩眠れるかい、と尋ねられて、澄蓮は言葉に詰まった。

こんな時間まで眠り続けたのは初めてだったが、今晩眠れる自信はなかった。

眠りすぎて頭が痛いぐらいなのだし。


父親に出されたヨーグルトを食べて、頭痛薬を飲んでおいた。



「お母さんは?」



買い物、と鍋を揺すりながら父親が返してきた。

そういえば今日は図書館に本を返しに行こうと思っていたのにな、と思いながら、淹れた紅茶を飲み干した。


そして案の定。

深夜番組を見ながら、ちっともやってこない睡魔に澄蓮はため息を吐いた。


胡蝶に行くのはいい。

助けてくれと言われても、澄蓮でなんとかなる範囲であれば手伝うつもりだ。

向こうで生活をするのはいいが、現実での日常生活に支障を及ぼすなら、勘弁してほしい。

今日明日はいいが、月曜からは学校もあるのに。


起きていたら腹が減ってきて、深夜に食べるのはいけないと思いつつ、澄蓮は缶詰のパイナップルを齧った。



「あら、やっぱり寝てなかったの?」



「あ、お母さん」



「若いうちは無茶ができていいわねぇ。お母さんたちなんてもう眠いわよ」



よっこいしょ、とソファの隣に座ってきた母親は、髪を拭いながらテレビを見た。

美味しそうな料理を作っている番組を見て、明日は酢豚ね、と呟いていたから、きっと明日の夕食は酢豚が並ぶのだろう。

パイナップルの輪をかじって、澄蓮は母親に尋ねた。



「ねえ、お母さん。お母さんって大学で心理学を勉強してたんだよね?何か眠りやすくなる方法とかないの?」



「そうねぇ……。いろいろと考えて眠れないっていうなら、ノートに考えていることを全部書き出してその内容を明日の朝に考えなさい!って方法があるんだけど…」



ちょっとちょうだい、と言って澄蓮のかじっていたパイナップルと蜜を食べた母親が、がっくりする澄蓮を横目に考え込んだ。

CMに入ったテレビから、陽気な音楽が流れてくる。

牛乳のCMに入った時、母親がぽん、と手を叩いた。



「あ、そうそう。よく言われているけど、ホットミルクは効果的よ」



「うち牛乳ないもん」



「あら?今晩のグラタンに使うからって、あたし買ってきたわよ?」



それを聞いた澄蓮が冷蔵庫を開けると、確かに半分ほど減った牛乳があった。

お母さんナイス!と思いながら、牛乳をマグカップに注いだ。

牛乳用の温めボタンを押して、電子レンジで温める。


澄蓮から奪って全部食べつくしたらしい缶詰の缶とフォークを手に、母親がシンクにやってきた。

恨めしそうな澄蓮の視線を無視して、綺麗に拭いたシンクに置いた缶に水を注いだ。



「他は…ゆっくりお風呂に浸かって体を芯から温めるとか…あ、そうだ!レタスを食べるといいらしいわよ!」



「れたすぅ!?」



「そう!…ああほら、野菜室に入ってるし、嘘だと思って食べてみなさいな。あたしも大学で教わった時は嘘だと思ったんだけどねー」



けらけらと笑いながら洗い物を押しつけて寝に行った母親に、少しばかりイラッときたのだけれど。



「…レタスねぇ……」



チンッ、と電子レンジが軽快な音を出した。

レタスをホットミルクと一緒に食せというのか。

溜息を吐きそうになりながら、澄蓮はマグカップに蜂蜜を落とした。

何事も、挑戦だ。



かくして澄蓮は母親のおかげで、思った以上に早く胡蝶の世界へと旅立つことができたのである。

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