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魔王の見る夢  作者: 木枯 雪
序章
15/41

11.珊瑚色、風を纏う軽口剣士

それにしても、ネオンとアジックは進むのが速かった。

地面に生えている雑草は丈がそれほどないので進みやすかったが、まばらに生える木々が邪魔で視界が遮られる。

木々を手すり代りになんとか坂を登り終えたと思えば、今度は同じように坂道が待っていた。

登下校用の革靴はどう見たって山道を進むのには適していないので、雑草に足を取られて転びかけた回数は両手では足りない。

しかも陽が落ちる速さもあって、視界は悪くなる一方だ。

ネオンとアジックがすいすいと進むのを、澄蓮は心底羨ましく思った。


なんとか小高い丘を越え、蝋燭の明かりがちらつく小屋が見えた。

息を切らせながら小屋まで行くと、その小屋は大きな小屋と中くらいの小屋、小さな小屋に分けられていることがわかった。

紺色の空と黒い大地に、橙色の明かりは少し眩しいぐらいだった。



「ほら、こっちだ」



暗がりの中、気を使ってネオンが澄蓮の手を引いて、アジックの後を追った。

どうやら小さな小屋の方から特に大きく動物の鳴き声がするようだった。

しかも甲高く、心なしか悲鳴のようにも聞こえる。

耳をふさぎたくなった。



「…大丈夫?」



ネオンが視界に入ってきたのに気付くのが一瞬遅れたが、澄蓮は少し躊躇ってから力強く頷いた。

手伝いに来たのに、怖気づくわけにはいかない。



「大丈夫…行こう」



アジックを追いかけて小さな小屋に入ると、小屋の中は一つづつ区切った部屋のようになっていて、このまま人が住めそうだった。

ここはアジックの動物たちの小屋で一番小さい小屋だったが、大きさは普通の一軒家と同じほどある。

その一室一室に、産気づいた動物が入っているようだ。


扉についた格子窓からこっそり中を覗くと、黒い羊が横たわって悲痛な鳴き声を出していた。

怯えつつ壁にかかった蝋燭の明かりを頼りに見ると、血の混じった液体が流れ出ていて、その一部に子どもの足が見えていた。

テレビで見たことがあったが、実際に目にすると血の気が引く光景だった。



「あ、アジックさん!あ、あ、足が出てるっ!」



「おう!嬢ちゃんは綿羊んとこにいるネオンの手伝いをしてくれ!こっちは俺がやっから!」



「は、はいっ!」



アジックにかっぽう着のような服を渡され、それを被って澄蓮はネオンのいる部屋へ向かった。

綿羊、と言われた羊は、名前通り綿を纏っているような羊だった。

ただし、こちらの羊は澄蓮が見たことがある羊よりも大きく、馬のように乗って移動できそうな大きさだったが。



「ね、ネオン!あたし、何を手伝えばいい?!」



「あ、ええと、僕のカバンから金の破片と藍玉の原石を取ってほしい!」



「ランギョク!?知らねーっ!…これ!?」



「うん、ありがとう!」



言葉使いが変わっている、と言う余裕もなく、ネオンは澄蓮から手のひら大の石を受け取った。

削り出した直後のような、まだ磨かれてもいないその原石は非常に薄い色で、薄暗がりの中では白い色か透明な色か分からなかった。


石なんかをどうするんだ、と羊の鳴き声にハラハラしっぱなしの澄蓮は、ネオンの手に握られた金の板と石に注目する。

手のひらに収まったそれらに、ネオンが何かを囁きかけた。


ふわり、と光が見えた気がした。



「…?今……!」



訝った澄蓮がネオンに訪ねようとしたその時、気のせいに思えた光が徐々に強くなっていった。

蛍の光が、閃光になるほどに、眩く力強い光に。



「名に…て……変え…、……鼓動せよ」



純白に水色を溶け込ませたような閃光が、部屋いっぱいに溶け込んだ。

まるで胎動するように光は瞬いて、薄い水色だけをほんの少し残して、空気に溶けた。

光が解けた、それと同時に、羊の鳴き声も薄れて。

ネオンを蹴ろうともがいていた足の力も、弱まって。

驚く澄蓮の目の前で、ネオンに引っ張られて子羊が、ずるりと。

流れ出るように、子羊が、産まれ出た。



「……で、でた…」



メェエ、と弱々しく子羊が鳴いた。

その鳴き声を待っていたように、親羊がひとつ力強く鳴いた。

ネオンを手伝いながら毛を拭いたり膜を取ったりした澄蓮の目に、それは奇跡のように映った。


人間はもちろん、動物の出産も、初めてだった。

子羊は血まみれで奇妙な臭いがして、澄蓮ほども大きさがあって、藁まみれでぐちゃぐちゃで。

決して美しい誕生というわけではなかったけれど。

その弱々しい鳴き声に、澄蓮まで泣きそうになった。



「スミレさん、泣くにはまだ早いよ。次、行こう」



「…ん!」



隣の部屋でアジックが奮闘しているのを見て、澄蓮とネオンは残った部屋に飛び込んだ。

難産なのか、どの羊よりも辛そうに鳴いていたが、まだ破水もしていない。

これは大丈夫なのだろうか、とドキドキしながらネオンの顔を見ると、ネオンも難しそうに眉根をひそめていた。



「これは…。アジックさん、一度出産を止めた方がいいですか?」



「いや、やってくれ!これ以上腹の子がでかくなると、そいつが産めなくなる…!」



確かに馬ほどもある大きさの羊とはいえ、ここにいる3頭の中では一番小柄で線も細く見える。

産気づいた苦しさによほどもがいたのか、黒い毛は藁まみれで、目が虚ろで、涎も流れている。

よくよく見れば動きが弱く、体力がないのだろう、と思えた。

アジックの言う通り、子どもがこれ以上大きくなると生むのが大変になりそうだ。



「仕方ないか…。スミレさん、紅玉と火蛋白石…そう、その紅い原石と朱い玉を……」



「って、これ…宝石?」



「うん、そうだよ。ありがとうございます」



魔法って豪華だ、と思いながら澄蓮はその石を二つ、ネオンに渡した。

ずっしりとした重さに価値のことを思いながら、手の中に隠れた石を思った。


価格にすれば幾らなのだろうか…。

細工師って儲かるの?

っていうか動物の出産に宝石使うって…魔法って…。


弱々しい黒羊の腹を撫でながら考え込んでいた澄蓮の耳に、隣の部屋から今までの中で一番大きな鳴き声が聞こえた。

どうやら2頭目の子羊が産まれたようだ。

これで、澄蓮たちの見ている羊が最後。


メェ、と弱く鳴いた羊の腹に、ネオンが石を持った手をかざした。



「大丈夫、少し疲れたんだよね?すぐに頑張れるようになるから、大丈夫だよ」



大丈夫、と羊に優しく語りかけるネオンの手が、ぼう、と燃えるように灯った。

ぎょっと目を見開いた澄蓮に、ネオンが目で大丈夫だと語りかける。

思わず浮かしかけた腰を、もう一度藁の上に戻して、澄蓮はハラハラしながら燃えるネオンの手を見つめた。

橙色と夕日色が混ざったようなその暖かな光は、蝋燭の炎よりもハッキリとしていく。



「血の密度を…苦い燐…焦が……、燃え広がれ」



光が、絡む。

黒い毛が一本も燃えることなく、炎のように風に揺れる橙色の光を纏うのは奇妙な光景だったけれど。

ほんの少し澄蓮の手に絡まったその光は、全く熱さは感じなかった。

むしろ冷たいぐらいの涼しさで、澄蓮の手を撫でた。

けれど光が吸収されるように消えたころ、手のひらの血が熱くなるような気がした。


なんだろう、と思う前に、黒羊が鳴いた。

しかも今までで一番、大きく甲高く。

どぼ、と血の混じった液が溢れた。

液と一緒に、子羊の足がにょっきりと出てきた。



「っ、わ!?」



「スミレさん、足を引っ張って!」



「え、ええっ!?ちょ、無理無理!抜ける!こんな細い足、抜けちゃうって…!」



「いいから早く!」



うぐ、と息を呑む。

目の前には馬と同じぐらいの大きさの羊。

生えているように突き出た足、しかも血まみれにも見える。

それを、引っ張るだなんて。


子羊の細い足を、握る。

臭いも、感触も、何もかも、無視。


女は度胸。

要するに、こういうこと。



「で、やあぁっ!」


腰を低く落として、細い足を思いっきり引っ張る。

血混じりの液が飛んで澄蓮の羽織ったかっぽう着や腕を濡らす。

頬にも顎にもついて、ちょっとしたスプラッタ。

けれど。


ずる、と徐々に子羊の身体が出てきて。

気付けば、藁の上で、羊が2頭鳴いていた。



「す、スミレさんっ、おめでとうございます!」



「あ…あたし、できた…?」



うん、と力強く頷いたネオンの声に、力が抜けた。

一生分の体力を使い果たしたような気分だ。


ネオンが子羊の身体を拭いていた。

疲れた顔をして飛び込んできたアジックが、澄蓮の背中をバンバン叩いた。

少しむせたけれど、痛いぐらいがよかった。

眼に涙がたまって、ぼとぼと落ちた。

嬉しかったのか、痛かったのか、分からなかったけれど。



「ネオン、スミレ嬢ちゃん、ありがとな!」



「いえ、ちょうど良い材料が揃っている頃でよかったです。それに、スミレさんがいてくれて助かりました」



「うう…そんなこと言わないでよおぉ…」



自分でもわけが分からないくらい、泣けて泣けて。

足をばたつかせる子羊が生きていたことが、嬉しかった。

嬉しかった。


泣く澄蓮をネオンとアジックは笑って、それからネオンは地面に投げ出された荷物をまとめた。

石や金属を戻したネオンは、血が跳ねたゴーグルを拭いながら立ちあがった。



「ネオン、今晩はうちに泊まってけ。豪華な料理をこしらえてやるよ」



「嬉しいです。それじゃあ…一度戻ります。スミレさんの分も着替えを持ってきますね」



「…ありがとう…お願いするね」



もう全力を出しつくした澄蓮に対して、ネオンもアジックもまだまだ大丈夫そうだ。

家に戻るネオンの背を見送って、アジックも羊を元の小屋に戻しに行った。

ぼんやりしながらそれを見ていた澄蓮は、ふと蝋燭の光に気づいた。


ネオンは、灯りを持って行っただろうか。

もう夜になっていたから、外は真っ暗だ。

慣れている道だといっても、木々が邪魔で危ないかもしれない。

それにネオンは、澄蓮の服を取りに行ってくれている。

途中まででも、迎えに行ったほうがいいかもしれない。



「追いかけなくちゃ…」



いろいろとショック続きだったおかげで上手く立てない、けれど。

澄蓮は蝋燭の灯ったランプを手に、外に出た。

思った以上に自然に囲まれた場所の暗さは怖い。

ネオンは大丈夫だろうか。


丘の途中まで登ったところで、澄蓮はせめて一言アジックに言ってくればよかった、と後悔した。

澄蓮の周りに、犬っぽい動物がいる。

野犬でも、狼でも、この際どっちでもいい。

どっちにしても、人気のないこんな場所でいるということは……



(あたし…ひょっとして、食い殺されるかも……)



澄蓮の現実的な恐怖が、脳裏をよぎった。

逃げられない。

逃げたいけれど、絶対に木の根に転んで…。

ランプの光に狼か野犬のぎらつく目が見えて、澄蓮は息を呑んだ。

ネオンもいない、アジックも。

小屋から出てこなければよかった。

何も考えず、勝手に飛び出てきた自分の行動を、悔んだ。

ここは、日本じゃないのに。


ぐるる、と唸る声が、一層大きくなる。

輪が、狭まる。

後ずさった澄蓮の背中に、木が当たった。

映画とかでよく見る絶体絶命のシーンを、まさか自分がすることになるとは思わなかった。

しかも、ヒーローはいない、こんな現実に。



「…、…れか…」



人は、本当に怖い時は、大声を出せないのだと、初めて知った。

のどが引きつったように感じて、ひゅーひゅーと息だけ口から漏れる。

青みがかった灰色の狼が、一匹、焦れたように前へ踏み出した。


噛まれる!


腕で頭をかばった、その時。


ザンッ、と草をなぎ払う音が、聞こえた。

続いて動物の悲鳴が。



「…危ねぇ…。あんた、大丈夫か?」



「―――――え…」



人の声だ。

そろ、と顔を上げた澄蓮を庇うようにして、大きなマントが翻った。

痛みを覚悟していた澄蓮は、今にも自分を襲おうとしていた動物ではない、救世主の顔を見た。

まだ若い、大学生ぐらいの男性。

濃い紅のマントの上に、金髪と赤色の目。

手には、光で白くも見える、銀の大剣。

ゲームに出てきそうな、剣士がいた。



「大丈夫っぽいな。じゃあ、そのまましばらく待ってな」



「っは、はいっ!」



いい返事だ、と笑う剣士は、剣を薙ぐ。

薄い緑の混じった白い光が、剣から派生した風のように、狼たちをなぶった。

澄蓮の視界のほとんどを揺れるマントが覆っていたが、狼たちをその白い光で木々にぶつけて倒すのは、見えた。

全ての狼たちがしっぽを巻いて逃げていくまで、あっという間だった。



「っし。あんた、怪我は?」



「あ…ない、です……」



「そっか」



間に合ってよかったな、と笑う男性は、上半身をいかつい鎧で覆っていた。

足も、脛の辺りを同じ鎧らしきもので覆っていて、腰の辺りは他よりも軽い装備だった。

彼の軽く笑う顔に、澄蓮は恐怖が抜けていく気がした。



「…ああ、あんた、羊か何かの出産を手伝ってた?」



「え、あ、はい」



頷いた澄蓮の頭に。

大きな手が、落ちた。

ごつん、と手の甲を覆っている鎧が、澄蓮の頭を直撃した。

冗談ではなく、本当に、目の前を星が煌めいた。

あまりの痛さに悶える澄蓮に、男性は呆れたように怒った。



「あんたなあ、羊の出産手伝った格好で、山を出歩くってどういうことか分かってんのか!?」



「え…えっと…」



混乱して、頭が痛くて、ぐるぐると目の前が回っているように錯覚した。

澄蓮が本当に何も知らないようだと判断したのか、男性は大きく、本当に大きくため息を吐いた。

そして、痛みを和らげようとするように、澄蓮の頭を撫でた。



「あのな、山狼ってのは動物の血の匂いに敏感なんだ。あんたのその恰好じゃ、いくら火の光を持ってたって、襲ってくれって言ってるようなもんだ」



「あ…」



全身から血が抜けるような感覚に陥った。

血の匂いをさせている、武器を持たない人間が、一人山の中をさまようことの意味。

少し考えれば、分かるはずだ。

分かるはずなのに。


見ず知らずのこの男性が言いたいことを理解して、澄蓮は反省した。

そして、助けてもらったことを、素直に感謝した。



「ありがとうございます。…えっと……」



「ああ、カインだ。カイン・オルシス。村にはさっき来たとこ。北にある、紅い槐の森からから旅して来たんだ」



「カインさん…本当に、ありがとうございました。芳村澄蓮です。スミレって呼んでください」



よろしく、と握手をした。

そしてカインは澄蓮に小さな袋を渡した。



「動物避けだ。次会ったら返してくれればいい」



俺はまだ持ってるから、と言ったカインの好意に甘えて、澄蓮は仄かに木の匂いがするその袋を握り締めた。



「…ありがとうございます。絶対、返しに行きます」



頭を下げた澄蓮に、カインは微笑んだ。

そして、相方を待たせているから、と背を向けた。

その背中にもう一度礼を言って、澄蓮は遠く、こちらに向かってくる光を見つける。

少し粉っぽい木の匂いに混じって、錆びた鉄のような血の匂いが風に溶けた。

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