09.若苗色、出会いに紅茶
穏やかな春の風に、少年のタンポポ色の長髪と、肩までの澄蓮の黒髪が揺れる。
ゴーグルの奥の瞳が、ゆっくりと見開かれる。
視線がしっかりと合った。
少しの間、時間が止まった気がした。
「…あのー、こんにちはー…?」
挨拶が肝心、と笑顔を浮かべた澄蓮を見て、何度か瞬いた少年が微笑んで返した。
突けば幸せオーラが出てきそうな、年齢の割に幼い感じの笑顔だった。
「わぁ、こんにちは。外の世界の方ですか?」
「え、外って『現実世界』のこと…じゃないですよねごめんなさい気にしないでください!」
自分だって今までさんざん『胡蝶の世界』をただの夢だと思っていたのだから、逆もそうに違いない。
言いかけた言葉を消そうと、澄蓮は慌てて手を振って誤魔化した。
急に慌てだした澄蓮を見て不思議そうな顔をした少年が、何かに気付いたように声を上げた。
「細工のお客さんですか?魔術師か封術師の方でしょうか?」
「まじゅっ!?…いやいやいや、ただの人間です。ごく普通の、ノーマルな、一般人です」
「そうでしたか。それは失礼しました」
突然出てきたゲーム系の話に素が出そうになったが、そこを根性で押さえた澄蓮は心の中で自画自賛した。
そう、ここはそういった物の世界なのだ。
一般人であると主張した澄蓮の言葉に頷いた少年は、抱えた金属らしき物体を重たそうに持ち直しながら、とりあえず、と視線で家をさした。
「こんなところで立ち話も何ですし、お忙しくなければ、どうぞお上がりください」
「じゃあ…お言葉に甘えて、失礼させてもらいます。あ、持ちましょうか?」
「ああ、助かります。では、この一番上に乗っている、銀の欠片を持っていただけますか?」
「これですね」
少年が抱えた腕の中から、薄く伸ばされて歪められた銀の板をいくつか受け取った。
重さはそれほど感じないが、一枚一枚が異なる形に歪められているのでかさばる。
手のひらほどの大きさの板だが、アルミホイルのような銀色一色で、一体何に使うのか澄蓮には見当がつかなかった。
薄暗い家の中に入っていく少年の後を追い、家の中に入った澄蓮は、薄く漂う不思議な匂いに気づいた。
部屋の窓際には乾燥させた花束が紐で縛られてぶら下がっていたので、それの匂いかと思った。
「ありがとうございます。助かりました」
「あ、いえ。…素敵な家ですね」
日本ではあまり見かけられない、本当に手作りといった家具や、フローリングというよりも木張りといった感じの床、不揃いな石の壁などの家。
父親が飛行機に乗れないため、海外旅行は行った覚えがなかったが、海外の田舎ではこういう家が建っているのだろうなと思う。
カントリーな雰囲気に、異国への憧れが膨らむ。
素直に褒めた澄蓮の言葉に少年は照れて、ありがとうございます、と笑った。
天井に照明器具がなく、机の上にある蝋燭も灯されていなかったので家に入る時は薄暗く感じたのだが、窓や玄関から漏れる陽の光が白い天井に反射して、家に入った今はほのかな明るさが部屋の雰囲気にぴったりだと思えた。
少年に勧められた椅子に座って周りを見ていた澄蓮に、少年は珍しいですか、と尋ねてきた。
そりゃまあ、と頷いた澄蓮に、温かい紅茶が入ったマグカップが渡される。
デザインなどを模倣はできても、この独特な雰囲気は完璧に物にできないだろう。
いいなあ、と憧れながら紅茶を一口飲んだ。
「初めまして、僕はこの村の細工師で、ネオンと申します」
雰囲気で感じていたが、やはり日本人の名前ではないらしい。
貴司と供にいた人物は巽という、日本人にもいそうな名前だったのだが。
「一般人の芳村澄蓮です、初めまして。わざわざお茶まで、ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。ちょうど仕事も一段落しましたから」
その言葉に裏はないようだったので、澄蓮は息を吐いて椅子にもたれた。
奇妙な世界ということに緊張していたらしい。
こつ、と履きなれた革靴が小さく床を叩いた。
「細工って、アクセサリーとか作ってるんですか?」
机の隅に広げられたバーナーや糸のように細い銀の棒、傍に置かれた中途半端な長さの鎖を見て言った。
ネオンは澄蓮の視線の先を追って、まだ磨かれていない銀色に目を細めた。
「ええ、一応装飾品も作りますよ。あ、お茶請けもどうぞ」
その好意を素直に受け取り、澄蓮は器に盛られたクッキーに手を伸ばした。
ベージュ色をしたサクサクのクッキーをかじり噛みしめると、小さな歯ごたえと香ばしさが口の中に広がった。
「おいしい!これってゴマですか?」
「ええ。お隣の方に頂いたものです。お口に合ったのならよかったです。まだあるので、どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく…」
胡蝶の世界でも空腹感はあるらしく、腹が満たされる感覚もちゃんとあった。
これが夢だということを忘れてしまいそうだった。
おいしいと言ってもくもくと食べる澄蓮に、ネオンはにこにこと笑って、紅茶のおかわりを注いだ。
「ヨシムラスミレさんは村にお知り合いの方がいらっしゃるんですか?」
「へ?」
「あ、いえ、詮索するつもりではなかったんですが。何もない普通の村ですから、外からの方が来るのは珍しいもので…」
すみません、と恥ずかしそうにほほ笑んだネオンに澄蓮の方が謝りたくなった。
しかしここに来た理由は澄蓮にも分からないので、言いたくても言えないのだ。
むしろあの傍若無人な魔王様に聞いてほしい。
言葉を濁そうかと日本人の必殺技、曖昧な微笑みを繰り出そうとした澄蓮は、はたと自分の現状を思い出した。
持ち物は全くないし、知識も皆無。
頼りにしたくてもできる陽斗は消えてしまって、貴司に会いたくても一度眠らないと現実には戻れない。
もう一度、目の前でにこにこと笑っている人物を見る。
人のいい笑顔、というか、都会に出たら一瞬でカモられそうな感じだ。
この様子だと澄蓮のことをいろいろと詮索する人ではなさそうだし、居座られて迷惑だからと追い出すこともしないだろう。
少しだけ胡蝶について聞いてみよう、と澄蓮はネオンに頼ることにした。
せめて現在位置のことや魔王の話などは聞きたい。
「えっと、ここってどういう村なんですか?」
「外の人たちには、山間の若苗色の村、と言われています。自給自足で成り立っているので、外の人たちとは細工の依頼や香辛料の購入などでしか会いませんね」
村といっても、村自体に名前があるわけではないようだ。
確かに、ただ村に住むだけなら、村の名前は必要ないのかもしれない。
村の外に住む人たちが、この村のことを話すために必要とされるだけで。
しかし思った以上に村の名前が見たまんまだな、と澄蓮は苦笑した。
「魔王様のお城の南東に位置します。あ、地図を描きましょうか?」
「ぜひお願いします!」
では、とネオンは机の引き出しから紙の束、大きな瓶に入った黒いインク、銀色の細いペンを取り出した。
和紙のようなざらついた紙なのに、ペンやインクは洋風らしい。
「では、これを魔王様のお城、これをこの村だとしますね」
その紙の真ん中に黒い丸、その右下に白い丸を書いた。
そしてその間にある広い空白を中心に、線や歪んだ丸などをいくつも記していく。
最初は山だな、泉かな、と面白半分に見ていた澄蓮だったが、だんだんとその線の数が半端ではなくなってきた。
これ全部が山や泉だとすると、陽斗たちがいたと思われる城の位置と澄蓮がいる位置が、笑えないぐらい遠いことになる。
思わず耐え切れなくなって、澄蓮はネオンに声をかけた。
「ちょっ、あの、こんなに山とかあるの!?」
「?はい。山によって採れる素材が違いますから。これが紅の琥珀の森、藍の翡翠鉱山と碧の翡翠鉱山、これが雲母の湖でこれは黒真珠の岩塩山です」
「………滝先輩…!」
はろー☆と笑顔で手を振ってくる陽斗が脳裏に浮かんだ。
わざと遠い場所を選んで胡蝶に連れてきたんだな、と澄蓮は確信した。
るんるんと指さして説明をするネオンにストップをかけ、詳細に描かれた地図を見詰めた。
山の一つ一つがどれだけ小さくても、この距離は一日歩く程度では無理だろう。
とすると、やはりどこかの村に泊まりながらか、野宿しながらでないといけない。
村に泊めてもらうにしても野宿にしても、金が必要だ。
泊めてもらう場合はもちろん、野宿のためのテントや毛布、携帯食、薬、他にも着替えの服などがいる。
お金…。
「ネオンさん」
「はい?」
「どっか、あたしを住み込みで雇ってくれるところを紹介してもらえませんか!?」
涙で若干潤んだ視線を向け、澄蓮は力強く尋ねた。
そして2分後、澄蓮はめでたくネオンの手伝いとして採用されたという。