点と線(補足)
・□
私を表す記号としてまず"・"がある。
そしてもう一つが"□"である。
この□は角の丸い四角である。
角丸四角形と言う。
もともと角が尖った性格だった。
それでうまくいかないことが多かったため、角を丸くすることを覚えた。しかし、四角であることに変わりはない。四角でないと突破できないことがある。
そして統合できない僕でもこの□の範囲内であればまとめることができる。つまり、この□の範囲を超えるようなまとめる作業はやらない。この□の範囲でまとめられること、もしくはこの□の範囲内にまとめる。僕の間合い。
そうすると完成度の高いものが出来上がる。
僕はこの□から出ないし、出るようなことはしない。
それは人生の遠回りにしかならないことを知っている。
□を超える範囲は慣れるという概念がない。
□の外で動くのではなくて、周りにあるアイテムをこの□の中に入れていく。もしくは入れてもらう。ストック型。ちなみに・もストックされるもの。点を大きくすることもできる。
全体を動き回ることはできないが、この□をあらゆるところに当て込んでいく。
そしてその□が埋まったら枠を外す。するとどうだろう。完成されたものが全体に広がっていく。
「 」を□にする。
みんなはこの「 」の内外を線で動く。僕はそれができない。「 」の外に行ったりできるというのはイレギュラーに対応できるとかそうゆうこと。枠が空いてるのは外と繋がりがあるということ。線で動けるということは要するに統合できるということ。結局僕は「 」の中に枠をいくつかつくってもその枠同士を繋げることはできない。結局統合はできていない。
また□という枠をつくっておいてくれれば、僕はその中を自由に動くことができる。
ただこれらは単純に挑戦をしないということではない。
やってみて実は□の範囲内だったということはある。
もしくは□を超えてるけど、テストとかだとなんとか短期間記憶しておいて、終わったら忘れる。他の人にもあることだけど、僕の場合はできないと障がいだからできないの二通りあり、障がいだからできない場合は努力に意味がない。テストは枠を超えてる場合が多いが、一時的に枠を無理やり大きくして知識を詰め込んでテストが終われば枠が元に戻り、忘れるという図式だ。枠の拡張範囲的に例えば二級建築士はなんとか取れるけど、一級は受けずとも無理だというのが経験上わかる。また公務員試験は明確な枠がないのでそもそも勉強以前によくわからない。高校受験、大学受験、建築士レベルの試験はもう僕は受けない気がする。自分の今後の人生において必要がない気がする。それがある意味無理はしないに含まれると思うから。それは枠が自分にはあるとわかったのと、何かのプロにはならないと知ったからだ。プロになるには統合できなければその範囲をカバーできない。あくまで僕は部分的な活躍となる。つまり、「 」のなかの□だ。そもそも身につかないし。ただしその中の□内であれば僕はプロを上回る。
妄想もみんなするものだけど、妄想の次元が違う。
だから薬を飲んでいる。
大学院の時、ストレスが溜まりやすいと話してたら信じてもらえなかったけど、ストレス値を測る機械で測った時、当時は平均の3倍でやっと理解してもらえたということもある。その頃は障がい者だと知らなかったし、今は数値はわからない。
枠は一つで適正値をどれだけ大きくさせられるか、その一つを移動させて作業をするのか、それとも枠は増やせて、その枠の数に限界値があるのか、、ここはまだはっきりしていない。経験上は今やっていること、その一つのことに集中したいし、研ぎ澄ますことが得意だと思う。そして次といった感じは皆と同じか。そして複数を同時進行はできない。ただこれは過去の話で枠の扱い方によっては違うのかもしれない。言われたのはその枠を増やして、一つの大きな枠になるといいねということだけど、これに関しては僕は懐疑的だ。あくまで「 」の中にある一部分の枠なんだと思うんだよな。
僕がアイディアを考える時、・だから誰かと一緒に考えていくという方法は取らない。自分で考え抜いて、人に見せて、指摘を受けて、また自分だけでつくりあげる。枠の隙間を埋める。みんなで考えるのを憧れることはあるかもしれないが、それは・である僕のスタイルには合わない。ただ僕ができるのはアイディアをつくりあげることで、その先のことはみんなの力を借りないといけない。そこに点で交わっていくのが僕のスタイルだろう。指摘の点もしっかり受け止める。参考にする。
昔はこの枠がもっと大きくて、そこにいろんなものを一度に詰め込むことをしちゃっていたけど、それは相手にとって困ることだから今は適切な大きさの枠をつくるようにしている。枠が大きくなればそれだけ無駄や隙間が生まれる。ストック型なためどうしても一度で詰め込んでしまいたくなる。これは人と会話することがあまりないというのも影響している。つまり、フローの経験値が少ない。そもそもできない。演技なら間が人よりも長くなってしまう。それは内側で考える時に深くなってしまうからだ。
高校の時まではまだ枠の中にいれたが、大学でその枠から出てしまい、なかなか覚えるということができなかった。どこから手をつければいいのか、一気に分からないが増えた。偏れないことが自分であったのならば記憶を偏らせることができなかったのは当然と言えば当然だった。あの頃は何度も同じ繰り返しをし、身に付かずの連続だった。偏っていく周りのみんなに大いに嫉妬した。障がい者だと知ってたくさん実験をして、いつしか身につかないことが恐怖にもなった。疑問を多く持たない生き方に憧れた。この疑問を持ちやすい思考がのちに大きな力に変わる。また障がいによる不器用により大変苦労した。ただの不器用ではなく、障がいによる不器用。器用と不器用の間に障がいがある。
だが妄想は基本常起こっており、そこに障害はない。
ちなみに、外を旅することは完全に枠を超えた行動なので苦手だ。旅の計画から複雑だ。選択肢が定まっていない。私の精神的体力とも相性が基本的にはあまり良くはない。
・と□を重ねると、根本と間を飛ばしててっぺんに存在することになる。つまり間はない。間の会話はできず、長い会話が可能なのは根本の話に向かうか、てっぺんの話に向かうかのどちらかだ。根本というゴールの点、てっぺんというゴールの点に向かった話は短い時間を超えることが可能だ。そしてこの起点となる点をある程度大きくすることはできる。というか今はある程度の大きさがある。
つまり、目的や目標のある会話なら問題ない。
そしてそうゆう会話が求められるのは点であって、
線ではない。僕も線になるつもりはない。
ちなみに、勉強の記憶の仕方も線で動いて覚えるというよりも枠に入れていくって感じ。線は難しい。
最近わかったこと。
僕は作業が早いと言われる。
それは□という枠を与えられ、その中で動くからだ。
すぐに跳ね返って□の中を動く。
枠がない中で線で動いている人よりもそのせいで早くなる。壁に跳ね返る距離も近いからカクンカクンと動く。枠がない場合カクンカクンと動くのは容易ではなく、方向を変える場合は、カーブを描いて折り返すのが普通だ。カーブを描く分ロスがある。カクンと折り返そうとしても壁がない分力が必要になる。そして力を使う分折り返した後のスピードは落ちる。僕にはそれがない。障がいという壁が存在することで跳ね返るメリットを手にする。障がいという壁を利用する。
あと今と昔で違うのはこの枠が結構極まってきてるってことかな。
枠はルールであり、規則性でもある。
僕に何かを頼む時はとにかくなるだけ枠をくれ。
んー、なんか気をつけても枠の外にあるイレギュラーとか枠外の量になるとミスが出ちゃうな。量は量でも種類の量がダメだね。
追記)
枠について新しいアイディアはちゃんと答えられるのに、プロパーの方は答えられないのはなぜかと思われる。それは枠のつくり方が違う。新しいアイディアは僕が1から徐々に密度を濃くして完璧な枠をつくる。プロパーの方はもともとある「 」の中に枠をつくる。だからその中は密度が濃くない。自己完結できないので濃くできない。その枠の中に隙間も当然ある。そしてプロパーの方はまず枠をつくりたい。枠とはルール、作業フロー。業務には作業と内容がある。僕はまず作業フローである枠をつくらないと、まだ枠ができてないところに内容を入れてもこぼれ落ちていく。作業フローをできればまず覚えて、それから中身を入れる。かつその枠の中に入れられる中身は有限。
プロパーにおける枠と新しいアイディアにおける枠はまるで違うのだ。そして枠の外にある情報を枠の中のものと繋げることは統合できず、繋げられない。繋げられないが、その情報の点を枠の中に入れることはできる。でもそれは枠外のことで自分では気づかないので、誰かの確認、指摘が必要になる。その情報がつい最近やったことでも、今僕がいる枠は別のところにあるのだから、今枠外となってしまったその情報を僕は繋げて考えることはできにくい。かつ枠の中でも線が途切れ、一瞬意識が飛び、ミスに繋がる。量のある作業の中でどこで意識が飛んだかはわかりにくい。そして全てを確認することは時間がかかるし、生産性が低くなってしまう。仕事はスピードも大事だから。そして僕がもし全部確認するということになっても脳の体力が持たない。その中ではより意識を線にすることが難しくなってしまう。ある程度どこかで諦めるしかない。要フォロー、僕も要確認。バランス。
外のものを入れるのも点で入れられるか、線の場合、その線の一部しか枠内には入らないとかあると思う。
今はここに枠がある、そしたらその枠外からその枠内の内容の質問をされると僕は繋げにくくなるので枠内の話題でも?になってしまう。誰かの当たり前は僕の当たり前ではない。そこは丁寧に繋げてほしい。