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後編:一声

 はれて夫婦となった鬼介とシロ。

 その翌日。同じ床から目覚め、共に朝餉を食べていた時である。


「―――機織りをさせてほしい?」

「ええ」


 シロが頼んだのは機織りがしたいので織機が欲しいというものであった。


「私が織る織物を家計の足しにしてほしいのです」

「なるほど。……では飯の後、少し着いてきてくれるか」

「わかりました」


 そうして食事を終えると、鬼介はシロを物置である納屋まで案内した。


「父も俺も織物など出来ぬからずっと片付けたままであった」

「まあ。これは良い物です」


 納屋には一つの織機があった。


「掃除だけはしていたから使えるとは思う。……どうだ?」

「ええ。問題無そうです。ありがとうございます」

「……俺が顔も覚えられぬような乳飲み子の時に亡くなった母が使っていた物らしい。商人が言うにはその昔、たいそう歌と機織りが上手い何処かの長者の嫁が使っていた品のようだが……俺には違いがわからん」

「そのような(いわ)くが……大事に使わせて頂きます」

「ああ。そうしてくれ。それはもうシロの物だ」


 こうして鬼介はシロに織機を譲った。


 ―――後日。鬼介は納屋を機織りをする為の場所として改装することにした。元々たいした物も置いてなく、数日の内にシロが問題無く機織りが出来るように整えてやることが出来た。


 ――――――



「―――きすけ様。私、これから七日間、この場所に籠もって機を織ります」

「……は?」


 鬼介はシロの言葉に目を丸くする。


「……七日……籠もる? それは―――」

「そしてその間決して中を覗かないようにしてほしいのです」

「…………」


 鬼介は押し黙る。七日も籠もりきりで行うような機織りなどシロの身にどれほど負担が掛かるか。妻の身を案じそれは止めた方がいいと言おうとした鬼介であったが、彼女の頑とした様子に口を噤んだのだ。


「それでは。……七日後には必ず出てきますので、決して覗かないように」

「わかった」


 ―――そうしてシロは機織り場に籠もることとなった。




 ◆◆◆




 シロが籠もり始めてもうすぐ七日になる。鬼介はシロが出てくるのを家で今か今かと待ち侘びていました。


「……まさか中で倒れているのか……。やはり確認しに行くべきか。……しかし約束が……」


 心配、不安、興味、好奇心……様々な思いで鬼介はこの数日の間、落ち着ける時間は無いに等しかった。

 中は覗くなと言われたが聞き耳を立てるなとは言われておらず、機織り場の近くまで寄って耳をそばだてたりもした。そうして中から聞こえてくる、キー……コトン、キー……コトン、という機織りの音を聞いて妻の無事を確認していた。


「……まだかシロ。これ以上待てぬぞ」


 辛抱の限界。鬼介が今にも機織り場の戸を開けに飛び出しそうになった時でした。


 ……ガラガラガラ……


 機織り場の戸が開かれた音が聞こえてきたのです。


「……っ……! シロ!」


 鬼介はシロが来る前に家の戸口を開けてやります。ひょうっと冷たい風が家の中へと吹き込んできます。


 凍えるような夜空の下。戸口の前にシロが立っていました。


「―――きすけ様。仕上がりました」


 シロの手に有る一反の織物。

 それはそれは見事な一品でした。精彩で鮮やか。正に(にしき)。錦上添花の織物。

 妻が心配で駆け付けた鬼介がそれに目を奪われ言葉が出なくなってしまうほど、それは素人目に見ても極上の物であるとわかる織物でした。


 シロは織物を鬼介へと差し出す。


「これを売れば……そうですね……千両に届けば上等かと」

「……千……両?」


 鬼介は受け取った織物に視線を落とし、寒さ以外の理由で体が震えそうになります。

 千両。その半分の半分の値であっても家族が生涯食うに困らぬ生活を送れるようになる金額です。


 軽い。普通の一反の織物と比べれば羽のように軽いその織物が、鬼介には大岩よりも重く感じました。


「どうでしょうきすけ様。これで稼ぎや蓄えの心配などせずとも良くなります」

「……そ、うだ……な……」

「さあきすけ様。外は冷えます。中へ入りましょう」


 背を押されるようにして鬼介はシロと共に家の中へと入った。


「きすけ様。私、さすがに少し疲れたので横にならせていただきます」

「……ああ。わかった。……む……おいシロ」


 シロが床に着こうとした時。そこで鬼介はようやくシロの状態に目が行った。


「お前、やつれているじゃないか。……手もこんなに冷たい」


 鬼介が指摘した通り、シロは顔色も悪く、握った手も驚くほどに冷たい。生気が薄い、まるで半死半生。


「……大丈夫です。少し休めば元通りになります」

「本当か? 本当に大丈夫なのか?」

「ええ。ありがとうございます。私は大丈夫です」


 そうして横になるシロ。鬼介はその傍で腰を下ろし、座ったままシロの手を握り続ける。


「……きすけ様?」

「……シロが眠るまで、こうして居ても良いか?」

「……ええ……どうぞ……―――」


 シロは微笑み、目を瞑る。ほどなくしてシロは眠りに落ちた。

 深い寝息を立て始めた妻の頭を鬼介は優しく撫でる。


「……シロ。お前はどうしてそこまで俺に……」


 鬼介は静かにそう呟き、……結局彼が寝付けたのは夜更けになってからであった。




 ◆◆◆




 シロが機織りを終えて数日後。妻の容態も復調したと判断出来た鬼介は、織物を手に大きな町へと出向いた。シロが勧めるままにその織物を売る為である。


 ―――果たして。シロが織ったそれは確かに千両近い値が付くこととなった。


「…………」


 町から我が家へ帰ってきた鬼介。彼は何時になく厳めしい顔をしていた。そんな夫にシロは不安げに声を掛ける。


「どうしたのですかきすけ様? 町で何か問題でも? ……もしや私が織った織物に何か不手際が……」

「不手際など有る筈が無い。確かに千両近い値が付いた。……ただ問題は……有った」


 鬼介は苦々しい顔を見せると、背負子の籠からある物を取り出す。


「……どうして織物がここに? 売ったのでは?」


 シロは怪訝そうにそう尋ねる。それに鬼介は「そうだ。売れた。……だがな……」と言うと眉間に皺が寄った表情のまま続く言葉を口にする。


「これを買いたいと言ったのは殿様だった。偶々市井に顔を出していた時に、俺が売りに赴いた問屋で会ったのだ。そこで殿様は俺が手にしていたお前の織物をいたく気に入り「千両で買おう」と言った」

「……それは……良かったのでは?」

「良くなどあるかッ!」

「ッ!」


 鬼介の怒声。初めて受けたそれにシロは身を縮こませる。

 妻が怯えたのを見て鬼介ははっとすると「すまない」と謝る。そして深い息を吐くと本題に入る。


「―――もう一反、だそうだ」


 その言葉にシロは目を細める。


「……なんと?」

「もう一反。これと同じ作りの織物を仕上げてこいと。それで二反合わせて二千両で買い取ろうと言ってきた」

「…………」


 シロは黙り込み、鬼介は額に手を当て俯く。


「御上の命令だ」


 鬼介は重苦しくそう言った。


「……そう、ですか……」


 シロは頷きそう言う。


 この時代。為政者に逆らうことは重罪であった。事実上、これは強制である。

 これ破れば……最悪、首が飛ぶ。ならば従う他なし。


「……ならばもう一反。仕上げなくてはいけませんね」


 ―――シロはそう言い、翌日から再び機織り場へ籠もることとなった。再度「決して見てはなりません」と言い含めて。




 ◆◆◆




 一日目。鬼介は憤っていた。殿様の要求を断れず、再び妻にあのような無理を強いてしまった不甲斐ない自分に。

 二日目。鬼介は怯懦していた。妻がやつれて冷たい姿になってしまうことを思い出して。

 三日目。鬼介は後悔していた。ただ……ただ一言……「織るな」と。そんなことをせずともいいと。そう言えなかったことに。

 四日目。鬼介は癲狂しそうになった。何の罪も無い獣を射りそうになってしまった。

 五日目。鬼介は遁れていた。毎日何度も様子を伺いに出向いていた機織り場へこの日は一度も行かなかった。

 六日目。鬼介はごまかした。自分は悪くないと。悪いのは自分に命令した殿様だと。……そしてそんなことを考える自分に嫌気が差した。


 ―――そして七日目。


「……シロ……」


 この七日、ろくに眠れなかった鬼介は正気を失っていた。

 重い雪が降り落ちる中、亡者のようにふらふらと機織り場へと歩く。

 キー……コトン、キー……コトンと機を織る音が聞こえてくる。


 ああ、妻は無事だ。


 その安堵と共に……鬼介は戸に手を掛けてしまっていた。そして妻の身の無事をこの目でしっかりと確認する為に―――覗いてしまった。


 鬼介は音を立てぬように注意しながら指一本すら入らないぐらいの隙間を開くと、機織り場を視界に映す。


「――――――」


 そこにある光景を見て鬼介は絶句する。


 キー……コトン……キー……コトン……


 行灯の光がぼんやりと照らす中、糸が織られていく。そうして紡がれるはいつか見た錦上添花の織物。

 しかし今回鬼介が目を奪われたのはそれではありません。鬼介が見たのは機織りをする者。居るはずの妻の姿。……だがそこで見た者は見知った妻ではありませんでした。


 ―――鶴。


 一羽の鶴が……機織りをしていた。大きく広げた翼と長い脚を巧みに使い、機を織っていた。

 鶴は嘴で自らの羽を、ぶちりぶちり、と引き抜くとそれを一本一本織り込んでいきます。その身の羽はもう殆ど失われており痛々しい赤肌を晒していました。抜いた羽と身体から滴り落ちる血の雫が織物に艶を与え、極上の輝きを生みます。


 ―――痛ましい姿になろうと見間違える筈がありません。その鶴は鬼介があの日、罠に掛かっていたところを助けた鶴でした。


 羽が生え揃っていたならば見事な姿であったろう鶴が、我が身を傷付けながら機を織る。いたましく、むざん。されど……幻想的な光景がそこにはあった。


「…………」


 鬼介は一歩二歩とよろよろと力無く後退ると尻餅を着く。自らの体に雪が降り積もっていくことも構わずその場で放心し続けました。


 ―――そして機織りの音が止み、灯りが落ちる。


 カラカラと戸が開かれるとシロが姿を見せた。その姿は鶴ではなく人。以前の時よりも更にひどくやつれ青白い顔をしているが、紛れもなく鬼介の嫁であった。


「…………」


 シロは雪中で頽れている鬼介へ目を向ける。表情の抜け落ちた顔、その瞳に込められた感情はようとして読めず織物を抱える手だけは震えるほど強く握られていた。


「……見て、しまわれたのですね。……けっして……けっしてみてはならぬと……いったのにッ……」

「…………」


 震えた声が、鬼介を責める。それに鬼介は何も返せない。……次の一言を聞くまでは。


「……正体を知られたからには……もう一緒には居られません」

「ッ!? ま、待てシロ……ッ」

「待てませぬ。―――私は鶴。貴方を知り、出会い、共に在りたいと願い人へと化生した者。人として生きることを約定としこの姿を得た。……貴方が知ることがなければ……ずっと共に居られたのに」

「シロ!!」


 鬼介は手を伸ばす。シロの手を取るために。―――だがしかし、その手が掴んだのは一反の織物でした。


『さようなら。……私のことは忘れて、これからを生きてください。―――我が愛しい人よ』


 ……そっと、鬼介の身に積もる雪が優しい手で払われる―――それが最後の触れ合いだった。


 鶴が翼を広げる。失った白い羽の代わりに血によって出来た赤い羽を生やして……雪が降る空へと飛び立つ。

 瞬く間に人の手では触れることも叶わぬ高度へと飛翔する赤い鶴。


「い、いかないでくれ! お願いだ! 帰ってこい!」


 立ち上がり必死に手を伸ばす鬼介。しかしその願いも虚しく雪に溶ける。


「シロォオオオオーッ!!」


 雪空に響く慟哭。それが聞こえていた筈の鶴はしかし、鳴き声を返してくれることはなく……遠く遠く彼方へと飛び去っていった。




 これにて幕引き どっとはらえ









































 一羽の鶴は過去を思い返す。彼の人を初めて見た日を。


 百年という月日を生きた鶴。それは自らの郷里を遠く離れ津々浦々へと飛んで出向いていました。

 そうして日ノ本を一巡りした後、再び北の大地へと帰る途上の時でした。


 ―――少年が傷付いた鳥の雛を手当してやっているのを見掛けたのです。


『優しい人の子。……まあ、猟師の子なのですね。ではいずれ我が同胞を狩るような者と同じになる、幼き今だけの情けでしょう』


 鶴はそんな世の中を無情を憂いました……が、どうしてかその少年のことが気になってしまいました。


 その日から鶴は少年の居る地を中心に飛ぶようになりました。一年、また一年と。少年が成長していくのを遠くから眺めていました。

 そして少年は鶴の予想とは違い優しいまま大人へ近付いていきました。


癸介(きすけ)は猟師に向きませんね。畑でも耕すのがお似合いでしょう』


 鶴は名も知らぬ少年を優しい慈雨に喩えた(みずのと)と人を助けるという意である介の二文字で「癸介」と勝手に呼んでいました。彼の姿を見るのが日課になり始めた頃に付けた名であり、奇しくも少年の喜助(きすけ)という実名に近かったのは可笑しな話しです。


 ―――そうしたある日のことでした。「あの出来事」が起きたのは。


 自然の摂理から外れし獣―――鬼熊が村へと現れたのです。

 鶴はその鬼熊が引き起こす惨劇の一部始終を見、そして村人達が村を捨てることを蔭ながら訊いていました。


『……それが良いでしょう。あのような理外の獣と真っ向から挑み命を捨てるなど無駄。逃げればそれで助か―――』

『俺は山に入る』

『ッ!?』


 ……そして喜助が鬼熊を討ちに山を入ると宣言するのを訊いてしまった。


 喜助が山を突き進む後を、鶴は遠くからバレぬよう追い掛けた。

 無理だ。狩れない。逆に殺される。貴方の父のように。

 そんな風に考え、心配で胸が張り裂けそうな気持ちで鶴は喜助の後を追ったのです。


 ―――果たして。喜助は鬼熊を単身で討った。


『……まさかあの癸介が……』


 喜助が見せた一人前以上の猟師の腕に鶴は身を震わせました。げに恐ろしかったのです。

 一度狩りを成し遂げた者は人が変わったように命を奪うことに躊躇をしなくなるからです。そうして生きる為以上の命を簒奪するのです。

 あの癸介がそんな風に変貌してしまうかもと考え、恐れたのです。


 ―――だが鶴の心配は杞憂だった。


 喜助は山刀で首を落として命を絶った鬼熊の傍で膝を着くと、手を合せて祈りを捧げたのです。


「……道より外れし獣よ。山へと還り、どうか安らかに……」


 涙を流しながら喜助は死した獣へ祈りを捧げる。


『……癸介……』


 それを見た鶴はその時、はっきりと自分の中で彼の存在が変わったことを自覚した。


『……あの人と、共に生きられたら……』


 百年を生きた鶴は恋をした。優しい少年に。


 ―――そこから鶴は一年の月日を掛けて人の姿へ化生する術を身に付けた。喜助から鬼介と名を改めた彼と添い遂げる為に。

 そして鶴は鬼介に懐く犬、茶々丸にも協力を仰いだ。


『私、山頂付近で罠に掛かります。ですので鳴き声をたよりに私の元まで鬼介様を連れて来ては頂けませんか?』

『クゥ~ン?』


 鶴は自分で作ったくくり紐を手に持ちながら茶々丸へそう願い出た。


『愛しい相手と添い遂げる。その為の化生にはその相手の血が要るのです。……騙すことになるのが心苦しいですが……ええ、それは今後の献身で返しましょう』

『……ワォン……』

『待っていてください鬼介様。私、貴方の妻になります』


 そうして鶴は意気揚々と自ら罠に掛かり鬼介を待ったのであった。


 ―――その晩に鶴は鬼介の家に出向いた。共に生きる為に。添い遂げる為に。自らの名の初めの一文字から(シロ)として。




 ◆◆◆




 鶴が故郷の湿原に帰り幾年かが経った。

 別れの日、鬼介に言ったように鶴自身もあの日々を忘れようと努めていた。……だがそう簡単に忘れられたら苦労はしない。鶴は日毎夜毎と「もしもあの時」と在りもしない日々を夢想しては過去の暮らしを惜しんでいた。

 あの山よりも過酷な寒風が吹き荒ぶ故郷の地は今の鶴には辛かった。


 そうして鶴が目を閉じてじっと寒さに耐えていると―――何処かから小さくパンッと、何かが破裂するような音が聞こえてきたのです。鶴は目を開けて周囲を見渡します。


「……鉄砲? それにしてはやけに小さい……」


 その音が何なのか気になったが、直ぐにどうでもよくなった鶴はまた目を閉じて微睡みに沈んでいきました。あの短くも幸せだった日々を思って。


 ―――そうして幾何か意識を落としていた後。鶴の元へ何者かが近寄ってきます。


「白いの、白いのや」


 鶴にそう話し掛けて来たのは一匹の狐でした。鶴は「……何か?」と素っ気ない返事をするが狐は気分を害した様子も無く陽気に話し始めます。


「いやー、独り身で変わり者の寂しいあんたに面白い話しを持ってきたんだよ。聞きたいだろ。私は友達付き合いが良いから教えてやるよ」

「……御勝手に……」


 狐は本当に、ただ変わった物を見付けたからそれを教えに来ただけでした。


「それがね白いの。あっちの方の、この湿原の端の方さ。そこになんと―――錦みたいに美しい織物を抱えた死体が転がっていたんだよ」

「…………」

「さっき大っきい拍手みたいな音がしたろ? 気になって見に行ったらそんな奇っ怪な死体が有ったんだよ。なんで死体があんな上等な物を持ってくたばってたんだろうねー?」


 鶴の震えが止まる。

 寒くなくなったから? ……いいや違う。


「……なんと……いいました?」

「え? だからとっても美しい織物を2つも抱えた―――って、お~い! 急に飛び出して如何したんだよ~!」


 鶴は翼を広げると一目散に飛び立つ。狐が言った方へと。一心不乱に。


 寒さを忘れるほど血の気を引かせて、鶴は飛んでいく。


 ――――――


 鶴はそれが何なのか、最初はわからなかった。


「……まさか……」


 その傍に降り立ってよく見やる。

 鶴は愕然とする。

 それを見て……銷魂する。


「……きすけ……様……?」


 名を呼んでも反応は無い。それも当然である。


 物言わぬ骸と成り果てているのだから。


 鶴の足元。そこには首無しの骸が倒れていた。その無惨な体には不釣り合いな、この世の物とは思えない極上の錦を二反も抱えて。倒れ伏していた。

 頭を無くしていても鶴にはわかってしまった。それが以前に自分が愛した男の成れの果てであることが。


「……そんな……そんな……」


 ――――――


 ―――鬼介は織物を街へ持っていかなかった。譲らなかった。殿様から要求されたそれを手放さなかった。

 頑として首を縦に振らなかった鬼介は……不敬であることと約束を反故にしたこで打ち首となった。


 普通ならこれで終わり。―――だが、そこからが奇怪なことが起こった。


 首を失った肉体はしかし……動いた。頭を落とされても心の臓は止まらなかったのである。御様御用(おためしごよう)の前身たる執行人が確かに首と胴を泣き別れにしたというのに。


 首無しは走り出した。街を飛び出して真っ直ぐに自分の家へと向かった。そして家の中で大事に仕舞っていた鶴の織物をその手に抱えると北へと走り去った。その織物が自分の頭より大切であるとでも言うかのように―――


 ――――――


 そうして山野や沼を駆け抜け、果てに氷海さえ渡り越えた首無し。その腕に抱える錦が導くままに、遂に愛した鶴が棲む湿地まで辿り着いた。―――そこが限界だった。数年間にわたり脈動していた心臓は、声を上げればあの鶴の元まで届く所まで辿り着くと……パンッ……と破裂してしまった。


 ―――鶴が聞いたあの音は、鬼介の命が絶える音だった。


「……ぁ……ぁあ……」


 鶴の心の臓が五月蠅く早鐘を打つ。

 喉が震える。

 震えと共に全身に広がる暗い感情が遂に頭の天辺まで満たした時―――


「……ク……カッ……ァ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!?」


 けたたましい鶴の鳴き声が轟く。

 霹靂のような一声は湿地の端から端まで余さず響く。


 その絶叫を耳にした生き物はあまりの恐怖に、あるものは逃げ、あるものは隠れ、あるものは卒倒し、あるものは神頼みを始めた。……それ程までにその声音は痛々しかった。恐怖に満ちていた。深い怒りがあった。―――絶望があった。


 ―――そうして北の大地を震撼させた鶴の一声は果たして、唐突に終わりを告げる。

 その絶叫のあまりの大きさに鶴自身の身が耐えられなかったのである。


 絶叫を吐き出す頭がボンッと弾け、震えに耐えかねた心臓はパンッと破裂してしまった。


「――――――」


 頭も心臓も失った鶴はそのまま倒れる。首無しの骸と寄り添うように。


 ―――こうして一羽の鶴と一人の男の話は幕を閉じる。

 男は最期の瞬間に何を思い、首無しの体を突き動かしたのか。鶴はその有様を見て何を思い、死に至る絶叫を轟かせたのか。

 それは余人には何もわからぬ。


 鶴と親しかった生き物達は後になって見付けたこの2つの遺体を丁寧に埋葬してやった。男が手に持っていた錦を覆仏布として使い彼等の死体を包んでやった。


 ―――そうして今も、北の大地には(かお)(しんぞう)を失った夫婦が共に眠っているそうな。美しい血の羽に包まれて。いつまでも。いつまでも。



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