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休憩:とある風使い文官の戸惑い

 ラミントン領のとある文官は、ウィスタントンから届いた文書を眺めて、首をかしげていた。



 フォルテリアス国内どの領でも、領城に勤める者の中に精霊術を使う者がいる。

 士官学院や高等学舎を卒業して騎士や文官となり、補助的に精霊術を仕事に活かす者がいれば、初めから精霊術師として騎士や文官に雇われる者もいる。

 同じようでも少し違う。

 騎士であれば精霊術師は最初から剣や弓の訓練はせず、精霊術で戦う準備をするし、武具の開発や兵站を担当することが多い。

 文官になるとさほど明確な違いはなくなるが、それでも精霊術師の強い力が必要とされることもある。

 貴族の子弟子女は、自分の立場と力を考えながら進路を決める。


 若き文官は風の精霊術師としてラミントン領で雇われていた。

 平民で、鍛治屋の息子で、親は加護があるのを確認した時泣いて喜んだ。火と風は相性もいいし、精霊術師になれば将来食べるに困ることはない。

 領内で術師見習いとして、読み書き、基礎を必死に学んで、学校に進学した。

 精霊術学校の学費や滞在費用は国がすべてを援助して、学生は支払う必要がない。

 この機会にがんばって勉強し、将来は親や鍛治屋の後を継ぐ兄の手伝いをしながら、精霊術師として精霊石や薬を作って生活するのだろうと思っていた。

 ちょうど一年前の今頃学校を卒業したのだが、見習い最後の研修先は領主直轄地にある港だった。

 毎日決められた時刻に、風の向きと強さを計測して記録する。港を出入りする船を誘導し、風の向きを変え、押し出す仕事を担当していた。


「君が、今年の風使いの研修生だね?」


 王都へ向かう船を出して戻ると、貴族の青年に声をかけられた。

 一般には「風の術師様」とか「風の術師殿」と呼びかけるのが普通だ。

 「風使い」という、術師同士で使う親しみのある呼びかけをしてきたことで、相手も精霊術師だとわかった。それでも、先輩術師で、身なりの立派な貴族からそのように呼びかけられ、どうしていいかわからず慌てて頭を下げて固まった。

 

 青年貴族はクスリと笑うと言った。


「君をね、勧誘にきたんだ」


 その青年は当時はまだ存命だった先代領主の子息、ラグナルの側近で、そして今は領城で働く自分の上司となっていた。同じ風使いである。

 平民も領城でたくさん働いているけれど、下働きや大店からくる行儀見習いのメイドが多い。平民出身で文官になることは、本当にまれだ。

 たまたま二年続けてラミントン領に貴族から風の術師がでなかったこと、それからラグナルの婚約者、グラッセと同じ学年で、王都で話をしたことがあったのが平民でも採用につながったらしい。

 グラッセの成人を控えて、城勤め術師の増員をしているということだった。

 勧誘を断ることなど思い浮かびもしなかった。身が引き締まる思いで働き始めてから、まだ一年もたっていない。


 風使いの領城での仕事は多岐にわたっているけれど、情報の伝達に関わることが多い。

 緊急時は『シルフ飛伝』や『シルフ拡声』で、必要な伝達をする。そのための術師である。

 でもそれ以上に、普通の文官職員としての仕事が多い。

 城には他領からの手紙、王城からの通達、街からの連絡や訴えが届く。領主宛の特別な封蝋がされている物以外はさっと目を通し、必要な部署へ届くように振り分ける。

 中には街のギルドや大店宛の文書も入っていて、その配達もある。

 領城を通さずに手紙をやり取りできるのは、それこそあちこちに支店のあるクナーファ商会ぐらいのものだ。

 宛先の確認だけなら簡単な仕事だが、それだけでは足りない。領主の目になり、情報収集という目的もあるのだ。


「風使いなのに、『耳』になるんじゃないのか……」


 慣れない仕事に、つい、廊下を歩きながら呟いてしまうことも多かった。

 街への文書の配達を率先してこなし、型の決まった文書の振り分けにも慣れ、やっと少しわかるようになってきた、と思い始めた春先だった。


 春の大市の前頃から、文書の数が倍ほどにも多くなった。

 他領のギルドから、こちらのギルドへ。文官から文官へ。問い合わせに、回答書、契約書と、難解な文書ばかりが届く。

 こうなってくると、貴族の言い回しに、手に負えないものが多くなった。

 やはり平民には無理なのではないか、と迷いを感じていたら、上司が言った。


「厨房で風使いを探しているから、行ってくれるかな?」

「風、ですか? 厨房で、珍しいですね」

「ああ、風だそうだよ」


 厨房へ顔を出すと、ああ助かった、という顔をした料理長がいた。


「シルフの『泡立て』の力が必要なんだよ」

「『泡立て』?」


 その聞いたこともない力に首を捻った。


「ウィスタントンで作られたばかりの風の祝詞らしいが、ムースができるそうだ」

「ムース……」

「風のお力で、口の中でふわりと溶けるデザートなのだそうだよ。ご領主様がグラッセ様にも食べさせたいとおおせでね。レシピはご領主様が直接手に入れて来られたが、風のお力が必要になるらしい」


 新しい祝詞なら聞いたことがなくて当然だったが、文書確認の仕事も難しい、そしてこの依頼にもこたえられないというのでは、全くの役立たずだと悔しく思った。


「新しい祝詞を確認してまいりますので、少しお時間をいただけますか?」


 厨房を出て歩きながら、精霊術師ギルドの風使いにシルフを飛ばしたが、『泡立て』はまだウィスタントンから伝えられていないようだった。

 部屋に戻り上司に事情を話すと、直接ウィスタントンの領城へとシルフを飛ばしてくれた。

 二度ほど違う風使いとシルフを飛ばし合って、なんと最後は賢者につながったようだ。

 賢者から上司の元へシルフが来ているのに、固唾を飲んだ。


「すごい……」


 さすがに領主側近として勤める風使いである。自分にはとても、領を超えて、さらに複数回のシルフを飛ばせやしなかった。

 それに賢者とも顔見知りで、直接シルフを飛ばすことができるなんて、と感激して上司を見つめる。


「わかったよ。どうやらライアン様が考えた祝詞で、料理に使うようだよ」

「賢者様が料理……?」

「みたいだね。ライアン様にしては歯切れが悪かったから、何か事情があるのかもしれないけれど。さ、厨房で試してごらん」


 上司はくすりと笑って『泡立て』の祝詞を教えてくれた。

 

 それから度々、厨房から『泡立て』を願われるようになった。

 料理長が一度、お礼だ、とムースを食べさせてくれたが、確かにシルフの加護を感じる、例えようもないほど甘く、口の中でどこかに飛んでいく菓子だった。

 菓子にまで風のお力を取り入れるとは、さすがに賢者様の考えることは普通の術師には及びもつかないのだ、と、夢中で菓子を頬張りながら思った。





 忙しかった大市も終わり、上司は今日、休みを取っている。

 文官の手元には、どうしたらいいかわからないウィスタントンの文書があった。

 一つは木箱に入った加護石で、これは精霊術師ギルドに届ければいい。もうすぐ、見習いとなる者への加護石授与の式典がある。

 もう一つは領主宛とあるけれど、封蝋で閉じられていなかった。

 差出人はシムネルとある。賢者側近で、同じ風使いとして皆が憧れる、とても高名な方だ。

 もう一度目を通してやっぱり首を傾げた。

 本当にこのまま執務室に届けてもいいものなのだろうか。


「レモンスフレ、シナモンメレンゲクッキー、鶏の揚げないから揚げ、ポテトサラダ、マヨネーズ……」


 分量と、丁寧な作り方が記してある。


「ホントに厨房じゃなくて、ご領主様宛で間違っていないのかなあ。何かの暗号にも見えないけど」


 考えてもわからない。

 こんな時、上司ならきっと、すぐにその意味がわかるに違いない。

 わからない自分は、まだまだ未熟なのだと、ため息をついた。

 領主宛は特に迅速な処理をしなければならない。

 怒られることも覚悟で、執務室に配達しようと立ち上がった。

 

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