Lin's position / リンの立場
会合の最後に、今夜は家で飲もうぜ、とオグに招かれたライアンは、執務を終わらせると、オグの住居へ向かった。
昔アルドラに師事していた頃は、オグはウィスタントン公爵の館に寄宿していた。ラミントンの父侯爵に勘当され、ウィスタントンに戻ってからは住居を転々としていたが、ハンターズギルドの長になった時に、ギルド近くにある今の家に落ち着いたのだ。
通りは被服関連の職人が多いエリアで、『レーチェ』からもそう遠くはない。
オグの住む家は、一階は染色の工房になっており、ライアンが到着した時にはすでに閉まっていた。工房脇の階段を上り、三階へ向かう。オグは三階の部屋をすべて借り切っている。
二階は工房主の家族と染色の職人、針子などが住んでおり、女ばかりの用心に、オグが住んでくれて心強いと喜ばれている。女性が多い所で、嫌がられず、歓迎されているのはオグの人柄だろう。
オグに迎えられたライアンは、ピクニックバスケットをテーブルに置いた。
「ん?ライアン、何を持ってきた?」
「酒のつまみだそうだ。酒を飲むなら、食べながらにしないと身体に悪いと、リンに持たされた」
「リンのつまみですか。それは楽しみですね」
ラグナルが籠を開け、中からせっせと皿や布に包まれたつまみを取り出す。
一部は小さな箱に、『温め石』と一緒に入っていた。
「これ、箱が温かいですね」
「新作だそうだ。執務室まで良い香りが流れてきたが、たぶんガーリックだ。食べて感想をくれと言っていた」
オグが脇に置いた、小型冷室からミード酒を取り出し、グラスに注いでいく。
「ヴァルスミア・シロップでつくったミードだ。出来立てだぞ。エクレールが用意してくれた」
「ああ。昨夜、館にもリンにも届いている」
「シロップを蜂蜜の代わりにした酒ですね」
「そうだ。街のハンターが待っていた酒がやっとできたな」
これでハンターは来年も頑張ってくれますね、と、ほっとしたように言ったリンの顔を、ライアンは思い出していた。大市の間は、酒の分のシロップが残るかどうかを心配しており、酒ができなければ暴動になります、とひどく真面目な顔で頷いていたリンだ。
「再会を祝して乾杯しましょう」
「再会というほどでもねえけどな。ラグ、おまえ来過ぎなんだよ」
「いいではありませんか、兄上。週末なんですから。今回はウィスタントンとの新商品のため、と言ったら、ぜひ、と送りだされました」
自領の産物でつくられた新商品は、ラミントンでも大変喜ばれたようだ。兄上に会いに来やすくなりました、とラグナルも笑顔である。
「さ、乾杯しましょう。ドルーと精霊に!」
「「ドルーと精霊に」」
そのミード酒には、シロップにある果実のような香りがしっかりと残っていた。濃厚で、甘くトロリとした酒だ。ラグにはちょうどいいようだが、ライアンとオグには甘すぎる。
「確か、サントレナのレモンがバスケットに入っていたはずだが」
これをかけてください、と説明されたレモンを切り、ライアンはミード酒にギュッと絞ってオグに渡した。
「リンは用意がいいな。ミード用か?」
「いや、つまみにと言っていた」
その言葉に、いそいそとラグナルがつまみに掛かっていた布を外していく。
「この二つがチーズで、燻製と、こっちがスパイスと薬草をまぶしてある」
ライアンが燻製の香りを好むので、いつも用意がされている。
「で、これがポテトサラダと、チップス」
「お、それが新作か?」
「私は食べたことがあるが、新作といえば新作だな。でも、良い香りをさせていたのはこっちだ。鶏のから揚げと言うらしい。これにレモンを絞るようだ」
ライアンが『温め石』を入れた木箱の蓋を取り、中からチーズクロスのかかった木皿を二つ取り出すと、ガーリックの香りが鼻をくすぐる。
「半分がガーリックで、半分がシロップとマスタード風味だそうだ」
「早速、いただきましょう」
見たことがない料理と、その食欲を誘う香りに、ラグナルはナイフとフォークを手に、待ちきれないようだ。一番に、香りの強い、ガーリック風味のから揚げを皿にとった。ライアンとオグもそれに続く。
ラグナルは丁寧にナイフを使って切り分けたが、オグは丸ごと口に押し込んだ。まだしっかりと温かく、柔らかい肉を噛むと、口の中に肉汁が広がった。
「うお、これはビールだな。絶対ビールだ」
オグはさっさとビールに切り替えることにしたようで、小型冷室から陶器の瓶を取り出した。
「おいしいですね。ガーリックと一緒に、焼いたのでしょうか」
「『揚げないから揚げ』だそうだ。本当は天ぷらみたいに油で揚げるようだが、これは窯で焼いたらしい。こっちも『揚げないチップス』と言っていた」
「リンの国では揚げてあるということでしょうか。元を知らないから、なんとも言えませんが」
ラグナルは次にチップスを摘まんだ。
「それはじゃがいもを薄く切って、焼いただけらしい」
「どっちにしても、リンの料理は珍しい上に、うまいよなあ」
オグも今度はシロップとマスタードのソースをかけた、から揚げを口に入れる。まず、一通りすべてを味わってみたいらしい。
「ん、こっちもなかなか……」
「兄上、どちらのから揚げがお好きですか?あ、このポテトサラダも、ソースがおいしいです」
ラグナルが、何が入っているのだろうと、白いサラダをフォークでつつく。入っているのは、じゃがいも、玉ねぎ、そら豆、ハムだ。ライアンも気に入った、まろやかなソースで和えてある。
「マヨネーズというらしいぞ。昨日はパンに塗られていたが、おいしかった」
「ライアン、レシピが欲しいです」
「ブルダルーが書いていたようだから、まとめて届けられるように手配をしておく」
ビールを飲み、つまみをひたすら口にしていたオグが一息ついた。
「リンは最近、料理に凝っているのか?」
「そうだな。春になって野菜が増えてきて、市に出向くのが楽しいらしい。大市に出たのも良かったのだと思う。人と話すのにも緊張が取れたらしくて、シロを連れて、前よりよく出歩いているようだ」
大市の終わりに薬草とスパイスが手に入り、甘味料やオイルも増え、リンは遠慮をせずに作れるようになった。ブルダルーが大市の期間、館にいることが多くて、厨房のかまどに慣れたこともある。
リンの作った料理は館でも再現されるらしく、館の料理人が大量に買うので、農村から売りに来た人間も喜び、リンは市でオマケをもらって帰ってくることも多かった。
冬は寒さのせいもあるが、家に閉じこもりがちだったリンが、ヴァルスミアに慣れ、行動範囲が広がり、領民にも受け入れられているのは、ライアンにとっても嬉しいことだった。
「リンがここに馴染んだのは、本当に良かったな。俺たちもこうやって旨いものが食える」
「料理だけじゃなく、他にも変化がでてきた。最初は、リン自身が欲しいものを作り、それを発展させたのが商品になった。この頃は、最初から母上の社交に使える物を考えている」
「ほう。大市でリンにも思うところがあったのかもな」
「新商品や新しいレシピ開発を仕事のように思っているかもしれぬ。大市の終わりにリン宛に届いた贈り物も、食材が多かった。会議でも聞かれるし、自分への期待は感じているだろう」
オグが眉を寄せた。手に持つカップを振りながら言う。
「贈り物に食材って、けっこう露骨だな」
「本人は装飾品よりも喜んでいるが」
「どこもリンに注目しています。この春のウィスタントンの新商品は素晴らしいものでしたし、ラミントンもだいぶ助かりました。なんとか自領のためにも、と思う気持ちは痛いほどわかります」
ラグナルはひとつ頷いた。
「ああ。その気持ちが、傲慢な命令にならなければ良いのだが」
「……ライアン、夏にはリンも王都へ行くんだろう?大丈夫なのか?」
「ええ。私も少し心配していたのです。王都の大市は、こことは違いますから」
もともと、販売と商談の場としての大市は、ウィスタントンの春と秋の大市から始まった。
夏の大市は、貴族の社交に、大市としての体裁を後から整えたようなものだ。今でも、王城と、貴族の王都にある館での社交が重要視される。その社交で情報を得て、親交を深め、文官に指示して後の商談につなげていく。街に各地の天幕も出るが、商談の場というより街の人間への販売拠点という役割だし、王城と街の中心の距離も遠い。
「リンは、自分は貴族の社交はしないと思っているし、街の天幕に出るつもりなのだろう。茶の栽培国の人間には会いたいらしいが」
「あれだけ噂になっていて、社交をしないのは、きっと無理でしょうね。接触してくる者も多いでしょう」
「そうだなあ。だが、リンの情報は間違っているのもある。難民だとか、ライアンの愛妾っていうのを信じて、軽く見るヤツもあるだろうしな」
ライアンは、愛妾という言葉に、オグをジロリとにらんだ。
「俺を睨むなよ。……なあ、ライアン、リンは礼儀なども心得ているが、貴族でないのは確かなのか?」
「ああ。最初にそう言っていた。それに、王族や貴族がいないわけではないが、身近ではないと」
「王都へ出るなら、いっそ精霊術師見習いとして、ギルドに登録したほうがいいんじゃねえか?術師で、すべての加護持ちなら、ライアンの庇護、いや国の庇護があって当然だ」
「そうですね。賢者見習いなら、身分は上位貴族相当、いえ、別格として扱われますから」
「それも考えてはいる……」
精霊術師ギルドから遠ざけ、まずは目立たぬようにハンターとして登録したが、すでに存在が目立っているのなら、同じことである。ウィスタントンから出なければ、リンを守りやすい。それでもリンの行動を制限したいわけではないのだ。
「術師として登録するなら、もう少し、精霊術も社交も勉強させたいが。……リンにきちんと話して、決めるべき時にきているのだろうな」
やっとここに馴染み、楽しそうに動くリンの周囲が、また変化するかもしれないことに、ライアンは口をぎゅっと結んだ。





